第8話
鳳稀梢の語った次第は、こうだ。
数日前、キトの街にやってきた稀梢は、新市街の西側の裏路地に踏み込んだ。
新市街の西の端は、内戦時に旧王国側の砦となり、内戦の終盤まで激しい戦闘が繰り返された。瓦礫を撤去し、死体は敵味方問わず埋葬されたものの建物の再建などはまだ手つかずのため、銃痕が残り、崩れた壁もそのままの建物を不法に占拠し、利用して生活をする者が大半を占める区域となっている。いわゆる、スラムだ。
そこを仕切っているのはテパネカ共和国のみならず、タワンティン連合、そして北米南端の国メキシコにまたがっていくつかある麻薬カルテルのひとつだ。取り扱っているのはおもに南米の特産といってもいいコカインだが、大麻、覚醒剤、ヘロイン、スピード、LSD……一通り揃う。揃わないのはテパネカ王国で神官たちの使っていた幻覚剤で、こればかりは王室の秘中の秘、共和国に同調した神官たちはその製法を知らないらしく、現在、共和国で行われている祭祀には使われていない。もちろん、アンダーグラウンドで出回ってもいない。
麻薬カルテルは麻薬の密売のついでに不動産の賃貸もやる。武器の密売もやる。キトの正規の電線や水道管から強引に電気や水道を引いて、この瓦礫の街のインフラも整備する。
初期費用こそかかるが、不法居住者から徴収した電気代や水道代を政府に支払うわけではないから、ぼろもうけだ。
共和国政府も手をこまねいているわけではないが、いまのところ有効な対策を打てていない。
稀梢は麻薬には用はないので、その祭祀用の薬が手に入らないのは残念には思わなかった。ただ、この内戦の混乱の中でも製法が流出しなかったのは、よほど運が良かったのか……もしくは、製法を知っている者がものすごくすくないのか、どちらかだな、と思った。
人身供犠を廃していない、非合法の祭祀では必要に応じてその薬物は使われているというから製法を知る者が内戦の混乱で死に絶えた、ということはなさそうだ。
手に入らないのは構わないが、実物が見られないのは惜しいな、と思った。
今回の旅では、このテパネカ共和国の源流、アステカ王国の祭祀にかかわる情報をできる限り収集して書き留めておきたかったからだ。
埃っぽくて、人間の生活の臭いがする街路を歩く。
食糧、獣臭、糞尿……それらの入り交じった臭いは、雨期が終わったキトの湿度が高くないために生臭さは感じられない。ただひたすら埃っぽい。
—―慣れないとくしゃみが出そうだ。
道行く人はおおむねテパネカ人がおおく、その姿は伝統のガウンに膝丈のズボン、下帯を腰に巻き、サンダルを履いた姿の者がおおい。
稀梢は事前に仕入れていた情報をもとに入り組んで見通しの悪い街を彷徨って、違法観光案内業を営む男を見つけ出した。
コカインパーティーや稀少生物狩り、ほかの歓楽街でもできるような普通の買春ではない、人には言えない性的嗜好を満足させるお楽しみを満喫したい観光客の需要を満たす『観光案内業』だ。
「日が悪いね、お客さん。今月は祭祀月じゃない」
ぼそぼそと歯にものが引っかかったような発音の英語で、観光案内業の男は言った。アステカのガウンを着て、防寒用の半ズボンを履かずに下帯だけつけている。動物の骨を削り出して彩色した鼻飾りも付けている、伝統的なアステカ民族衣装……テパネカ人の身形だ。
「アステカ神教は年間、三百六十日祭祀があるんだよね? 十月、十一月はない日はなかったはずだけど」
最低限の下調べはしていることを仄めかす。言葉はケチュア語。もちろんこういう商売の礼儀として、『鼻薬』も惜しまない。
ドルで二千。
「日時と場所さえ教えてくれたらいい。案内は要らない」
男は稀梢を睨みつけ、しばらく躊躇ったあと、
「明日、日の出から正午。次は二十一日後の正午から日の入りまでだ」
そう言って、売り物の真新しい地図を一枚引っ張り出し、古びた鉛筆で無造作に五つ、点を打った。
「点のところで同じことをやる。好きなところに行け。三十ドル。別料金」
地図の代金、ということだろう。
もちろん稀梢は黙って払った。
「悪いことは言わん、これも買ってけ。ほんとうに危なくなったらパイナップルを投げろ」
拳銃一丁、予備の弾倉がふたつ。手榴弾がみっつ。
「千ドル」
稀梢はそれもまた、黙って支払った。
「ぼったくりだろ、それ。ハジキなんざ五十ドルで買えるぜ? あ、ちなみにパイナップルは渾名だよ。
呆れたようにオリエが言った。
「たぶんその観光案内、テパネカ人の真似をしてるが、北米から来たヤツだな。あっちは取り締まりも厳しいから、このあたりの観光客、ド素人相手に荒稼ぎしにきてるのさ」
パイナップルとは、ハンドグレネード、手榴弾のことだ。
南米ではブラジルを中心にポルトガル・スペイン語圏の国もおおいため、手榴弾は『グラナダ』で定着している。『グラナダ』とは柘榴のことである。
どうもあの形状から、手榴弾は果物に例えられることがおおい。
「長く付き合おうと思ったら、一回は騙されてあげなくてはって思ったんだけど、無駄だったかな」
金払いのいいところを見せつつ、次に会うときには初回は吹っ掛けてきたことを匂わせ、以降は妥当な料金で付き合う。もちろん相手より暴力で上であることも示さないといけないが、稀梢はそれには自信があるのだろう。
ただ相手がテパネカ人でなく荒稼ぎを目的とした外国人なら意味がない。
それにしても高え、と、オリエは思った。
――高値で買ってやるにしても、せめて半額ぐらいには値切れよ。
だいたい、そういう足元見やがる馬鹿は最初からボコボコにして情報吐かせるんでなにが悪い。あいつらもそうなる危険込みで吹っ掛けてきてるんだろ? 骨身に染みるまで勉強させてやりゃいいじゃねえか……と、思うが、そもそもホテルのスィートを借りられる資力を持っている外国人だ。金銭感覚が違うのだろう。
――だいたい、あのTシャツ、頭オカシイだろ?
鳳稀梢は白のこざっぱりしたジャケットの下にTシャツを着ている。
そのTシャツにはケチュア語で『
間違いなくチチカカ湖の観光地グッズだ。
観光地にやってきた観光客が、その場のノリでうっかり買ってしまってあとで後悔する代物だが、堂々と着用し、なおかつ妙に似合っている。
シワトルの着ていたTシャツも『
—―外国人の趣味はサッパリわからねえな。
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