第二章:11

 煙草が短くなったのを見て「そろそろ戻るべ」と声をかけると「迎えに来るしなぁ」と惜しいように煙草をひと吸いし、吸殻を携帯灰皿に突っ込んだ。以前は足元に投げ落としては踏み消していたが、俺が携帯灰皿を押し付けてからは大人しくそこに捨てるようになった。クユルは当初「おかんかよ」と珍しく鬱陶しそうにして受け取る素振りも見せなかったが「マジもんのおかんが悲しむだろ」と半ば強引に握らせたのだった。クユルは嫌なことを言う奴だという顔をしていたが、構わない。必要なことだ。



 先程男を殴りまくっていた場所に戻ると彼は車ごと消えており、代わりに親父さんの車が駐車するところだった。親父さんは窓を下げると「おう、お疲れい。はよ乗れ、はよ」と陽気に言う。俺たちが、……いや。クユルがこの仕事で稼いでいることが、嬉しそうに見えた。親父さんが日頃何をしているのかは皆目見当もつかなかった。少なくとも”勤め人”でないことは確実で、日中はパチンコ三昧だとクユルが漏らしていた。借金もあるんだかないんだか。どのようにして生計を立てているのかクユルのお母さんですら把握していたのか怪しいが、に近づくにつれ、想像以上にこの親父さんはヤバい人間なのだと思うようになった。



 車に乗り込み、クユルが親父さんに携帯と手当を渡す。俺たちの取り分はここからさらに折半となる。折半する相手は親父さんとなのか、それともその後ろにあるとなのかは、わからない。

 車内にある液晶画面に表示された時計を見ると日付が変わる直前で、祖母はもう寝ているだろうかと頭に過ぎる。車内では会話もなく、とはいえいつものことなので特に重苦しさを感じることなく、流れゆく景気をただ眺めていた。




「じゃ、枢君、今日はありがとね。またよろしくね」


 手や足が熱を帯び眠気に襲われ始めた時、親父さんの声が車内に響いた。あたりを見回すと見慣れた外階段が視界に入る。そのまま視線をクユルに移すと彼も睡魔に襲われていたのか、眉間に皴を寄せながら欠伸をして、首を回していた。

 クユルの家に荷物を取りに行って「お父さん、ありがとうございました。クユル、じゃあまた明日な」と別れた。




 この仕事をした後に刺し込む鍵穴はいつも以上に癖が強く、回しずらい。極力音を立てないように引き戸を開けると玄関の明かりが付いていた。廊下とその先に続く居間が暗闇であることを確認し、胸を撫でおろす。

 ジャージは煙草臭くなっているだろうからと真っ直ぐに脱衣場に向かうつもりで玄関を上がる。そこで居間の奥にある台所から明かりが漏れているのに気が付いた。


 祖母だろうか。いや、まさか。

 こんな時間に、居間の電気もつけないで?


 胸に嫌なざわつきを覚え、台所に向かう。するとそこには誰もおらず、ふくらみがある布のかかったなにかが調理台の上に置いてあるだけだった。祖母の姿が無いことに安堵しつつ布をめくると、米だけで握られた質素なおにぎりが2つ、皿に並んでいた。特に置手紙などがあるわけではなかったが、俺宛なのだとすぐにわかった。


 今日もいろいろなことがあった。どこの誰がどのように入手したのか想像もつかない携帯で文字を打った。性欲にまみれた男の処理をしてきた女からコンドームやローションを回収した。地面にくたばって土や煙草の灰まみれになった男に触れた。

 水道なんてすぐそこにあるのに、俺は手を洗うことなく、皿に乗っている真っ白なそれを掴んで頬張った。



 本当に、汚い人間だ。

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