第二章:7

「えっと。そういうことじゃないっす」



 この仕事の肝は『女性の機嫌』だ。ヘソを曲げられて”もう客をとりたくない”と言われようものなら完全に詰む。


 報酬は役割によって違う。ドライバーは日当たり一万円と決まっており、極端な話、件数がこなせなくとも関係ない。そのため自分勝手なことをほざいたり、先程のように女性の機嫌はお構いなしといった調子で気軽に話しかける人間も少なくはない。


 俺の役割は打ち子であり、最中の道具を準備し、女性のケアをする。そこまでした後の報酬は女性がもらう手当の半分だ。女性の仕事量に依存しているが、その中でもできるだけ羽振りのいい客で、できるだけ件数をこなすように、客を探し出す。


 女性は手当ての半分を俺に持っていかれるわけだが、面倒なやり取りが省けることと、一番は、俺たちがいるという後ろ盾がメリットとなる。

 そんなわけで今回の仕事は「女性のやる気」も俺の収入に影響するため、極力刺激しないように努め、願わくば気分よく効率よくと仕事をこなしていただくことが理想なのである。

 とは言え、客を捌き始めると女性側の心が荒んでくることはよくあることだった。



「電話番号だけでも教えてほしいのに。あ、別に、一回くらいなら」


「そんなことしてもらわなくても大丈夫っすよ」


「もう、ねぇ、違う。私がしたいの。お兄さんと」


「え」


「なんか、お兄さん、安心するなーって」



 こういうタイプか、と危うく漏れ出そうになった溜息を押し殺す。初めて打ち子に当たった際に組んだ女性も同じようなタイプだった。急速に馴れ馴れしくなっていくというか、客のような男性を相手にしていると俺みたいな顔もわからない男でもマシに映ってしまうのか、近づこうとしてくる女性。初めの頃はひどく動揺し、正直浮つきそうになることもあったが、今となっては一ミリも心が動かない。

 こんな異常な空間ではおかしくなっても仕方がない。現にこの少女も一件目を捌く前と後では、かなり雰囲気が変わっている。なんというか、ハイになっている。多分、この異常な空間にあてられて脳が風邪をひいてしまっているのだ。




「いや。あのですね。言いましたけど、財布ないんで。

 手当もいったん上に渡さなきゃで使えないし」


「お金いらない。お兄さん優しそうだから。なんか、まともって感じだから」


 まともだったらこんなとこに居ねーわ、と頭に過ぎるも「あなたをなんとかしてあげられるほど、余裕ないっす」と言うと、楽しそうに笑う少女の声が車内に響いた。



「なんとかって。もしかして、お兄さん、育ちが良い人?」



 言い終わりに被るタイミングで運転席のドアが開き、同時に「すんませんっしたー」と男の声が入る。男が乗り込むや否や背後から息を吐くような音が聞こえたのを最後に、一瞬にして気配が後ろへ遠のく。少女は先ほどまでの様子とは一変、一言も発しなくなった。男は場違いなテンションで話しかけているが、それに対しても全て生返事である。短時間で随分と少女から嫌われているようだったが、この男がこの短時間で嫌われるであろうその理由を俺自身先程まで身を以って浴びていたため「仕方のない結果だわな」と思っていた。むしろその無神経さに会話が殺された状況に、男へ感謝すらしている。



「ナビ、入れました。お願いします」


「あぁ、はいはい。了解っす」



 発進すると、次の目的地までの間、車の駆動音とラジオだけが車内に反響していた。この男が音楽をかけない人間で良かったと、また一つ感謝する。日常に戻っていく中で、淀んだ欲の吹き溜まりを思い出すきっかけを、極力作りたくなかった。

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