第二章:3

「ばーちゃん、相変わらず元気だなぁ」


「そうでもねーんだけどな。クユルの前だと生気がすげーわ」


「そうなん?」


「もう、目がハートだもんよ。俺の前ではあんなんじゃないから」


「なんだよ。妬くなよ」



 クユルの軽口に思わず苦笑いが漏れる。本当にそうだ。こいつに妬いて、なんになる。もう根っから人間が違うのに。俺にはどう演じたって、こんな人間にはなれないのに。



 予想していた反応を俺がしなかったのか、クユルはこちらを一瞥すると「本当に妬いてんのか」と更に大袈裟に笑った。俺だって、わかっている。クユルは期待している。この空気が、ちゃんと冗談になることを。



「妬いてるわけねーだろ。

 ばーちゃんの俺への入れ込み具合、異常だかんな」


「そりゃそーだ」



 クユルが笑う。別にここから話を広げることだってできたのに、お互い、続けることはなかった。今更気を使う間柄ではなく沈黙が重苦しいわけでもないのだが、湿度も相まって、息が詰まる。



 暫く無言で歩いていると「最近、学校、どうなん」と探るような声がした。視線を移すと、俺が見ていることに気づいているだろうに、クユルは意識して目を合わせないように真っ直ぐ前を見つめている。いつもの朗らかな調子とは違う、静かな声色。



「どうって、何が」


「いや、なんか、どうなんかなって」


「なんじゃそりゃ」



 ここで初めて俺と目が合った。クユルは何も言わず口をへの字に曲げて、眉間に皺を寄せ、睨むまではいかないまでも、下瞼をあげて目を細めていた。




 ……あの時と。

 あの時と、同じ顔をしている。


 罪悪感に似た痛みが胸を走った。




 初めて同じクラスになった時、くだらないやり取りの延長で、自分の名前を漢字で書けるかという話になったことがある。クユルが俺の席に来て、机の上に自由帳を広げる。そのノートに鉛筆を走らせるが『燻』という字は小学二年生の彼には到底書けるものではなく、デタラメな字を書いていた気がする。俺はクユルが書いた造字の横に『枢』と書く。それを見て、クユルが目を輝かせ「え!え!すげー!カナメ、名前もう漢字で書けるんだ」と声をあげた。

 明らかに難易度が違うのにはしゃぐクユルを見て思わず笑ってしまったが、ノートに書かれた自分の名前を見て、心臓がドロドロと重くなっていくのを感じた。そうして靄のかかった頭のまま、黙ってもう一文字、ノートに書き込む。



『枢』の横に『柩』。



 鉛筆の先で『柩』の字をつつき、クユルを見る。


「これ、俺のと似てるでしょ」


「似てる似てる。こっちもカナメっていうの?」


「こっちのは、ひつぎって言うんだよ」


「ひつぎ?」


「棺桶。死んだ人を入れる箱」



 クユルは目を大きくして口を開けると、顔を上げて俺を見た。そして再度視線を落とし漢字を見比べ、またもや俺を見る。その時の顔が、口をへの字に曲げて眉間に皺を寄せ、目を細めた、……今まさに俺の横でしている表情だった。


 俺の名前が棺桶を指す漢字に似ているとクユルに”言わせた”次の日、彼は俺の所へやってくると、チラシの白い裏側にでかでかと『枢』と書いたものを机の上に叩きつけた。何事かと面食らっている俺を他所に、その左側へ『中』の漢字一文字をこれまたでかでかとか書き、怒っているかのような声量で捲し立てた。


「これ、『ちゅーすー』って、言うんだって!

 なんかっ、なんかの全部の、真ん中ってやつ!とにかく大事なものって意味だって、お母さんが言ってた!っていう言葉も、大事なものって意味なんだって!この漢字は、そういう漢字なんだよ!」


 あまりの剣幕に、自然と「ごめん」と言った覚えがある。今振り返ってみれば悪いことをしたなと思うし、我ながら根暗すぎてキツいので忘れたいと思う部分もあるが、どうしても忘れられない。




 あの時と、今、同じ顔をさせている。

 俺はまた、あの時と同じ想いを、クユルにさせてしまっているのだろうか。

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