第三章:5

「カナメ。おい、待って。何それ。どういうこと」


「何がよ」


「何がじゃないでしょ、パンクの話。バッサリって」


「そんままだよ。悪戯じゃねーの。たまたま俺のチャリが当たっちゃったんだわな、運がねーわ」


「悪戯……」



 停めていたクユルの自転車が視界に入り、立ち止まる。けれどもクユルはそちらに行こうとはせず、俺のそばで突っ立ってるだけだった。取りに行かないのか、という含みを込めて視線を自転車の方に動かすも、クユルはこちらを見返したまま、動かない。その目は、俺に疑いを向けたものだった。



「――あぁ、ごめんごめん。クユルが直すって言ってくれた時は深く考えずによろしく頼むって感じだったんだけど。よくよく考えたらありゃ直せねーだろうなって。もっとはやく気づいとけば良かった」


「そんなんはどうでもいいよ。そうじゃなくて……違うじゃん」


「なに」


「本当に悪戯なん?たまたまカナメのチャリだったん?」


「じゃあ悪戯じゃなくて、たまたまでもなかったら、なんなんだよ」



 疑いを孕んでいたクユルの目が急に弱々しくなり、何か言いたげにするも「……まぁ、そう、か」と呟いた。そして何処か悲しそうに肩を落とすと、そこからは無言で自転車の元に行き、鍵を差し込んだ。腑に落ちてはいないのだろう、口元に力が入った横顔がそう物語っていた。

 それなのに追求してこないのは彼が優しくて、良い奴だからだ。


 俺が前髪を極端に伸ばし始めた時もそうだった。目元が隠れるほど伸びた前髪。その髪に埋もれるように眼鏡をかけ、まぁ誰がどう見ても陰気臭い風貌だ。昔から俺がそういう格好を好んでいたのならまだしも別々の高校に行き始めてからの変化だったため、長い付き合いであるクユルはさぞ不思議に思い、原因を想像したことだろう。


 クユルはいつの日だったか「髪、邪魔じゃないん?」と聞いてきたことがある。それに対して俺があからさまに不機嫌といった態度で「邪魔だからいいんだよ」と答えると、今のような顔はしつつも、クユルの方から言葉を濁していった。



 クユルは何かに気づいている。小、中と一緒にいたからこそ。俺の人付き合いの下手さを知っているからこそ。ある程度、原因に目星をつけていることだろう。

 それが当たっているかどうかは別として、少なくとも、それを俺の口から暴かせることで俺自身を傷つけることになると思っているらしい。今までもずっとそうだった。そういう優しさはクユルの良いところでもあるし、その優しさはいつも、俺の腹の底を不快に撫でるのだった。




「今日。仕事無いって言ってたけど、嘘だろ」



 苛立ちの延長で、意図せず責める口調になってしまったのを自覚する。

 車輪が回る軽い音。挿している鍵についたままのスペアキーが車体に当たる音。地面を擦る靴の音……。

 クユルの先を行く形で自転車を押し進めたためどんな様子かは見えなかったが、戸惑うような沈黙がもはや返答になっていた。



「俺の自転車買いに行くために、無いって嘘ついたんだろ。バレバレだわ」


「……なんでそう思うん?」


「お父さんはさせたがってる。クユルが断らない限り仕事は腐るほどあるんだろうし、断る理由がなければやるじゃんか、オメーは」



 足を止めて、駄目押しで振り返る。彼は大きい目をさらに大きくさせて口を半開きにしていたが、俺と目が合うと睫毛を下げ、口を横に結んだ。静かに、真っ直ぐ、クユルを見つめる。こちら側がこの沈黙を破るつもりもなければ笑い事にするつもりもないとわかったのか、観念したようにクユルは口を開いた。



「……嘘ついたわけじゃねーよ。明日の分は断ろうって俺が思った時点で、仕事は無くなるだろ。そしたら本当のことになるじゃん」


「結果論じゃんかよ。だから、仕事、元々はあったんだろ。あったのを無かったことにしただけだ。もし今日、自転車を買うことがリスケになったら、やってたんじゃねぇのか。そん時ちゃんと俺を誘ってたか?やっぱり仕事あったんだけどって、言えてたか?おい」


「あーあー!もう!ややこしいこと言うな!んな怒ることでもないだろ。いいじゃん、無かったことになったんだから」


「駄目だ、よくない。こういう小さな嘘から約束は破綻する。仕事をする時は絶対に誘え。ある時はあるって言え。その約束を守れなきゃもういっそのこと仕事は取るんじゃねぇよ。あんなことすんのは、一緒じゃなきゃ駄目だ」


「んだよ。なんでそんなに一緒じゃなきゃ駄目なんだよ。しつけーな」


「しつこいのはお前だろうが」


「は?」


「何回言わせんだよ。これだけ散々言ってるのに、なんで俺に隠れてやろうとするんだよ。何が引っかかってんだ、あ?」



 俺のその問いに途端下唇を噛み、眉間に皺を寄せる。何かを言おうとして息を吸ったのか肩が僅かに上がるも、思い直したように口を閉じたまま、力なく視線が落ちていく。クユルの躊躇うような仕草に、ハンドルを握る手に力が入った。恐らく相当な睨みをきかせてしまっているのであろう俺の目をクユルは見返すと、またもや視線を下に落とし、小さく「ばーちゃん」と漏らした。




「カナメのばーちゃんに、申し訳なくて」

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