第20話
「電話を掛けてみたんだよ」
と、脳天気に稀梢は言った。
いま、鳳稀梢とシワトル、オリエはテパネカ共和国陸軍の用意した装甲車に乗っている。
稀梢は東方人にしては大柄だが、南米基準では平均的、シワトルは小柄で、とくに不便はないが、細身ではあっても身長は二メートル近くあるオリエにはこの装甲車の室内は天井が低すぎて窮屈そうだった。
道幅の狭いキトの街用に作られているため、いま乗っている装甲車は見た目は小ぶりで可愛らしい。また、車内は人員にして六名程度が移送できるようになっている。軍用のワゴン車、といったところだ。武装は大型の旋回砲塔などはないが、機銃が装備されている。装甲の強度こそ低いが、出力荷重比などの性能は戦車に近い。
レオニードは掠われてしまった。
店は陸軍兵士が包囲していた。出入り口は全部塞いでいたはずだった。なにより、共和国の神官も味方して術を張っていた。
が、あの店内にいた女と、数名の神官たちはレオニードとともに煙のように姿を消してしまったのだ。
心配ではある。
しかし、あとを追うにも手立ても、どこに行けば良いのかも分からない。
だからいまは共和国側の神官に従って、この車に乗っている。
「君に教えて貰った温室の草木を、私は別のところで見たことがあってね。たぶんあれは南米の祭祀用のものだから、あのホテル自体が王国支持派と繋がっているんじゃないかと予想した。で、王国支持派の情報を陸軍が求めてるって、ラジオニュースで言ってたから、その番号にかけたんだよ。ホテルに行く前に」
――単に、政府のお墨付きがあれば――あ、『お墨付き』っていうのは、後ろ盾とか、口添えとか、認められるってことで、『墨』は、私の国では筆記用に使う木炭で作った固形インクの一種なんだけど――先払いした宿泊費の返却とか荷物が燃えてたら弁償してもらうとかいう交渉が有利に運ぶんじゃないかと思っただけなんだけど。
—―そしたら、ホテルどころの話じゃなくなっちゃってね。
稀梢は、はは、と気まずそうに笑う。
「至急、シワトルさんを保護する必要があるっていうことでこんなことに」
「ホテルにも兵士は派遣されている」
稀梢の話を補足するように、装甲車の助手席に座っている神官が割り込んだ。
厚いフロントガラスに映る顔立ちは、いまだ二十歳代に見えた。明るい小麦色の肌と濃い茶色の髪。髪は神官職であることを示して革紐で括られている。
アステカ教神官は優秀な戦士でもあるため、軍服を着ていても引き締まった身体をしているのが見て取れる。すこし青ざめた顔色なのは、さきほどの術でかなり血を流したからだろう。
「必要な取り調べは行っている。それとは別に、貴殿の荷物や宿泊費については共和国が補償する。心配するな」
稀梢が、やった、とばかりにこぶしを握った。
「けどさ、なんでシワトルちゃんがホテルにいるって分かったんだろうな。ホウ、あんたシワトルちゃんは男の名前で宿泊者名簿書いたんだろう?」
「そうなんだけどね」
稀梢はちょっと思案するように片目を瞑った。
「たぶん、早朝に彼女が小物買いに出た、あのときにバレたんじゃないかな。きのうの夜は平穏無事に眠れたってことは、その時点ではまだバレてなかった可能性が高い。あの朝の時点では私の術も効果がなくなってたからね。ホテルのフロントに王国支持派で彼女の顔を見たことのある人がいたのか、小物を買うときに部屋番号を確認したかも知れないから、そのとき偽名で宿泊していることに疑問を持ったのか。彼女は朝食もレストランでは食べなかったし、タイミングとしてはあのときしかない」
「……ごめんなさい」
シワトルが小さくなって謝る。
あの店でシワトルが口にしたのがホットミルクだけだったから、薬による酩酊から醒めるのは早かったとはいえ、まだ影響が残っているのもあるし、レオニードが攫われたのもあって、元気がない。
酷い話、レオニードが掠われていることについて、本気で胸を痛めているのは、このなかでは彼女しかいない。
むろん、「なるようにしかならない」と落ち着いて対処するのが正しいとは言え、だ。
「謝らなくていいんだよ。私も、君がつけ狙われてるとは思ってなかったし、さすがにホテル全体がグルだなんて想像もしなかったから油断してた」
そもそも稀梢がシワトルの名を偽名で書いたのは、テパネカ共和国が未婚の男女の交際については非常に不寛容な国柄であるため、誤解されないように、と思ってのことなのだ。
「そうそ、シワトルちゃんは悪くねえんだよ。悪いのはあいつら。生贄になりたくねえやつを無理やり連れだそうなんて、胸糞わりい」
「心得違いだ。化け物め。神にその心臓と血を捧げるよう選ばれるのは、栄誉なのだ」
陰々とした声が、オリエの言葉を遮った。
再び、神官の声だ。
クーデター直前、王国にはアステカ教神官が総勢四十名いた。アタカウカ将軍のクーデタに参画したのはそのうちの六名、いずれもクーデター当時で四十歳代か五十歳代だった。加えてうち四名はすでに暗殺によって命を落としている。
彼はクーデター当時、まだ幼かっただろう。共和国の次世代神官のひとりだ。
「われもまたアタカウカ大将軍の示す共和国の企図に共感している。だから祭祀において人身供儀を廃絶することには賛成しているが、人が神の生贄として選ばれ、おのが血潮で神の精気を養うことは、このうえない栄誉であり、喜びなのだ。その事実はたとえ人身供儀が廃絶されたとしても変わらない」
「なんでもいいけどよ」
馬鹿にしているというには、優しげな笑みを浮かべてオリエが足を組み替えた。
窮屈な姿勢のおかげで、肩でも凝るのか首を回す。
顔を曇らせているシワトルをちらりと目に収めつつ
「あんた、若いね。なんて名か聞いていいかい?」
と、名を尋ねた。
「イツコアトル・テノチカ」
「なかなか
――テノチカってなあ、たしか王国が
車が停車した。
「着いたぞ」
と、十五世紀、アステカ王国を独立へと導いた
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