第2話

ドアを開けてくれた彼に精一杯の笑顔を向ける。


「お疲れ」


1ヶ月ぶりの彼はチラリとこちらを見ただけで部屋に入るように促した。


「おじゃまします」


いつものように私が入るまで彼はドアを押さえてくれて鍵を閉める。


色んな場面で見せてくれた、無口な彼のスマートな気配りが好きだった。


1Kの小さなアパート。オシャレでクールな彼らしい、無駄なモノのない整理された綺麗な部屋。


この部屋に来る事も、使いづらい小さなキッチンで彼のために料理をする事も、部屋の割に大きなソファーで並んで座ってテレビを観る事も、狭いお風呂に一緒に入る事も、ベッドで一緒に寝る事も、すべてがなくなる。


彼がコーヒーを淹れてくれている間に部屋を密かにゆっくりじっくり見渡してしまう。


いつものようにソファーの定位置に座る私にコーヒーを持ってきてくれた彼は、「はい」とマグカップを私に渡した後、私の隣ではなく床に座った。いつもは隣に並んで座っていたのに。


「ありがと」


コーヒーが入っているのはいつか2人で行った観光地の陶芸体験で作ったマグカップ。その日の記憶が蘇る。


私の斜め前にいる彼は何をするでも話すでもなくただスマホをいじっている。

私はついているテレビを観てあまり味がわからないコーヒーを少しずつ飲んでたまに彼の方に目をやるくらいしかできない。


いつもは何も思わなかった沈黙が今日は特別重く冷たい。


なにこれ…ツライ…どうしよう…と思っていたら、ずっとスマホをいじっていた彼がついに口を開いた。


「あのさ」


…言わないで…聞きたくない。

…見ないで…もう泣きそう。


一気に溢れた涙がこぼれてしまいそうで私は抱えていたクッションに顔を埋めた。


「…ん、どした…?」


「……」


「具合悪い?」


「…悪くないよ大丈夫…」


泣かない泣かないまだ泣かない、と頑張っていたけど声がもう震えてしまっていた。


「え、なに…、泣いてるの?」


彼は驚いたような呆れたような声を出した。


「…泣いてない」


涙が出てきた。


「…なんで泣くの」


「…泣いてない」


ズーと鼻をすすってしまった。


「…話、聞いて」


「…やだ……」


こんな事言ったって彼は困ってきっと溜息をつくだけ。


「ハァー…」


予想通りのリアクション。


もうやだ怖い。フラれちゃう。この場から逃げ出したい。別れたくない。

わかっていた事だけどでもどうしたらいいのかわからない。


最後の最後まで彼を困らせてしまうなんて。こんなんだもん嫌われるに決まってるよね…フラれるに決まってるよね…。



「ごめん」


彼に抱きしめられてクッションが落ちて顔を埋めていた場所が彼の胸にかわった。


やめて…。別れのセリフを言うのにそんなに優しく抱きしめないで。


「……別れたくない…やだ…」


言っても無駄だし彼を困らせるだけなのに思わず口からこぼれてしまう本音。


「…ごめん。今まで本当にごめん」


彼は更に私をきつく抱きしめる。

その力強さと彼の温もりで更に涙が溢れ出る。


「なかなか会えないし冷たくしちゃってた」


「うぅ…」


お願いだから、もうこれ以上言わないで。

お願いだから、その先の言葉は言わないで。


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