ドライブにうってつけの日/言っとくけどオレのせいじゃねえ

第15話

 シワトルの保護先を探すというレオニードの探索ははかばかしくなかった。

 彼女を故郷に帰そうにも、帰る場所がない、それを確認しただけとも言える。

 故郷に身寄りはなく、彼女の身柄を預かってくれるような知り合いも施設もない。

 みな彼女のことになると、

「ここにいても暮らせない。キトで暮らすのが彼女の幸せだ」

 と言うばかりだ。

 レオニードが尋ねた人々はたいていは愛想が良く、親切に話を聞いてくれたが、シワトルの話を振ると、歯切れが悪くなり、げんを左右する。

 みながはっきりと言わないなか、なんとか聞き出したのは

「シワトルはキラチトリの家系だ。ピシュタコだって噂もある」

 というものだった。

 彼女が村を出たあと、彼女の母親の墓が何者かによって掘り返され、遺体を盗まれた、などというぞっとしない話も聴いた。

 実際に村長……アステカ神教では冠婚葬祭の神官を兼ねる……に尋ねたところ、シワトルの母親の遺体が盗まれたのはほんとうらしい。

 結局、五時間、村を回って話を聞いた結果、レオニードはシワトルを村には帰せないと判断して、帰路についた。

 この結論になることは、なかば分かっていたとも言える。

 どこかに身寄りや頼れる人がいれば、彼女は王国支持派の口車にのって村を出たりはしなかったろう。

「なにも知らなければよかった、と思いませんか?」

 と、運転席のレオニードに助手席に座る稀梢が尋ねた。

 稀梢も観光客用の臨時運転免許証を取得しているが、このあたりは道が曲がりくねって見通しが悪いからと、慣れているレオニードが往復運転してる。

「知るべきなんだよ」

 レオニードが暗い表情で答えた。

「『きっと上手くやっていくさ』で、彼女の現状をなにも知らないまま、自分のなかで勝手に『美談』を作って別れるのは、自己満足に過ぎないんだから」

「でも」

「そう、でも。だ。僕にできることなんかもうないんだ。彼女が独り立ちできるようになるまで庇護することは、僕には無理だ。だから彼女を今後どうするにせよ、『僕に出来ることはここまでだった』と思って別れないと」

「そういうのは、『損な性分』と、この国では言わないのですか?」

「言うかもね。でも、そういうことじゃないんだ。どんな大人だってなんでも出来るわけじゃないし、とりわけ僕は無力な大人ってことさ。そして、いまのこの国じゃ、彼女を助ける仕組みがない」

 レオニードはおおきく溜め息を吐き、緘黙かんもくする。

 そして、エンジン音だけの単調さから逃げ出すようにラジオをつけた。

 標高が低いために背の高い樹木もおおい。山間を走るドライブルートの視界は、両側が木々に囲まれていて風光明媚とは言いがたいが、まっすぐ前を見詰めると、これから戻ろうとするアンデスの高い峰の連なりが夕日に紅く輝いている。


《……次のニュースです。

 十一月三日、地質調査隊がカヤンベ火山の鉱山跡地で若い女性ほか複数の遺体を発見しました。遺体はすべて心臓が抜き取られており、警察本部では王国支持派の犯行として、この事件の今後の捜査を陸軍に移管しました。なお被害にあった人のうち、身元が分かっているのは現在二名、ひとりは一週間前に入国し、五日前から行方不明になっていた米国籍男性、もうひとりはアラト村の三十歳代女性でした。アラト村の女性は、キラチトリの家系で、共和国成立の混乱時に王家の迫害から逃れて村に移住してきたということです。なお、本件についてお心当たり、情報をお持ちの市民は、お近くの警察、または陸軍、王国支持派対応係まで。連絡先は……》


 長い沈黙のドライブで、さまざまなニュースが読み上げられたなかに、稀梢の気をひくニュースが流れてきた。

「……カヤンベ山といえば、私が買った地図に印のついていた場所のひとつですね」

 稀梢が実際に現地に行き、儀式を目の当たりにしたピチンチャ火山のほかも、みな火山の中腹あたりだったと記憶している。

「ニュースで言っていた、『キラチトリ』ってなんです? シワトルさんもその家系だと、さっきの村でも言われてましたが。あと、シワトルさんと言えば『ピシュタコ』だとも言われてましたね。これはオリエさんもそうですね。彼の場合、自称ですけど」

 ウェストバッグに押し込んであった地図を取り出して眺め、稀梢が問うた。

 道は延々と曲がりくねった登りの山道だ。交通量はすくないし、いちおう片側一車線ですれ違いができる二十世紀に整備された車道だが、前から大型の輸送貨物が来ると道幅がカツカツになるので油断できない。

 レオニードは暗い表情で前を見詰めたまま、稀梢の問いに答える。

「『キラチトリ』は、僕も専門じゃないんで詳しくない。古い記録ではアステカ王室の女官の官職の名だったらしい。おもに医術をつかさどっていたとか。血筋で継承されていた官職だったという話だ。神話にもキラチトリの名前が出てくる。

『ケツァルコアトル神が人間を生み出すために冥界ミクトランに下って貴重な骨をもらい受けてきた。しかし帰途、骨を壊してしまった。地上に戻ったケツァルコアトル神は、タモアンチャンにおもむき、キラチトリという女に相談したところ、彼女はその骨を砕き、高貴な器に入れた。ケツァルコアトル神がその器にみずからの血を注ぐと、人間が誕生した』

 という話がある。タモアンチャンというのは、『花咲く場所』……アステカ神話における楽園のことだよ。王宮の女官だったというキラチトリがこの神話に関係するのかどうかは、僕はよく分からない。どうやら祭祀の重要な部分を担っていたこともあったらしい。ただし『遷都』の前後……とすると、首都テノチティトランを失陥しっかんしたあたりだけど……急速に『キラチトリ』はちからを失って、あとの記録にはそう言う官職はなかった。共和国革命のまえには、祭祀の生贄にされる者もおおかった、ということだ。で、革命で王宮から逃れて生き延びた者は当然、市民となったわけだ。アラト村の女性も、シワトルとその母親もその一人と言うことだろうね」

「たぶん……その、キラチトリに関係する方をひとり、知っています。ヨーロッパの……プロイセン公国で会ったんですけど。医者をやっていました。自分の家のそばに温室を作って、中南米のいろんな薬草を育ててましたよ。薬草は、先祖代々使っていたものを継承して育ててるだけで、治療に使っているわけではないと言ってましたが。……たしか、二百年ほど前に渡ってきたと」

「二百年ほど前と言うことは、その人の曾祖父・曾祖母あたりかな。その人の先祖も、王宮から逃れてきたんだろうね……もし可能ならお目にかかってみたいな。その人のファミリーヒストリーにも興味があるし、その人に受け継がれた『アステカ・テパネカ王国の言い伝え』があるなら、是非聴きたい。民間伝承というのは生き物で、たくさんの人に語られているうちにどんどん変容していくものだけど、そういうコミュニティから離れた人は、当時の民間伝承をそのまま保存している場合がある。薬草も興味深い。そのあたりはまるごと民俗学にもかかわってる。僕の専門分野だ」

「いいですよ。たまにメールでやりとりしますから、そのときにレオニードさんのことも書いておきます。テパネカ共和国の民俗学の学者さんが会いたがっていると」

「ありがたい。遷都のあと、休戦期を挟んだとはいえ、長く続いた戦争でこのあたりはずいぶん混乱したと歴史にもあるし、アステカ王国は文字を持たなかった。十七世紀に、いちど独自の文字を創出しようという運動もあったんだけどね。ほら、君の母国の近くで、十五世紀に独自の文字を作って普及させた国があったろう? でも、結局、この国はずいぶんあとになって、アルファベットを採用したんだ。文字のなかったころは、図像と口伝で伝承されてきた。口伝とともに使われた図像はたくさんあって、アルファベットでナワトル語を表記するようになったいまも口伝者によってその内容は語り伝えられているけれど、口伝は生き物だ。実際に五百年前、三百年前、現代……おなじように語り伝えられているかは、はっきりしないことも多い。分からないことだらけなんだよ」

「で、ピシュタコは?」

「ピシュタコについてはなかなか説明が難しい。僕の専門は地域民俗事象採集、そのなかには『ピシュタコ』という現象も含まれている。謂わば専門なんだけどね」

 レオニードはそこまで言うとすこし思い悩むように片目を瞑った。

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