第1話 『SUGAR SUGAR 〜シュトルム・ウント・ドランク』
そこは、西ヨーロッパのとある国でした。
まるで、おとぎ話の世界に迷い込んだような世界でした。
数世紀前に国をまとめた王様が作った町並みは、オレンジ色の屋根で統一された建物が所狭しと存在し、教会を中心に蛇の目に流れる道路は石畳で敷き詰められ、道行く馬車はのどかで、それはそれは、美しい街でした。
その国は、長く王権による政治が続き、そのおかげで平和を享受して参りました。
周辺の国とも、争いや諍いが起きることもなく、軍事的な緊張を感じずに過ごして来れたのも、王家が安泰だったから、といえるでしょう。
とはいえ、長く続くものには、常に時間の経過と共に劣化という現象もついて回ります。
最初の王が賢君であったとしても、その息子、更にその息子と受け継がれていった先の世代で、同じく賢君であるという訳にはいきません。
それは、この国に限らず、全ての国が持つ、宿命のようなものでありましょう。
あるいは、いかに王家が賢君たろうとしても、王権にまつわる貴族たちが、己が利益を追求すれば、政治の腐敗を招き、そのしわ寄せは、全て民衆に向かいます。
この国では、建国以来の平和な虚像はどこへやら、民衆は、日々、飢えていました。
食料も、衣服も、住処も、全てありました。しかし、その全ての物価が、この数年で上昇し、一切れのパンを買うにも、それまでの五倍もの値段を支払う必要がありました。
衣服はボロボロになっても着るしかなく、家賃は月々に値上がりし、支払えなければ済むところを失う羽目になりました。
何故そんなことになったのかというと、貴族たちの遊興費のために、どんどん税金が値上がりし、支払えなければ重い刑罰が課されるようになったためです。
この国は、貴族たちによる支配が長く続きすぎたのです。
その結果、国中で、民衆の声がこだまします。
あらゆる貴族の屋敷の前で、民衆の声が響き渡っておりました。
「パンを寄越せ!」「仕事を与えろ!」「民衆の権利を!」
「食い物を、飲みものを!」「王を差し出せ!」「貴族は皆殺しだ!」
時に、革命前夜、とでも申しましょうか。
民衆の生命と生活への活力が最高潮に達したあの夜、夜と言いましても、これは比喩表現でございまして、本当の夜ではなく、革命により世界の夜が明ける、ということを表現したものでありますが、いずれにしても、民衆たちは、それまで自分たちを支配し虐げていた貴族、王権、絶対的な王制を、ついに撃ち落とすところまで迫ってまいりました。
このとき、私がお仕えしていたのは、ここでは仮に、レープ・クーヘン嬢としておきましょう。お察しの通り、何かしらの害が及んではなりませんので、お話の中に出てくるお名前は、全て仮の名でお話しさせていただきます。
この方は、貴族ではありません。
平民の出身ではありますが、一六歳で入学した王立学院にて、当時の王家の王子たちと次々に懇意になり、あれよあれよという間に、のちに王座を戴冠するブラート王子と急接近いたしました。そしていつしか、平民出身であるにも関わらず、王子たちから、大きなお屋敷と複数の従僕たちを与えられるまでになりました。
見事なまでの立身出世ぶりです。
その際、私も当時の王子より命じられ、第一の従僕としてお仕えすることになりました。他に従僕はバトラーが一名、メイドが三名、私を含めまして、五名でお世話しておりました。
そこだけ見れば、もはや平民ではなく、立派な貴族とも見えるご様子でした。
レープお嬢様は、天真爛漫を具現化したようなお方で、屈託なく笑う、非常に明るいお嬢様でした。
私は、お嬢様に、日課のお茶を供すべく、日の光が差し込む、眺めのよいバルコニーのテーブルに、ティーセットをご用意申し上げておりました。
「今日のデザートはなに!?」
お嬢様が、無邪気に聞いて参ります。ピンクを基調としたドレスをお召しになり、豊かな髪をツインテールにした、可愛らしい方でございます、
「シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテでございます」
本日のケーキを、私はほんの少し自慢げにお見せいたしました。
「シュヴァ……うん、覚えられない!」
「シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテです」
「結局ケーキでしょ」
お嬢様は、諦めが早いのです。
「ねえ、あのセリフ言っても大丈夫かな?」
「はい?」
「『パンがなければケーキを食べればいいじゃない!』」
それは、あまりにも有名で、貴族的身分の人が、間違ってもそもそも口に出してはいけない言葉の筆頭でございます。
「お嬢様! そのようなことを言うと、反感を買います!」
「いいじゃない。誰も聞いてないし。ここから屋敷の入り口まで、どれだけあると思ってるのよ」
そう言いながら、レープお嬢様は、けたけたと笑います。
とても、お嬢様と言われる人がやっていい笑い方ではございませんが。
「ああ、大きな声出して喉渇いた。紅茶ちょうだい」
「どうぞ」
言われるままに、紅茶をティーカップにサーブしてお渡しいたしました。
カップを受け取ったお嬢様は、一口、口を付けるやいなや、
「熱い! 何これ!」
と、カップを放り出してしまわれました。
「おかしいですね、そんなはずは」
こぼさないようにカップを受け取ってから、私自身、同じように紅茶を一口、口に含んでみました。
「お嬢様に合わせて、少しぬるめにしてあります」
「でも熱いもん! アルベルトが意地悪する!」
「してませんよ」
お嬢様のわがままにも困ったものです。
そんなティータイムに、一人の男性がちん入してきました。
すらりとした長身で、穏やかな笑みを常に絶やすことがない、気品漂う男性。現在の王権の第一継承者、ブラート・フォン・ブルスト。ブラート王子が、レープ城を訪ねて参りました。
ブラート王子は、やってくるやいなや、甘ったるい声を出してきました。
「やあ、愛しのレープ、麗しのレープ。今日も可愛いね」
それが、ブラート王子がいつも、レープ嬢を呼ぶときに言うお決まりの言い方でした。
「大きな声を出して、どうしたんだい?」
「ブラート! ねえ聞いて! 紅茶が熱かったの!」
適温でした。
「それはいけない。火傷をしてはいないかい? 口を開けて見せてご覧」
そう言いながら、ブラート王子は、レープ嬢の口の中をのぞき込もうとします。
「やだ。そんなはしたないマネ、レディに出来るはずないでしょ!」
レープ嬢は、顔を真っ赤にして、恥ずかしがります。
ブラート王子は、そんなレープ嬢の反応を心底面白がっているようでした。
「おっとと。これは失敬。しかし、アルベルト」
「はい」
「君は完璧な執事だと評判だったが、紅茶の温度管理もできんとは情けないな」
「面目ございません」
適温でした。
「なんだい、このケーキ?」
ブラート王子は、テーブルの上に置いてある、本日のケーキを見つけました。
「うわあ、黒い。気持ち悪いね」
シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテです。
「だよねー! ケーキ、もういらなーい。紅茶が熱かったせいだからね! 悪いのは、アルベルト!」
「申し訳ございません」
シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテでしたが、下げることになりました。
「ああ。愛しのレープ。僕は今から、議事堂に行く。一緒に行ってくれるかい?」
それまでの、じゃれ合っていたバカップルの雰囲気はどこへやら、一気に深刻な顔つきになり、二人は話し始めました。
「じゃあ、いよいよだね」
「うん。これで、この国の歴史がひっくり返るぞ」
この国は、長く、このブラート・フォン・ブルスト王子に続く、ブルスト家による王権支配が続いておりました。国内の最大領主でもあったブルスト家は、数世紀前に国が国としてまとまって以来、いくつかの貴族たちの手で守られ、受け継がれてきた王権を、ここ一〇〇年近く、王族として支配してきました。
ところが、先代国王は何を思ったか、自らの第一子であり、世継ぎになる人材であるブラート第一王子を、生まれてすぐに王宮から出し、乳母たちに任せ、平民たちと一緒に育てるように命じました。
これには、いくつもの憶測が飛び交いました。
曰く、王の実子ではない、王子には身体的欠陥がある、愛妾の落とし子であり、王妃の手前、王宮で育てられなかった、などなど。
ところが、そういった、ゴシップ好きのいかにもな方々が大喜びしそうなスキャンダルは予想に反して一切なく、国王は、純粋に、ゆくゆくは平民を統治する人間だからこそ、平民の暮らしぶりを知っておくように、という配慮での措置だったようです。
そしてそのおかげで、若きブラート王子は、平民の気持ちが分かるようになり、平民たちの苦しみを感じ取り、平民による革命の気運に乗っかる王族になってしまいました。
そう言った背景があればこそ、王立学院で出逢った平民であるレープ嬢に惚れ込み、最大級の贅沢を与える事でその愛情を示すようになったのです。
そしてこれから、ブラート王子とレープ嬢がやろうとしているのは、革命です。
ブラート王子は、先代国王より王座をその頭上にいただいたのち、譲り受けた王権を、貴族と平民が合同で開く議会にかけ、返上するおつもりなのです。
民衆による圧政への不満があったとは言え、王族自らが王権を返上するなど、各国の歴史を見ても、そう例があることではございません。
その意味では、ブラート王子は、まさに先進的な発想と行動力をお持ちだ、と後々評されることとなるのです。
しかし、ここまで事が進んだのも、平民出身で、ブラート王子始め王位継承権のある王子たちと懇意になった、レープ嬢との恋の駆け引きがあったればこそだったのでした。
そう考えると、レープ嬢は、不思議な方です。
ブラート王子を始めとした、四人の王子たち。その全ての王子たちとの交流の仕方、どうすれば王子たちが喜ぶか、どうすれば王族たちが争わずトラブルを起こさず、特に、銃剣の類いを持ち出して、人死にを出さずに事を運べるか、その全てを予め知っていたかのようでした。
まるで、神の託宣を聞く、預言者のように。
いずれにしても、レープ嬢とブラート王子、いえ、この時点では、既に国王となったブラート王は、民衆の革命に加担することになるのです。
「君のおかげだよ。王族にも貴族にも、もちろん平民にも、犠牲は出なかった」
ブラート王は、その慈愛のまなざしをレープ嬢に向けますが、レープ嬢は、険しい顔になります。一人、心に思い描いた方がいるのです。
「でも、まだ革命に納得していない貴族がいますわ」
「……しかし彼女は——」
ブラート王が、何かを言おうとしますが、レープ嬢がその細い指でブラート王の唇を塞ぎます。
「あら、ダメですわ。このままだと、民衆の期待を裏切ってしまいます」
そして、断固たる決意をもって、私に向かって、こう続けました。
「アルベルト。彼女のこと、お願い」
その「彼女」というのは、門閥貴族の一つ、この国の名家、アプフェル家の令嬢、シャルロッテといいました。
シャルロッテ・フォン・アプフェル。
彼女は、由緒正しき貴族にして、ブラート王の、王子時代の婚約者でもありました。
国の中心部からほど近いところに、広大な敷地を持つ屋敷がありました。
屋敷に続く庭にはりんごの木が植わっており、見る者もお腹が空いた者も満足させる、かつては美しい庭園でした。
アプフェル家の屋敷は、今ではすっかり荒れ放題になっていました。
庭は荒れ、気になっていたりんごは、その全てが、飢えた民衆により、奪い尽くされていたのです。
そんなアプフェル家のバルコニーに、一人、女性が佇んでおりました。
ブルーを基調としたドレスは、所々、糸がほつれたり、生地が傷んでおります。
テーブルに置いてある薄汚れたカップには、だいぶ濃いめの紅茶が淹れてあります。
女性は、シャルロッテ・フォン・アプフェル。この屋敷の主です。
シャルロッテ嬢の元に、この国の王子たちが、こぞって参上いたしました。
名を、第二王子ヴァイス・フォン・ヴルスト、第三王子ビアシンケン・フォン・ブルスト、第四王子カリー・フォン・ヴルストといいます。
「あら。ごきげんよう」
シャルロッテ嬢は、快活に彼らを迎えました。
「国王になり損ねた王子たちが、王妃になり損ねた私に何の用ですか?」
チクリと刺すような嫌味に、機嫌を悪くしながら、第二王子ヴァイスは、冷たく言い放ちます。
「残念だけど、余計な問答をしている暇はないんだ。僕たちと一緒に来てもらえるかな?」
シャルロッテ嬢の意思を伺っているようでありながら、王族ならではの有無を言わさぬ口調で、そう言いました。ところが。
「お断りしますわ」
シャルロッテ嬢は、まともに目を遭わせることすらなく、言下に拒否いたしました。
その態度に、王子たちが色めき立ちます。
「血の気の多い王子たちに乱暴なマネをされたり、逃げられたりしないように、きちんと連れてきて」
私は、そのようにレープ嬢から命じられ、アプフェル家のお屋敷まで様子を見に来ておりました。
レープ嬢の言葉は、本当に良く当たります。
まるで、未来が見えているかのように。
そしてアプフェル家のお屋敷で、実際に私が見たのは、三人の元王子に詰め寄られている、シャルロッテ嬢の姿でした。
アプフェル家は、元々、侯爵家であり、この国でも大きな血筋のお家でした。
建物にも、貴族文化の影響が色濃く残っておりました。
ですが、既に庭木を剪定する者もなく庭は荒れ放題。屋敷は至る所が掃除が行き届いておらず、汚れたまま。屋敷内を見渡しても、使用人たちが誰もいない。
広いお屋敷の中に、シャルロッテ嬢は、たった一人、元王子たちの来訪を受けていたのです。
おそらくは、濃くてえぐみが出ていそうな紅茶も、ご自身で淹れたものなのでしょう。
「ねえ。使用人たちはどうしたんです? 誰もいないみたいですけど」
第三王子のビアシンケン様が、無遠慮に屋敷の中をうろちょろと歩き回りながら、素直な疑問を口にします。
ビアシンケン様は、中肉中背で、おかっぱにした銀髪が目立つ美青年です。
「みんな勝手に出て行ったか、残った人たちには暇を出しました。父侯爵が亡くなって以来、ずっと家は荒れたままです」
とすると、アプフェル家のご当主がお亡くなりになったのは、王子との婚約が解消された頃、すなわち、この半年ほど前なので、六ヶ月ほどということになります。
「じゃあ、家のことをずっと一人でやってたの? その細腕で?」
第二王子のヴァイス様が、驚いて聞きました。
第二王子のヴァイス様は、しなるような立ち姿に若干のエロスを感じる、黒い長髪が腰まで伸びている、美青年です。
「家事くらい出来ます。いけませんか?」
「いけないなんて、とんでもない。ただし、貴族ならば、自らの手を汚すのは、もっととんでもないと自覚なさるべきでは?」
「馬鹿馬鹿しい。時代錯誤も甚だしい」
「なんですって?」
シャルロッテ嬢の言葉に、穏やかな物腰だったヴァイス様も、一瞬で怒りが心頭に発したようでした。
シャルロッテ嬢は、常につっけんどんな態度で、まるで、わざと王子たちを怒らせているようでした。
「そんな世間話をしに来たんじゃないだろ、ヴァイス」
ビアシンケン様が、ヴァイス様を制しつつ、シャルロッテに向かって言います。
「ブラートが王権を返上しようとしてるんだ。看過することは出来ない」
「看過できないと、どうするんです?」
「シャルロッテ。聡明な君なら、分かっているはずだ。僕らが今までこうして暮らして来れたのは、王族であり、貴族であり、王権という絶対権力があったからこそだよ。それを、王子が勝手に返上するなんて、先祖に対して申し訳が立たない」
やれやれとでも言うように、頭を振りながら、ビアシンケン様が説明いたします。
ところが、せっかくの演説も、シャルロッテ嬢には、まったく響いておりませんでした。
「勘違いなさっておられるようですが」
シャルロッテ嬢は、静かに言い放ちます。
「もうあの方は王子ではありません。王権を世襲された、立派な王です」
ただの揚げ足取りを。
それが、ビアシンケン様の神経を逆なですると知ってて。
「立派な王は、王権を手に入れてすぐ、議会に王制廃止を認めさせたりはしない!」
つい先ほど、ヴァイス様を制した冷静さはどこへやら、ビアシンケン様は、思わず声を荒らげてしまいました。
そう。
既に議会は、平民に迎合した貴族たちと、平民の中の上級国民たちによって構成され、無血革命は成立しようとしておりました。
「めでたいことじゃないですか。こっちとしては、何一つめでたくありませんけど!」
そんな、本気とも冗談とも付かない言葉を放つシャルロッテ嬢に、第四王子のカリー様が、口を開きます。
「だからさ。シャルロッテ。仮にも僕らは、同じ貴族だ。ブラート兄さんを止めてほしいんだ」
最も若い王子であるカリー様は、シャルロッテ嬢よりも背が低く、一番血気盛んな美少年です。どれだけ若くても、ちゃんと男の子のカリー様は、レープ嬢を巡って、その他の王子たちとも一歩も引かない争いも繰り広げておりました。
今では、弟のようにかわいがってもらえることで満足しているようですが。
「婚約破棄された私に、止められるわけがないでしょう」
ため息をつきながら、シャルロッテ嬢が答えますが、それは、王子たちには、想定の範囲内の答えだったようです。
「だとしたら、もう一つの方法で行くしかなくなる」
ビアシンケン様は、仕方がない、といった風を装ってそう言いましたが、むしろ、王子たちは、そのもう一つの方法の方が最初から目的だったようです。
そしてそれを、シャルロッテ嬢は先刻ご存じのようでした。
「私を、生け贄にするんでしょう?」
王子たちが、全員、息を呑みました。
計画にあったとは言え、実際に当事者から口に出されると、嫌な緊張感が走ったようでした。
「言い方が悪いな。今は、没落する貴族として、誰かが尊い犠牲になる必要がある。名誉ある話だ」
ヴァイス様が、もっともらしく話しますが、手も口調もかすかに震えていて、内心の動揺を、隠し切れておりません。
シャルロッテ嬢が、そんな王子たちの姿を見て、哄笑します。
「でしたら、適任がいらっしゃるじゃないですか」
何を言われているのか、王子たちは、一瞬ピンときませんでした。
「あなた方、王子のうちの誰かが、その貴い犠牲とやらになれば良いのですよ」
納得です。シャルロッテ嬢の言い分の方が、より正当性があるように感じられました。
しかし。
「その話し合いはなしだ。もうこれは決まったことだ」
ビアシンケン様が、まだ自分が王権を持っているかのように、高圧的に言いました。
「勝手に決めないでよ!」
シャルロッテ嬢の怒りもごもっともです。
「抵抗はやめてほしい。僕としても、君に手荒なマネはしたくない」
カリー様もまた、そのまっすぐな少年のまなざしの奥で、兄たちと同じ考えを持っていると言うことを態度に表しました。
「それを言葉にすると言うことは、既に手荒なマネをする気満々じゃない!」
なるほど察しが良い。噂通り、聡明な方です。
私は、シャルロッテ嬢に関心すらしていました。
「あなた方が、全員、レープに求愛して振られた理由が分かりますわ。自分たちの命惜しさに、集団で私に死ねと言いに来る程度の度量なら、そりゃあ、女の身としては願い下げですわね!」
王子たちの剣幕に対して、一歩も引かないシャルロッテ嬢は、凜としておりました。
が、それは悪手です。
「女だからと、言わせておけば!」
ビアシンケン様が、腰にかけていた剣を抜き放ち、振りかぶって、シャルロッテ嬢に襲いかかります。
私は、主であるレープ嬢より賜った命令を忘れてはおりませんでした。
すなわち。
「血の気の多い王子たちに乱暴なマネをされたり、逃げられたりしないように、きちんと連れてきて」
シャルロッテ嬢をかばうように、ビアシンケン様の剣の前に、私は自らの姿を盾として立ちはだかりました。
「邪魔だ! どけ! 使用人風情が!」
ビアシンケン様は、本気でシャルロッテ嬢を殺すおつもりのようでした、。
「主より、傷つけずに連れてくるようにと仰せつかっております。ここはお収めください」
しかし、ビアシンケン様は、ご納得が行かない様子でした。
そのビアシンケン様をいさめたのは、兄であるヴァイス様です。
「そうだ。ここで傷つけたら、大義名分が崩れてしまう。収めろ、ビアシンケン」
ビアシンケン様が、しぶしぶ、剣を鞘に収めます。
私は、シャルロッテ嬢を心配して声をかけようといたしました。
が。
「そうなった方が、都合がよかったのに!」
「え?」
ものすごい剣幕で怒られてしまいました。
「怪我する方が、処刑されるよりマシだから挑発してたのに! この馬鹿執事!」
ものすごく、プリプリ怒っています。
「えええええええ? そんな怒り方ってあります!?」
命を救って怒られたのは、長い執事人生でも、初めてでした。
「もういい。責任とって、ちゃんと連れてって」
そう言われ、仕方なく、シャルロッテ嬢を屋敷から連れ出そうと、その手を取ろうとすると、思いっきり、ビンタを噛まされてしまいました。
強烈な平手打ちです。
「何なんですか、あなたは!」
これは、私にしては珍しく、言葉が荒くなってしまいました。
反省しております。
「子どもじゃないんだから、ちゃんとレディとしてエスコートしなさいよ!」
言われてみれば確かにと思わなくもないですが、だからといって、いきなり平手打ちはないでしょう。
「わかりました! じゃあ、手縄かけますよ!?」
一応、捕縛用の縄は用意してありました。
が。
「いりません! 自力で歩けます!」
「ああいえばこう言う!」
そんな私たちのやりとりを、冷ややかに見つめていた王子たちは、どうにか、自分たちの目論見通りになりそうなので、一安心していました。
「最初からそうやって素直に付いてくればよかったんだよ」
ビアシンケン様が、先程まで剣を振り回していた怒りを収めきれないままに、嫌味を言ってきます。
が、シャルロッテ嬢は、そんなものに負けはしません。
「負け惜しみですか? 仮にも王家で育った王子たちが、情けない」
「なんだって!?」
また剣に手をかけようとしてきますが、
「やめろ、ビアシンケン。完全に、僕たちの負けだ」
ヴァイス様から止められました。
「では、行きましょう」
この家の主として、終始毅然とした振る舞いをなさっておられた、シャルロッテ嬢の、勝ちです。
とはいえ、大の男四人を相手に、毅然とした態度を貫いたシャルロッテ嬢の手と足は、ずっと震えていました。
シャルロッテ嬢は、そのまま、屋敷から離れた町の中央広場まで連れて行かれました。
広場の中央には、処刑台が置かれ、ギロチンの刃が、太陽の光を浴びてギラリと光っておりました。
シャルロッテ嬢は、広場に近い既に没落した貴族の邸宅、その一室に連れて行かれました。
「こうなったら、もう、最後のフラグに賭けるしかない」
護送の途中、そのようなことを発言していたので、その真意を問い質したところ、
「今度は邪魔しないでよ!」
と、ぷんすか怒られました。
シャルロッテ嬢は、軟禁され、ブラート様や、その他議員たちからなる議会の承認を待って、そのまま処刑されることになります。
なぜ、シャルロッテ嬢が処刑されなければいけないのかについては、いろいろと複雑な事情があるようでした。
貴族の邸宅に着いた時点で、貴族たちにも味方はおらず、平民たちからは、貴族であるというだけの理由で敵対視されていました。
つまり、貴族は既に貴族であるというだけで処刑対象だったのです。
とはいえ、全ての貴族を処刑してしまうには、人数も手間も大きく、有力な貴族を誰か、見せしめに処刑することで、「貴族社会そのもの」を処刑したことにしようというのです。
そこでやり玉に挙げられたのが、シャルロッテ嬢でした。
更には、これが一番の大きな理由となりますが、私の仕える主であるレープ様にとっては、シャルロッテ嬢は、王子であったブラート王を奪い合った仲であり、その流れの中で、数多くの嫌がらせを行った、完全なる罪人でありました。
あくまでも、レープ嬢の視点から見た場合、ではありますが。
「こういうのを、悪役令嬢って言うんだよ」
シャルロッテ嬢ご本人は、そのようにおっしゃっていました。
その他にも、この世界は、どうあがいても、悪役令嬢が助かるようには出来ていないのだとか、攻略対象のバランスが悪いとか、悪役令嬢一人に全ての罪を被せて、イケメンの王子たちは無罪放免だなんて、革命の設定としてもガバガバだとか、道中、いろんな話を聞きました。
ええ。もちろん、ちんぷんかんぷんです。
「それにしても、おなか空いた……」
先程まで、王子たちを相手に堂々たる大立ち回りを演じていたとは思えない、力の抜けっぷりです。
そういえば、と、ふと思い出しました。
「お食事ではないですが、ケーキはいかがですか?」
「ケーキあるの!?」
私の主であり、あなたの恋敵が食べなかったケーキですが。
「もしよろしければ、ですが」
「でも……」
ものすごく悩んでいます。
それはそうでしょう。仮にも私はレープ嬢の執事。その執事からケーキを供されるなど、怪しさ満点、中に何が入っているか分かったものではありません。
「お嫌でしたら、無理には勧めません」
「だって、今さら何を食べたって、喉を通ってお腹の中に入る前に、全部外に出てしまうわ」
なるほど。そういう心配をなさっておいででしたか。
「では、やめておきますか」
「やだ」
やなんかい。
「どうしたいんですか、あなたは!」
「食べる!」
ものすごくキラキラとした目で、はっきりとそう申し上げる姿は、ただただ無邪気なお嬢様の姿にしか見えませんでした。
とても、これから処刑されなければならない、レープ嬢と陰湿なまでの男の奪い合いをした女性だとは、にわかには信じがたい笑顔です。
「では、ご用意いたします」
私は、レープお嬢様のために用意しておきながら、結局誰も手を付けなかったケーキを、改めて準備いたしました。もちろん、ティーセットも。
少し待たせてしまいましたが、シャルロッテ嬢は、ケーキを見た途端、更に目を輝かせました。
「待ってましたあ!」
両手を叩いて、飛び上がらんばかりに喜んでいます。
「ふわわわわわわわわわ! これ何!?」
「シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテでございます」
「シュヴァル……何?」
今のところ、誰もちゃんと言えておりません。
「シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテです」
「シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ! 美味しそう!」
シャルロッテ嬢は、言うが早いか、フォークを持ち、ためらうことなく、口に運んでおりました。
「こちらは、『黒い森のさくらんぼ酒ケーキ』という意味の、さくらんぼ酒を使ったケーキです。ココアのスポンジにさくらんぼ酒をふりかけ、間にホイップクリームとさくらんぼを挟み、最後に表面を削ったチョコレートで飾ってあります。もちろん毒などは入っておりません……」
念のために、説明申し上げておりましたが、
「美味しいいいいいいい!」
「という解説を聞く前に、もう食べ終わってらっしゃいますね」
まだもぐもぐしていますが。
誰からも手を付けられなかったケーキがようやく、ケーキとして本分を全うできて、よかったよかった、というところです。
「最高、もう最高。この紅茶も、美味しい!」
「特注のダージリンです」
紅茶は、更に淹れ方にもこだわっております。
「いい香り」
と、シャルロッテ嬢は、カップに口を付けて、紅茶を飲み、
「あああああ幸せええええええ」
とても、これから処刑されるとは思えない言葉です。
「なによりでございます」
「なんか、あなたが、私の執事だったらよかったのに」
ぶつくさ文句を言うように、そんなことを言ってきました。
お皿を見つめているその目は、まだ足りない、といっているようでした。
「さっきまで文句言ってたのに。ケーキ目当てですか」
「ヒロインの執事なんて、攻略対象じゃないから、興味ないけどねー」
なんだか失礼なことを言われた、ということだけは分かりました。
軟禁された部屋の中で、シャルロッテ嬢は、ケーキを食べながら、初めて、泣きました。
「大丈夫ですか?」という私の問いには答えず、
「なんでこうなっちゃうの……王子たちとは、仲良くしてたし、フラグ回避のために、出来ることは何でもやったのに……なんで……?」
甘いものを食べて、張り詰めていた気分が緩んだのでしょうか。
華奢で細い身体で、レープ嬢や王子たちと、たった一人で戦ってこられたのです。
そして、その身一つで、民衆全ての貴族に対する怒りを受け止めようとなさっている。
彼女にとって、周りは、全て敵だらけだったのです。
「ブラート様……」
それでも、シャルロッテ嬢は、ブラート王のことを、本気で好きだったようでした。
「ビジュアルもよくてボイスもエロくて完璧、最推しだったのに……!」
などと、時折、意味不明なことを口走っており……
そんな事を話しているとき、軟禁場所に、レープ嬢がやってきました。
既に、勝ち誇った顔をしていらっしゃいます。男性ならば誰も放っておかない、輝かんばかりの笑顔です。
「やっほー! 元気? もしかして、泣いてた?」
普段はそんなことないんです。
普段は、もっと優しいはずなんですが、なぜか、シャルロッテ嬢に対してだけは、レープ嬢は優しさの仮面をかぶることなく、とことんまで自分の内面をさらけ出します。
「そんなわけないでしょう。私を誰だと思ってるんですの?」
流した涙と鼻水をずずずずっと引っ込めて、シャルロッテ嬢が気丈に応じます。
しかし、レープ嬢は、目の前に用意されていたティーセットを見て、
「これ、用意したのアルベルト?」
「私です」
と、キツく問い質されました。
「ふーん。処刑される直前にケーキを食べる食いしん坊」
「うるさい!」
「ホント、予想もしないことやってくれるよね」
やれやれ、とでも言わんばかりの態度で、レープ嬢が言います。
「……ブラートは元気?」
「元気だよ? ちゃんと、王様になって、その後、ちゃんと王権返上したから、ご心配なく」
「そう。よかった」
心底安心したように、そう言いました。
このとき、シャルロッテ嬢は、一つの決意を胸に秘めていました。
「最後のフラグを回避する」
シャルロッテ嬢の処刑は、貴族主義の象徴であると言うこともそうですが、ブラート様を巡ってのレープ様との対立も手伝って、スキャンダラスに騒ぎ立てられている節があります。
であれば、そこから逆転する方法は一つ。
「レープに頭を下げて、土下座でも何でもして、許してもらうしかない」
これは、最後の賭けであり、最後のフラグ、なのだそうです。
ただし、ゲームの中では、一切の命乞いは無駄だったとのこと。
どうあがいても、悪役令嬢シャルロッテの運命は決まっているのです。
シャルロッテ嬢は、私に、というわけでもなく、状況を整理しているときに、そのように話しておりました。
しかし、それは既に、レープ嬢にとって、先刻ご承知でした。
「ねえ。もし、私に命乞いするつもりなら、絶対に聞く気ないから。そもそも、誰のせいでこうなったか、ちゃんと理解してる?」
そう言われて、シャルロッテ嬢は、ハッとします。
「でも、私は……!」
「言い訳すんな。黙れ。ふざけんな」
あまりにもはしたない言葉を吐き捨て、レープ嬢は、シャルロッテ嬢を断罪しました。
「……そう、だよね。そうだ」
にっこりと、
「観念した?」
それは、今までに見たことがない、レープ嬢の顔でした。
「命乞いはしない。こんなフラグに意味があるとも思えないし」
シャルロッテ嬢も何かを悟ったようでした。
「フラグねえ。処刑の前に、私があなたを殺すのはどう? 今までの恨みも全部、返してあげる」
「何言ってるの?」
レープ嬢が、部屋の中をキョロキョロと見渡します。
何かを探すように。
「お嬢様。おやめください」
「どっちにしても処刑されるんだから、同じでしょー?」
レープ嬢は、ケーキ皿に載っていた、ケーキ用のナイフとフォークを手に持ちました。
「ふざけないでよ!」
レープ嬢が、ナイフとフォークを持って、シャルロッテ嬢に襲いかかりました。
シャルロッテ嬢が、間一髪避けます。
このままではいけないと、私は、お二人の間に入って、レープ嬢からナイフを取り上げました。
残ったフォークを振りかぶったかと思ったら、そのフォークを軽く放り、シャルロッテ嬢は、思わず受け取りました。
その途端、レープ嬢が、突然泣き出しました。
誰か人の気配がします。
部屋の入り口を見ると、ブラート様が入ってきました。
「レープ! これはどうしたんだ!?」
「シャルロッテに、襲われて!」
「はああああ!?」
このとき、ブラート様に見えたのは、刃物を持っているシャルロッテ嬢と私の姿、そして、刃物を持たず、泣きじゃくっているレープ嬢の姿でした。
私は、シャルロッテ嬢が持っているフォークを、すかさず奪いました。
「アルベルト、お前が手に持っているのは何だ?」
「ナイフとフォークにございます。ブラート王。僭越ながら申し上げますが……」
私の抗弁は、言下に否定されました。
「ならん。それに私はもう王ではない。一人の貴族院議会の議員だ」
「了解しております。ですが——」
レープ嬢は、更に追い打ちをかけてきます。
「そのナイフとフォークで、私に襲いかかってきたの! そのために、アルベルトがここに持ってきたんです!」
まるででたらめです。
ですが、この場は正当性を主張する法廷ではありません。
証拠は必要なく、ただ、裁判官が納得する答えを提供できればいいのです。
「ふざけんなよ、お前!」
気持ちは分かります。
が、それでは、裁判官の心証は最悪になってしまいます。
「シャルロッテ! 仮にも貴族の令嬢が、なんて言葉遣いを!」
ブラート王子は、完全に、レープ嬢の思ったままの状況を受け入れました。
「だって!」
更に抗弁しようとするシャルロッテ嬢の言葉は、シャットアウトされました。
「ええい、黙れ。かつては婚約者だった身。なんとか助命のために話をしたいと思って来てみたが、事ここに至って、一切の同情はない!」
「誤解です! 私は、本当にあなたのことを……!」
「黙れと言っている!」
ブラート様は、そういうと、シャルロッテ嬢に向かって、つばを吐きかけました。
「唾棄すべき女性だ。お前がそんな人だとは思わなかった」
つばを吐きかけられたシャルロッテ嬢は、もう、動く力もありませんでした。
「ブラート……どうして……」
そして、裁判官の矛先は、私にも向けられました。
「それから、アルベルト。お前のような裏切り者の執事はもういらない。私の名において、クビにする。いいね、レープ?」
「もちろん!」
クビになってしまいました。
「ブラート……そんなに、その女が良いの?」
シャルロッテ嬢が、すがるようにブラート様を見つめます。
が、そんなまなざしは、ブラート様にはまったく通じませんでした。
「何を言ってる。僕は正義がある方の味方をしているだけだ」
「私があなたのその顔を、その声を、どれほど画面の中で見つめ続けたか……」
シャルロッテ嬢のその言葉は、ただ一言、
「きもっ」
レープ嬢のはしたない感想の言葉で、切り捨てられました。
「いい加減、目を覚ましてよ、ブラート!」
「汚らわしい貴族の娘よ。二度とその汚れた口で私の名を呼ぶな」
ブラート王子は、養豚場で豚を見るかのような冷たい目で、シャルロッテ嬢を切り捨てました。
「処刑は一時間後。処刑方法は、もっとも人道的な処刑、ギロチンと決定した。もはやこの運命からは逃れられないと思え!」
「可哀相なシャルロッテ。同情してあげるね!」
ケタケタと笑いながら、レープ嬢はブラート様の腕に自分の腕を巻き付けました。
そして、二人は部屋を辞しました。
残された部屋の中で、私は、ナイフとフォーク、ティーセットなどを片付け始めました。
「……大丈夫ですか?」
顔を上げることもできずに、ただ椅子にもたれかかって座っているシャルロッテ嬢に、声をかけてみました。
「黙ってて。出てって」
「ですが」
「出てってよ!」
こちらを一瞥もせずに、シャルロッテ嬢は、言葉を発していました。
「……かしこまりました」
このまま部屋を出ようと思ったのですが、ふと、
「もしよろしければ、先程のケーキ、まだ残っておりますが」
聞いてみました。
「シュヴァルツヴァルダーキルシュトルテ……」
しっかりと覚えていらっしゃる。
「お召し上がりになりますか?」
「……食べる……」
私は執事です。
どのような状況でも、きちんとしたサーブを心がけております。
再び、ケーキとティーセットを、ご用意いたしました。
「どうぞ。毒は入っておりませんから」
「気が利かない人ね。こういうときは、毒を入れておくものよ」
軽口なのか、本気なのか、どちらとも付かない様子で、シャルロッテ嬢は言いました。
「……実は一瞬考えました。でも、やめました」
「どうして?」
純粋な疑問だったようなので、ゴホン、一つ咳払いをして、申し上げました。
「この世の中には、美しいもの、美味しいものが存在します。それは、人を幸せにするものです。それを、冒涜するようなマネは、私には出来ません」
その時ようやく、シャルロッテ嬢が、ずっと伏せていた顔を上げてくれました。
柔らかな微笑み、穏やかな口元。そして何より、優しい眼差し。
シャルロッテ嬢を、とてもお美しいと認識したのは、この時が初めてかも知れません。
「そうだね。ケーキは悪者じゃないもんね」
ほんの少しだけ、明るさの戻った声で、シャルロッテ嬢は言いました。
自然、私も笑顔になってしまいます。
「皆様にご満足いただけるよう、努めております」
ちょっとだけ首をかしげてから、シャルロッテ嬢は、思いついたように訊いてきました。
「ねえ、一つ聞くけど。『SUGAR SUGAR』って、知ってる?」
?
「いえ。何のことですか?」
「なんでもない」
そりゃそうだよね、とぶつくさ言いながら、続けて、
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「何なりと」
「一人にしてくれる?」
「仰せのままに」
私は、シャルロッテ嬢の言葉に従い、部屋を辞しました。
一人きりになった部屋の中で、シャルロッテ嬢は、改めてフォークを手に持ち、ケーキを口に運びます。黒いケーキを、一口で、まるごと。
「美味しいよおおおおおおおおおおおおお」
もしゃもしゃもぐもぐ食べながら、シャルロッテ嬢は、ケーキはこぼさず、ただし、ボロボロと大粒の涙をこぼしていらっしゃいました。
処刑場には、既にたくさんの人が集まっていました。
シャルロッテ嬢は、軟禁場所から連れ出され、馬に乗せられ、市街を一周させられました。無血革命でありながら、これまでの貴族文化の終焉を告げるために、嫌われ者の悪役令嬢が処刑されるのです。市内全ての住民が、見物人になりました。市内中の民衆たちが、街の中心部の処刑場に集まってきたのです。
処刑台の真ん中には、大きな刃を持つ、ギロチンが、鈍く固い光を投げかけていました。
最も人道的な処刑方法だと言われる、ギロチン。
中世期の処刑方法は、残忍なものが多く、長ければ数日かかるような処刑もあり、いかに罪人とは言え、あまりにも苦痛が続くのは、人道的に間違っている、という観点から、大きな刃が一瞬でクビを切り落とすギロチンは、痛みが一瞬で済むため、人道的、といわれたりします。
が、どのような方法だろうと、残酷は残酷です。
処刑場の周りには、民衆たちと同じく、ブラート元国王、レープ嬢、そして、元王子の三人、ヴァイス、ビアシンケン、カリーたちの姿もありました。
一人の女性の命と引き換えに、自分たちの命を守った、如何にも男らしい連中が、真面目な顔した間抜けな雁首を揃えていました。
本人たちが威厳を持っているように振る舞っているのは勝手ですが、民衆からは、そのように見られていました。大衆というものは、権力を持った人間を、決して心から敬いはしないのです。
シャルロッテ嬢は、抵抗する気力もなくなったのか、民衆たちのもつヘイトの声に押し負けたのか、一歩ずつ確認するように、処刑台に近づいていきました。
フラグは、もうありません。
この処刑は、回避できません。
既に執事としての仕事を解任された身の私は、自由になりました。
自らの自由を行使して、私は、シャルロッテ嬢に近づきました。
「これはきっと、まだ、最期じゃない。最後のゲームじゃない」
シャルロッテ嬢は、何かをつぶやきます。どういう意味かは分かりません。
私は、思わず、シャルロッテ嬢に向かって言いました。
「シャルロッテ様。お一人では行かせません。私がお仕えし、お供いたします」
何故そんなことを言ってしまったのか。自分でもよく分かりません。
しかしシャルロッテ嬢は、私の言葉に微笑んだだけで、答えは返してくれませんでした。
そして、ギロチン台に頭をもたせかけました。
執行人が、シャルロッテ嬢の罪状とされるものを読み上げます。
貴族たちがこれまでに行ってきた悪行が、シャルロッテ嬢に関係あるないに関わらず、いえ、およそ関係のないことが、時間も場所もでたらめで、生まれる前のどこの誰とも分からない人の罪までも、全て背負わされる、あまりにもむちゃくちゃな罪状でした。
そして、執行人の言葉が終わった後、議会の代表として、ブラート様が、高らかに処刑の正当性を宣言いたします。
「この革命を成就させるのは、我が妻であるレープを苦しめた貴族の象徴! シャルロッテ・フォン・アプフェルの血!」
そして、シャルロッテ様に、最後の慈悲をかけます。
「最後に何か言い残すことはあるか?」
シャルロッテ嬢は、一切の抵抗はせず、ただ一言、こう言いました。
「私の名は、シャルロッテ・フォン・アプフェル! 美味しいケーキを食べたいの!」
その時、ギロチンの刃が、落ちました。
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