第4話 処刑 『シャングリラ・シャイニング』




 私たちは、屋敷の窓を突き破って逃げました。

 外に出てすぐに、お嬢様を逃がし、私は、追ってくるロボット衛兵に向かって、ブラスターを撃ちました。

 麻痺モードですので、壊れはしませんが、ロボットといえど、しばらくは動けなくなります。

 殺傷モードにすると、人だったら死んでしまいますし、ロボットですら、一撃で破壊できてしまいます。

 なんとか、お嬢様が逃げおおせてくれればいいと思っておりましたが、追っ手の中に、パンナ・コッタとビスコッティの姿が見えないことに、私は気づいておりませんでした。

 それが、事態を悪化させることになるとは。


 ティラ=ミス嬢の屋敷は広大で、庭だけでも、いくつかのスポーツ競技を同時に行うことが出来るだけの広さがあります。その中で、邸宅の裏庭側には、二階にバルコニーがありました。

 騒動の最中、このバルコニーは、静寂に包まれていました。

 そこに、ひっそりとティラ=ミスが現れ、庭の茂みからは、ビスコッティが今か今かと待ちわびていた様子で出てきました。

「ティラ。愛しのティラ」

 しかし、返答はつっけんどんでした。

「知りません」

「何を言ってるんだ。俺だよ。俺」

「俺などという人は知りません」

 先程までの、愛し合っていた相手とは思えない冷たい返答に、ビスコッティは戸惑いを隠せません。

「俺は俺だ。他の誰でもない」

「嘘よ」

「嘘なもんか」

「でも、あなたの名前は、ヴィンサント。そして、私の名前は、ティラ=ミス・チョコラート」

「そんな名前など知らない!」

「ああ、ビスコッティ、ビスコッティ、あなたはなぜ、ビスコッティなの? 名前を捨てて。そうしたら、私たちは結ばれるのに!」

 両家の確執は、今に始まったことではありません。

 過去にも、同じように家同士の諍いを越えて結ばれようとした若者がいなかったわけではありません。しかし、いずれも不幸な結末を迎えているようでした。

「捨てるとも! ヴィンサントの名など、足かせでしかない!」

「でも、私は怖いわ」

「真実の愛の前に、名前など無価値だ。だから、俺は今は誰でもない、ただの男だ」

「ただの男なる男は、私は知りません」

「では、俺は君の男だ。ティラ=ミス」

「嘘よ」

 ティラ=ミス嬢は、名前以外に引っかかっていることがあるようでした。

「何故信じてくれない」

「トルティ、トルタ=アルのダンス、よかったと思う」

「だが、ご禁制だ。今頃、追いかけられて捕まっている」

「彼女が踊っているとき、あなたは、手を叩いたわ。賞賛の拍手を」

 身に覚えがありました。しかし、無意識の行動でもありました。

「わかってくれ。無意識だ。誰しも芸術の前には、裸の赤ん坊と同じだ」

「私と手を繋ぎ、私の腰を抱き締めたその手で、私の目の前で、別の女に賞賛を贈るの?」

 ティラ=ミス嬢は、そんなビスコッティを許せない。

「君を前にして、気の迷いだ」

「一度は、愛の約束を交わしたのでしょう?」

 というよりも、一方的な告白でしたが。

「それは、君に会う前までのことだ」

「信じられない」

 ビスコッティは、芝居がかった様子で、必死で弁解します。

「俺は、自分を見失ってしまう。ここにはいない。ここにいるのはビスコッティじゃない。ビスコッティ・エ・ヴィンサントはどこか他にいる」

「ああ、ビスコッティ!」

 盛り上がって参りました。

「友人のパンナ・コッタは言った。『その目に自由を与えてみろ。他の女性をよく見てみろ。世界は変わるぞ』と」

「世界は変わりましたの?」

 ビスコッティは、更に大きな身振りを付けて、

「愛しのティラ=ミス。お前に会う前、俺には確かに他に気を取られた女性がいた。その人は俺のすべてだった。しかし、俺と彼女の間には、キューピッドはやってこなかった。そう、今の今までは」

「トルティの事はもういいの?」

「今まで白鳥だと思っていた鳥が、カラスに見えるときが来るとして、君は時を責めるか、それとも哀れなちっぽけな男の、この目を、心を責めるのか?」

「ああ、この恋多き罪深い人」

 はい。

「それが俺だ。愛しのティラ=ミス。愛しのティラ=ミス。何度でも呼ぼう。愛しのティラ=ミスと」

 どうにも気分が盛り上がったらしいビスコッティが、話しながら、庭に立っていた大きな木によじ登って枝を伝って、邸宅の二階のバルコニーに到達しました。

 そして、ようやく再開したティラ=ミスと抱き合いました。

 二人は、熱く、長く、情熱的なキスを交わしました。


 お嬢様は、何のためにそこにいたのか、おっしゃってはくれませんでした。

 先の展開を知っていたため、それを確かめたかったのか、あるいは、まだ、あの女好きの青年のことを好きだったのかも知れません。

 いずれにしても、バルコニーを眺めることが出来る庭の、小さな庭木の影に隠れて、事の顛末を見ていました。

 どのような理由であっても、お嬢様が涙を流していたところに、私がいなかったのは、不覚でした。


 代わりに、パンナ・コッタが、現れました。

「トルタ=アル」

 涙を拭いながら、お嬢様が答えます。

「見つかってしまいましたわ。さ、どうぞ、連行するならしてください」

「捕まえます。もう貴女を手放さない」

 そう言いながら、パンナ・コッタは、両手をお嬢様に向かって伸ばしてきます。

 お嬢様は、じりじりと距離を取りました。身の危険を感じていたのです。

「何故?」

「申し訳ありませんが、パンナ・コッタ様は、そもそもが攻略対象ではございません。FDのイベントにすら存在していません。ご自身が、その程度のモブの方だということをご認識なさった方がよろしいわ」

 パンナ・コッタは、一つため息を吐いて、

「おっしゃる意味は分かりませんが、私は貴女に振られたということですか?」

「端的に言えばそうです」

 くっくっく、とくぐもった笑いをしながら、

「分かりませんね。どうしてみんな、あの女好きのビスコッティが好きなんです?」

「さあ? 私には関係ないことですわ」

 そう言いながら、お嬢様は、私が渡したブラスターを手に取りました。

「強がりなさるな」

 パンナ・コッタが、お嬢様の腕を強引に掴んできました。

「放してください。放せ!」

 身体をよじって逃げようとしますが、女の細腕では、振りほどくことは出来ませんでした。パンナ・コッタの目は、本気です。血走っています。

「なぜ、伝わらないんです? 私はビスコッティとは違う。友人ではあるが、ヴィンサント家の人間でもなければ、彼と違って、貴女のために、何でもやりますのに」

「何でも?」

 苦痛に顔を歪めながら、お嬢様は、あることに気づきました。

「そうです。何でも」

「そうか。あなたというキャラクターの存在意義。ビスコッティをティラ=ミスに引き合わせるだけのモブキャラクター。あなた、ティラ=ミスと共謀していたの?」

 にやりと、口が裂けるのではないかと思われるほどの嫌らしい笑みを、パンナ・コッタは浮かべました。

「さすが、美しい方は勘が鋭い。でも、可愛らしい方は、鈍いくらいが良いのですよ?」

 お嬢様の腕を掴む力が、より強くなりました。

「何のために?」

「愚問ですよ。あなたを私のものにするためです」

 そこでようやく、お嬢様は、今、行われているのが、メインストーリー以外のモブキャラ同士をくっつけるという、恋愛もので一番やってはいけない、興ざめな展開だったのだと気づきました。

「ティラはビスコッティを、あなたは、私を……」

「これほどまでにうまくいくとは思いも寄りませんでしたが」

 パンナ・コッタが、お嬢様をぐいと引き寄せ、抱き締めようとします。

 お嬢様が、力一杯突き飛ばして、平手打ちをします。

「無礼者! お前如きが、このシャルロッテ・フォン・アプフェルに抱きつくなど、天地がひっくり返っても許されることではない!」

 お嬢様のその剣幕に、パンナ・コッタは、戸惑い、全身から力が抜けました。

「シャルロッテ? え? 誰?」

「そもそも、自分が私と釣り合うとでも、本気で思っていたの?」

 そう言われて、男としての矜恃が傷つけられたパンナ・コッタは、逆上します。

「意味不明なことをいうな!」

 言うが早いか、パンナ・コッタが、ブラスターを抜きます。そのまま、銃声。

 お嬢様の足下にレーザーの銃痕が付きました。焼け焦げた匂いがただよってきます。

「ブラスターの設定は、麻痺、よりも少し強くしておきますよ。お仕置きだ」

 完全に、パンナ・コッタは、我を忘れていました。

 お嬢様もまた、ブラスターを構えようとしますが、慣れないせいか、もたもたしている間に、二発目を撃たれてしまいました。また足下です。

 三十六計、逃げる。

「お待ちください、トルタ=アル。逃げるな、トルティ!」

 逃げるお嬢様を、パンナ・コッタが追います。


 パンナ・コッタの撃った銃声を聞きつけて、私は大急ぎでお屋敷のお庭へ向かいました。誤解のないように申し上げますが、遊んでいたんじゃありません。

 ロボット衛兵とやり合っていたのです。

 とはいえ、お嬢様のピンチにそばにいなかったのは、本当に不覚です。

 今思い返しても、悔やんでも悔やみきれません。

 同じように、銃声を聞きつけた、ティラ=ミス嬢が、庭に出てきました。

 そして、たまたま同じルート上にいた、逃げてきたお嬢様とぶつかりました。

 お嬢様は、ブラスターを落としてしまいます。

「どうしたの、トルティ?」

 ティラ=ミス嬢の声に、一瞬安堵しそうになって、しかし緊張で身構えました。

「……ティラ!」

「私に対して警戒する気持ちも分かる。けど、私は、ずっとトルティの友だちだよ?」

 その笑顔を、もう無邪気に信じることは、出来ません。

「パンナ・コッタをそそのかしておいて!」

「ああ、トルティ、トルティ。ごめんなさい。あんなチンピラ、トルティには似合わないもんね。私が間違ってたわ」

「今さら……!」

 言いながら、ティラ=ミス嬢は、ゆっくりとお嬢様を虜にするように、近づいてきました。

「お願い。許してもらえない気持ちは分かる。だけど、信じて。私、反省したの。ビスコッティのことは、あなたと正々堂々と勝負すべきだって。そうじゃない?」

 状況はそういう場合でもなくなっておりましたが、下手に反発することも出来ません。

「信じて、いいの?」

 少なくとも、逃げ出すまでは。

「もちろんよ! 本当は、一人の男を取り合うなんてこと、したくない。トルティは、これから先も、ずっと、大事な人だよ。トルティ、これからもトルティって呼んでいいでしょ?」

 そういうと、ティラ=ミス嬢は、落ちていたブラスターを拾って、お嬢様に渡しました。

「……ごめんなさい。そうだよね。あなたも、愛する人を手に入れるために必死なんだもんね。それに、それが本来の正規ルートだし」

 お嬢様を探す連中の声が聞こえてきました。

「追ってきたみたい。逃げて」

「ありがとう!」


 お嬢様は、ブラスターを抱えて逃げました。

 しかし、先程の銃声のおかげで、ロボット衛兵を含めた追っ手が、集まってきていました。

 けん制のために、お嬢様はブラスターを撃ちます。

 が、練習したこともない銃器が、当たるわけがありません。

「こんなの、わかんないよ!」

 逃げた先の草むらから、更に追っ手が現れました。

 お嬢様は、無我夢中でブラスターを撃ちました。

 それは、見事に命中しました。

 どうと音を立てて、倒れ込みました。

 そこに、様子を見に来た、ビスコッティが現れ、ひいと叫びます。

「パンナ・コッタ!」

 追っ手は、ロボット兵ではありませんでした。

 生身の人間、パンナ・コッタです。

 しかも、その身体は、もう、生命の躍動を何ら伝えようとしてませんでした。

 すなわち、

「死んでる……」

 衝撃を受けたのは、お嬢様です。

「そんな! そんなはずはありません!」

 そうです。そんなはずはなかったのです。

 お嬢様のブラスターは、私が設定しました。

 殺傷モードではなく、麻痺モード、当たっても、人が死ぬはずはない最低出力です。

「設定は、麻痺にしてあったはずです!」

 お嬢様は嘘は言ってません。

 ですが、ビスコッティが強引に奪ったお嬢様のブラスターの設定は、最強の殺傷モード、キルモードにしてありました。

「君が、俺の友人を、殺した」

 ビスコッティは、今まで見たことがないような鋭い目で、お嬢様を睨みつけました。

「嘘です! 何かの間違いです!」

 お嬢様は気づいていました。嵌められた、と。

 先程、ブラスターを拾ってもらったとき、モードを切り替えられていたのです。ティラ=ミス嬢に。

 お嬢様は、ロボット衛兵に捕まりました。

 私が駆けつけたときには、もう、手が出せる状態ではありませんでした。

 大人しく、私も捕縛されることになりました。


 舞踏会で、禁制のロックミュージックをやったこと、そして、パンナ・コッタを殺したこと。

 これらの罪をメインの罪状として、トルタ=アルお嬢様は、処刑されることになりました。

「嘘でしょ。そんな事って……!」


 ところが、この処刑に対して、チョコラート家から、反対が巻き起こります。

 しかし、ヴィンセント家も黙っているわけにはいきません。

 しかも、どさくさに紛れて、ビスコッティとティラ=ミスは、駆け落ちをしてしまいます。

 そのことに端を発し、コロニー内は、抗争状態に陥りました。

 コロニーの抗争は激しさを増し、両家の武力闘争は、軍隊を動かし、考えられうる限りの傭兵を動員し、コロニー自体を破滅させるほどの規模に発展します。

 そして、コロニーの建物が半壊以上になってようやく、一時休戦の協定が結ばれました。

 そのタイミングで、先延ばしになっていたお嬢様の処刑が決まりました。


「お嬢様」

「思い出したの。このゲーム、本来の流れとしては、ティラ=ミスとビスコッティが結ばれると、両家の有力者たちが争い始めて、ドーム内で戦争が起きる。軍隊vs傭兵。サイボーグ大戦。街は壊滅、二人は新しいシャングリラを求めてドームの外に逃げてしまう。これが、トゥルーエンド。つまり、二人だけが幸せな、ハッピーエンドになる」

「むちゃくちゃですね」

「そう。むちゃくちゃなの。売れなかった理由がよく分かるわ」

「物語としては何の救いもないようですが、自分たち以外を顧みない若者には幸せに見えるのかもしれません」

「ゲームやってた時は、ちょっとした達成感もあったし、なんとも思わなかったけど、当事者になると、きついなこの二人……鬱ゲーだった」

 お嬢様は、空を見上げて、「キレイな空」とつぶやきました。両手足は、動かせません。

「お嬢様」

「私、また殺されるんだね」

「またお供いたします。必ずおそばにいます」

「アルベルトのお菓子、また食べたかったな」

 そして、お嬢様は、十字架に磔にされ、銃殺刑に処されました。


 タァン!

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