4―“それ”を願った日
翌日の夜のことだった。
「はい」
そう言ってあかりは俺の前に分厚い茶封筒を差し出した。
「100万円」
その茶封筒の中には、その通りの金額が入っていることだろう。
昨日の言葉通り、あかりは本当に100万を用意してきたらしい。
俺はすぐにあかりの手から受け取ることができなかった。
なかなか受け取らない俺に、あかりがテーブルのうえに茶封筒を置いた。
「あかり」
俺はあかりの名前を呼んだ。
「――お前は、一体何者なんだ?」
昨日思ったことを、俺はあかりにぶつけた。
あかりは一瞬首を傾げたけれど、すぐに笑った。
「知りたい?」
紅い唇が動いて音を発したのと同時に、首を縦に振ってうなずいた俺にあかりが笑った。
「あたし、シュージの唇が好き」
あかりがそんなことを言ったかと思ったら、俺の唇に彼女の唇が触れた。
俺に向かってあかりの手が伸びてきたと思ったら、親指で目尻のあたりをなでられた。
「眠そうな一重のまぶたも好き」
猫のようになでるその指がくすぐったくて、俺は目を閉じた。
「フフ、くすぐったい?」
その口調で、あかりが楽しんでいるのがわかった。
俺の手をとられたと思ったら、
「細いくせに、意外と骨張ってる手も好き」
指先に感じた温かく湿った感触に、俺は閉じていた目を開けた。
「――なっ…!」
俺は驚いた。
あかりが飴をなめるように、俺の指先を口に含んでいたからだ。
クチュリと、あかりがやらしい水音を立てた。
慌てて手を引っ込めようとする俺をおもしろがるように、あかりはクスリと笑った。
こいつ、何かを企んでいるな?
その企みがいいものではないことがわかった。
それよりも俺が知りたいのは、あかりが何者かと言うことだ。
何でそれがこんなことになってるのか、よくわからない。
そう思っていたら、俺がそれまで見ていた景色が反転した。
背中には床の固い感触を感じた瞬間、天井とあかりの顔が視界に入った。
「――あかり、一体何を…!?」
躰を起こそうとした俺に、
「動かないで」
あかりが言い終えたのと同時に、俺と唇を重ねてきた。
「――ッ、んっ…」
口の中にあかりの舌が入ってきて、俺の舌を絡みとってきた。
「――んっ、んんっ…!」
肉づきがいい唇の感触と翻弄するような舌の動きに、俺は堕ちてしまいそうになる。
こいつ、意外といいテクニックを持ってるじゃねーか…!
あかりのキスに翻弄されている俺に、
「――ッ!」
あかりの膝が俺の脚の間に入ってきた。
「――うっ、んんっ…!」
彼女の膝がグリグリと、ズボンのうえから雄を責めてきた。
「――はっ…」
あかりの唇が離れた。
唇は離れたけど、雄を責めているあかりの膝は止めてくれなかった。
「――固くなってきてる…興奮しちゃった…?」
荒い呼吸を繰り返している俺をあかりは見下ろして、ニヤリと口角をあげた。
一体、何があったんだ…?
「どうする?
このままイかせてあげようか?」
「――ああっ…!」
そう思った俺にあかりがさらに雄を刺激してきた。
さすがにこの状態で果ててしまうのは、いくら何でもごめんだ。
「それは、ごめんだ…せめて、ズボンを脱がして…」
「ズボンだけでいいの?」
「下着も…ううっ…!」
「フフ、かわいい人ね」
そう言って笑ったあかりの顔は、意地の悪い女王様のようだった。
「じゃあ、約束通りズボンも下着も脱がせてあげる」
あかりは囁くように言った後、ベルトに手をかけた。
カチャカチャとわざとらしく音を立てて外されるベルトも、俺にとっては刺激になる。
耳まで犯されている気分だ。
ズボンと下着が俺の脚から離れた。
すでに熱く、固くなっている雄があかりの目の前にさらされた。
あかりの手が雄をさわった。
「――あっ…」
「濡れてるね…ズボン越しからいじめられて感じちゃった?」
「――あっ、んんっ…」
細い指が雄を上下になでる。
「これをどうして欲しい?」
あかりが雄を上下になでながら聞いてきた。
「――ど、どうしてって…そりゃ、イかせて欲しいに決まってるじゃないか…」
そう言った俺に、
「じゃあ、シュージのお望み通りにしてあげるわ」
あかりはニヤリとまた笑った後、下の方へと向かった。
今度は何をするんだ…?
そう思っていたら、雄が何かに触れた。
「――あ、あかり…!?」
この感触って…もしかしなくても唇か!?
名前を呼んだ俺をさえぎるように、
「――ああっ…!」
パクリと、雄があかりの口に含まれた。
生温かい口の中と少しザラついた舌の感触に、ビクッと俺の躰が震えた。
「――んくっ、んっ…」
わざとらしく立てられる水音が、俺の耳を犯した。
あかりが雄をなめている――視界も視界で、見ることが耐えられない。
「――あっ、あかり…」
あかりの名前を呼んだら、
「――ガチガチね」
あかりに舌で雄をなめられた。
「――ふっ…!」
それだけで、意識が全部持って行かれそうになった。
このままあかりを押し倒してしまえば何のそのだ。
しかし今の俺は、完全に彼女の捕食者にしか過ぎなかった。
あかりが俺の頬にキスをする。
何回も与えられるキスに対し、手は雄を上下になでていた。
「――イきたい?」
そう言ったあかりが俺に向かってニヤリと笑った。
「――そりゃ…」
どうしようもないからな…。
「じゃあ、答えて」
あかりが言った。
「――はっ…?」
俺が何を答えなきゃいけないのだろう?
そもそも、まだあかりは俺の質問に答えていない。
あかりのペースに流されている場合じゃない。
「シュージが何を悩んでいるか、それを答えて欲しいの」
「――ちょっと待て…ううっ…!」
あかりの手が雄を強く握って、俺の言葉をさえぎった。
まるで拷問だ。
あかりは俺の質問に答えていないのに、何で俺が拷問されなきゃいけないのだろう?
「答えなかったら、このままよ?」
あかりは言った。
「――あ…」
「あ?」
「――悪魔か…!」
そう言った俺に、あかりはやれやれと息を吐いた。
「心外にも程があるわ」
そう言ったあかりに、息を吐かれた理由がよくわからない。
それはこっちのセリフだ。
何であかりに心外と言われたうえに、拷問されなきゃいけないのだろう?
心外だと言いたいのは俺の方だ。
しかし、我慢にも限界がある。
「――不倫してたんだ…」
俺は先にあかりの質問に答えてやることにした。
答えた分、今度は俺があかりを質問攻めにしてやる。
そう思いながら、
「会社の女上司と、不倫してた…」
と、俺は言った。
「うん」
「彼女は旦那の子を妊娠して別れた…だけど、彼女は子供を堕ろして俺と…」
「俺と?」
「――俺と、一緒になるって…んうっ!」
その瞬間、あかりに雄を激しくなでられ、俺は限界に達された。
あかりの手の中で雄がビクビクと震えている。
達された余韻で、頭がクラクラする。
そんな俺を、あかりは切なさそうに見下ろしていた。
何であかりはそんな顔をしているのだろうか?
まるで俺がかわいそうだとでも言うような顔をして、あかりは俺を見下ろしている。
「――何で男の人は何でもお金で解決しようとするんだろう…?」
あかりの唇が動いて、独り言のようにそう呟いた。
「――えっ…?」
スッと、それまで俺をおおっていた躰の重みがなくなった。
あかりが離れたからだ。
「――あかり…?」
余韻でまだクラクラする躰を感じながら、俺は上半身だけ起こした。
あかりは俺に背中を向けると、玄関に行こうとしていた。
「どこに行くんだ?」
俺はあかりの背中に向かって問いかけた。
お前は何者かと言う俺の質問に、あかりはまだ答えていない。
「コンビニ」
あかりはそう告げると、玄関へと向かった。
バタンと、ドアの閉まる音が聞こえた。
俺は追いかけることができなかった。
余韻がどうこうの話じゃないけど、俺は彼女を追いかけることができなかった。
*
コンビニに行くと言ったのに、あかりは帰ってこなかった。
そのうち帰ってくるだろうと思ったけど、あかりは帰ってこなかった。
そして、俺は有村と会う日を迎えた。
この前の喫茶店に行くと、有村はすでに椅子に腰を下ろしていた。
俺が持っているカバンの中には、あかりからもらった茶封筒が入っている。
「お待たせしました」
「あら、営業だったの?」
有村が俺が持っているカバンに気づいた。
「――ええ、まあ…」
俺はごまかすように言った。
俺と有村の間に沈黙が流れる。
頼んだコーヒーが飲めないので紅茶にすればよかったかなと、俺はそんなことを思った。
何故なら、コーヒーを見るとあかりを思い出してしまうからだ。
「――修司?」
名前を呼ばれて視線を向けると、目の前にいたのは有村だった。
当たり前だけど、あかりじゃない。
我ながら、俺は何をやっているんだろうか?
ここにいるのはあかりじゃなくて有村なのに、何で俺はあかりのことを考えていたのだろうか?
「好きな子がいるの?」
有村が聞いてきた。
「――えっ…?」
聞かれた俺は訳がわからなかった。
有村はやっぱりと言うような顔をした後、
「いずれになることだったから、わかってたわ」
と、呟くように言った。
「いつかは私から離れるんだって、そんな予感してた」
「――あの…」
声をかけた俺に、
「無理しなくてもいいのよ?」
と、有村は泣いている子供をあやすように言って笑った。
「大切な人ができたって言うのは嬉しいことよ」
自分の中の大切な人の存在を確認するため、俺は目を閉じた。
あかりと有村――俺は、どちらを大切な人だと思っているのだろう?
まぶたの裏に浮かんだ顔は、
「――あかり…」
あかり、だった。
「その子が大切なら、私とお別れしなきゃね」
有村の言葉に、俺はハッとなって目を開けた。
俺と目があった有村は微笑んでいた。
「滝本くん」
彼女の口から出てきたのは、いつも呼んでいた俺の名前じゃなかった。
「私、この子をちゃんと育てるわ」
ふくらんだお腹をなでながら有村が言った。
微笑んだその顔は、俺の知らない母親の顔だった。
「滝本くんも、大切な人と幸せになってね」
そう言った後、有村が椅子から腰をあげた。
「――あの」
俺は有村を呼び止めると、
「――元気なお子さんを、産んでください」
と、言った。
やっと、言えた。
初めて、彼女に言えた。
そう言った俺に向かって彼女は微笑むと、
「さようなら」
と、言った。
「さようなら」
俺が返事をすると、彼女は背中を見せた。
有村がいなくなっても、俺は椅子に腰を下ろしていた。
これで本当に、彼女と縁が切れた。
息を吐いたその時、先ほどまで有村が座っていた席に誰かが座った。
「――シュージ」
俺をそんな風に呼ぶヤツは、ただ1人だけだ。
「――あかり…」
何日かぶりに、あかりが俺の目の前にいた。
「その顔をしていると言うことは、全てが終わったと言うことかしら?」
俺はどんな顔であかりを見ていたのだろう?
そう思いながら、俺は首を縦に振ってうなずいた。
あかりは俺に微笑みかけると、
「えらいね」
と、小さな子供に向かって言うように俺に言った。
「100万円はまだ持ってる?」
あかりに言われてカバンからそれを出そうとした俺に、
「使ってないならいいわ」
あかりが言った。
「せっかくなんだし、今から夕飯を食べに行かない?
すっごくいいところでさ、一緒に食べようよ」
あかりが楽しそうに言ったので、
「行こうか」
俺は首を縦に振ってうなずくと、ようやく椅子から腰をあげた。
喫茶店から出た俺たちは肩を並べて一緒に歩いた。
歩いているけど、あかりと手は繋がなかった。
そりゃ、そうだろうな。
俺たちは手を繋ぐほどの関係じゃないのだからと、俺と彼女の空いている距離を見ながら俺は思った。
「ねえねえ、何食べる?
焼き肉?
お寿司?
イタリアン?
中華?」
あかりが楽しそうに俺に問いかけてきた。
「そうだなー…」
そう言って俺が考えようとしたその時だった。
「――あかり?」
あかりの名前を呼んだのは、俺じゃない。
聞き覚えのない男の声だった。
俺があかりに視線を向けると、彼女は何故か震えていた。
「行こ」
あかりに急に腕を組まれたと思ったら、俺は引っ張られた。
「お、おう…」
訳がわからず、あかりに腕を引かれるまま歩かされた。
誰だよ、今のヤツ。
あかりに問いかけようと思って口を開いた俺だったが、すぐに口を閉じた。
コーヒー色の瞳が潤んでいたうえに、こらえるように唇を噛んでいたからだ。
あかりのこの様子を見たら、絶対に聞いちゃいけないような気がした。
「シュージ」
あかりが俺の名前を呼んだ。
「――焼き肉に、するか?」
俺はあかりに言った。
「久しぶりだし、どうだ?」
そう言った俺にあかりが笑った。
「いいね、決定!」
無理して作った笑顔と明るい声に、俺の胸がチクリと痛んだ。
別に無理する必要なんてないのにと思う俺は、わがままなんだろうか?
あかりを知りたい。
躰とコーヒー色の瞳以外、もっとあかりのことを知りたい。
そう思うこととそう願うことは、俺のわがままなんだろうか?
あかり、俺はお前を知りたいんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます