第7話 切腹 『Blood In, Blood Out 〜幕末エクソダス〜』




 辻斬りが捕まりました。

 捕まえたのは、百番隊組長の、小岩新。

 辻斬りの正体は、茶店に寄っていた長州藩士で、仲間と会食をし、酔って口論となって激昂して斬り捨てたという。最悪の、仲間割れでした。

 そして、その長州藩士は、新撰組にいる間者からの情報を、長州藩の維新志士たちに流していた張本人でした。

 そこから、芋づる式に、協力者たちの情報が漏れ出てきました。

 茶店のしなのが、やり玉に挙げられます。

 そして、新撰組内部にいる協力者が誰か、という問題も出てきました。

 お嬢様の身が危険です。

 しかし、思いがけず別の人間が、協力者だと疑われました。

 百番隊が茶店に討ち入る計画を立てている間に、代々木が一人、単独行動に出ます。

 新撰組の討ち入り前に、しなのを連れて逃げ出したのです。

 小岩組長が命じます。

「秋葉。茶店の娘が逃げた。おそらく、長州の間者だ。手引きをした裏切り者の代々木恋一郎ともに、斬れ」

 隊士全員の目の前で、自分の後輩を斬れと命じられ、お嬢様は、間の抜けた返答しか出来ませんでした。

「私がですか?」

 それを、不安だからだと思ったのか、

「三鷹。ついていってこい。検分役だ」

 と、私が、まさかの随伴を命じられてしまいました。

 最悪だ。

 そんな混乱の渦中、本当の間者であるお嬢様に、今度は長州藩から命令が下ります。

 新撰組に捕まって情報を抜かれている長州藩士を殺せ、更に、これ以上情報を抜かれないように、茶店の娘も殺せ、と。

「嘘でしょ?」

 物語の展開としては、間違いはありませんでした。

 ヒロインは、攻略対象と一緒に逃げ出す。追ってくる新撰組隊士と、長州藩からの刺客を、それぞれ撃退して逃げて、初めてハッピーエンドになる。

「でも、それが私だなんて、そんなの聞いてない!」

 お嬢様は、新撰組と長州藩の板挟みになってしまいました。

「どうしますか、お嬢様」

 とりあえず出動は命じられたので、準備をしながら、善後策を相談しました。

「こんなルート、知らない。これが、ヒロインの邪魔をする、このゲームの悪役令嬢だってこと? せっかく、結ばれた二人なのに」

 お嬢様は、あの告白の日以降、一度は吹っ切れたようでした。

 もっとも、そう見せていただけ、とも思えますが。

「どちらか、もしくはどちらも、殺さなくてはなりません」

「そんなこと出来ないよ!」

「出来なければ、お嬢様が破滅してしまいます。一つ確認いたします。お嬢様は、しなの殿と代々木の、どちらがお好きなんですか?」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。それに、どっちも大切に思っちゃいけないの!?」

 お嬢様であれば、確かにそう言うでしょうが。

「とにかく、行きましょう。行って彼らを斬るんです」

「やだよ!」

「では、ただお嬢様が殺されるだけです」

 運命の選択は、非情です。

「自分が助かるために、あの二人を殺すの?」

「行かなければ何も変わりません。もしかすると、二人を殺さず、お嬢様も殺されない選択肢もあるかも知れません」

「あるわけないでしょ!」

「……でしょうね」


 しなのと恋一郎は、二人で連れ立って茶店を逃げ出しました。

 本来ならば、長州藩の娘であるしなの殿は、長州藩邸に逃げ込めば、助かったかも知れません。

 ですが、恋一郎は入った瞬間に斬られてしまう。

 尼僧寺に逃げ込むことも候補に挙がりましたが、しなの殿は匿えても、京都で嫌われ者の新撰組である恋一郎を入れることは出来ない。

 新撰組と長州藩両方から追われる二人にとって、行く先の選択肢は限られていました。

 ですが、そもそもお嬢様は、このお話を何度も繰り返しプレイなさり、逃走ルートも知っていました。

 京都の町を北へ抜け、下鴨神社を通り過ぎ、更に山道を登り、鞍馬寺へ。

 そこでしばらくかくまってもらったのちに、山越えをして、ぐるっと回って琵琶湖まで。

 その道中で、襲い来る追っ手を全て振り払う。

 そして、ほとぼりが冷めたら、伊豆へ帰って温泉宿を継ごうと二人で約束をして、ようやくハッピーエンドになる。

 だから、お嬢様は鞍馬寺へと続くルート上の、どこかに行きさえすればいい。

 追う必要もなく、いくらでも待ち伏せが可能なのです。

 お嬢様と私は、貴船口という、鞍馬寺へと続く道の途中に陣取りました。

 するとそこに、予想通り、予め決められた運命の通りに、しなの殿と恋一郎がやってまいりました。

「……秋葉様」

 しなのが、行く手に待つお嬢様と私の姿を認めます。

「……しなの殿」

 二人の間に、恋一郎が立ちはだかりました。

「そこをどいてください、秋葉さん。邪魔するなら、あなたを斬ります」

 そう言うと、刀を抜きます。既に、刀は血塗られ、血刀になっていました。

 お嬢様が、一度大きく息を吸い、たっぷりと吐き出します。

「何人斬ったの?」

 その質問は、恋一郎にとって、虚を突かれたものでした。

「え?」

「百番隊は、戦には直接関わらない隊。だから、剣の実力を示すことは難しい。任務で人を斬ることはしない。なのに、なんで今、人を斬っているの?」

「それは……邪魔をするから!」

 おどおどしながら、恋一郎は、答えました。

「それは、天下泰平のために必要なことだったの? あなたはそのために、伊豆から出てきたの?」

 そう言いながら、お嬢様は、自分がしゃべっていることがそうじゃない、そんなことを言っても意味がないと気づいていました。

 恋一郎が言葉を出せなくなり、代わりに、しなのが話しました。

「秋葉様。お願いがあります」

「ダメです」

「後生です。私は、愚かな女です。ですが、愚かなりに望みがあります」

 お嬢様は、絶望を感じていました。

 そんなことを聞きたいんじゃない。

「あなたは愚かな女じゃない。だから、それ以上を言わないでください」

 しかし、しなのは言ってしまいます。

「見逃してください」

「しなの殿」

「もし、もし、私があなたと契りを交わしたのであれば、また違った運命が待っていたのかも知れません。ですが、今は別の殿方を愛しているのです」

 言って欲しくないことばかりを、何故人は言うのでしょう?

 それを愚かというならば、この世には愚か者しかいないのではないか。

 お嬢様は、心底、嫌になってきました。

「あなたがそれを言わないでよ!」

「秋葉さん。あなた、しなの殿のことを好いていたんですね?」

 恋一郎が口を挟みます。本当に余計な口を。

「黙らないと本当に斬るよ」

 お嬢様が、抜刀。

「あなたに、しなの殿が斬れますか?」

 恋一郎が、血刀を構える。

「それが命令」

「命令よりも優先すべきものがあるとは思いませんか?」

「あってもなくても、やらなければいけない」

「言っておきます。俺は強いですよ」

 二人とも、刀を構えました。

 恋一郎は、先日の木剣の時のような、身体が震える状態ではもうなくなっている。

 それだけ、ここに至るまでに、追ってくる人を斬ってきたのだろう。

 それが、更にお嬢様の絶望を加速します。

「自分たちの都合で、しなの殿の目の前で、人を斬ってきたのか……」

 しかし、仮にも長州藩の間者であるしなのは、それを覚悟で生きていました。

「私たちは、もう、後戻りできません」

「参る」

 恋一郎が、気合いの発声と共に、お嬢様に斬りかかりました。

 鋭い踏み込みで、お嬢様は、ギリギリで避けました。

 そこに、二撃、三撃と恋一郎の刀が襲いかかります。

 お嬢様は、避けた体勢から剣を繰り出すしますが、恋一郎の剣にはじかれます。

 つばぜり合いから、離れて間合いを取り、膠着状態に陥りました。

 と。

「俺の勝ちです」

 恋一郎が、勝ち誇りました。

「なんで?」

 恋一郎が、ふふんと鼻を鳴らして、上から目線で話しました。

「あなた、人を斬ったこと、ないでしょう?」

「……」

「剣に迷いがありますよ。殺すつもりでかかってこないなら、俺の勝ちです」

 恋一郎が、再度、刀を構えます。

「秋葉様!」

 しなのの、お嬢様を心配する声が響きます。

 確かに、お嬢様は人を殺めたことはないでしょう。ですが。

 お嬢様が、くつくつと笑いました。

「何を!?」

「あーもう! むかつくなあ。むかつく! むかつくむかつくむかつくむかつく!」

 お嬢様は、思いっきり、地団駄を踏みました。

 戸惑ったのは、しなのと恋一郎の方です。

「秋葉様?」

「い、いいんですか? 斬りますよ!?」

 何を言っても、もう、虚勢は剥がれました。

 お嬢様は、恋一郎に背を向けました。

「もう、やめやめ。アルベルト! じゃない、三鷹!」

「なんでしょう?」

「今日のおやつはなぁに?」

 待ってました。

「密かに作っておいた自家製バターに、あんこをたっぷり使い、蜂蜜をこれでもかとかけたハニートーストなどいかがでしょう?」

 すると、お嬢様は、ぐっと親指を立てて応じてくれました。

「いいね。俄然やる気が出てきた」

「何を言ってるんです、あなたたちは?」

 恋一郎は、全く意味が分からず、ただただ戸惑っています。

「私は、悪役令嬢。考えてみたら、あんたたちの恋路の邪魔をするのが役割だわ」

 その言葉に、しなのは、ぽかんと口を開きっぱなしになります。

「悪役、令嬢?」

 そして今度は、恋一郎を挑発します。

「ほれほれ、斬りなさいよ! さっきから威嚇ばっかりして、そっちこそ、斬れないんでしょ? この腰抜け」

 その言葉には、さすがにカチンときたようです。

「腰抜けだと?」

「あんたなんかね、何が恋一郎だ。偉そうに長男ぶって。腰抜けっぷりは二浪か三浪レベルじゃない」

「お嬢様、さすがに意味が分かりません」

「大体からしてね、赴任して草々、茶店の娘を口説きに行くとか、何しに京都まで来たんだって話よ!」

 ごもっともです。

 ちょっとモテるからって、許しがたい。

「い、いいじゃないか! 伊豆の温泉だと、若い女性はあんまり見かけなかったから……」

 言い訳がもう、かっこ悪いことこの上なくなってきました。

「温泉道場の湯けむり剣法のくせに、盛ってんじゃないわよ、この山猿!」

「お嬢様、言葉遣い」

 ですが、挑発にはバッチリだったようです。

「馬鹿にして!」

 恋一郎が、剣を振りかぶって上段から切り下ろす。

 が、お嬢様がターンをするようにくるりと回って、恋一郎の背後に付ける。

 そして、剣を下から切り上げ、左肩口を斬りました。

 恋一郎が、悲鳴を上げて傷を押さえてうずくまります。


 お嬢様は、剣術の心得は確かにありませんが、ダンスで身体が動きます。

 避ける動作は、体軸を活かしたダンスのターン。

 そのターンをして、斬るポーズを決めれば、立派な形になります。

 そしてその動きは、正統派の剣術しか習っていない人には、とても予想できる動きではありませんでした。

 しなのが、心配して恋一郎に駆け寄ります。

「代々木様!」

「心配しなくていいよ。左肩を少し斬っただけです。多少の出血はあるでしょうが、死にはしません」

 しかし、お嬢様の言葉は、しなの殿にはほとんど届いていませんでした。

「代々木様! 代々木様!」

「大丈夫ですって。かすり傷だから」

 とはいえ、しなの殿が、恋一郎にしがみつくようにして泣き叫んでいる光景は、お嬢様には、どうにも正視に耐えない光景でした。

 近寄って話しかけようといたしましたが、

「しなの殿……」

 きっと睨まれ、

「ひどい人! 何でこんなことをするんですか?」

 と、断罪されてしまいました。

「なんでって……」

「命令だからですか? そんなことで、人を斬るんですか?」

 自分たちが逃げるために人を斬ったことは、都合よく正当化しているようです。

 そもそも、恋一郎にしても、お嬢様を斬ろうしていたのに、斬られたら文句を言うというのは、筋が通りません。

 加えて、散々言っていた覚悟とは何だったのか。

 ですが、理屈が通じないことは、お嬢様にとっては、また別の問題でした。

「いや、違う。そんなつもりは」

「秋葉様のこと、もう信用できません」

 こうなってしまっては、もう、どうすることも出来ません。

「信用しなくていいけど、これからどうするの? 捕まったら殺されるよ?」

 もう一度、お嬢様が、しなの殿に近寄ろうとすると、

「近寄らないでください!」

 完全な拒絶を受けてしまいました。

「秋葉様なら、分かってくれる、逃がしてくれると思ったのに!」

「それは……それはさすがに都合がよすぎるでしょう!? あなた、私の気持ちを利用しようとしたんですか!?」

「長州藩の間者は、あなたなんでしょう? あなたが、うちの茶店に内通の手紙を毎度置いていっていたんでしょう?」

 お嬢様は、ハッとしました。

「まさか。気づいていたんですか?」

「だから、私はあなたのことを味方だと思い、ううん、それだけじゃない。あなたのことをお慕いしていたのに。これはあんまりです」

 そう言われてしまうと、お嬢様も、どうにかしないとと思ってしまいます。

「しなの殿」

「二人とも斬りますか? いいですよ。さあ、斬りなさいよ」

 やけになってしまっているしなのに、それでも、剣を向けることが出来るお嬢様ではありませんでした。

「あー、もう!」

 お嬢様は、刀を鞘に収めました。

「だから、このゲームのヒロインは……!」

 お嬢様は小声で、このヒロインは、やりにくいだのプレイヤーから嫌われるだのブチブチ文句を言いました。

「え?」

 はーっと、大きく息を吐いてから、

「新撰組を脱走した裏切り者の代々木恋一郎は、既に斬りました。殺せとは言われていないはずなので、命令は果たしました」

「秋葉さん、それはいけない……」

 まだ傷が痛むのか、うめきながら、恋一郎が止めようとしますが、全く力がありません。「鞍馬寺に行くには、まず、貴船神社の方に向かいなさい。遠回りになりますが、そちら側には追っ手が行かないようにします」

「逃がしてくれるんですか?」

 都合よく笑顔になるのが、このしなのというヒロインなのでしょう。

「早く行きなさい!」

「ダメです……俺たちを逃がしたことがバレたら、あなたが……」

 今になって男気を見せようとしても、もう手遅れなのですが、それでも、お嬢様は心配するのです。

「左肩、浅いとは言え刀傷です。手当しないと血が流れ続けます。刀はもう振れないと思いますが、血を止めるために、しっかり縛ってあげてください」

「礼は言いませんよ」

 すっかり心が離れてしまったしなのからの言葉を、しっかりと受け止めてから、

「……けっこうです。さあ」

 促された二人は、言われたとおりに、貴船神社の方角へ去って行きました。


 お嬢様と私がしばらく佇んでいると、そこに小岩様がやってきました。

 たくさんの隊士を引き連れていました。

「秋葉。首尾はどうだ?」

「検分役として申し上げます。秋葉殿は、見事、裏切り者の代々木と茶店の娘を、一刀のもとに斬り捨てました」

 堂々と嘘を吐きました。

 が、バレバレでした。

「らしくないな、三鷹。お前の仕事ぶりはいつも完璧だったはずだ。死体はどうした」

「ありません」

「言い逃れは?」

「できません」

 お嬢様のその言葉に、小岩様は、先刻承知のように言いました。

「お前らが、本物の間者だな?」

 すると、小岩様は、一瞬で間合いを詰めて、居合いの抜刀を繰り広げました。

 全く反応することも出来ずお嬢様が右肩を斬られました。

 お嬢様が、悲鳴を上げます。

「お嬢様!」

 かばいに行きますが、出血が続いています。痛みは相当なものです。

 お嬢様の顔が苦痛にゆがみました。

 不覚。

「秋葉野原は女だった。この私が、気づいてないと思ったか?」

「二人のことは追わせませんよ」

 それでも、苦痛に堪えながら、お嬢様は気丈に申し上げました。

「鞍馬寺の方に逃げたんだな?」

 小岩組長が、隊士たちに、鞍馬寺方面へ追うように指示を出しました。

 お嬢様の目論見通り、貴船神社方面ではなく、鞍馬寺の山門の方へ。

「秋葉。傷はかすり傷だ。お前は、私と一緒に来い」

 小岩が、お嬢様の腕を掴んで立たせようとする。

 お嬢様が、痛みに苦鳴をあげる。

 私は、ここに至って、刀を抜きました。

 小岩様に襲いかかります。小岩様が、あっさりと避けました。が、追撃は止めません。次々に剣戟を繰り出しました。

 しかし、小岩様はかろうじて避け続け。距離を取られてしまいました。

「いい太刀筋だ。訓練の成果、じゃないな。まるで剣舞だ」

 まさに。

「あなたも、よく避けますね」

「どこで身につけた?」

「言っても分からないでしょう。ここではない今ではないところです」

「確かに。分かる必要もないが」

「できれば、このまま引いていただけると助かります」

「多生心得があったところで、私に勝てるなどと思い上がってもらっては困るな。私を誰だと思っている?」

 冷や汗が出てきました。

「私はお嬢様を守ります」

 小岩様が、大きく口を開けて、にやりと笑いました。

「いい心がけだ」

「……アルベルト……」

 お嬢様が、不安そうにしていました。これはいけない。

「ご満足いただけるよう、努めております」

 私なりの精一杯です。

 小岩様が、刀を抜き、相対してきます。お互いに、じりじりと間合いを計ります。どれほどにらみ合ったでしょう。

 先にしびれを切らしたのは、私でした。斬りかかりましたが、それよりも速く、小岩様の刀が、私のがら空きの足を斬りました。

「アルベルト!?」

 お嬢様の声が聞こえますが、

「力及ばず、申し訳ありません」

 足を斬られて、動くことが出来ません。


「秋葉様!」

 そこへ、誰あろう、しなのが戻って来ました。なぜ!?

「何だ、この娘は?」

「なんで……? 何で戻ってくるんですか? せっかく、逃がしたのに……」

 お嬢様の言うとおりです。

「一緒に逃げましょう」

 なんて、なんて間の抜けたことを言ってるんでしょう、この人は!?

「状況考えてよ! 助かるわけないでしょう!?」

「先程は済みません。逃げている最中、代々木様から聞きました。あの恋文、本当は秋葉様の手紙なのだと」

 何でそれを今言うのでしょう。なんで!?

「こんな展開は知らない! こんなシナリオは存在しない!」

 お嬢様が、珍しくパニックに陥っています。

 それだけ、予想外なことなのでしょう。

「秋葉様の思いを、心を踏みにじってしまいました。わざと、悪役を演じてくださったのですね。ごめんなさい」

 そうですが、ずれてます。とことんずれてます!

「そんなこと、どうでもいいから! 逃げて!」

「嫌です! 一緒に逃げましょう!」

 しなのが、動けないお嬢様を、掴んで引っ張って連れて行こうとします。

 刀傷を負った人間一人を運ぶなんて、出来るわけもないのに。

 小岩様が、そんなしなのを、背後から斬リ捨てました。

 しなのが、悲鳴を上げて倒れます。

「この娘が長州の間者だな。ふむ。惜しいことをしたか?」

「しなの殿! しなの殿!」

 傷つき倒れたしなのに、お嬢様が駆け寄ります。

「ああ、抱き締めてください、秋葉様。腕が、柔らかい。華奢なんですね。やっぱり、同じ女ですものね」

「知ってたんですか?」

 フフ、と力なく笑い、

「やだ。当たり前じゃないですか。闇の中でのあなたの愛の言葉も、ちゃんと受け取っておりましたよ」

 しなのは、わかっていて……楽しんでいたのかも知れません。

 三人で過ごしたあの夜の、特別な時間を。

「しなの殿……」

「ずっと待っていたんですよ。あなたから、愛を告げられる日を……」

「しなの……!」

「だから、気づいてあげてください。あなたのことを、大切に思っている人が、ちゃんといるってことを」

 そこへ、もう一人、恋一郎も戻って来ました。

「しなの殿! 秋葉さん!」

 私とお嬢様がやったことは、全て無駄だったのです。

「戻ってきたか、この阿呆。士道を背く事。局を脱する事。私闘に及ぶ事。局中の禁令を三つも背いている貴様は、切腹を申し付くる事なく、この場で斬り捨てる」

 小岩様は、恋一郎に向き合いました。

「代々木様!」

 しなのの呼ぶ声も虚しく、小岩様が、恋一郎を袈裟斬りに斬りました。

 身体から大量の血を吐いて、恋一郎がどうと倒れました。

 すると。

 ずるずると、恋一郎は、しなのに向かって這いずリ始めました。

 しなのもまた、お嬢様から離れ、恋一郎に向かって這いずります。

「しなの……天下泰平になったら……」

「きっと二人で……」

 しなのと恋一郎は、必死で手を伸ばしましたが、届く前に、息絶えました。


 しなの殿と恋一郎が息絶えたとき、その場には、お嬢様の悲痛に泣き叫ぶ声が響き渡りました。

 そのうち、見当違いの方向に探索に行っていた隊士たちも戻ってきました。

 私とお嬢様は、怪我をしたまま、屯所に戻され、手当を受けました。

 小岩様の腕は見事で、ぎりぎり、腱などを傷つけないところで斬ってありました。

 おかげで、出血は多かったのですが、命に別状はなく、助かりました。


 ですがもちろん、生きながらえさせられたのには、理由がありました。

 情報を聞き出すことです。

 長州の間者として活動していたお嬢様は、拷問にかけられることになります。

 が、そこはお嬢様、拷問にかけられる前に、知っていることは何でも話してしまいました。

 というよりも、ただの連絡役でしかなかった茶店の娘ともども、長州藩の大物に繋がるような情報は、そもそも持っていなかったのです。

 ついでに、新撰組に捕らえられていた長州の維新志士は、お嬢様=秋葉野原は小物であるという証言を残して、処刑されました。

 そして、お嬢様に対する、新撰組の沙汰が降りました。

 切腹です。


 屯所にある白洲の上で、白装束を着たお嬢様が、切腹の準備をしていました。

 白装束も、これはこれで似合うようです。

 あまり似合っても嬉しいものではありませんが。

「このゲーム、本来の流れとしては、ヒロインが、攻略対象と一緒に逃げおおせるんだけど、長州の間者である秋葉野原は、どうやったって必ず死ぬんだよね。その中でも、これは最悪のバッドエンドだよ」

「お役に立てず申し訳ありません」

 一流の執事として恥ずべき事です。

「ねえ。これからどうなるかな」

「分かりません。また、別の世界に行くのかも知れません」

「そうしたら、またアルベルトのお菓子、食べたいな」

「お供いたします。どこまでも。執事ですから」

「あーあー。ハニトー、食べ損なっちゃった」


 そして、お嬢様は、見事割腹。

 私が、苦しまないように介錯をすることと相成りました。

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