第21話
連れてこられたのは外国人の稀梢でも知っている建物だ。
観光施設ではないし、写真撮影なども禁止されているのだが、アタカウカ将軍の肖像の印刷されたお札に、背景として描かれている。
まじまじと見て記憶に留めているような建物ではないが、なんとなく、輪郭は記憶している……どこかで見たような……と、だれしも思う建物である。
旧王宮の離れ、アタカウカ将軍の起居するという
ただし、仮にテパネカ共和国の住民に「なんの記念館か」と尋ねても、おそらくだれも答えられないのではなかろうか。
革命だろうか?
革命を記念する建物なら、いまはまだ計画段階だが、ヤヴィラクの丘に建てることになっている。
近代的陸軍創設を記念して、ということだろうか?
その可能性は高いが、退役軍人に尋ねたところで、この建物にそれらしい展示品が飾ってあるという情報は得られない。
ともあれ、キトでの王国支持派との攻防戦の際には総司令部にもなったし、いまもアタカウカ将軍の私邸のようなものだから、たしかに何らかの記念的な建物であろう。
「それで、君たちのお仲間のひとりが掠われたのだね」
驚いたことに、シワトルたちを出迎えてくれたのは、アタカウカ将軍その人だった。
シワトルたちは一階の奥の部屋に通される。インカ様式の土台に鉄筋コンクリート造の二階建て構造物をのせた無骨な『記念館』は、広々とはしていたが、ほとんどの部屋は使われていないようだ。
それなりに金をかけた調度に、暖炉のうえに架かった来訪客を威嚇するようにおおきな肖像画。
もう軍職も『大将軍』などという名誉職になり、軍の実務は将軍以下、すべて部下が行っている。
行政と立法は去年選出された大統領と議員の管轄であり、旧王宮で行っている。
テパネカ共和国は国内外に問題を抱えているとは言え、もう彼が最前線に立って解決しなければならないわけではなく、各方面から革命の象徴的人物として命を狙われていることを勘定に入れなければ『楽隠居』と表現してもいいはず……なのだが、それでもこの執務室には、電話、無線など、一通りの機材が揃っている。
シワトルたちはこれまでのことを話した。おもに説明したのは稀梢で、ちゃっかりしたことに最初に『これから話す内容にテパネカ共和国の法律に抵触する部分があっても不問に付す』という約束を取り付けたうえで話している。
その約束がないと、彼は王国支持派の違法祭祀に参加した件で逮捕されかねない。
アタカウカ将軍は、お札の肖像そのままの印象だった。
皺深く、しかしまなざしは猛禽のように鋭い。
老いてはいてもがっしりした身体をかっちりした軍服に包み、ゆるみもなく背筋を延ばして椅子に座って話を聞いている姿は、とても七十歳には見えない。
「ええ、さらわれたのはレオニード・ハレスさんといいます。サンパウロ大学の研究者だと仰ってました」
将軍と向かい合うかたちでゆったりした肘掛け椅子に座った稀梢がそう答えたとき、アタカウカ将軍のまなざしに影が射した。
が、一瞬のことだ。
「その者については、いましばらくは無事だろう。我々も全力で捜索にあたるが、そのうち相手からキラチトリの娘と交換するよう連絡があると考えられる。もしくは、次の十五の月
アタカウカ将軍はそこで一呼吸置き
「彼らは『新しい世界の祀り』とたしかに言ったのだね?」
と、シワトルにたずねた。
シワトルは「はい」と、おおきく頷いた。
「間違いありません」
「まったく、我らが神々をどこまでも愚弄しおる。
アタカウカ将軍が、ふ、と短く
その笑貌は、なにに対するものだったろうか。
「くわえて、我が軍がかなりの時間と人員を費やしても尻尾がつかめなかったものを、おまえたちのようなものがやすやすとみつけるとは。儂の部下たちはなにをやっておるのか」
部屋の入り口に控えている神官イツコアトル・テノチカが、胸に手をあて、顔を伏せる。
『申し訳ございません』という意思表示だろう。
「あ、そういう言い方ないとおもうぜ? 『おまえたちのようなもの』ってなんだよ? べつにフツーだよ、オレら」
「いや、『ふつう』はちょっと違う気がする。もちろん、善良な市民であろうとは努力はしてるけどね」
稀梢は苦笑いしてオリエの抗議について混ぜ返した。
もちろん彼が『善良な市民』であったためしはないのだが。
「いや、すまん。若きキラチトリと、異形の者ふたりの組み合わせはさすがにめずらしくてな」
アタカウカ将軍が相好を崩す。今度の笑みにはさきの嘲笑の気配はない。
「分かるんですか?」
稀梢がやや驚いたような顔をして問うた。
「わからいでか。そこのテノチカ神威少佐と違い、儂には神のおちからを借りるほどの能力はないが、儂も神官の血統だ。『姿』を見極める程度の目は持ち合わせておる。この国では、アステカ王国時代から、神官の血統は祭祀を統括するのみならず、軍事・行政について王に進言する権限を有していたのだ。神官のちからとは、神と交感し、ものごとの本質を見極め、危険を避け、よりよい道を示すことだ。異質を感じ取るちからでもある」
アタカウカ将軍はそう言うと
「君たちは儂にはどう見ても人間には見えん」
そう付け加え、にやりと笑った。
「この件では我々が何者なのかというのはあまり本質的なことではないと思いますが、いちいち説明しなくてよいというのは、助かります」
稀梢がにこりと笑う。
「それで、『新しい世界の祀り』とはなにか、とお伺いしてもよいでしょうか?」
稀梢の問いに、テノチカ神威少佐が目を見開き、口を開きかけた。しかし将軍が彼に対して制するように手を振ったことで、す、と表情が消える。
「聴いてどうするのかね」
「興味がある、では不謹慎ですか? 長年、祖国で史書を編纂する仕事をしていたもので、もう仕事から離れて久しいのですが、どうも気になってしまって」
「まあいい。では、情報の交換といこう。儂は君たちがどうして冥界の笛を持っていたのか、我らの祭祀に使う薬物の知識を持っていたのかが知りたい」
稀梢がちらっとオリエに目を遣った。
「オレはいいぜ。べつに隠すような話じゃねえし」
「なら、私たちの回答は、一と半分、というところですね。薬草の知識を持っていたのは私ですが、『以前、別のところで同じようなものを見た』としか申し上げられません。私はあなたのことを完全に信用できてはいませんから、これ以上のことを明かして、『別のところ』に迷惑がかかってもいけない」
「正直なことだな。が、そのくらいの慎重さは必要だ。その『別のところ』の御仁には、いまこの国には足を踏み入れんことだと伝えておいてくれ」
将軍は稀梢の物言いを非難しなかった。
「オレが持ってるこいつはさ、ダチの形見なんだよ」
続いてオリエが話し始めた。彼の話はこうだ。
むかしオリエがまだひよっこで、自分がピシュタコだという自覚もなかったとき、カトルという友人がいた。
山奥暮らし、カネになるのはコカ栽培くらいしかない村で、家族がコカインの売買で破滅していくなか――オリエの家族はおそらくただの人間で、異質なのはオリエだけだった――オリエはカトルに救われた。
とはいえ、カトルの忠告があってもオリエは自堕落な生活を改めず、カトルが時折、持ってきてくれる金細工を街で売って遊びほうけていた。
むろんそんな生活は続かない。
分不相応な金無垢を持ってきて売るガキ、ということでギャングにつけ狙われたオリエは、またしてもカトルに助けて貰ったのだ。
ギャングに村まで乗り込まれ、金無垢の在処を教えろと、村人全員を殺されそうになったとき、カトルがギャングに提案したのだ。
「わたしが財宝のある場所に案内しよう」
と。
そこからはオリエには分からない。
その夜、大風が吹き荒れ、カトルがギャングたちを連れて登っていった山が崩れた。
ギャングたちはだれひとり帰ってこなかった。
カトルも。
「オレ、何度も山に入って崩れたとこ掘って探したんだけど、ギャングも、カトルの死体も見つからなかった。見つかったのは、これだけさ。川底に落ちてたんだ。たぶん、土が雨に流されたときに一緒に川まで流されたんだろうさ。これはカトルが持ってた煙管の吸い口に填めてあったんだ」
――で、土津波で村道も埋もれちまったし、生き残った村のやつらの面倒見たり、カトルのこと探し回ってたりしたら、いつの間にか百年経ってたってわけよ。
「なるほど、とすると君はその笛が、なんの笛か知らなかったというわけだ」
「笛だってのもはじめて知ったよ。シワトルちゃんが吹いて、っていうから、あ、これ吹けるんだってね」
「カトルと名告る者が、実際、どこのだれだったかも?」
「知らね。オレがほんとに
「良い友人を持ったな」
アタカウカ将軍はなぜか感銘をうけたように、嘆息する。
「だろ? オレ、運が良かったのさ」
「君も、その、カトルと名告る御仁も、だ。で、君の故郷はどこだね?」
「ミリングアナの海側の麓の村、ってったら分かるかい? オレらはテオナッパって言ってたけどたぶん地図には載ってないと思うぜ。なんせ百年前に村道が潰れてもだれも助けに来なかったような村さ」
「……海側か、さもあらん」
将軍が考え深く頷いたときだ。
「大将軍、賊です」
と、テノチカ神威少佐が緊張した面持ちで、顔を上げた。
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