第一章:3
「そうかい。一撃でいくといいな。んじゃ」
別れの言葉の弾みで自転車に跨りそうになり、鉄の塊に成り下がっていたことを思い出す。先程まで紛れていたうなじを焼くような暑さが倍に感じる。そのままやかましい自転車を押し進めると、三回目の騒音で後ろからクユルの声がした。
「え、ちょい。カナメ。カナメ。
それパンクしてね?」
「してるからこうやって押してんのよ、このクソ暑い中」
クユルは大きく声をあげて笑うと蝉を地面に置き、それを右足で思い切り踏みつけた。ゴムの板を地面に叩きつけたような音が響き、と同時に、枯れ葉の塊が潰れる音も耳に届いたような気がした。そのままごりごりと右足をコンクリートに擦りつけながら、クユルは平然とした笑顔を俺に向ける。
「俺がそれ直してやるよ。家寄ってけ」
「……木の根元に持ってってやるんじゃなかったんかい」
「出来ればそうしてやりたかったけどさ。でもこの暑さでカナメのそれはないって。そんなのちんたら引いてたら倒れるぞ。蝉には悪いけど、急務ですわ」
クユルはそう言いながら停めていた自転車のスタンドを蹴り上げると、それに乗ることもなくハンドルを押しながら駆け寄ってきた。俺はクユルが足を退かした後の地面を、意識して視界に入れないようにする。流石に見ることは出来ない。
「カナメ、後ろ乗っかりなよ。んでうちに修理道具あるから取り帰って、麦茶でも飲んで、またここに戻って来ようぜ。一旦そのチャリはそこらへんに置いとけばいいだろ。パンクしてるチャリなんて誰もパクんねーって」
神様仏様クユル様と騒ぎながら鉄の塊を歩道脇に停め、荷台に乗る。クユルは「おーおー、感謝しろー」と笑いながらサドルに跨り、ペダルをぐんと漕ぎ始めた。踏み込まれる度身体が後ろに引っ張られたが、何度か繰り返されると軌道に乗り、数十秒後にはなんの抵抗もないまま心地の良い風に吹かれていく。
「まぁでも、災難だったなー」と、左右に揺れる背中から声がする。
「災難なのか、人為的なもんなのか、わかんねーや」
俺の独り言は過ぎ去る風の音にかき消されたようで「あー?なにぃ?」と聞き返される。クユルの弾むような声に思い直し「振動がすげー。ケツにクる、痔になる」と一際声を張った。
「だろうなー、そんなとこ悪いけど、歯ぁ食いしばれよー」
クユルが声をあげた途端、ガシャンという音と共に冗談ではない衝撃がケツと腰を突き上げてきた。絶対にこの段差は降りなくてもよかったものだと察したため、丁重に異議申し立てたが、クユルは「俺に命預けたんだろ、文句言うな」と笑っていた。
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