第9話 演劇部 『Piece of Strawberry Shortcakes』
中学生の茂原陽葵は、毎日、退屈でした。
それが変わったのが、とある高校の学校見学。
中学三年生の夏。
志望高校を決める時期に、なんとなく見学をしたその女子校では、演劇の公演が盛んでした。
演技や芝居と言えば、アニメやドラマの中で行われることで、舞台で生の演技を見ることなんて、幼稚園の頃のお遊戯会を除けば、初めてでした。
公演の物語は、女子高生一〇人が、引率の先生と一緒に部活動の合宿に行き、その三日間を延々と繰り返しているループもので、最初は斜に構えて見ていたのに、どんどん前のめりになっていき、ラスト終わった時には、自然と拍手が漏れ出ていることに気づきました。
特に目を引いた人が一人いました。
女性なのに男性役をやり、見た目もかっこいいけど、それ以上に演技の迫力に圧倒されたのです。
カーテンコールのあいさつの時に、一人一人名前を名乗ったとき、その人がまだ一年生だということを知って、衝撃を受けました。
自分と学年が一つしか違わないのに、まるで大人と子どもと言っていいくらいの差があったように感じたのです。
その人の名前は、印西麻紀乃。
プロスポーツ選手や芸能人・声優なんかに憧れを抱く人が周りに多い中、茂原陽葵の尊敬する人は、その時から、印西麻紀乃になりました。
志望校が決まってから、必死で受験勉強をがんばり、見事、合格。
演劇経験はなかったが、晴れて、憧れの印西麻紀乃のいる演劇部に入りました。
走り込み、ストレッチ、筋トレも、全部、最初は汗だくになりながらやりました。
演劇なんて、セリフを覚えて読むだけだと思っていたら、まったく違ったことに、衝撃を受けました。
全国の演劇部の共通意見として、「演劇部は、文化系最強の体育会系」だそうで、体育会系と同じかそれ以上に体力作りをメインに置いていました。
運動なんてからきしだった陽葵は、毎日ヘトヘトになりながら、身体作りに励みました。
小学生の頃、習い事で、ピアノと合唱は少しやっていたけど、特に運動らしい運動はやっていなかったので、自分のあまりの体力のなさに絶望しました。
でも、それが理由でやめたいなどは思ったことがありません。
同じ部活に、ずっと憧れていた、印西先輩がいるのだから。
むしろ、必死でついて行けるように、毎日、家に帰ってもお風呂に入って汗を流した後に、ストレッチと筋トレを必死にがんばりました。
筋肉痛に毎日悩みました。
演劇部に入って、二つ分かったことがあります。
この演劇部は、あくまでも普通の女子高校の普通の演劇部ですが、本気の部活動でもありました。
毎年、全国を目指してコンクールに出場し、優秀な成績を収めていました。
特に、夏の公演でメイン級を演じた人たちは、そのままプロの劇団や事務所に入ったり、演劇に強い大学に行ったりなど、とにかくレベルが高い演劇部でした。
そのため、何の経験もない人間がとりあえず入って、なんとなくついていけるところではありませんでしたから、陽葵は、必死にならざるを得ませんでした。
そして、もう一つ。
印西麻紀乃は、人気者でした。
すらりとした長身で、ショートカット。サバサバしていて、偉ぶったところがない。
先輩後輩関係なく、常に笑顔で接しながら、こと芝居のことになると、一切の妥協をしない。
その分、厳しくもあり、怖いときもあるが、誰もが彼女に信頼を置いていた。
部活のメンバーだけではなく、全校生徒が憧れを持っているのではないかと思われました。
一説によると、印西先輩を盗撮してSNSに勝手に載せている人もいて、それがかなりの確率でバズるのだとか。
しかし、そんなことは、陽葵には関係ありませんでした。
とにかく、印西先輩が遠すぎるから、一歩ずつでも一mmずつでも、近づかないといけない。
特に、芝居に本気なところについて行けるように、部活に励みました。
その結果、陽葵が一年生、印西先輩が二年生の三月、その年の卒業生を送る学内公演で、陽葵は数多くいる同級生の中から選抜され、舞台に立つ事が出来ました。
出番はそう多くありませんでしたが、貴重な一シーンで、印西先輩といくつかのセリフを応酬し、絡むシーンもありました。
キャスティングが発表されたとき、稽古が始まって印西先輩と初めて芝居で絡んだとき、本番前のリハーサルの時、体育館のステージを使って上演した、本番の時。
その全ての瞬間を、陽葵は忘れることがないでしょう。
いつだって思い出せる、最高に心が動いた瞬間でした。
「陽葵、お疲れさま」
公演が終わり、片付けも済んだ後で、三年生で演出をやっている、船橋千歳から声をかけられました。
「船橋先輩、お疲れさまでした!」
今ではすっかり、あいさつも大きな声ではっきりと、当たり前に出来るようになっています。
「初舞台、どうだった?」
まさに、今回が、陽葵の人生初の舞台だったのです。
「めちゃくちゃ緊張しました〜」
「だろうねー。客席で見てるこっちにもド緊張が伝わってきたよ」
ニヤニヤ笑いながら、船橋先輩がいじってきます。
「めっちゃ恥ずかしいです」
「とはいえ、セリフのミスもなくしっかりやってたから、いいんじゃない?」
これは、演出の船橋先輩からもらえる初舞台の講評としては、かなりよい部類だと、この一年の演劇部での経験で、陽葵にも分かっています。
だから、小躍りするような気持ちで、実際に小躍りしながら、応えました。
「ありがとうございます!」
「麻紀乃もよかったって言ってるんだよね」
まさか、憧れの印西先輩からそんなことを言われてるなんて。
不意打ち過ぎました。
「本当ですか!?」
「こんなことで嘘吐いてどうするの。それとも、あたしの言葉じゃ信用できない?」
ぶんぶんぶんぶん勢いよく頭を振って、
「滅相もありません! 神様仏様船橋千歳様」
「よしよし、愛い奴じゃ」
頭をなでなでしてもらいました。
内心では、印西先輩になでなでしてもらいたいなと思っていたのは内緒です。
「でも、まだまだです」
「というと?」
「もっとがんばって、もっとたくさん、印西先輩と共演したいから」
と、陽葵は決意を述べました。
すると。
「あー、それなんだけどね」
「はい?」
船橋先輩が、まさにこれを伝えに来た、という感じで、真面目な表情になって話してきました。
「うちは毎年、夏のコンクールに力を入れてるのは、今年も経験したから認識してると思うけど……」
「はい! 照明のお手伝いをさせてもらいました」
部員数の関係上、世の中の演劇部の多くは、表舞台に立つメンバーと、裏方の仕事をやるメンバーに分かれます。
専任で裏方のみ、という人もいますが、基本的にはキャスティングは部内オーディションや、演出と脚本担当者の指名で決まることも多いようです。
夏の公演では、ド素人だった陽葵は、もちろん舞台に立つことは出来ませんでしたし、そもそも、一年生で舞台に立てるのは、よほどのことなのです。
それに、裏方を経験することで、より舞台というものを理解することになるので、必要な勉強でした。
そのことについて、陽葵が不満を持ったことはありません。
「まだ本決まりじゃないし、脚本もこれから鎌ケ谷が書くことになるから、どうなるかは分からないんだけど」
鎌ケ谷というのは、陽葵と同じ二年生で、脚本担当の鎌ケ谷亜希子です。
「はい」
「メインのキャラは印西で、男性役をやってもらおうと思ってて、その相手役のヒロインを、今の一年生から誰か選びたいんだけど、何人か候補がいるうち、私は、陽葵で考えてる」
告げられた言葉の意味が、一瞬、理解できませんでした。
そのまま、陽葵は固まってしまいます。
「……」
「陽葵? おい? 茂原陽葵?」
何度か船橋先輩が声をかけてくれて、ようやく、生き返りました。
「はっ!? ここ何時ですか? 今どこですか?」
「ここは夕方五時で、今は学校だ。そしてお前は茂原陽葵」
「すみません、記憶が飛びました。もう一回、もう一回お願いできますか?」
「やめようかな……不安になってきた」
船橋は、本気で不安になっていました。
「お願いします〜! もう一回言ってください〜!」
すがりつくように懇願して何とか、説得できました。
「わかったやめろ鬱陶しい! 夏のコンクールのメインは印西で、相手役のヒロインを、今は、陽葵で考えてる」
今度は、固まりませんでした。
その場で、最大級のジャンプをして、
「やった〜〜〜〜〜〜〜〜!」
何度も何度も、飛び上がりました。
「ただし、まだ本決まりじゃないし、そもそも実力相応という意味じゃなくて、入学当初からの成長率、加えて、今から夏までの間に成長することを念頭に置いてのことだから、油断するなよ」
もとより、油断なんて出来るはずもありません。
「はい!」
大きな声で返事をしながらも、身体は言うことを聞かず、ずっと踊り続けています。
「小躍りしてるけど、ちゃんと聞いてる?」
「はい!」
「まだ本決まりじゃないけど、鎌ケ谷には、そのつもりで脚本の骨子を考えてもらうように話してる。印西も期待してるから。がんばれ」
印西先輩の話のところだけ、何度も何度も記憶から引っ張り出しては、この後も反芻して楽しんでいました。
「はい!」
努力が実を結ぶ。
ありきたりなその言葉を実感することなんて、実生活ではそうそう多くありません。
ですが、この時この瞬間の茂原陽葵は、まさにその言葉の体現者でした。
ただし、順風満帆だったのは、その時まででした。
四月。
茂原陽葵は二年生に、印西麻紀乃は三年生になり、新入生を迎えました。
「酒々井美桜です! 演劇経験はまったくありませんが、がんばります! よろしくお願いします!」
新入生・酒々井美桜は、可愛くてふわふわしていて、マスコット的な女の子だった。
演劇経験なしというのは本当で、演劇用語なども、もちろんちんぷんかんぷん。
見た目が多少可愛いだけの、ただのド素人と思われていました。
身体が華奢で、体力はなく、運動神経も特によくなく、ダンスをさせたらさびの入ったロボットのように手足がぎこちなく、走らせると右手を右足を同時に出してはつんのめり、五〇m走るのに一〇秒かかってしまう始末で、勉強をさせても赤点ギリギリ。
特に目立ったところがなく、ただの落ちこぼれにも見えました。
ところが。
いざセリフを渡して演技になると、完全なオンオフスイッチを入れたみたいに、堂々とした演技をするのです。
その言葉の説得力、迫真と言っていい演技には、天性の才能があると、誰もが認めるところでした。
陽葵もまた、部活動の最中、酒々井に心を奪われることが何度もありました。
同じキャラクターの同じセリフをやっても、自分が想定もしていない演技を軽々とやってのける酒々井に、一瞬で、負けたと認識してしまいます。
決して、技術があるわけではなく。
まだまだ巧いと言うことはありませんが、印西先輩との相性もよく、自然と、夏の大会の、ヒロイン有力候補となりました。
陽葵は、納得がいきませんでした。
しかし、脚本の鎌ケ谷も、演出の船橋先輩も、有力候補として考えるという方向では、既に一致していました。
そうなると、一部員であるだけの陽葵には、どうしようもありません。
酒々井は、可愛かったのですが、それだけじゃなく、圧倒的な演技のセンスがあったのです。
普段はドジっ子で、天然なのか不思議ちゃんな部分もあるけれど、ぐいぐい演劇部の中核に入りこみ、果ては、演劇部以外の生徒たちも見学に来る始末でした。
元ジュニアアイドルだとか、読モだとか、いろんな噂が出てき始め、誰もが、酒々井美桜を意識せざるを得なくなりました。
人気が高いだけじゃなく、先輩たちとも臆することなく堂々と演技をしているのです。
「悪い、陽葵」
船橋先輩が、部活の後、手洗い場で顔を洗っていると、不意に声をかけてきました。
「はい」
「夏のキャスティング、変えないといけないかも」
それは、冗談でも軽口でもなく、演出家の本気の言葉でした。
それからしばらく、時間は過ぎているはずなのですが、自分が何をしたのか、よく覚えていませんでした。
キャスティングの変更の可能性を告げられてから、もう一週間以上は経っていたようでした。
「どうしたの、陽葵。元気ないぞー」
授業の合間の休み時間。
教室で、同じクラスの演劇部員であり、脚本を担当している鎌ケ谷が、さすがに様子がおかしいからと、声をかけてきました。
「分かってるでしょ」
わかりきっている答えについて質問されても、答える気も起きません。
「ああ、夏の公演のキャスティング? あんま気にすんなよ」
「するよ。正直、どうなってるの、脚本?」
「印西先輩のキャラクターは、まあ、出来てるけど。ヒロインを、誰に寄せるかでねえ」
まさにそれで、陽葵は苦しんでいるのです。
演劇の脚本では、多く、役者に当てて書く「当て書き」という方式を使います。
始めからキャスティング込みで台本を書くと、書く方も演じる方も、その方がやりやすいししっくりくるのです。
「私、ダメかも」
すっかり、キャストを降ろされた気になってしまっていました。
「弱気だなあ。もし夏がダメでも、その後に冬公演とか来年もあるじゃない」
「それじゃダメだよ。印西先輩にとっては、夏の公演は、高校生活最後の舞台でしょ。そこで共演できなかったら、もう二度と、先輩と一緒に舞台に立てない」
「基準は印西先輩なの?」
知ってるくせに。
「演劇に興味なかったのに、演劇部に入ったのは、先輩がいたから。それだけで、私には特別なの」
印西先輩のために、印西先輩と一緒に、舞台に立ちたかった。
それが、陽葵の願いでした。
印西麻紀乃は、高校卒業後の進路として、演劇を学べる短大に進みたいと考えているそうです。
多くの演劇人を輩出している短大で、印西先輩は、本気で舞台役者の路でがんばっていこうとしていました。
「私には、印西先輩以外、何もないから」
そう言うと、当たり前だというように、鎌ケ谷が言いました。
「じゃあ、諦めてらんないじゃん」
そんなことは、陽葵だってわかっているのです。
「脚本、もう書き始めてるんだよね?……お願いがあるんだけど」
もし、自分に寄せて始めから書いてあれば……
しかし、鎌ケ谷は、さすが、陽葵のことをよく分かっていました。
「ちょっと待った。もしかして、私に不正をしろって言おうとしてる? もしそうなら、口に出した瞬間、私はあんたを軽蔑するよ」
「んんんー!」
陽葵は、慌てて口をつぐんで、声を出さないようにしました。
「そうそう。心に浮かんだ汚い言葉は飲み込め」
んがんぐ、と飲み込んでから、素直に頭を下げました。
「……ごめん」
その陽葵の頭を、鎌ケ谷は、ポンポンと叩きました。
「人間、清廉潔白で生きてる人なんていないんだから、魔が差すことなんてある。でも、口に出すからには責任を取らなきゃいけない。そして、一度口に出したら、それが汚い想いの汚い言葉である限り、もう止めることは出来ない。自分がどんどん汚れていくだけ。飲み込めたあんたは、偉いよ」
飲み込みすぎて、謝ってからずっと、陽葵は息を止めていました。
「……ぷはあっ!……ありがとう、亜希子。ごめん」
「とはいえ、それくらい諦めきれない想いがあるなら、がんばるしかないじゃん。がんばれ」
鎌ケ谷の言葉は、陽葵にもう一度頑張る気持ちをわき上がらせました。
「がんばる!」
「あと、これはただの独り言。わたしは、茂原陽葵を世界一可愛いと思ってる。だから、応援してる」
そう聞いて、陽葵は、簡単に有頂天になって、ようやく、元の笑顔が戻ってきました。
「がんばる〜!」
夏に向けて、より一層、気合いを入れました。
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