第36話 君の夢に僕はいない~氷室和~後篇
『私は確かにあなたが好きだった』
ニコは原作の台詞に感情を込めて観客に向かって語り掛ける。そう。目の前に立っているマイクを無視して…。
『あなたの優しいところが好きだった。優しく包み込むような甘い甘い温もりに私は居場所を知ったの』
ニコは両手で自らを抱いて、役を演じていた。
「だめだよ。そんなのだめだよ。ニコ。これはオーディションなんだ。そんなの…」
台詞はちゃんと守っている。だけど彼女はステージの上を縦横無尽に動き回っていた。マイクなしの地声だけで会場に声を響かせていた。
【公開オーディションクラッシャー】新人声優氷室和について語るスレ14【スーパーメソッド演技】
:久々に出てきた超大型新人氷室和について語ろうぜ!
:スレ立て乙。やっぱり美人だよなぁ。研修生の舞台とか公開アテレコ練習動画見てるけどすげ映像映えする。
:評価されてんの顔だけかよ草
:は?ニコちゃんさん舐めてんじゃねーぞてめぇ。にわかめこれをみろこれをようぅ!(・`д・´) >>(動画リンク)
:マイク無視して演技してんのパネェ…。可愛いけど。つーかなんかずっと見てられるなこれ。
:当時会場にいたわい。高みの見物
:演技滅茶苦茶うまいじゃん!でもこのオーディションで発掘されたのアイドル声優の土橋咲良さんじゃなかったけ?どういうこと?
:だってニコさんマイクシカトしてんだもん。あと体の演技多すぎ。表情とか仕草でキャラを表現するのは評価の対象外
:でもすごかったぞ。会場にいた観客みんな総立ちしてステージに近寄ってた。
:オタの囲いとかコスプレイヤーみたいだな。
:そんなレベルじゃねぇよ。ロックバンドのライブの最前線とかみたいな盛り上がりだったぞ!
:俺もいたからよくわかる。人生で初めて出待ちしちゃった。オーラパナイ。
:アニメの演技もうまいし声も綺麗なんだけど、あの時の身体使った演技見ちゃうとなんか物足りなさ感じるんだよね。
:わかるー。事務所が声の演技で売り出してるのはわかるんだけど、映像とか舞台とかやって欲しいんだよなぁ。
:この間土橋咲良のSNSに出てたし、アイドル売りとかはあるんじゃね?
:アイドルかぁ。本人のキャラっぽくないけど、それでも映像で見られるならいいかなぁ。
:そんなお前らに朗報だ。さっきネットにこんなのアップされたぞ!!>>Breaking Sad Story 「俺が先に君と愛し合ったのに」MV
:ニコちゃんさんだ!?
:まじだ!ニコちゃんさんが映像出てる!!
:JK役だ?!
:踊ってるぞ!きゃわわわエモ!
:やべぇ!かわいいとかきれいとかだけじゃない。マジでこう魅了される。飲み込まれるっていうか。
:わかる。ずっと見てたくなるんだよな。酩酊感?見る酒みたいな?
:見る酒とか草。でもたしかにそうだよな。
:ところでバンドのボーカルが女殴ってそうなイケメン面な件。
:近寄るだけで膜が破れそうで草。
:ニコちゃんさん逃げてー!そのイケメン絶対ヤバい奴だから逃げてー!
(以下雑談が続く)
俺たちの作ったMVは順調に再生数を稼いでいた。なおこの間知り合った広告マンイケオジさんのおかげで有名企業のCMソングにもなったので、バンドとしての幸先は非常にいい。
「私のおかげ。感謝して」
「そうだねぇ。ニコじゃなきゃここまで伸びなかっただろうね。ありがとありがと」
スマホでMVを見ている俺の肩に裸のニコがしな垂れかかってくる。今俺たちは都内の高級ホテルの一室にいた。ニコが有名人になってしまったので、最近芸能記者が彼女を付け回すようになりラブホに気軽にいけなくなってしまったのだ。プライバシーが守られるホテルは自然と高級なところに限られる。でもニコはこのMVの後も何本かテレビCMの話が決まったのでリッチになった。俺はホテル代を奢ってもらえてラッキーである。
「今度TVドラマに出る」
「まじで。キスシーンとかある?」
「あったらどうする?」
「そんときはべたべたになるまで上書きしてやるよ」
俺はニコを押し倒してキスをする。深く深く舌を絡めあう。俺たちは今たしかに次のステージに進んだ。その未来への高揚感が夜の交わりを熱く燃えさせていたんだ。
やっぱりだめだった。ニコはオーディションに落ちてしまった。あんな滅茶苦茶な演技は僕と練習したときにはなかった。昼岡くんが変なことをしたせいで、ニコのバランスが崩れてしまったんだ。僕は撤収が進む会場のステージ近くで、多くの人に踏まれてぐちゃぐちゃになった台本を拾う。そしてニコの元に向かった。
「残念だったね」
控室から出てきたニコに僕はそう声をかけた。だけどニコはいつも通りのクールな態度を崩していなかった。
「次があるからいい」
ニコは危機感を覚えていない。あの演技じゃ声優にはなれない。僕とやったことをやればよかったのに、ニコはそれが出来なかった。それじゃだめなんだ。ニコは
「アオトはまた。練習付き合ってくれる?」
優し気に微笑みながらニコはそう言った。ああ。もちろん。僕は彼女の練習にずっと付き合う。だけどここで僕は彼女の夢を叶えるために行動を起こさなきゃいけない。このままではニコは間違った方向へ行ってしまう。彼女の夢はこのままでは敵わない。僕が傍で守らなきゃいけないんだ。
「実はニコに話があるんだ」
「何?」
「紹介したい人がいる」
僕はすぐ近くにいたスーツを着た女性を呼び寄せる。
「彼女は声優事務所のマネージャーさん」
「え?事務所?どうして?」
「実はニコの声の演技のサンプルを送ったんだ。そしたら返事が来たんだ」
マネージャーさんは名刺をニコに渡す。ニコは目を大きく見開いていた。
「でも。わたし。これは」
「ニコ。僕は君の夢を叶えたい。声優になるっていう夢を叶えてあげたいんだ。でもこのままじゃ駄目だ」
僕は落ちていた台本を広げて中を見る。
「台本にはステージを歩き回るとか、手を動かすとか、笑顔を浮かべるとか。そんなこと書いてないよ。ニコは書いてないことを演技しちゃった。だから落ちちゃったんだ。声以外の余計なことをやっちゃったから…」
「わたし。それでも。演技した」
「でも落ちたじゃん!!それが評価だよ!!」
僕は怒鳴った。本当はこんなことしたくない。だけどニコはわかってないから。わかってもらうためには叱らなきゃいけないんだ。
「事務所に入ってちゃんと声のお芝居をしよう。大丈夫。僕が傍で応援する。君の夢を叶えるためならなんだってする」
僕はニコの手を取って台本を渡した。
「次はちゃんと演技できるように。これから
ニコは僕の目を見詰めていた。これが正しい唯一の道なんだ。僕は必ず彼女の夢を叶える。傍でずっと支え続けるんだ。
こうして彼女は夢を叶える第一歩を踏み出したのです。
これからも色々な試練が彼女の前に立ちはだかるでしょう。
でも大丈夫。
彼女の傍には彼女守ってくれる大切なひとがいるのだから。
めでたしめでたし。
【氷室さんはニコニコしたい!】
Happy End!
目の前の男の子は強引だった。でもとても綺麗な綺麗な人だった。有無を言わさずにカラオケルームに連れ込まれたけど、いやな気持はちっともしなかった。声優さんとは少し違った、でも綺麗な声で歌を歌う。その様は見ていて気持ちのいいものだった。
『いまどこにいるの?トイレ?もう二次会も終わりでみんなかいさんするんだけど』
そんな楽しいひと時にアオトからの連絡が入った。彼は過保護すぎる。でも彼のいう通りにしていたからこそ私は声優としてのキャリアを積むことができてる。感謝しかない。感謝ありがとう感謝ありがとう…。
「あの…。その…」
わたしはすぐにアオトの傍に戻らなきゃいけない。だけどこの綺麗な人にそれを告げるのに抵抗を覚えた。一番はアオトのところへ帰ることなのに。私は。
【退屈だったから先に帰った】
彼はスマホのメモ帳にそう打ち込んで私に見せてきた。台本みたいって思った。
「退屈。だから帰った」
これは嘘じゃない。そう。私は演技をしているだけ。そうアオトが考えている声優そのものをしているだけ。
『え?そうなの?そうなんだ。じゃあ夜にいつも通りお話しようね』
演技をしているのに。私は演技をしているのに、いつも通りの日常の話が返ってくる。それは違うって私は思った。
「酔ってる。から。もう寝る」
嘘ではない。演技してるだけ。実際けっこうたくさん歌ったし、疲れているから帰ってしまったらすぐに眠ってしまうだろう。
『そっか。わかった。じゃあまた明日ね』
アオトから電話は切れた。演技の時間も終わり。だからこの人と過ごす楽しい時間ももう終わりになる。そのはずだったのに。
「ちょっと飲みなおさない?まだ俺は君と楽しみたい」
終わらない。まだこの時間は続く?でもアオトには帰ると言った。だけど。
「ところで何処住まい?」
ふっと虚を突かれてしまった。私は素直に住んでいる場所を伝える。
「たちかわ。だよ」
「そっか。でもまずいよね。今帰ると誰かと電車でばったり会っちゃうかもね」
ああ!あああ!!すごい!すごい台本!帰らなくてもいい物語の必然性ができてしまった!逆らえない!だって私は
「さっきの。うそ。バレちゃう」
だから嘘を演技にしてまおう。演技を物語に変えてしまおう。私は綺麗な人の瞳を見詰める。
「うん。ばれちゃうだろうね」
彼は綺麗な笑みを浮かべて。言ってくれた。
「じゃあ誰も合わない時間まで一緒にいようか」
そして私は頷いた。
そして彼女の物語は続く。引き返せない過ちと共に。
---作者のひとり言---
ニコちゃんの過去編完です!
たのちかった。
つぎはタエコちゃんを予定しております。
ではまたね('ω')ノ
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