第13話
レオニードたちがトゥーラ村に到着した、その二時間前のことだ。
オリエはシワトルと続き部屋のドア越しに会話を試みていた。
シワトルは食事のあと、ベッドのある続き部屋に籠もっている。
オリエはレオニードに、シワトルとは極力接しないようにと念押しされていたのだが、この青年には忠告など通用しない。
「ねえ、シワトルちゃん、新聞なんだけどこれ読んでよ。見出しのとこに『若い女』『心臓』って書いてあるやつ。たぶんシワトルちゃんに関係するような気がするんだけど、オレろくに字が読めねえから」
オリエはよっつに畳んだうえでビニール掛けしてある新聞をガサガサ振った。
さすが、スィート、新聞配達のサービス付きだ。
一面トップに『カヤンベ火山の鉱山跡地で若い女性ほか複数の遺体。心臓を抜き取り。王国支持派の儀式か』
と書いてある。
カヤンベ火山は先日、稀梢が手に入れた儀式を行う場所を記した地図に印がしてあった場所のひとつだ。
シワトルがいたのはピチンチャ火山だが、そこをふくめて四カ所はまだ見つかっていないようだ。
シワトルの反応はないのにもめげず、おなじことを繰り返すこと三回。
「いや」
と、ドア越しに返事が返ってきた。
無言ではない。明確な拒否の意思表示である。
「オレの顔見なくていいからさ。オレ、ドアのとこ新聞置いて、部屋の隅っこに行くから。『
「あ、あたしだって十三歳までしか学校行ってないんだから、難しいの読めない」
「でもオレよかたぶん読めるって。大丈夫、エグいのが売りのやつじゃないから、地図だけで写真なんかは載ってないよ」
「い――や」
ふつうならこのくらいはっきり駄目出しされると、諦める。
オリエもまた、うーんと首を捻るような仕草をして、すこし考え込む。
「じつはさ、さっき朝食食べに行ったとき、レオが『あとでシワトルちゃんと食べな』って、プリン買ってくれたんだよ。こっちの冷蔵庫で冷やしてあるんだけど、どうかな」
実際には「シワトルさん、昼も部屋を出たくないって言ったら、これをふたりで食べて」と言ったのだ。
レオニードまで『ちゃん』呼ばわりはしていない。
オリエはピシュタコなのだ。妖怪である。妖怪は簡単には諦めない。ぶっちゃけ、諦めが悪い。そして妖怪らしくすこし狡猾なところを見せた。正攻法で説得できなければ搦め手からの懐柔である。
冷蔵庫には、レオニードが食堂の売店で買ったピクニック用のセット……トルティーヤ何枚かと、スクランブルエッグ、リャマ肉とトウガラシの炒め物などの付け合わせのおかず、果物とプリンが入っている。
「……プリンって、なに?」
シワトルの反応は、意外だった。いや、意外ではないのかもしれない。
キトなどの街では電気も、電化製品もだいぶ普及している。冷蔵庫もそろそろ珍しい設備とは言えなくなった。
が、山岳部のちいさな村では自家発電設備で使う電灯が普及したばかりのところもすくなくない。
そういう場所では冷蔵庫、テレビ、ラジオ、洗濯機などは金持ちの持ち物、とまでは言わないが、それなりに稼げている家庭の設備だ。
そういう場所で、冷蔵しておかないとすぐに腐る生菓子……しかも伝統食ではない菓子はなかなか普及しない。
「プリンは、甘い。ひんやりして、ぷるんとしてるおやつだよ」
扉の向こうの沈黙
「むこうに行ってて」
と、シワトルが言った。
オリエは黙って続き部屋のドアのそばを離れ、部屋の端に寄って
「
と声を掛ける。
続き部屋のドアが開いて、シワトルが顔を出した。
オリエが部屋の逆の隅にいるのを目に留めて、そのまま出入り口の近くにある手洗いに入る。
手洗いから出てきたシワトルは、部屋の隅から動いていないオリエをもういちど目に収めて、「ごめんなさい」と、言った。
そして「あたしを助けてくれてありがとう」とも。
途端、オリエが、『にぱっ』としか表現しようのない笑顔を浮かべた。
彼は特別に顔が良い、というわけではない。端正な顔立ちという意味では鳳稀梢がいちばんそれにふさわしい顔立ちだろう。レオニードはあまり手入れに構っていないせいでちょっとむさ苦しい印象もあるが、整った顔立ちをしている。どことなくアタカウカ将軍に似ていなくもない。ただし深みの足りない表情のせいで、茫洋とした印象しかない。もうあと十年もすれば、もしかしたら渋みのあるいい男、と言われることもあるかもしれない。
オリエは表情が豊かだ。そしてその表情は、なんとも言えぬ愛嬌と魅力があり、人を惹きつける。
「一緒にプリン食べようよ」
と、オリエは言った。
シワトルの「人生初プリン体験」の詳細を書き留める必要はないだろう。
それは今後、彼女がその人生で味わうことになる幾多の幸福な体験のひとつに過ぎない。加えて、ささやかなものでもある。が、彼女にとって、その体験は重要な体験であったことも間違いはない。
プリン容器は『再利用品:ホテルに返却してください』と書かれてあり、リサイクルマークの入ったガラス製である。国内のリサイクルの制度が整っているのではなく、ガラス製品が高いため、ホテル内で洗って使いまわしているのだろう。
そのプリンの空容器をテーブルの脇において、シワトルは新聞を読み上げる。
「十一月三日、カヤンベ山銅鉱山跡地で男女五名のイ……イタ? あの、たぶん死んでる身体って意味の単語ね、が……えと、発見された。いずれも胸を鋭い刃物状のもので切り裂かれ、心臓をテキ……ううん……えと、抜かれるって意味かな? 政府は王国支持派のハンイクとみて、今後のソウシャを陸軍にイ……イカン? した。なお被害にあった人のうち、身元が分かっているのは現在二名、ひとりは一週間前に入国し、五日前から行方不明になっていた米国籍男性、もうひとりはアラト村の女性で……」
「?」
「……わかんないよ。知らない言葉」
「そっか」
オリエがソファに背を預けて頷いた。
それまでのシワトルは分からない言葉があっても、なんとか読もうとしていた。が、新聞の『ある言葉』は、読もうともしなかった。
たぶん、それは彼女がよく知っている言葉なのだ。よく知っている、そして、読みたくない言葉。
「あのさ」
シワトルがオリエに声をかけた。
「オリエさんは『ピシュタコ』って言われて、嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ。ってか、ピシュタコってのはオレが言ってんの。ホンモノなんだよ」
ふたたび『にぱっ』と笑って答える。
「あ、オレのことはオリエでいいからね」
「え? じゃあ、ほんとに血とか脂肪とか吸うの?」
「吸う吸う。めっちゃ吸うよ。そりゃ、普通に肉喰っても美味いけど、やっぱ生きてるやつから吸うの特別だからさ。レオはダメっていうけどさ」
「じゃあさじゃあさ、脂肪とか外国に売ってんの? 良い金になるってほんと?」
「それは嘘だよ。あいつら脂肪を買うんじゃない。人間を騙して働かせたり臓器売ったりしてやがるだけで、ピシュタコとは関係ないぜ。オレは美味いから喰ってるだけ。金儲けじゃねえよ。そんで金が儲かるならレオの用心棒なんかしてねえし」
「え? オリエとレオニードさんって、友だちとかじゃないの?」
「ちげえよ。あいつはただの雇い主。あいつ、大学でピシュタコを調査してるんだってさ。で、村を……なんてったっけな? ふぃーるどわーく? なんかそういうので回ってて、オレに会ったんだよ。あいつ、なりはごついけど全然、弱っちいしさ、山奥はまだまだ
「ふうん」
ドンドン
部屋の扉を叩く音がした。
オリエが立ち上がって部屋の入り口まで行く。
「……レオは『清掃不要』の札掛けとくって言ってたんだよな。メシの時間には早いし、さてね」
オリエは楽しそうな……肉食獣の笑みを浮かべ、シワトルに手振りで続き部屋に入っておくように指示を出した。
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