2―“それ”を知った日

あの夜から、今日で1ヶ月を迎えた。


会社にきた俺をその光景が迎えた。


「元気な赤ちゃんを産んでくださいね!」


後輩の女の子が有村――先月俺に妊娠を告げた女上司――に花束を贈る場面だった。


「ありがとう」


彼女は笑いながら後輩から花束を受け取ったのだった。


明日から彼女は産休に入るのだ。


少し大きくなったお腹がその証拠である。


俺は、有村に“おめでとうございます”と言えなかった。


未練がましいのもいいところである。


けれど…素直に言えたとしても、俺は何になったのだろうか?


いっそのこと、彼女の妊娠が何かのジョークだったらよかったのに。


いや、彼女のお腹の中にいる子が俺の子だったらよかったのに。


その光景から目をそらすように、俺は自分のデスクへ足を向かわせた。


ガコン


自販機から缶コーヒーの落ちる音が狭い休憩所に響いた。


コーヒーを1口飲んだ後、俺は息を吐いた。


休憩所は、俺が感傷に浸れる唯一の居場所だ。


家には、あかりがいるから感傷に浸れることができなかった。


あかりを拾ってから、もう1ヶ月が経過した。


彼女はまさに、献身的な人だった。


家事全般は全てあかりがやっている。


会社から家に帰れば、あかりが作った温かい食事と彼女が沸かした温かい風呂が待っている。


「よくやるよな」


俺は呟いた後、またコーヒーを1口飲んだ。


「修司」


その声に視線を向けると、

「――有村さん…」


彼女だった。


有村が俺に歩み寄ったので、

「見つかりますよ」

と、俺は彼女に言った。


「あら、誰に?」


そんなことを言った俺に、有村はフフッと笑った。


彼女の手が俺に向かって伸びてきたと思ったら、俺の頬に触れた。


触れた手は、なぞるように過ぎて行った。


「別に、見られたってどうってことないでしょ」


そう呟くように言った後、有村は大きくなったお腹に手を乗せた。


「どうせなら修司、あなたの子だったらよかったのに」


有村は呟くように言った後、息を吐いた。


 *


有村と関係を持つきっかけとなったのは、2年前の彼女の誕生日だった。


「――出張?」


休憩所にきた俺を待っていたのは、スマートフォンを耳に当てて誰かと話をしている彼女の姿だった。


誰と話をしているんだろう?


そう思いながら、俺は休憩所に足を踏み入れた。


「へえ…じゃあ、行ってらっしゃい」


有村が話し終わったと言うように、スマートフォンから耳を離した。


「あら、滝本くん」


話し終えた有村が俺の存在に気づいた。


「どうも」


俺は彼女に向かって会釈をすると、自販機へと向かった。


「――今日ね」


飲み物を選んでいた俺に、有村が話しかけてきた。


「私の誕生日なんだ」


有村が言った。


それがどうしたんだと俺は言いたくなったが、

「でも、夫は今日から出張みたいで私の誕生日のことなんて忘れてたみたい」

と、有村はやれやれと息を吐いた。


なるほど、先ほどの電話の相手は彼女の夫だったのか。


そう言えば、彼女は結婚していたなと俺はそんなことを思った。


とは言え、妻の誕生日なのに出張に行くなんて…仕事だから仕方がないとは言え、それはないような気がする。


そんな有村を俺は気の毒だなと思って口を開いた。


「あなたがもしよかったらですけど、祝いましょうか?」


そう言った俺に、有村が心の底から喜んでいると言う笑顔になった。


「ありがとう、滝本くん」


有村が俺にお礼を言った。


その日の仕事終わりに会社近くにある小さな居酒屋で、俺は有村の誕生日を祝った。


「すみません、こんなところで」


周りの喧騒に、俺は有村に謝った。


「いいのよ」


有村が顔の前で手を横に振った。


「あんまり気取ったところへ連れて行かれても困るだけだから」


有村はフフッと笑った後、梅酒を飲んだ。


気がついたら朝で、俺と有村はベッドのうえにいた。


「――まさか…」


この状況に、俺はどうすればいいいのかわからなかった。


場所も場所であるうえに、服は着ていない。


しかも、下着すらも身につけていなかった。


「――滝本くん…」


彼女も、俺と同じ生まれたばかりの姿だった。


酔っ払った末の出来事で、相手は女上司だ。


俺は何度も有村に謝罪をした。


「いいのよ、私も酔っ払ってたから…仕方ないわよ」


何度も謝罪する俺を彼女はなだめた。


一夜の過ち――俺と有村の関係は、本当ならそこで終わるはずだった。


「今日夫は出張でいないの」


「寂しいからきて」


そうなるはずだった俺と有村の出来事は、終わらなかった。


有村は近くにいる夫よりも俺を求めた。


俺はただ彼女に求められるがまま、彼女と何度も躰を重ねた。


セフレだ夫の身代わりだ、自分の立場がそんなものだと言うことは俺がよくわかっている。


理解していたはずだったけど、俺はいつの間にか有村に恋をしていた。


いつになるかはわからないけど、彼女は夫と別れて俺を選んでくれると言う謎の自信も俺の中にあった。


なのに…俺の自信は、有村が夫の子供を妊娠したことによって無残にも砕かれた。


 *


「ただいま」


家に帰ると、そこにあかりの姿はなかった。


テーブルに視線を向けると、夕飯の用意がされていた。


「あいつ、マメだな」


週に1回か2回程度だけど、あかりはどこかへ出かけていた。


彼女が留守にする時もテーブルのうえには必ず夕飯が用意されている。


あまりの献身さに、俺はつい笑ってしまった。


ただ、あかりがどこかへ出かけているかは聞かなかった。


彼女も彼女で、何か事情があるのだろう。


あかりがどこへ行こうが、俺には関係ない。


その日もあかりが用意してくれた夕飯を済ませると、風呂に入って、ぼんやりとテレビを見ていた。


ガチャッと、玄関のドアが開いた音がした。


時計に視線を向けると、10時を差していた。


「早いな、今日は」


俺は時計を見ると、呟いた。


いつもは俺が寝た頃に帰ってくるのに、こんな珍しいこともあるんだなと思いながら、俺はあかりを迎えに玄関へ向かった。


「おかえり…」


その瞬間、俺は固まった。


「あ、ただいま」


あかりが俺に気づいたと言うように言った。


俺は…あかりの格好に戸惑っていた。


あかりの格好は、胸元がざっくりと開いた黒いドレス姿だった。


スカートの部分にはスリットが入っていて、そこから出ている白い脚が艶めかしくて美しかった。


「どうしたの?」


固まっている俺にあかりが不思議そうに首を傾げた。


「――その格好…」


ドレスを指差した俺に、

「格好?


…ああ、着替えるのめんどくさかったから店の衣装のまま帰ってきたんだよね。


変かな?」

と、あかりは笑いながら言った。


「み、店…?」


俺は彼女の口から出てきた新たな単語に聞き返した。


そもそも店とか衣装って、一体何の話をしているんだ…?


俺の頭の中を読んだと言うように、

「週に1、2回程度だけど店で歌ってるの」

と、あかりが言った。


「――へえ…」


「ああ、シュージが想像してる変なのじゃないから安心して」


「――そんなことじゃないんだよ…」


そう呟いた俺の声が聞こえたのか、あかりがまた不思議そうに首を傾げた。


けど…この場で1番不思議に思ってるのは、俺だった。


どうして俺は、こんなことを呟いたのだろう?


あかりは、俺が思っている変な店じゃないと言った。


でも、俺がその店を知っている訳じゃない。


だけど…あかりがその格好で何をしていたのかと想像すると、俺の背筋がゾッと震えたのがわかった。


何で背筋がゾッと震えなきゃならないんだろう?


あかりがどこかへ行って何をしようかなんて、そんなの知ったこっちゃないのに。


「シュージ?」


俺の名前を呼んだあかりの美貌に、客は大人しくしていないだろう。


「ねえ」


艶めかしくて美しいその脚を見せられて、客が黙ってる訳がない。


「シュージ」


俺あかりの手が俺に向かって伸びてきた。


「――んっ…!?」


彼女が驚いて目を見開いたのは、当然の反応だ。


俺は伸びてきたその手をつかんで、唇を重ねたのだから。


「――シュージ、ああっ…!」


白く柔らかいあかりの肌に、俺は薄紅色の跡をつけた。


「――あかり…」


耳元で囁くように名前を呼んだら、ビクッとあかりの躰が震えた。


ドレスのうえから主張している胸の先を指で摘んだら、

「――あっ…!」


あかりの脚がぐらついた。


この様子だと、彼女をベッドに連れて行った方がいいのかも知れない。


本当は今すぐにこの場で犯したかったが、それではあかりがかわいそうだ。


「――ベッドに行こうか…」


囁いた俺の言葉に、あかりが首を縦に振ってうなずいた。


あかりのドレスを脱がしながら、俺はベッドへと足を向かった。


「――んっ、シュージ…」


華奢な外見からは想像できないその躰に、俺は密かに優越感に浸っていた。


彼女の胸が意外にも大きいことを知っているのは、俺だけかも知れない。


世間では“ビーナスボディ”なんて言うのかも知れない。


「――ひあっ…!」


胸の先を口に含んだら、あかりの躰はビクッと震えた。


すでに熱くなっているその場所へ指を這わせたら、さらに震えた。


俺は、意外にも独占欲が強いのかも知れない。


「――シュージ、ああっ…!」


あかりの乱れたその姿を、誰にも見せたくない。


それだけなら、まだいい。


さっきのあかりのドレス姿も、普段の献身的なあかりの姿も、全て誰にも見せたくないと思っている。


あかりが全部、俺のものになってしまえばいいのに。


躰も心も全部、俺の中に収まってしまえばいいのに。


俺はそんなことを思いながら、雄をあかりの中に入れた。


「――ひあっ…!」


溶けそうなくらい熱いあかりの中に、俺はめまいを感じた。


「――んっ、ああっ…!」


突きあげると、あかりの躰は大きくのけぞった。


「――あっ…やあっ、シュージ…!」


あかりが何度も俺の名前を呼んだ。


俺の名前を呼ぶその声を誰にも聞かせたくない。


この場にいるのは俺とあかりの2人だけだけど、

「――んっ…!」


俺は自分の唇であかりの唇をふさいだ。


お前は俺のものだと、あかりに言いたい。


だけど、俺たちの関係はただ躰を重ねているだけの関係だ。


こんなことをあかりに言ったら、あかりは彼氏ヅラしないでと怒るだろうか?


あかりの唇を離したとたん、お互いの唇から銀色の糸がひいた。


「――シュージ…」


消え入りそうな声で俺の名前を呼ぶあかりに、ドキッと心臓が鳴った。


「――あかり…」


答えるようにあかりの名前を呼んだ後、突きあげた。


「――あっ…」


ビクンと、あかりの躰が震えた。


それにあわせるように、俺は彼女の中で果てた。


「――あかり…」


名前を呼んだ俺に答えるように、あかりが唇を重ねてきた。


彼女の唇の感触に、俺は堕ちてしまいそうになる。


俺の背中にあかりの両手が回った瞬間、俺の躰がビクッと震えた。

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