第2話 転生 『シャングリラ・シャイニング』
一〇〇年先の未来は、どのようになっていると思いますか?
そうですね。
もし、未来永劫、今のこの生活が続くようですと、人間の未来は進歩がないということになってしまいます。
一〇〇〇年先は、一〇〇〇〇年先は。そういった、はるか未来のお話を、読んだことがございますか?
まさしく。空想科学SFと呼ばれるものです。
文明の進歩はめざましく、料理は、コックも誰も厨房に立つ必要がなく、自動で調理されて給仕される。
部屋は、家具がその配置を覚えており、自動的に自らを清掃し、常に整理整頓されている。
着ていた服は、脱いだ途端に洗浄され、常に清潔になる。
家と家の移動も必要なく、何らの苦労もする必要のない未来。
そうですね。身の回りのことを全てオートメーションでやってもらえるのであれば、我々執事はいらなくなりますね。
夢のような未来です。
ところが、文明がいくら進んでも、人間という生き物は、そう簡単には変わらないようです。
ロミオとジュリエット、というお話をご存じですか?
文豪シェイクスピアの戯曲にして、今も根強い人気のある作品です。
イタリアの都市ヴェローナを舞台にして、対立する家の抗争の中、愛し合う二人の物語です。
ただし、次の舞台は、はるか遠い未来の、月のコロニーでのお話です。
そうです。
次の舞台です。
その意味は、おいおいお伝えいたします。
タイトルは、『シャングリラ・シャイニング』。
中世イタリアの町並みを再現した月面都市シャングリラで、ヴィンサント家の男、ビスコッティと、彼と出会うチョコラート家の女性、トルタ=アルとの、哀しい恋の物語。
ただし、ここにもう一人、別の女性も絡んできます。
はい。青年ビスコッティは、稀代の女たらしなのです。
ある日の出来事です。
トルタ=アルという名前の女性が、街路をフラフラと歩いていました。
どうにも、ぼうっとしていて、要領を得ません。
そこに、馬車が走ってきました。勢いよく、街路を駆け抜けていきます。しかし、トルタ=アル嬢は気づいていません。
馬車に轢かれそうになった瞬間。
「危ない!」
一人の男性が、飛び出してきて、トルタ=アル嬢を間一髪助けてくれました。
「大丈夫か!?」
男は、トルタ=アル嬢を抱き締めながら、言います。
トルタ=アル嬢は、まだぼうっとした目をしながら、応えます。
「だ、大丈夫です……ありがとうございます」
「気をつけろ、この下手くそ!」
男は、馬車に向かって毒づきましたが、馬車は既に、はるか遠くまで走り去った後でした。
「まったく。気性の荒いサイボーグ馬もいたもんだ」
「サイボーグ馬?」
この街は、月面にあるハイテクシティですが、車などは走っておりません。
中世期のイタリアの、街並みを再現しているので、機械仕掛けのサイボーグ馬がひく、サイボーグ馬車が走っているのです。サイボーグ馬は、一頭で三〇〇馬力まで出せる高性能な馬ですが、それより何より、走っている最中に生身の馬のように糞をしないところが、宇宙ではとても重要な要素です。
「どうしたの? こんな道端をふらついて。気分でも悪いの?」
男が、トルタ=アル嬢の顔をのぞき込みながら訊いてきます。
まだ抱き締めたまま。
「あ、いえ、違います。何で私、こんなところに」
トルタ=アル嬢は、辺りをキョロキョロと見渡します。
まるで、どこか似たような、でも別の場所に来てしまった違和感を感じているようでした。
「どこか、落ち着けるところに連れて行こうか?」
「いえ、大丈夫です。大丈夫です」
と、トルタ=アル嬢が言いましたが、男は、トルタ=アル嬢に構わず、額に触れました。
「なにするんですか!?」
と、反射的に、トルタ=アル嬢は、男をはねのけてしまいました。
力一杯、全力で。
しかし男は、気にした風もなく、まるで慣れているかのように落ち着いて、
「驚かせてごめんよ。熱は、ないみたいだね」
と、言ってきました。
「あなたは、一体……?」
「俺? そうだな、一応、名乗っておくか」
いぶかしむトルタ=アルに、男は名乗りました。
「俺は、ビスコッティ。ビスコッティ・エ・ヴィンサント。それが俺の名前だ」
わざわざ立ち上がって、髪の毛を軽くかきあげながら、ポージングを意識して自己紹介してきました。
そこで、トルタ=アル嬢は、ハッと気づきました。
「ヴィンサント家の方……?」
ヴィンサント家と言えば、このコロニーの有力な家系の一つです。
「君の名前は……そうだな、当ててみよう」
真剣な顔つきで、ビスコッティ青年は、考え始めました。誰も要求していない、勝手に始めたクイズを。
「えっと……パンドーロ、グラニータ、いいや、ジェラート? 当たった?」
見当外れです。
「どれもハズレです」
屈託のない笑顔で、あまりにも堂々と外すビスコッティ青年に、トルタ=アル嬢は、ほんの少し、警戒心を緩めました。
「美しい」
「え?」
え?
「やべ。君の瞳が美しいから、俺、やばいわ」
いやホント、何を言っているのか分かりません。やばい人間のようです。
「あの、何を言ってるんですか?」
トルタ=アル嬢も、じりじりと距離を取り始めました。
しかし、ビスコッティ青年は意に介した風もなく、というかまったく気づかず、
「愛を語ってるんだよ。俺の愛は、君に届いてないのかい?」
愛とやらを滔々と述べ始めました。
「そんなことを突然言われても。つい今し方、出逢ったばかりですよ?」
トルタ=アル嬢の言うことはもっともです。
「愛に時間も空間も関係ない。むしろ、これは運命だ。そう思わない?」
「運命……」
やばいものに引っかかったなあ、という感じです。
「そろそろ、運命の相手に、名前を教えてくれてもいいんじゃないか?」
そういえばそうです。トルタ=アル嬢はハッとして、
「助けていただいたのに、すみません。私、トルタ=アルです」
「トルタ=アル。トルタ、トルタ。トルティ。うん、いい名前だ。美しくて健やかだ」
「……ありがとうございます」
急激なまで迫ってくる距離感に、トルタ=アル嬢は、どのように対応してよいのか、戸惑ってしまいます。
「なあ、トルティ。天地開闢以来、君ほどの美人は見たことがないよ。本当さ。キレイだ、かわいい、毎日会いたい」
ビスコッティ青年は、真剣なまなざしで、口説き文句を並べてきました。
「あの、そういう言葉を簡単に言う人は、ちょっと」
「信用できない? でも、俺はもう、君と結婚したいとすら思っているんだ」
結婚!?
「急すぎます!」
「急じゃなければいいの?」
「そういうことでもありません!」
まるで漫才のような問答に、笑っているのはビスコッティ青年だけです。
「君、面白いな。君みたいな女、初めてだ」
「はい?」
「どうやら、生まれて初めて、俺が本気になったらしい。やっべえ。責任取れよ?」
「……はい?」
本当にやばい人のようです。これはいけない。
「お嬢様。お迎えに上がりました」
困っているようだったので、ここは私が、割って入ることにしました。
今までは、そばで見ていただけだったので。
「何だお前は? 彼女の何だよ?」
言うが早いか、ビスコッティ青年は、腰のホルスターから、ブラスターを抜きました。
最低出力であれば麻痺モード、最高出力であれば一瞬で人を殺せる、殺傷モードを備えた、レーザーガンです。ビームが出るんですよ。
さすがに、ブラスターを前にして、対抗できるはずもなく、私は両手を挙げました。
「私は、そちらにいるお嬢様、トルタ=アル・チョコラート様の使用人の、アルベルトです」
私の身分を聞いて、ビスコッティ様は、明らかに侮蔑の表情を浮かべました。
「なんだよ、たかが使用人かよ。偉そうに間に入ってくんじゃねえよ」
要するに、自分と女性の間に入ってくる男に対して警戒心を持っていただけで、使用人には用はない、ということのようです。
「俺は正々堂々、お宅のお嬢様に交際を申し込んでるんだ。邪魔すんな」
そう言われて引き下がるわけにも行きません。
「邪魔だなんて滅相もない。ですが、よろしいので?」
もう一度、確認が必要であれば、名乗り直そうとしていましたが、ちゃんと記憶に残っていたようでした。
「ん? 待て、お前今なんつった? チョコラート?」
「左様でございます。そちらにいらっしゃるのは、チョコラート家のトルタ=アル様でございます」
それまで、いきり散らしていたビスコッティ青年の顔から、血の気がサーッと引いていきました。
「嘘だろ、おい! まじで言ってんのか!?」
「あなた様が、ヴィンサント家の方だというのと同じくらいの正確さです。チョコラート家とヴィンサント家、これ以上の説明は不要かと思いますが」
すると、ビスコッティ青年は、トルタ=アル嬢に向き直り、質問しました。
「トルティ。聞きたい」
「はいっ」
トルタ=アル嬢も、ちゃんと応えます。
「もし、俺たちに家柄の問題がなかったら、俺を愛してくれたか?」
とてつもない悲劇に見舞われたように、意気消沈したビスコッティ青年は、最期の望みに託していました。
「こんな街中で、私とあなた一緒にいるところを見られたら、家の者同士で抗争が始まってしまいます」
「違う。それは理屈だ。俺が語っているのは、言葉を超えた愛の話だ」
しかし、トルタ=アル嬢は。
「申し訳ありません」
「なんてこった!」
ビスコッティ青年は、世界が滅亡すると聞かされたかのように、大きなショックを受けていました。
そのビスコッティ青年を、一人の男性が迎えに来ました。年の頃は、ビスコッティ青年と同じくらい、背丈は少し低めですが、逆に堂々とした態度の青年でした。
名前は、パンナ・コッタ。
「おい、ビスコッティ。いつまでも来ないと思ったら。お前、一体こんなところで何をしている?」
どうやら、待ち合わせをしていたようです。
「パンナ・コッタ! うるさい。俺は今、失恋のショックで胸が張り裂けそうなんだ。邪魔するな。邪魔すると殺すぞ」
再びブラスターを、今度は自らの友人に向けて構えました。
が、慣れているのか、ため息を一つついて、パンナ・コッタは、
「そうはいかない。君、さては僕らを破滅させる気か?」
「何で俺が破滅するんだ!?」
「聞けば、そちらの方は、チョコラート家の令嬢だというじゃないか。もし何か粗相があったら、家同士の抗争では済まなくなるぞ」
冷静に、ビスコッティ青年にブラスターを下げさせました。
が、ビスコッティ青年は、トルタ=アル嬢に向かって、大きな声で宣言します。
「俺は諦めないぞ。お前ほどの女を、自分のものに出来ないなんて、納得できない!」
その勢いに負けて、トルタ=アル嬢が、返答します。
「ごめんなさい」
が、ビスコッティ青年は、トルタ=アル嬢に向かって、更に大きな声で宣言します。
「トルティ! 心に素直に従え! お前は俺を愛しているはずだ!」
どこからそのような結論が浮かび上がるのか不思議ですが、これ以上は傍観しているわけにも行きません。
「街中で人目もございます。ビスコッティ様、お引き取りを」
すると、常識人と思われるパンナ・コッタ青年が、引き継いでいただけました。
「そうだ。帰るぞ、バカッティ」
「うるせえ! 黙れよ!」
恭しく頭を下げ、改めてお願い申し上げました。
「どうぞ、お引き取りください」
ビスコッティ青年は、パンナ・コッタ青年に連れられて、その場を辞しました。
トルタ=アル嬢は、一連のやりとりで疲れ切ってしまいました。
トルタ=アル嬢の、チョコラート家の屋敷に戻り、道端に倒れて汚れた服を着替えさせ、ボサボサになった髪をとかし、落ち着いたところで、私は、お茶の用意をいたしまいた。
テーブルにティーセットを並べて、ゆっくりと紅茶を注ぎます。
「どうぞ。ロイヤルミルクティーでございます」
ミルクと紅茶の香りが、部屋いっぱいに広がります。
「いただきまーっす!」
トルタ=アル嬢が、用意されたお菓子にかぶりつきました。
「本日のお菓子は、スコーン&クロテッドクリームでございます」
三段のお皿には、一段目にサンドイッチ、二段目にスコーンと、たっぷりのクロテッドクリーム、そして、ストロベリーのジャムを添え、三段目には、プティケーキをいくつか載せております。メインで饗しているのは、スコーン。スコーンを上下に割って、その断面に乳脂肪分たっぷりのクロテッドクリームをこれでもかと塗り、更にジャムを載せて、パクリ。
紅茶によく合う、アフタヌーンティーをご用意いたしました。
「うわあ! 美味しそう。これ、付けて食べれば良いの?」
トルタ=アル嬢は、美味しいものを前にすると、素が出ます。
「存分に。たっぷり塗ってお召し上がりください」
言うが早いか、トルタ=アル嬢は、
「美味しいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
と、今にも空に飛んでいきそうな勢いのある声と笑顔で、味を表現なさいました。
その時、トルタ=アル嬢は、ピタッと動きが止まり、ハッと気づきました。
辺りをキョロキョロと見渡します。
混濁していた記憶と意識が、段々一つの像を結んでいきます。
そして、私の顔を認めました。
「あなた、アルベルト?……これ、どういうこと?」
そう問いかけながらも、スコーンを食べる口と手は止まりません。
「お目覚めですか、お嬢様?」
「あなた、執事のアルベルト、よね?」
ようやくお気づきになったようです。
「相手が何者かを確かめることなく、おやつに食らいつくのは、間違いなくシャルロッテ嬢ですね」
私が申し上げたその名を、懐かしむかのように何度も反芻いたしました。
「シャルロッテ、シャルロッテ……そう、私は、シャルロッテ。シャルロッテ・フォン・アプフェル。でも、今の私は……」
鏡を覗いてみると、自らの容姿が、すっかり変わっていました。
「ここは、月面都市シャングリラ。中世イタリア風のこの街で、勢力を二分するチョコラート家とヴィンサント家、そのチョコラート家の令嬢、トルタ=アル様です」
「ちょっと待ってちょっと待って。記憶がおかしい。私、確か処刑台に乗せられて……」
トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢は、ゾクッと身体を震わせて、自分の首筋を触って確かめました。傷でもありはしないかと。
「大丈夫です。頭は胴体から離れておりません」
一つほっとため息をついて、
「どういうこと?」
「あなたは、別の世界で、既に処刑されたのです」
「別の世界……」
「左様です」
「ちょっと待って。ごめん。理解が出来ない」
無理もありません。が、お嬢様に理解できる言葉がございます。
「要するに、あの処刑のタイミングに、別の世界の令嬢として、生まれ変わったのです。いわゆる、転生と言うことです」
転生という言葉を聞いて、状況については、ある程度理解されたようです。
「私は、じゃあ、一体誰なの?」
「シャルロッテ様であり、今は、トルタ=アル様でございます」
その名前を、何度か反芻して、お嬢様は、あることに気づきました。
「そうか。思い出した。ロミオとジュリエットをテーマにしたオリジナルストーリーのゲームで、タイトルは、確か、『シャングリラ・シャイニング』だ。で、トルタ=アルは……ああああああ!」
思い出している途中で、何かに気づいて、叫び声を上げました。
「どうされました?」
絶望した表情で、苦しそうに、言いました。
「私、また完全な悪役令嬢じゃん……」
状況の理解もそこそこに、部屋の中で佇んでいると、来客がありました。
トルタ=アル嬢を訪ねてきたのは、同じくチョコラート家の家系の、別の家のご令嬢、ティラ=ミス嬢でした。
ティラ=ミス嬢は、天真爛漫を絵に描いたような、元気な少女で、充分に大人びた顔を覗かせたと思うと、極端に幼い表情も出来る、不思議な魅力のあるお嬢様です。
そのティラ=ミス嬢が、部屋に入ってくるなり、トルタ=アル嬢に駆け寄り、抱きつきました。
「トルティ!」
突然しがみつかれて、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、戸惑いました。
「ティラ? あなた、ティラね?」
「そうだよ。何今さら」
「いや、なんでも」
何か含むところがあるようでしたが、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、誤魔化しました。
「馬車に轢かれそうになったって聞いたわ。大丈夫なの!? おけがは?」
「大丈夫。助けてもらったから」
「もう、心配したんだからね!」
「ごめんなさい」
「助けてもらったって、アルベルトに?」
「私ではありません、ティラ=ミスお嬢様」
それが意外だったらしく、ティラ=ミス嬢は、少し考えて、再度問いかけます。
「じゃあ、誰に?」
「通りすがりの人。名前も聞いてない」
嘘です。
「嘘。義理堅いチョコラート家の人間が、恩人に名前も聞かないなんてあり得ない」
嘘はすぐバレました。とはいえ、ほぼ相手が勝手に名乗っただけではあるのですが。
「鋭い」
「白状なさい。何を隠してるの?」
ティラ=ミス嬢の追求は、厳しくなってきました。
「隠してるわけじゃないけど」
もじもじしているトルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様に、ティラ=ミス嬢が、次第にイライラしてきました。
「じゃあ、話せるでしょ!?」
しかし、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、更に誤魔化そうとします。
「そのドレス、ステキだね!」
「ああー。トルティ、誤魔化したね? さては、その助けてくれた人のこと、好きになったんでしょ?」
鋭い。
「そんな! 違う!」
「じゃあ、話してよ。誰?」
「ううー」
トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、なんと言っていいのか、悩んでしまいました。
「ほらほら」
あくまでも追求してくるティラ=ミス嬢に、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、観念せざるを得ませんでした。
「ビスコッティ。ビスコッティ・エ・ヴィンサント様……」
その名を聞いて、ティラ=ミス嬢は、心底驚きました。
「嘘! ヴィンサント家の人を好きになったの!?」
「なってないよ!」
そんな抗弁も、ティラ=ミス嬢には、まったく通じません。
ティラ=ミス嬢は、まだ社交界デビューをしていないので、男性とのお付き合いの経験が乏しく、今は、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様など、付き合いのあるチョコラート家のその他多くのお嬢様方との交流の方が、男性との交流よりも楽しいのですが、全く興味がないわけではなく、むしろ、好奇心はたくさんありました。
それが、仲のよいお嬢様の身に起きたこととなれば、なおさらです。
「ねえ、かっこよかった?」
「まあ、まあまあ?」
「ふぅーん。トルティは、男にうるさいから、そのトルティがまあまあって言うなら、相当だね」
「何その推理?」
ふふふ、と笑いかけながら、
「トルティがその気がないなら、私が取っちゃうよ?」
と軽口を言いました。
が、まるっきり冗談のその言葉に対して返ってきたのは、予想外に深刻な返答でした。
「やめて」
「え?」
これには、ティラ=ミス嬢も虚を突かれました。
しかし、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、真剣です。
「それだけはやめて。彼には手を出さないで」
「やだ。何、本気にしてるの? 会ったこともない人のことを好きになるわけないでしょ?」
ティラ=ミス嬢が冗談だったと言っても、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、聞く耳を持ちません。
まるでその先に、世界の滅亡があるかのように。
「お願い。約束して。でないと、全部壊れちゃう」
「何を心配しているのかわかんないけど、大丈夫。トルティの運命のお相手に手を出したりしないし、私、今のところ恋愛するつもりないから」
その言葉を聞いても、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、安心出来ません。
「本当に? 約束できる?」
「約束。指切りげんまんする?」
「……大丈夫」
とりあえず、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、いったん落ち着きました。
ティラ=ミス嬢は、指切りできなくて、少し淋しそうでした。
「それより、トルティも早く着替えてよ」
「着替え?」
何のことやら分からない、といった態でトルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、きょとんとします。
「当たり前でしょ。これから舞踏会が始まるんだから。私の社交界デビューだよ。そうだ。もしかして、その彼、舞踏会に来るかもね」
そこまで言って、ティラ=ミス嬢は、部屋を出て行きました。
「さながら、つむじ風のような方ですね」
ミニ台風といった方がしっくりくるかも知れませんが。
「で、あんたは何でここにいるの?」
トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様が、今さらな疑問を投げかけてきました。
何をおっしゃいますやら。
「執事ですから」
「誰の?」
「もちろん、シャルロッテお嬢様であり、今はトルタ=アルお嬢様の」
そういうと、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、大変に驚きました。
「私の!? 違うでしょ、あなたはレープ・クーヘンの執事でしょ?」
「既にお暇をいただいております」
原因が誰のせいか、ということは申しませんが。
トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様には、納得いったようです。
「そういえばそうだ」
「それから、処刑前に、あなたにお仕えすると申し上げましたよ」
ここは少し首をかしげて記憶をたどって、
「承諾した覚えないんだけど?」
「こうして共に転生したからには、お仕えして差し上げます」
「いや、いらないんだけど」
むべに断られてしまいました。
残念ですが、仕方ありません。
「では、本日以降、スイーツはお預けですね」
「なんで!?」
むしろこちらが、なぜスイーツだけは供給されると思っていたのか聞きたいくらいです。
「お仕えもしていないのに、おやつをあげる理由がありません」
まっとうな理由だったはずですが、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様は、頭を抱えて苦悶の表情を浮かべ、まるで地獄門の果てに何があるのか考え続けている彫刻のようになって固まってしまいました。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ……」
「そこまで悩みますか。」
そして、ようやく意を決して、
「いいわ。執事アルベルト。お菓子は必要です」
と、晴れやかに言いました。
「優先順位がそれでいいのかという疑問はありますが」
「気にしないで。とりあえず、おかわりちょうだい」
「かしこまりました」
ということで、トルタ=アル嬢にしてシャルロッテ嬢のお嬢様(いちいち面倒くさいのでここから先はお嬢様、とお呼びします)は、転生した異世界で、有能な執事をゲットしました。
「でも、気に入らなかったら、いつでも契約解除するからね!」
「お役に立てるよう努めてまいります」
と話しつつ、私は、お嬢様にスコーンを追加で差し上げました。
まさかの、クロテッドクリームを食べ尽くしていたので、そちらも追加しておきました。
改めて、ミルクティーを淹れていると。
「あっ!」
何かを思い出したようです。
「どうされました?」
「このあとの展開! 舞踏会で社交界デビューって言ってたよね!?」
確かに。ティラ=ミス嬢の社交界デビューです。
「このままだと、ビスコッティとティラ=ミスが出逢っちゃう!」
「二人が出逢うとどうなるんですか?」
既に飲み干されたミルクティーを追加で注ぎながら、伺います。
「また、悪役令嬢が死んじゃう!」
風が吹いたら桶屋が儲かった、というレベルで飛躍しております。
「悪役令嬢と言いますと?」
「私! 元のゲームでは、セリフなんか冒頭だけで、キャラデザすらまともにされてなかったくらいのキャラだけど、いちおう、存在だけのヒロインの恋敵というか、悪役令嬢扱いだし……しかも、どう転んでも、このゲームの悪役令嬢は死ぬんだよ……!」
細かい点で何をおっしゃっているのか、判然といたしませんが、分かったことはあります。
「また、処刑されるんですか?」
「こうしちゃいられない! また私の身が破滅しちゃう! 舞踏会はどこでやってるの!?」
まずはしっかりミルクティーを飲み干して、スコーンは全部平らげてから、お嬢様は慌てて立ち上がりました。
「本日は、ティラ=ミス様のお屋敷ですね」
「急いで行かなきゃ!」
言うが早いか、お嬢様は出かけようとなさいますが、さて、どこにどう動いていいのか、戸惑っておりました。
こちらにすがるような目をしてきます。
「ご安心ください。そう思いまして、既に馬車も用意しております」
「気が利く!」
「お役に立てるよう、努めております。あと、舞踏会用のドレスも見繕っておきました」
ピタリとお嬢様の動きが止まりました。
「誰の?」
「私がドレスを着て何か楽しいですか? お嬢様のドレスです。そんなくすんだ色合いで地味な、普段着のみすぼらしい格好で、舞踏会に行かせるわけにはまいりません」
すると、口をとんがらせて、ブチブチと文句を言ってきました。
「……一応お気に入りの服なんだけど」
やれやれ。
「幼さを強調して支配欲の強い下賤な殿方を刺激するには良いかもしれませんが、あまりにも趣味がお悪うございます」
「お気に入りの服なんだけど!?」
「同じことを二度言われても、ダメです。令嬢たる者、もう少し嗜みを持ったドレスの方がよろしいかと存じます。それに、そのまま行くと、舞踏会のドレスコードに引っかかって、そもそも中に入れてもらえません」
全く以て釈然としないまま、ぶすっとして、
「じゃあ、着替える」
渋々ご了解いただきました。
「賢明でございます。ぶすっとされても、着替えはマストでございますが。あと、普段から姿勢が悪いので、しっかり背筋を伸ばしてください」
言われて、背筋を伸ばすよう意識しながら、
「注文が多い! あなた使用人でしょ!?」
「主のセンスがまともになれば、私の注文も減っていきます。さあ、そのセンスの欠片もない服を脱いで」
お嬢様は、更に膨れて、
「わかった! 分かりました! ドレスに着替えます!」
と、脱いだ服をその辺にぽいぽい散らかしてドレッサーの前に向かいます。
脱ぎ捨てた服を拾うのは、使用人の仕事です。
「それがよろしいかと存じます」
と、ピタッと動きが止まり、
「……ところで、おかわりは?」
「まだ食べるんですか?」
「考え事したら、おなか空いた」
「道中、馬車の中で手配いたします。さあ、急ぎましょう」
お嬢様は、サイボーグ馬車の中で、スコーンを更に五つ、追加でもぐもぐ食べていらっしゃいました。
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