第二章:4
当時と同じ表情をするクユルから目を逸らさず「なによ」と返すと、彼は不服そうな顔のまま、前へ向き直った。
「カナメは俺に、何も言わないよな」
「気持ち悪いこと言ってんじゃないよ。
じゃあクユルは、俺に全部言ってんのか」
「言ってるよ」
「言ってんのかい」と笑っても、クユルは表情を変えなかった。靴がコンクリートの地面を擦る音が響く。この頃日が長くなったと感じるが、流石にこの時間にもなると陽は落ちきって、暗がりの中で街灯や家の明かりだけが道を照らしていた。会話が進まないのも、きっと、こんなに外が暗く、蒸し暑いからだ。
本日二度目のクユル家の前に車が停まっており、その傍らで人影が揺れていた。それはまるで熊のように分厚く、ハイエースの前で大きな動作でゆっくりと動く。人影は自らに近づいてくる俺たちに気がつくと、丸太のような腕をあげ軽く宙をかいた。
「おう。枢君、今日もよろしく」
「よろしくっす」
剃っているのではなくもはや生えてこないのであろう眉毛、分厚い瞼に目尻にいくにつれ細く伸びていく目、針を刺せば空気が抜けていきそうだと想像させる膨れた耳に、黒ずんだ不揃いの歯。そして壁のような体格。身長は平均ほどもないのだろうが、脂肪なのか筋肉なのかよくわからない、ただ質量を思わせる胴体。その物体が黒いTシャツを纏い、裾が擦れている大きめのジーパンを履いて、くたびれたサンダルをつっかけていた。
風貌を見て毎度思う。こいつは本当に、クユルと血が繋がっているのだろうか。
「着替えてくるわ」
クユルは低い声で呟くも、自分の父親に一瞥もくれることなく前を睨みつけるようにして外階段を上がっていった。
クユルの態度に代わって、親父さんに「玄関借ります」と言いながら会釈し、その横を通り過ぎる。家の中に入り、用意していたジャージを鞄から引っ張り出して、玄関で着替えた。この蒸し暑さの中長袖長ズボンのジャージは正気の沙汰ではないのだが、自衛のためにやむを得なかった。せめてもの気休めに、発熱時に貼る体温を冷却するシートを両手脇の下と背中に貼る。そしてクユルから渡された黒いキャップを被った。少し前まではここにマスクもしていたのだが、最近ではそこまですると本当にぶっ倒れる危険性があるので、キャップを深く被るまでに留めている。
クユルは普段、根本から立ち上がらせるようにして前髪を真ん中で分けている。整髪料で整えているだろうに、それを躊躇なく手で掻き乱して同じくキャップを深く被った。そしてワイシャツの上から薄手のジャージを羽織る。ズボンは俺を迎えに来た時には既にジャージのものを履いていた。
準備をしている間はお互い口数が減る。何も言わないまま部屋を出て階段を降りていくと、下から「オメーら、暑くねーんか」と陽気に笑う声がした。こういう豪快に笑うところや調子の良さを見ると、クユルに面影を感じる。
そんな親父さんに相反するように、クユルは未だ目を合わさず、静かに「俺らには未来があるんじゃい」と返していた。苛立っているようだったが、クユルなりに今からのことを考えているのだと冗談めかしている語尾から汲み取れる。
「あー、燻。今日はあれだ。女の子の」
一気に、気が滅入った。目配せしたいのを堪え、けれども返事をしないクユルに対して彼もきっと同じ思いなのだろうと感じ取る。「もう時間ないから、はよ乗れ」と運転席に乗り込む親父さんに続き、二人して無言のまま後部座席へ身体を入れる。
「俺らが気にすることじゃねーよ」
エンジン音にかき消されるほどの小さな声に、俺は反応しないまま、流れていく光を眺めていた。
車は暫く走るとコンビニの駐車場に入って行った。仕事内容にもよるが基本的にはいつも集合場所は違っており、今回のも今までに利用したことのない場所だった。親父さんが「うーし」と声をあげ車から降り、肩を大きく揺らし歩いていく。携帯を耳に当てながら右往左往しており、誰かを探しているようだった。その間、俺たちは無言で車内で待つ。親父さんから指示がない限り自らの意思を持って動かないようにしており、今も何も言わずに降りて行ったということは、ここで待ってろということなのだろう。
暫くするとクユル側の扉が乱暴に開き、男二人を引き連れた親父さんが顎で指しながら「おう、行け」と言う。俺たちは車を降りて親父さんから紙袋と一台ずつ携帯を受け取ると、後方にいる男二人にそれぞれ着いて行った。
"女の子の"という仕事は何度もやっており、勝手はわかっている。
今から始まるのは、売春の斡旋だ。
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