第9話

「これだよ」

 と、鳳稀梢はジャケットの胸ポケットにちいさく折りたたんでいた地図を取り出して、開いて見せた。

 キト……ではなく、クイコチャ湖をだいたいの中心として、違法観光案内の男がつけたという鉛筆の点が五つ、散らばっている。

 どれもキトより標高は高い。四千から五千メートル級の山の中だ。

「どこでもおなじことをやるというし、翌日の日の出からだというから、慌てて荷造りしてね、一番近いところに行くことにしたんだ」

 そう言って稀梢はキトに一番近い点、ピチンチャ火山の中腹を指差した。


 稀梢が向かったのは地図上ではなにもない山の中だ。

 高い木はあまりない。火山のふもとの街、と言ってもいいキトですらもともと標高三千メートル級の高地だ。さらに高い山は森林が生育しにくい環境のうえ、アンデス山脈のキトの街周辺には、何千年ものあいだ人が住んできた。もともと樹木の多い土地柄ではないため、樹木をふんだんに使用するような文化ではないが、それでも人が住めばどうしても伐採は起こる。

 キトの街から三十キロメートルほどのピチンチャ火山の樹木は、丈の低い、乾燥に強い灌木がおおい。

 ピチンチャ火山のハイキングコースは観光客に加え、地元の人々の姿もおおく賑わっていた。

 色とりどりの民族衣装を身に纏った彼らは、籠を負ったりマチェーテを腰に差したりした姿で、必要に応じてハイキングコースをはずれて行く。

 何人か、儀式用の黒曜石の刃のついたナイフを持っている者もいた。

 遊びに来ていると言うより、ここが生活圏なのだろう、という印象だった。

 キャンプ場はないため、夕方を過ぎると観光客らしい姿は一気に減る。

 稀梢は、なにはともあれ観光客用に整備されたハイキングコースを辿って目的地に近いと目星をつけたところでコースをはずれた。

 コースをはずれたときにはすでに陽は暮れていたが見通しは悪くなかった。加えて稀梢は夜目が利く。

 日が暮れても月は出なかった。

 新月の夜だ。

 不思議なことに、たぶんこの方向だろうと思う方向に道が延びていた。

 獣道かと思ったが、どうも違う。

 最近はあまり使われているようすはなかったが、荷車が牽ける程度の幅で、ならされた部分があった。

 ハイキングコースをはずれてから六、七時間も歩いただろうか。

 不意に開けた場所に出た。

 山の中、そのあたりだけ斜面を削いだように平地になっている。

 灌木もない禿山で、いくつかボロボロになった小屋が、平地の隅に建っていた。インカ式建物ではない……金属板とトタン屋根で囲ったプレハブ小屋だった。

 平地には摺鉢すりばち状のおおきな穴がいくつか開いている。直径百メートルは超える。そのひとつの縁に、人が集まっていた。

 ほとんどの者が声を立てず、柴を焚いて灯した灯りをたよりになにか準備をしている。

 術は掛けていたものの、ひとめがおおい場合、迂闊に動き回って『効き目の薄い』人間に見つかってもいけないと、稀梢は小屋の影に回って日の出を待つことにした。



 稀梢の話が、儀式を始まりを待つために小屋の影に身を潜めた、というところでホテルがぐらりと揺れた。

 どん、と一度、沈み込むような感じがして、そのあと横に揺れる。

 地震だ。

 ホテルは西方式建築で、南米のアンデス地域とおなじ地震国の日本で発達した耐震建築技術を利用して二十年ほどまえに建設されたと聞く。

 いまはさらに土台にゴムを噛ませて揺れを逃す免震建築なる建物もあるらしいが、このホテルは謂わば一世代前の技術だ。揺れても土台から倒れたり折れたりしにくくする建築法であって、揺れないということはない。

 普通に揺れ、なおかつ稀梢たちのいる部屋はホテルの上層階のため、その揺れは増幅される。

 稀梢を除けば三人はアンデス地方の生まれか、この地方に長く滞在している。地震には慣れているというものの、気にならないということはない。

 今回も揺れがおさまるまで息を呑んであたりを見回していた。

 おさまってから、シワトルが続き部屋から出てきて、稀梢の座っているソファに腰を下ろした。稀梢はソファの端に腰掛けていて、シワトルはもう片方の端だから、おなじソファと言っても、密着しているわけではない。

 ひとりで部屋に籠もっているのが怖くなったのだろう。

「鉱山跡地だな」

 地震の揺れがおさまってから、レオニードが言った。

 アンデス山脈には鉱山が多い。それも金銀銅、錫、鉄鉱石、石油……さまざまなものが産出されている。

 プレートテクトニクス理論というのがある。地球表面は海の部分を含めて、堅い地盤におおわれているのだが、それは何枚かに分かれていて、その境目では沈み込みや押し上げが起こっている、というものだ。南米大陸の載る南米プレートのすぐ西にはナスカプレートが沈み込んできており、その結果がアンデス山脈、ということになる。

 アンデス山脈全域が、押し上げられた結果の『皺』の部分になるため、本来なら地中深くに埋もれている鉱物が、比較的浅いところ、場合によっては地上に露出している、というわけだ。

 余談であるがナスカプレートと隣接している太平洋プレートがユーラシアプレートやフィリピン海プレートの下に沈み込んで、ユーラシアプレートなどの端を押し上げた結果の『皺』の部分が日本列島である。

「専門じゃないから調べてみないと分からないけどたぶん、違法採掘場だったところだろうね」

 アンデス山脈の国々では、国策で豊富な鉱山資源を活用しようとしている。

 古くはインカ帝国タワンティン・スウユ皇帝アタワルパがヨーロッパ諸国を買収するために、金山、銀山の採掘を積極的に行った。

 問題はアンデス山地は標高の関係で森林がすくないこと、地震が多発することから地盤が脆く山津波が多いこと、また、大型車両を走らせるだけの道路や鉄道を簡単には通せないことから、採算がすぐに合わなくなってしまうところだ。

 しかしながら金の採掘を筆頭に、鉱石の販売は稼げるため、鉱物資源が地表に露出しているところを中心に、生命の危険や環境汚染を度外視した違法な採掘はあとを絶たない。

 稀梢たちが今朝、身を隠していた小屋は採掘現場の遺物だった。ただし、あの場所はインカ道カパック・ニャンと接続していたのでも分かるように、国策で採掘されていた場所だ。

 あのうえには採算が合わなくなった廃坑があり、そこが採掘されていたときには、あの小屋に監視員がいて、交通整理をしていたのだろう。

「鳳さんの話を聴きながら考えていたのだけど……たしかに十一月から始まる祭祀はある。第十四の月紅鳥ケチョリで、これもたしかに人身供犠はあるんだけど、二十日続く祭祀の最後のほうだ。しかも女性ではなく、敵戦士……男性を捧げる。現代では女性軍人もいるけど、アステカ王国では戦士は男性に限られていたからね。時間が昼間なのはいいとして、鉱山の旧採掘跡地なのは気になるところだね。僕の専門は現代の民俗調査なんで、神話については通り一遍の知識しかないけど、地中は死者世界を表していて、通常のテパネカ祭祀では避ける傾向にあるから」

「……新しい世界の祀り」

 シワトルがぽつりと呟いた。

「あいつら、そう言ってた」

「聴いたことないなあ……『新しい火の祀り』ならあるんだけど。五十二年周期で、次は二○二六年、二年後だね」

 ううん、と、レオニードが首を捻った。

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