5―“それ”を言った日
俺とあかりは焼き肉を食べるだけ食べて、お酒を飲むだけ飲んだ。
けれど、その間もあかりの無理してる雰囲気は変わらなかった。
風呂から出ると、俺は冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出した。
あかりに視線を向けると、テレビを見ていた。
それを見て寝室に向かおうとしたら、
「――シュージ…」
うっかりしたら聞き逃してしまいそうなくらいの小さな声で、あかりが俺の名前を呼んだ。
「どうした?」
そう声をかけたら、あかりが俺に歩み寄ってきたのがわかった。
「――あかり?」
後ろからあかりの手が伸びてきたと思ったら、大切なものを扱うように俺を抱きしめてきた。
「…どうした?」
背中に感じるのは、あかりのぬくもりだ。
「――抱いて…」
消え入りそうなくらいの小さな声で、あかりが言った。
「あたしを抱いて、お願い…」
俺を抱きしめている手が震えている。
その様子から、あかりが泣いているのがわかった。
「――あかり…」
俺は、あかりの名前を呼んだ。
「お前は…本当に、何者なんだ?
どうして突然俺の前に現れて、俺に抱かれた?」
今まで思っていたことを、俺はあかりにぶつけた。
あかりの手が俺から離れようとしたので、俺はその手に自分の手を重ねた。
「俺は、お前を知りたい。
躰とコーヒー色の瞳以外、何もかも全て知りたい」
そう言った俺に、
「――知らない方がいいことだってあるに決まってるわ」
と、あかりは言った。
「違う!」
俺は首を横に振った。
「わがままなのはわかってる…俺のエゴだってことも、もちろん理解してる…だけど…」
俺はあかりと重ねた手を強く繋いだ。
「俺は、あかりが好きだ。
好きだから、お前に関することを全部知りたいって思ってる」
ついに、俺は自分の気持ちをあかりに打ち明けた。
俺は、あかりに恋をしていた。
それは、初めて出会った時から。
あかりを拾ったその時から。
俺はその時に、あかりに恋をしていた。
あかりのそばにいたいと思ったから、あかりと生きて行きたいと思ったから、有村と別れてあかりを選んだ。
俺とあかりの間に沈黙が流れる。
あかりからの返事が怖い。
そんなことを思ったのは、今日が初めてだった。
長い…いや、本当は短かったのかも知れない。
沈黙を破るように、あかりの手が俺から離れた。
「――ごめん…」
呟いているような小さなその声に、俺はあかりに視線を向けた。
「――あかり…?」
俺の口から、かすれた声が出てきた。
何故なら、あかりが泣いていたからだ。
「――シュージに、あたしは似合わない…」
あかりの言っている意味がよくわからなかった。
俺に似合わないって、一体どう言う意味だよ。
「シュージは優しくて一途だから、あたしみたいな女は向かないよ…」
そう言ったあかりの声は、震えていた。
「――何で…」
何でそんなことを言うのだろうか?
似合うか似合わないかなんて、そんなのは俺が決めることだ。
そもそも、それがどう言う風に関係していると言うのだろうか?
「――ごめん、シュージ…」
俺が欲しかったのは、謝罪の言葉じゃない。
「シュージは…ちゃんとした子を見つけて、幸せになった方がいいよ?
あたしみたいな、あばずれじゃなくて」
「あかり!」
俺が名前を呼ぶと、あかりは悲しそうに微笑んだ。
「さよなら」
そう言ってあかりは俺に背中を見せた。
「――エゴなんかじゃない…」
俺は呟いた。
これらの気持ちは、俺のエゴじゃない。
心から思っている自分の気持ちだ。
だから、もうあかりを手放したくない。
有村のようなことになるのは、ごめんだ。
ちゃんと自分の気持ちを伝えて、この腕にあかりを抱きしめる。
もう、大切な人を手放すのは嫌だから。
*
その翌日、俺は会社が終わるとあかりが働いているバーに足を向かわせた。
もしかしたら、ここにあかりがいるかも知れない。
もしいなかったとしても、あかりに関する情報が見つかるかも知れない。
そんな期待を胸に抱きながら、俺は店を訪ねた。
「オニーサン、まだ開店してないよ?」
ドアを開けようとした俺に、後ろから声をかけられた。
振り返ると、ほうきとちりとりを持った背の高い男だった。
俺も高い方の部類に入ると言えば入るが、彼は俺が見あげなければならないくらい高かった。
そう言えば、どっかで見たような気がする。
いや、気のせいか?
「ちょっとー、俺の顔に何かついてるー?」
男が不思議そうに首を傾げた。
すぐに、
「それとも俺がいい男だから見とれてたとか?」
男はヘヘッと照れたように笑った。
「――あの…」
「んー?」
「あかりさんはいらっしゃいますか?」
声をかけた俺に、男は驚いたと言うように目を見開いた。
男の目はコーヒー色だった。
何だか見たことがある色の瞳だ。
「えー、何?
オニーサン、あかりのファンなの?」
やけに嬉しそうな様子で男が言った。
「えっ…」
俺は次の言葉に困った。
「否定しなくてもいいのよー。
あかりちゃんのファンはたくさんいるんだからー。
ウチの看板娘なんだからー」
男は手をフリフリと上下に振っていた。
彼の独特のテンションに、俺はついていくことができない。
「でも…あかり、ちょっと気分が悪いみたいでさー」
「気分が、ですか?」
そう言った俺に、
「お見舞い行く?
オニーサン、いい男だからあかりも喜ぶかもよ?」
男がニヤニヤと笑いながら言ってきた。
そう言った彼に、俺はためらった。
さっきまであかりを連れ戻すことを考えていたのに…。
予想もしなかった状況に戸惑っていた俺に、
「リーにぃ?」
聞き覚えのある声が俺の耳に入ってきた。
「あら、あかりちゃーん」
男はヘラッと笑うと、あかりに向かって手を振った。
俺とあかりの視線がぶつかった。
「あかりちゃん、もういいの?」
そう言った男に、
「まあ…」
あかりはどこか冴えない様子だった。
いざ彼女と会ったとたん、俺は困った。
さっきまで連れ戻すことを考えていたのに…。
お見舞いの次はご対面かよ…。
状況が状況に俺は何も返せない。
俺は一体何がしたいのだろう?
何がしたくて、わざわざ訪ねにきたのだろう?
「シュージ」
あかりが俺の名前を呼んだ。
「えっ、知りあい?」
男が戸惑っている。
あかりに名前を呼ばれた俺は、
「――あ、その…」
言葉に困った。
「あかりちゃーん、知りあいなんですかー?
お兄ちゃん初耳なんですけどー」
えっ、お兄ちゃん?
いや、何かのジョーダンだ。
「ごめん!」
背を向けて逃げようとした俺だったけど、
「ちょっと待って、お兄ちゃんは話が見えなさ過ぎて困ってる!」
落ちてきたほうきに先を止められた。
今、投げたよな?
後1歩俺のスピードが早かったらケガをしていたことだろう。
「リーにぃ、そのクセをなんとかしてよ」
あかりが呆れたと言うように言った。
「だって、あかりちゃんが教えてくれないから…」
男がすねたようにあかりに返した。
いや、俺が教えて欲しい。
何が何やらで話が見えないんですから、俺が状況を教えて欲しい。
「シュージ」
気がつけば、目の前にはあかりがいた。
ああ、怒られるかな。
それとも、殴られるかな。
それか、ストーカーで訴えられるかな。
次はどう言う状況になるのか、よくわかんないんだけど。
そう思っていたら、あかりは俺の腕をつかんだ。
「――えっ、ちょっと…」
聞く時間を与えないと言うように、あかりが俺を引っ張った。
「えっ、あかりちゃん?」
男も訳がわかないと言うように目をパチクリさせた。
やっぱり、瞳はコーヒー色だった。
あかりに腕を引っ張られて、俺は店の裏側に連れて行かれた。
ドアの横には“久世(クゼ)”と言う表札があった。
あかりはドアを開けると、俺を中に入れた。
ワンルームの部屋に、ソファーとテーブルとテレビとキッチンがあった。
殺風景と言うか、シンプルな部屋だな。
そう思った俺に、
「シュージは、優しいね」
と、あかりが言った。
あかりは靴を脱ぐと、部屋に足を踏み入れた。
「あがって」
彼女に促されて、俺も靴を脱ぐと足を踏み入れた。
あかりはソファーに腰を下ろした。
「さっきのヤツ、2番目の兄貴なんだ。
兄貴が2人上にいて、あたしが末っ子、3人兄妹なんだ」
兄貴――ああ、そう言うことか。
あかりと瞳の色が同じだったのは、兄妹だったからか。
道理で、どこかで見たことがあったと思った。
あかりと兄妹なら、そう言うことか。
納得した俺に、あかりはテーブルのうえに何かを投げるように置いた。
「――招待状?」
パステルカラーのキレイな招待状だった。
「つきあってた人が結婚するの」
あかりがため息混じりに言った。
「今日そいつに会って、アイスコーヒーをぶっかけた」
「はあ…」
あかりは一体何が言いたいのだろうか?
見せられた招待状に、つきあってたヤツの結婚、さらにはそいつにアイスコーヒーをぶっかけた。
俺は一体、何を聞かされていると言うのだろうか?
訳がわからなくて困っていたら、
「話が終わったら、あたしと会わないことを誓ってくれる?」
と、あかりが言った。
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