第一章:4
俺とクユルの家は徒歩五分程、自転車であれば二分もあれば着く距離にある。初めて出会ったのが公園だったのも、単純に家から一番近くにある公園が同じだったからだ。小学二年生の時に同じクラスになった際は、普通に考えれば学区が同じである可能性の方が高いのに「一緒の学校だったのか、運命だ」と二人で騒いだものだ。
そこから中学とまでは同じ、そして高校生になった現在は、別々の学校へ通っている。だがこれだけ家が近いと今日のように道端でばったりということもあるし、お互いきっちり約束を取り付けたわけでもないのにいつのまにか彼の家で各々漫画を読んでいたりする。そして、今では同じ"仕事"をすることがあるため、そこでも顔を合わせる。
「クユル、今日はあんのか。仕事」
「あぁっ、とぉ。えぇっと、どうだったかなぁ」
俺の問いにクユルは歯切れの悪い反応をし、濁すように苦笑いを含ませる。その態度への苛立ちに任せ、ばっかじゃねーの、と揺れる背中を叩いた。
「あるんなら呼べ。約束しただろうが」
「だなぁ。……うん。だな。
うん。多分、今日、あった気がするわ」
「そうかい。何時」
「しち……19時。いつも通り迎えに行くよ」
「あい」
それからはお互い自然と会話がなくなり、腰の骨に硬い振動を感じながらも、見慣れている景色を眺める。クユルを過ぎてきたであろう風の奥に、独特の香りを感じる。形容し難い人工的な爽やかな香りの中、深いところにある、重くくすんだ"色"を彷彿とさせる香り。鼻腔をざらつかせる、この鈍く、焼けるような……。
香りの正体は容易に想像でき、聞こえるようにため息をついた。
「おい、タバコの匂い消えきってねーぞ」
「げっ。マジ?いやいや、今はカナメが近いからだって。普通わかんねーって」
「ファブリーズしてんのかよちゃんと」
「浴びるようにかけてるわ」
もはや飲め、と言っていると甲高いブレーキ音と共に、見慣れた建物の前で自転車が止まる。礼を言いつつ荷台から降り、振動を受け続けた背中を反らして伸びをする。脱力したと同時に右脇の壁に沿う外階段の下から、そこに自転車を停めたクユルが出てきた。
外階段は二階に続くもので、クユルの家はその二階にある。見る度にこれは人体の重さに耐えられるのだろうかと疑問に思うほど、その外階段は劣化していた。塗装が剥がれ落ちてさらされた鉄は赤茶色く錆び、手すりから足場までに嵌っているプラスチック板は老人の乾ききった皮膚のように無数のヒビが入っている。そんな心許ない階段へクユルは躊躇なく足を乗せると「暑っつい、死ぬわこれ、終わりだ、滅亡」と独り言を呟きながら上がっていく。
「あぁ、カナメ。アイツいないから、上がってきてもいいよ」
その言葉を聞き、後に続く。
階段を上がると扉が四つあり、左から二番目のものがクユルとその父親が住む場所だ。母親は一年前に亡くなっている。
クユルはドアノブに手をかけると鍵を開ける素振りもなく手首を捻り、扉を開けた。扉を支えながら「部屋ん中も暑いけど」とこちらを見るクユルに、いや助かるよと応え、彼から扉を引き継ぐ。靴を脱いで部屋の奥へと消えていく背中に続き、玄関まで入り、扉を閉めた。
靴を脱ぐことなく、その場でクユルを待つ。
自転車の荷台で感じた微かなものとは比べ物にならないほど濃く、圧縮された、すえた煙草の匂い。壁どころかこの空間にある全ての物体に煙が染み込んでいて、もはやその物達が発しているのではないか。ここにいるだけで自分の肉体にまで匂いが染み込んでいきそうだった。
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