10 鷹城秀一 ――記憶喪失――



 病室の前に、急いで走って来た関を迎えて、相変わらず感情の読めない表情で橿原が立つのに。

「橿原さん」

「関さん、はやかったですね」

「それで、鷹城は何と?」

淡々と問う橿原を無視して、急いで関が問うのに。

 冷ややかとも違う、淡々とした声と視線で橿原が言葉にする。

「それなのですが、関さん」

「…どうしたんです?まさかまた容態が、」

驚いて、必死に見ていう関に、廊下に佇んで病室を眺めながら橿原が答える。

「容態は落ち着いています。問題なのは、記憶です」

「記憶?…橿原さん?」

「では、診察も終わったようですし、いきましょうか」

「…橿原さん?」

鷹城の病室から出て来る医師達と、廊下の反対側に立つ制服警官に一礼して、橿原が先に歩き出す。その後を慌てて着いていきながら、関が病室の扉を潜る。

 白い病室は、明るい日射しに満ちていた。

 その中に関が目を凝らし、半身を枕に支えられて起こしている鷹城の姿を見つける。

「…―――――」

息を呑んで、その呑気な笑顔が見返しているのに、関が声に詰まるような顔で見返す。

 何を云うこともできずに見つめる関に。

 のんびりと、鷹城があくびをして。

「やあ、あれ?橿原さんにきみまで。どうしたんですか?」

ギプスをつけた右足に、まだ左腕から点滴を受けている以外は。

蒼白い顔色ではあるけれど割に平然としてみえる鷹城に迎えられて、関が思わず睨んでから橿原をみる。

「どういうことです?普通じゃないですか、記憶がどうとかって、」

「別にちゃんと憶えてますよ。大丈夫です。けど、まあ、…。肝心な処がぼけちゃってるんですけどね、まったく」

「…肝心な処?」

橿原を睨んでいう関をいなすように、軽くいう鷹城に関が睨む。

「おまえな?何を軽く、」

怒って云い掛ける関に、橿原がその背後でのんびりとくちにする。

「そう、肝心な記憶が抜け落ちているそうです。鷹城君は、自分を襲撃した相手を憶えていないそうなのですよ」

 関が鋭く鷹城を振り向く。

「…何だって?どうしてそんな間抜けなことになるんだ?襲った相手の顔を憶えてないってのか?」

睨む関に、鷹城がふくれる。

「ひどいな、間抜けってね?きみはね、」

「うるさい、間抜けは間抜けだろ!どーして憶えてないんだよ!少しは思い出せ!」

「まあ落ち着いて、関さん」

感情のこもらない橿原の声に、関が振り向いて睨む。

 その隙に、鷹城が横を向いて、――――。

 くちを噤み、無言で壁を見つめる鷹城の気配に、関が振り向く。

 横を向いたまま、鷹城がぽつり、と云う。

 握る手が白いことに、関が無言で眉を寄せる。

「―――…というより、衝撃のせいか、襲われたこと自体を何も。僕も情けないんですけどね」

「…――――」

言葉の無い関に、後ろに立ったまま淡々と橿原が云う。

「衝撃を受けた前後の記憶を喪失することはよくあることです。交通事故などでも、受傷した前後の記憶が抜け落ちていたりすることはよくあります。しかし、この場合は困りましたね」

ちら、と橿原がみるのに鷹城が溜息を吐く。

 関も眉を寄せて鷹城を睨むようにする。

「そういわれましても、橿原さん。僕の記憶は、こうして病院で先程目覚めてからと、あの村を訪ねていこうとした処までしかないんです」

「じゃあ、襲われてあの小屋に監禁されてた間の記憶はないのか?」

「それ以前で、村に行こうと思ったことまでは憶えてるんですけど」

「…まったく役に立たないじゃないか」

「あのね?…何で橿原さん、関がここにいるんです?」

眉を顰めていう鷹城に、橿原があっさりと云う。

「ではやはり、君は関さんと僕が、君を救出した際のことも記憶してはいないのですね?」

「…――――御二人が?…その、橿原さんの手をどうして煩わせて、――――それに、きみがなんで?」

「…たまたま居合わせたんだよ!」

驚いてみあげる鷹城に、関が睨んでから横を向く。

「橿原さん、自分はこれで、…証言が取れないんだったら、」

「待ちなさい、関さん。では、これは憶えていますか?鷹城君」

橿原がしずかに訊ねる。

 息を呑むようにして、関は何故かその問い掛けに鷹城を見詰めていた。

「君は、誰を訪ねてあの村を訪れたのですか?」

「――――…」

思わず無言で見返す鷹城を、橿原の読めない眸が見つめ返し。

そうして、その橿原と鷹城に、言葉を失くしたように関もまた、無言で見詰めていた。




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