第24話

 月は細いはずだが、『記念館』の廊下から外は見えない。

 通路側には窓がないのだ。

 いま、テノチカ神威少佐とオリエは、アタカウカ将軍執務室の扉のまえに立って周囲を警戒している。

 右手の表玄関も左手の裏口も、施錠していない。

 待避してくる味方の兵士を受け入れるための措置だった。

 敵に対しては無防備に見えるが、これについては鍵などほとんど意味をなさない。

 むろん、『記念館』はインカ様式の土台に七十五ミリ戦車砲程度なら数発命中しても持ちこたえられる特厚の鉄筋コンクリート製であり、外と繋がる扉はチタン製だ。

 弾道ミサイルでも直撃しなければ倒壊しないだろうが、それはあくまでも物理的な攻撃に強いという意味でしかない。

 七年前に国王支持派は、近代兵器での戦闘、と言う意味では組織的抵抗力を失ってしまっている。

 いま、彼らの装備しうる近代兵器は、機関銃、対戦車砲がせいぜいで、もちろんそれだとて街中で使われたなら脅威だが、すくなくともこの『記念館』を攻撃するのなら力不足だ。

 そして、この『記念館』を守る者にとっても、近代兵器はさしあたっての脅威ではない。


 テクシステカトルは虚飾に溺れ熱を恐れた

 汝にふさわしき血を珊瑚の針にて捧ぐ

 炎より出でませ、まだらの獣よ

 


 テノチカ神威少佐が制服のガウンの内側に挿していた珊瑚の針で、自分の手首に傷をつけた。

 暗色の制服の袖から覗くのは、たくさん傷のついた手首だ。祭祀を行うたびに傷をつけているのだろう。いまも血の珠がいくつも浮かび、廊下の床に流れ落ちる。

 不意に、炎が起った。

 音もなく、おそらく熱もない幻の炎。

 が、そこから現れた獣は質量を持っている。

 ネコ科の獣、月神テクシステカトルの従者ジャガーだ。

「なんかこう、スゲえな。なんにもないとこから使い魔みたいなの出してくるの。それってさ、人間の生贄とか捧げたら、神様も喚び出せたりするわけ? ぐわってどっかから現れて、敵をボコスコ倒してくれるとかさ」

 オリエが周囲を見回しながらテノチカ神威少佐に話かけた。

「不敬なことを言うな。化け物め」

 少佐は喚び出したジャガーに手首から流れる血を舐めさせながら吐き捨てた。

「神は使うものではない。伏して願い、生贄を捧げてちからを貸していただくものだ。神々は気まぐれで、我らが身を慎み努力してもなお、必ずちからを貸していただける保証もない。まして神々を直接呼び出すなど、赦されるはずもないし、あってはならない」

「そっか、まあそうだよな。ごめん」

 オリエが不機嫌な少佐に頭を下げる。

 オリエのそんな態度に、なぜかテノチカ神威少佐は眉に皺を寄せた。

 どことなく、困惑したような顔だ。

「え? なんでその反応?」

「いや、こうすんなり謝られるのも気味が悪い」

「は? 意味分かんねえけど……言っとくけど本気で謝ってるんだぜ? レオの奴がさ。こういうのうるせえんだよ。このまえみたく敵に追いかけられてんのに『穏便に』とか、あいつはときどき無茶言うけど、オレよかずっと頭が良いし、真面目なんだ。え~なんてったっけな。『宗教や生活習慣のことで、おかしく感じたこと、不思議に思ったことを相手に伝えても良い。もちろん違うと思えば自分はそれに従わなくてもよい。けれども、相手が不愉快だと感じることを言ってしまったら、すぐに謝るべきだよ』ってさ。あいつの言ってることはだいたい半分もわかんないけど、でも、まあ合ってるんだよ」

「レオ……あの、掠われた男か」

「そう」

「おなじ国の者にも、もっと便利な、強いちからを使えとはよく言われるが……異国の者でも、我らが神々に敬意を示してくれる者はいるのだな」

「あんたも苦労してんな。名前からして、王族だろ? いま、どっかに亡命してるって聴いてるけど……あんたがなんでこっちにいるか知らねえし、オレだってそんなスゲえことできるんならもっとちからの強いやつ喚び出して戦えば、話は簡単だろって思うけどさ、でも、オレにはよくわかんないけど、出来ない理由があるんだろ。レオはそういうの分かってるやつなんだ。いいやつなんだよ。だから生きてたら助けてやってよ」

「そうだな……そうしよう」

 テノチカ神威少佐が頷いたときだった。

 キーン、と、空気が張り詰めた。

 実際に音を立てているわけではないが、ふたりの耳にはその変化は、音となって感じられたのだ。

 べちゃ

 鍵のかかっていない扉から、赤黒いものが投げ込まれた。

 上階で、ドスン、ドスン、ドスンと重い物が落ちてくるような音が続く。

 べちゃ、べちゃ、べちゃ

 続けてみっつ。

 表玄関、オリエたちのところからは距離があって見えにくいが、投げ込まれると同時に密度を増す血の臭い。

 床に広がって行く紅い水が一筋、オリエたちのほうにまっすぐに向かってくる。

 じゃらじゃらと、どこかから鎖の音が聞こえてくる。

 血の鎖を手足に絡ませて立ち上がる、おおいなるものの影

「ミシュコアトル!」

 テノチカ神威少佐が呻くように言った。

 咆哮

 かろうじて人の形をしていた。

 通路の天井すれすれに頭がある。

 白塗りの肌に血の色の縦縞。漆黒の仮面から、ギラギラと輝く瞳がテノチカ神威少佐とオリエを見詰めていた。

 弓手に持つ弓を弦のように弾き、ガアア、と雄叫びを上げている。

 そして、首と足首に鎖枷をつけている。

「はっはあ」

 オリエは表情を輝かせて、口笛を吹いた。

「あっちはあんたみたいには考えてねえってことだよな。つまり、悪者だ」

「……第十四の月紅鳥ケチョリの祭神、狩猟と戦いの神ミシュコアトル。ケツァルコアトル神の父神の神格をあのように貶めるとは! オリエ! 紅い鎖の先におそらく敵の神官テオピシュキがいる。わたしがここを守っているうちに、その者たちを倒してくれ。それでこの神は解き放たれる」

「そいつら、喰って良い?」

「いいさ、こんな最悪の不敬、神官テオピシュキの名に値しない。万死をもって贖うべき罪だ」


*


 キン

 と空気の張り詰めた音を、シワトルもまた聴いた。

 アタカウカ大将軍とともに執務室の椅子に座り。耳を塞ぐ。

 もちろん、それで音が聞こえなくなることはなかった。

「怖いのかね?」

 アタカウカ将軍がシワトルに問う。

 防弾ジャケットを着込み、手には銃剣付きのアサルトライフル。

 人界というよりは神界に属するものたちに対しても多少は効果を持つように、テノチカ神威少佐の儀式済みの銃弾を装填している。

「怖いです」

 シワトルは震える声で、しかし、はっきりとそう言った。

 シワトルもまた気休めに防弾ジャケットを着て、手にはオリエから預かった冥界ミクトランの笛を持っている。

「でも、泣き叫んでも助からないから。助けてくださるみなさんの迷惑にだけはならないようにします」

「十五歳のお嬢さんにそんなふうに言わせるとは、儂もまだまだだな。しかし、シワトル嬢、貴女の勇気に感謝しよう」

 執務室の窓の外、紅の鳥がキシャア、と鳴いた。

 

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