第18話
ホテルの建つ筋からひとつ奥まった筋にある、落ち着いたレストランでレオニードは夕食を摂った。洒落た雰囲気の室内、店の奥、個室である。
ただし、室内の入り口は背の高い衝立で仕切られているだけで、広いホールの一角である。衝立の向こうからはほかの客や店員の声や足音、民族音楽を流すラジオの音が響いている。
レオニードの食べているのは、トウガラシを利かせた羊肉と、豆と野菜のスープ。そしてトルティーヤである。
稀梢は要らない、と、先に食べ終わっていたオリエと話をしている。
シワトルは、ホットミルクを飲んでいた。
オリエはレストランの入り口で腰に差していたマチェーテを取り上げられて不機嫌だったが、まあこれは致し方ないところだろう。
スラムか旧市街の住宅区の食堂なら、農作業用だとみな気にも留めないだろうが、観光客用のホテルのあるこのあたりで刃渡り四十センチメートルもある刃物を持ち込まれるのは、店にとってリスクだ。
愛用の得物が腰にないのに文句を垂れながら、話すオリエの説明はこうだった。
祭祀堅持派の襲撃を受けた。最初に機関銃の掃射でガラスが割れ、手榴弾の爆発があった。そこでオリエたちは逃げ出して、あとはホテルでなにが起こったのか分からない。
そのあと、いちど地震の揺れがあった。手榴弾の爆発から二十分くらいあと、警察が押っ取り刀で駆けつける直前、なぜか今度はホテルで火災が発生したという。
「だからさ、言っとくけどあの燃えてんのはオレのせいじゃねえ」
本来なら防火設備があって火災はすぐに消し止められるはずだが、ホテル前に集まった野次馬たちの噂話によると設備の故障があったらしい。そのためホテルはいまだに黒煙を上げている。
オリエは八階から飛び降り、真下にあった温室の天井をぶち抜いて着地。
温室を突っ切って退散してきたのだが……
「温室、ウェルカムティー用の自家製コカを植えてるって話だったろ? でもさ、コカだけじゃなくて、いろんな草が生えてたんだよ」
きざきざのとか、丸い葉っぱのとか、でーんとしたやつとか。
サッパリ分からない。
稀梢はウェストバックから取り出したちいさなメモ帳にいろんな植物の絵を描いて見せて、「こういう草?」などとオリエに確認している。
オリエはものを見ていないわけではない。
むしろよく見ているし、気がつく。単に相手に伝える表現力に乏しいだけである。
絵を示されると、その絵に描き加えたり、「このきざきざの草の臭いはツンとしてた」とか「まるい葉っぱの木の幹には黒い虫がごじゃごじゃたかってた」とか、どれも一瞬しか目に収めていなかったろうに、ずいぶん詳しく覚えている。
稀梢はホテル襲撃の件をひととおりを聞き終わると、「ホテルに行ってきます。燃えて消し炭になってなければ荷物を引き取ってきますよ」と、出て行った。
「なんでシワトルちゃん狙われるのかなあ」
稀梢が出て行ったあと、オリエが嘆息した。
レオニードたちがシワトルの故郷で聞き込んだ結果と、帰りの車の中で聴いたラジオの情報から、その点については予想がついている。
彼女が『キラチトリ』の家系であるからだ。
テパネカ王国で行われていた祭祀の生贄には、さまざまな資格があった。
『敵戦士の捕虜の中でもっとも逞しく美しい男』だとか、『舞踊に関する職業についている女』だとか。
敵だけではない。自分たちの国の戦士に過酷な球技を戦わせ、傷つき、倒れた者の胸を切り開く。
幼い子供を生贄とし、みずからの運命に怯えて流す涙とともに、その熱い血潮を湖に捧げる。
一年を二十日刻み十九に区切り(最後の区切りは五日)、十八の祭神に対してその神のもっとも気に入る生贄の血、心臓、あるいは生皮を捧げるのだ。
ただしこれらの祭祀には『生贄にふさわしい者』の資格はたしかにあるが、特定の個人しか資格がないというわけではない。
厳重に注意していても、敵戦士が逃げだすときもある。生贄になるために、一年かけて潔斎するときもあるのだ。途中で疫病に罹って亡くなることもある。それでも神々を悦ばせるためには生贄を捧げねばならない。だから生贄は、換えが利くのが普通である。
シワトルは街にいた。アンデス山中と違い、街は生贄を禁止する共和国の目が比較的行き届いている。つまり、祭祀堅持派がそこで行動をすれば取り締まりの対象になりやすい。
それでも彼らがシワトルにこだわると言うことは、シワトルでなければいけない属性、しかもなかなか代わりが見つからない属性があるということなのだ。
シワトルの属性……女性であることや十代であることなどの属性は祭祀には重要な要素になり得る。が、これらはほかにもたくさん該当者がいる。彼女がもつ属性で、すぐに代わりが見つからなさそうなのは、キラチトリの家系であること、だ。
「……ピシュタコ狙いなら、オレが身代わりに掠われてやるんだけどさ。オレ、頑丈なのには自信があるし」
シワトルが不思議そうな顔をする。
疲れているのか、すこし眠そうだった。
「あ、シワトルちゃんを助けようって話じゃないよ。そういうのもちょっとはあるけどさ。オレ、フツーのメシでもいいんだけど、生きた人間の血と脂肪を喰わねーと元気でねーんだ。ま、シワトルちゃんみたいな
オリエがそうシワトルに語った、そのときだった。
「ホテル爆破の嫌疑で連行する」
突然、衝立が撥ねのけられ、警官の姿をした男、五名が現れた。
「ちっ、しくった。さっきからなんかおかしな足音が混じるなって思ってたんだ」
オリエが立ち上がり、椅子を手に取った。武器になるものがこれしかない。
「レオ! 逃げるぜ!」
レオニードに向かって声を掛けるが、レオニードはテーブルに突っ伏している。
シワトルも、だ。
――薬を盛られたな。
即死の猛毒でもすこし痺れる程度のオリエには利いていない。
窓がない。店の外壁はあいにくのインカ様式の石組みだった。
さしものオリエでもこれは崩せない。
男たちが銃を構えた。
――こいつら、ニセものだ。
衣装こそそれらしいものを着ているが、男たちの持つ銃種はばらばらだった。警官なら、北米と取引して制式モデル採用されているグロック18のはずなのだ。
――ふたりはむりだ。
オリエはぐったりと突っ伏すシワトルの身体をひっつかむように抱え上げると、椅子を盾に男たちの列に飛び込んだ。
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