6―“それ”を許した日
その言葉を言ったあかりを俺はなんて残酷なんだろうと思った。
「シュージは優しいから、できるよね…?」
優しい――それは褒め言葉かと問われたら、褒め言葉だ。
けれど、今の状況にふさわしくない。
その褒め言葉は、間違いなく俺を傷つけているのだ。
「――優しいって、なんだよ…」
そう言った俺の声は、まるで地の底で這っているかと思うくらいの低い声だった。
「俺は、優しさでお前に会いにきたんじゃない!
優しさでお前を好きになったんじゃない!」
そう言った俺に、あかりは悲しそうに笑った。
「だから…その分、シュージを傷つけたくないの…」
そう言ったあかりに、
「その分って何だよ!
優しいから傷つけたくないって、意味がわかんねーにも程がある!
あかりが好きだから、心の底から思ってるから、ただそれだけのことだ!
それだけのことだから、会いにきたんだよ!」
まくし立てるように言った俺に、あかりは目を伏せた。
「手放すのは、もう嫌なんだよ…!
あかりのそばにいたいんだよ…!
わがままだとかエゴだとか、そんなの自分がよくわかってる…!」
視界がぼやけてきたのは、俺の目が悪くなったからなのだろうか?
「シュージに一途なところもあったってことを忘れてた…」
呟くように言った後、あかりは伏せていた目をあげた。
「あたしね、招待状の差出人にお金を出されて別れられたの」
あかりが言った。
「つきあってると思ってたのはあたしだけで、差出人はそんなの微塵にも思ってなかった。
結婚することになったから別れてくれ――ある日突然、その人からそんなことを言われた。
別れたくないって言ってダダをこねたら、大金を渡された。
これをやるから別れてくれ、って」
そう言った後、あかりはやれやれと言うように息を吐いた。
「その出来事があったのは、シュージと出会って抱かれた日のことだった。
あの時のあたしもシュージと一緒で失恋のショックでヤケになってたの。
だから、酔っぱらったヤツをひっかけて抱かれようみたいな…バカな話でしょ?」
そう言ってあかりは自嘲気味に笑った。
「最初は躰の相性がよかったからシュージと一緒にいるだけだって、何度も自分に言い聞かせてた。
シュージも失恋した相手の身代わりとしてあたしを置いてるだけだって、そう自分に言い聞かせてた。
だけど、ごまかしなんて案外効かないものなんだね」
あかりはまた息を吐くと、
「恋した自分の気持ちをごまかすのは無理だった」
と、俺を見つめてきた。
「シュージは優しくて一途で…あたしみたいなあばずれ女よりも、もっといい子と幸せになった方がいいと思った。
シュージのためを思ったから、逃げたのに…」
「――あかり」
俺はあかりに歩み寄ると、彼女を抱きしめた。
あかりが驚いたと言うように目を見開いたけど、すぐに俺の背中に彼女の両手が回った。
「――俺は…」
小さな子供に話しかけるように、俺は言った。
「俺は、あかりがいいんだ。
わがままだろうと、エゴだろうと…俺は、あかりのそばにいたいんだ」
今にも折れてしまいそうなくらいの、華奢で小さな躰だった。
彼女を抱きしめているこの腕に力を入れたら、本当に壊れてしまいそうだ。
「あかりがどんなヤツで、どんな過去を背負っていようが、俺は構わない。
俺が欲しいのは、あかりそのものなんだ。
例え世界中のヤツらがあかりのことを悪く言ったって、俺はお前のそばにいたい。
あかりの味方になりたい」
俺の言葉に、小さな躰が震えた。
「――シュージ…」
俺の名前を呼んだあかりの声が震えていた。
「――あたし、シュージのそばにいたい…シュージが大好きだから、そばにいたい…」
俺の背中に回しているあかりの両手が震えている。
「あたし、本当は寂しかった…本当はつらかった…」
「もういいんだ」
俺はあかりと目をあわせた。
コーヒー色の瞳は、濡れていた。
「もう充分だ」
俺がそう言ったのと同時に、濡れた瞳が優しく微笑んだ。
「――シュージ、会いたかった」
そう言ったあかりの頬に俺は手を伸ばすと、涙をぬぐった。
顔を近づけようとしたその時、
「あーかーりちゃーん…って、ギャッ!?」
「――あっ…」
俺とあかりの声が重なった。
「リーにぃ…」
あかりの声に黒いものが含まれていたのは、俺の気のせいだろうか?
「アハハ、お取り込み中だったのねん。
ごめんね~、あかりちゃん許して~。
お店が始まっちゃうからじゃーねん」
彼は笑いながら言った後、俺たちの前から逃げ出した。
「ごめん、バカ兄貴のせいで…」
あかりは呆れたと言うように俺に謝った。
「あ、ああ…」
俺は何と返せばよかったのだろうか?
「シュージ」
あかりが俺の名前を呼んだ。
「んっ?」
「店が終わったら、一緒に帰ろ?」
そう言ったあかりに、
「ああ、待ってる」
俺は返した。
「まさか、あかりの彼氏だったとは思いもしなかったなあ。
あかりちゃん、そんなこと一言も言ってなかったのに。
彼氏の「か」の字もなかったのよん?
お兄ちゃん、悲ピー!」
さっきから俺はあかりのお兄さんの相手をしていた。
あかりと一緒なのはコーヒー色の瞳だけで、中身は全くと言っていいほどに違っていた。
あかりがクールで謎めいたタイプなら、お兄さんはおちゃらけているタイプだ。
そのあかりはと言うと、他の客の相手をしていた。
「あー、そう言えばまだ名前を聞いてなかったねー?」
あかりのお兄さんに言われ、
「そうっすね」
俺は言った。
「俺は久世理人(クゼリヒト)」
お兄さん――理人さんが自分の名前を言ったので、
「滝本修司です」
俺は自分の名前を言った。
「シュージくんね」
理人さんの俺の名前を呼ぶ呼び方も、あかりと一緒だった。
一緒なのはコーヒー色の瞳と俺の呼び方だけで、後は違うようだった。
「ちょっとー、兄妹だからねー?
似てないとか何とかよく言われるけどー」
そう言うことを言ってきたのは、理人さんも自覚しているのかも知れない。
俺はあかりに視線を向けた。
なじみの客なのだろうか、あかりは楽しそうに話をしていた。
「あら、嫉妬?
男の嫉妬は醜いよ、シュージくん」
理人さんがからかうように言ってきた。
「し、嫉妬って…」
「シュージくん、今のあかりを見てる時の自分の目に気づかなかったー?
嫉妬の眼差しだったわよーん?」
どんな眼差しだよ…。
「理人さんは」
「お兄さんでいいよー?」
理人さんが返した。
「はっ?」
驚いて聞き返した俺に、
「あかりとつきあってるんでしょ?
だったら俺のことは“お兄さん”でいいから。
ずーっと憧れだったんだよねー、“お兄さん”って呼ばれるの。
あかりちゃん、あーだから1度も呼ばれたことがないのよー」
グスッと、理人さんが嘆くように言った。
「いや、そんなめっそうも…」
「いいのいいの、遠慮しないで」
いや、遠慮しますから!
「呼んだげなよ、シュージ」
聞き覚えのある声に視線を向けると、
「――あかり…」
あかりは俺の隣に腰を下ろした。
「全く、誰があーなのよ」
「あらヤだ、聞いてたのん?」
「嫌でも聞こえる」
そう言ったあかりに、理人さんはバツが悪そうな顔がした。
「聞かれちゃ困るんだったら気をつけてよね、兄貴」
あかりは呆れたように息を吐いた。
ほらね…と理人さんが目で俺に言ってきたので、すぐにあかりが理人さんをにらんできた。
「あ~ん、妹が怖い~!」
理人さんが嘆くように言った。
…全く、この人は訳がわかんない人だ。
あかりが呼んであげてと、目で俺に話しかけてきた。
仕方ない、ここはお兄さんの言うことを聞いてあげることにしよう。
「お兄さん」
「はいはーい♪」
全く変なヤツだと、俺は心の中で息を吐いた。
「俺、シュージくんみたいな弟が欲しくなっちゃった♪
ねえ、もう1回だけ言ってー?」
「兄貴、お客さんの相手をして!」
「う~」
あかりに言われ、理人さんは渋々と接客に向かって行った。
全く、やれやれな話である。
あかりはフフッと笑うと、
「シュージは兄貴のお気に入り決定ね」
と、言った。
「おいおい…」
お気に入りに決定された俺は呆れるしかなかった。
「大丈夫、なれればおもしろいだけだから」
「…そうか」
あかりもこう言ってるし、そのうち彼になれる日がくるのだろう。
「んっ?」
そう思っていたら、あかりが俺の肩にもたれかかってきた。
「初めてシュージと会った日のことを思い出した」
あかりが言った。
「そうか」
俺が返事をしてテーブルの下であかりと指を絡ませたら、あかりはそれに答えるように俺と手を繋いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます