第5話

「レオ、生きてる?」

 小屋の扉を押し開いて、オリエが声を掛けた。

 銃で撃たれたり腕を切られたり、怪我で身動き取れなくなっていた土塊テルーコの後始末も手早く済ませてある。

 道の端から谷底に落としたのだ。土塊テルーコたちの生き残りのうち意識のある者はさすがに涙をにじませていたが、ほとんどなんの抵抗もなく真っ逆さまに崖を落ちていった。土塊テルーコを崖から落とすのには、ホウも手伝った。嫌がるかと思ったが、オリエが「あっちのやつらを頼む」と言ったら文句も言わずにやってくれた。

 気になったのは最初にホウが撃った土塊テルーコふたりの首が、手回しよく伐られていたことだ。が、どうせ殺すのだ。たいした問題ではなかった。

 いま、インカカパック・ニャンには血痕しか遺っていない。

 ――鈍いレオニードなら、「ちょっと痛めつけたら逃げてった」と言っても信じるな。めでたしめでたしだ。

 雇い主の「穏便に」というオーダーをまっとうできなかったのは心苦しい気もするが、バレなきゃおなじことだ、とオリエは思っている。

 ――ま、オレは返り血でこのざまだがな。

 土塊テルーコの首を切ったときにほとばしった血をまともに浴びたせいで、顔も服も赤黒いうえにそろそろ乾きだしていてパリパリになっている部分もある。

 壮絶を通り越して、見ようによっては笑える有様だ。

 水の出るところがあれば最低限、顔くらいタオルでぬぐいたいところだが、水がない。

 小屋はずいぶんまえから使われなくなっているようで、井戸もなし、水道も引いていないようだった。小屋の隅に、天水を溜めるかめが置かれていたが、ひび割れていて水は溜まっていない。

 小屋のなかは薄暗い。

 明かりがなく、窓はあるがインカ式の厚い石組みの壁にしつらえた窓だから、採光は不十分だった。

 オリエは夜目が利くから、ものを見るのに不都合はない。ただ、明るいところから急に暗い場所に入ったので、しばらく目が慣れない。

 奥、床に人が横たわっているのが薄ぼんやり見える。

 横たわる人の脇にうずくまる、もうひとり。

 シュウウウ

 低く、圧縮気体が吹き出している音がする。

 だぼだぼのTシャツを一枚、羽織っただけの十代なかばに見える娘が、床に倒れた髭面の男の口と鼻を酸素吸入器の簡易マスクでおおって、吸入器の噴射ボタンを押していた。

 酸素吸入器はスプレータイプで、安っぽいビニールのマスクがなければ殺虫剤の缶のようだ。オリエには見覚えがある。レオニードのリュックに入っていた備品のひとつだ。

「大丈夫かい、レオ。外は片付いたぜ」

 髭面の男は顔面蒼白、うっすらと目を開けて瞬きしただけで、またぐったり目を閉じたが、命に別状なさそうだ。

「そこの娘さんが怖がるから、手足は縛ったけど、気にしないで」

 言われて、良く見ればレオニードの手は後ろ手に、足は足首のところで古びた縄で縛られている。

 力を込めれば引きちぎれそうだが、そんな気力もないだろう。

「改めまして、私は鳳稀梢ホウ・シィシャオ華夏連邦かかれんぽうからの観光客です」

 稀梢が馬鹿丁寧に自己紹介した。おそらくは自分の名前を表す文字を伝えようというのだろう、くうになにか複雑な線を描いた。直線が多いが、マヤの絵文字のようにごちゃごちゃとしている。

 当然、オリエにはさっぱりだ。

「そちらの女性は、シワトル……って言うんだよね?」

 オリエが眉根に皺を寄せたのにも構わず、稀梢は紹介を続けた。

「シワトル・ナジャ」

 レオニードに酸素マスクをあてている娘が頷いた。

 顔を上げて、オリエの姿を見留め、息を呑む。

 光が入る扉に近いオリエは、シワトルからはよく見えるはずだ。

 すなわち、彼が血まみれなのがよく分かる。

 目を見開いて言葉もなく震えているシワトルの姿を気にしないことにしつつ、オリエは鳳稀梢の脳天気な自己紹介を聴きながら、猛烈に嫌な予感が湧き上がってくるのを抑えきれなかった。

 シワトルという名からして、このあたりの人間だ。シワトルは、ナワトル語で『女』『女神』くらいの意味だ。見た目も小麦色の肌、濃いブラウンの髪と瞳。彫りが深く、はっきりとした目鼻立ち……どこから見ても現地住民だった。

「この娘をやつらからさらったの、ホウ、あんたか!」

「『掻っ攫う』って表現には異議申し立てしたいところだけど、おおむねその解釈で間違いないよ」

 オレらが追われてた元凶はこいつか――感謝し損ってやつだろ、コレ。

 オリエはがっくりとその場に腰を落とした。

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