第8話 マリウスの密かな葛藤
まだ空は明るいけど、これからどんどん暗くなり始める。なる早で見つけて帰ろうと、私は自転車で海岸へ向かった。
国道を渡って東海道線の高架下を抜けて、民家が建ち並ぶ細い裏道を真っ直ぐ進む。やがて風に乗って潮の香りがしてくると、
海岸に下りる坂はいくつかある。一歩誤れば転げ落ちそうな急坂だから、下りた先で倒れていなければいいんだけれど。でもマリウスならあり得そうだ。
私は、ゴロゴロ転がって頭から砂浜に突っ込んで砂まみれになっている姿を想像しながら、一番手前から海岸覗いた。すると、わりとすぐに見つかった。砂浜のマリウスは太い流木に座り、波音と海風を浴びて黄昏れている背中に哀愁をただ漏れさせていた。
下り慣れている私はスタスタッと坂を下りて、背後から声をかけた。
「なに一人でドラマごっこしてるの?」
「……舞夏」
振り向いたマリウスは、事も無げな顔を作っていた。
「ドラマごっこってなんだ」
「一人で黄昏れてそれっぽい雰囲気出してたから」
「出してないし」
太陽は、遠くの三保の松原の向こうへ沈もうとしていた。私は少しだけ付き合ってあげようと思って、マリウスの隣に腰かけた。
「帰って来ないから迎えに来たよ」
「よく場所がわかったな」
「ヘルディナに占ってもらった」
「あー」
「ていうか、大丈夫なの? 海」
「なんで?」
「だってほら。転生のきっかけ」
「あぁ……。見ているだけなら平気だ」
たぶん、入ると思い出してパニックになっちゃうのか。
「もうすぐ夕飯だよ。今日は胡麻だれ冷しゃぶうどんだよ。まだ帰らないの?」
「うん……。ちょっと、物思いに耽ってた」
すぐに帰るって言うかと思ったけど、マリウスは以外と素直に自己申告した。
「考えごと?」
「いや。ちょっとな」
その割に隠そうとする。ちょっと面倒くさいなぁ。気になるじゃん。
「ちょっとって何。悩みがあるなら聞くよ?」
「いや。俺がこんなことで悩むとか、勇者なのに情けないし。今すぐ忘れる」
そこまで言って何も打ち明けないとか、私に対する拷問だ。悩みを隠す必要なんてないのに、「勇者」の肩書きがあるせいでマリウスは頑張ろうとしている。
「何で? 忘れなくてもいいじゃん」
「え?」
「勇者だからって、悩みごと抱えちゃいけないの? 確かにマリウスは運なし勇者だから、大丈夫かこいつって思うことは多々あるけど」
「悩んでる相手を目の前にグサッと刺すなよ」
「でも勇者だって人間だし、悩みごとがいくつもあって当たり前だよ。それに今は、勇者とかそんなの関係ないでしょ。みんな同じように大変で、悩みごとがあっても全然おかしくないから」
「舞夏……」
「だから言ってよ。体裁気にしてみんなに聞かれたくないなら、私だけに話しなよ」
悩みごとがあるって告白されて、それを聞き流す耳を私は持っていない。マリウスだって吐き出した方がすっきりするはずだ。
私が少し肩を寄せてあげると、マリウスは話す気になってくれた。だけど日没時間も迫ってきそうだから、帰りながら聞くことにした。
心許ない電灯が灯り始めた細い道を自転車を引いて歩き出すと、マリウスは「少し気持ちが揺らいでいる」と胸中を明かし始めた。
「一度死んで、神様のいたずらで異世界に転生して、なんだこれって最初は思った。だけど勇者になれる資格があるって知って、こんな俺でも人の役に立てるんだと思って、師匠の元で運がないなりに必死に力をつけて勇者として認められた。最初は一人だったけど、共に戦ってくれる仲間たちにも出会って、次第に勇者としての自信もついた。それでも相変わらず運だけはないけど、俺はこの世界で勇者として第二の人生を歩いて行くんだと覚悟ができた。魔王を倒して、世界を平和にするんだと」
「うん」
「なのに、突然日本に転移して、正直だいぶ動揺した。懐かしさで頭がおかしくなりそうだった。でも何とか整理をつけて、今日までやってきた。だけどやっぱり、心のどこかで思ってるんだ。ここは自分がいた世界線の日本じゃないけど、俺の生まれ故郷で、育った場所なんだって」
「……うん」
それは、転生者にしかわからない心の葛藤だった。
「転生する前の自分とは違うけどさ、戻って来ちゃったら未練とかよみがえるだろ。読んでたマンガの続き読みたいとか、友達と飲みに行きたいとか、気になってたあの子は恋人ができたのかなとか。あと、したくてもまだできてなかった親孝行したいとかさ。もしかしたらこの世界線と俺がいた世界線が繋がってて帰れるかもしれないって、ちょっとだけ期待しちゃうんだよ。だけど今の俺は『マリウス』って名前の勇者で、『吉田高史』じゃないんだよ。今の俺の居場所はここじゃないんだよ」
ひぐらしの鳴く声が、誰ともすれ違わない道に落ちて溶けていく。
「そんなのわかってるのに、時々過るんだよ。なんで転移なんかしちゃったんだって。こんなこと望んでなかったのに」
マリウスが溜めていたどうしようもないもどかしさは、太平洋の波にも攫えなかったみたいだ。
「そっか……。マリウスはずっとそう思ってたんだね。でも、勇者でみんなのリーダーだから、正直な気持ちを吐き出せなかったんだ」
マリウスは、渦巻く感情と葛藤しながら過ごしていた。転移して来た日からずっと。その気持ちを消したくても自分の力では消せなくて、やるせなさを募らせていった。
だからマリウスは、町おこしを手伝いたいと言ったのかもしれない。気持ちが大きくなることを恐れて、少しでも気を紛らわすことをして雑念を消そうとしていたんだ。
「そんなこと思ってたなんて、全然気付かなかった。異世界転生した主人公は、みんな前向きなのかと思ってたよ」
「この世界に逆転移するなんて想像もしてなかったから、余計にな。だからリアーヌが羨ましいよ」
その言葉には、切なさとか不甲斐なさみたいな感情も込められているように聞こえた。横顔を見ても、自分に落胆しているような表情に見えた。
二次元の存在だから、現実でもマンガやアニメで見ているキャラそのまんまだと思ってたけど、結構リアルな人間ぽいところあるんだな……。でも、そっか。私たちが知っている部分は、そのキャラクターの一面でしかないんだ。それまでの人生とか人間関係とかエピソードはあるけれど、本当はもっと奥深くて、現実の私たちと同じように複雑にできてるんだ。
今ここにいるマリウスの顔は、私が全く知らない側面だった。勇者の誇りを持っていて、勇敢で、ちょっと占いにハマっていて、運がなくて同情してしまう姿は、マリウスの全てではなかったのだ。
この時、彼らに対する私の見方が変わった。
「私たちはマリウスに……二次元キャラに夢を見てるんだなぁ」
「夢?」
「そう。二次元は私たちにとって、嫌な日常を忘れさせてくれるアイテムだから。主人公に感情移入して一緒に喜んだり、怒ったり、悲しんだりして、まるでその世界にいるかのように錯覚させて楽しませてくれる。マリウスも他の作品の主人公と同じように、私たちに明日を生きる糧を与えてくれてるんだよ」
「そんな大袈裟な……」
「わりと大袈裟じゃないんだよ。だから二次元は生活に絶対あってほしいし、私のエネルギーの源だからこれからもずっと存在してほしい。でもこれは、私の独り善がり。二次元キャラは私たちのことなんて全然知らなくて、ただ自分の人生を歩んでるだけ。私たちは二次元に、勝手な夢や希望を持ってる」
「それは当たり前じゃないか。マンガやアニメはそういうものだ」
自分が勇者であることと同じように、二次元キャラクターの責任感を含ませてマリウスは言った。
「そうだよね。だけど今は、勝手に夢や希望を押し付けたらダメなんだよ。マリウスたちが現実にこの世界にいる今は、一方的にそれを抱いちゃダメなんだよ。この世界にいる限り、私たちは同じ存在だから」
「同じ存在……」
「マリウスはこの世界の住人で、協力していかなきゃならない人間なんだよ。だからさ、今は自分の立場とか使命を忘れて、本当の自分らしくいてもいいんじゃない?」
この世界には、魔物も魔王もいない。勇者の力は必要ない。だから今は、なんでもない“ただのマリウス”として日常を送ればいいんじゃないかと私は言った。マリウスは、ちょっと戸惑っていた。
「……いいのか?」
「いいんだよ。だってこの世界に、勇者の力を必要としてる人は一人もいないんだから。少しだけ使命を忘れても誰も責めないよ」
「そうか……。いいのか。使命を忘れて」
抱えていたものを吐き出したおかげもあって、マリウスはなんだかすっきりした表情になった。
「いいの、いいの。マリウスは今は、ただのマリウス。悩みも欲望もあって当たり前。全部曝け出さないと損だよ!」
「いや。少しは抑えておいた方が……」
「ほら! そういう我慢がいけないんだよ。小さいことでも、少しずつ積み重なっていけばストレスになるんだからね。だから無理な我慢もダメ! ということで、欲望言ってみよう!」
マリウスがまた遠慮しそうになったから強く念を押して、私は欲望を遠慮なく出してほしくて背中を叩いた。
「えっ。じゃあ……。毎日の昼ごはんはマックがいい」
「マック好きなの?」
「ダブルチーズバーガーが大好きなんだ」
「そのくらい余裕で許す! 他には?」
「電車に乗ってちょっと遠出したい」
「浦吉は退屈ってこと?」
「いや。そういう訳じゃ……」
「それは要検討。あとは?」
「あとは……」
ぐぅ〜〜〜……。
マリウスの欲望リストができあがりつつあった時、私たちのお腹が同時に鳴った。それが意味なくおかしくて、私とマリウスは顔を合わせて笑った。
「まずは。
「そうだね。早く帰ろ」
夕飯と家族と仲間が待っている家へと急ぐために、私は足取りを早くした。
「……ありがとう、舞夏。本当にお前には救われてるよ」
マリウスが何か言った気がして、私は立ち止まって振り返った。
「何か言った?」
「何も」
首を振ったマリウスの顔は、荷物を下ろした普通のマリウスの顔だった。
ひぐらしの鳴き声を聞きながら、私たちは肩を並べて帰路を歩いた。夕暮れ時の空が次第に夜を連れて来ていて、ゆったりと空に凭れるように浮かぶ三日月が薄っすら見えていた。
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ここまで読んで下さりありがとうございます。
応援して頂けると嬉しいです。宜しくお願いします。
次回から第4章が始まります。
夏休みといえばお祭!そして盆踊り!
マリウスたちがファンサをします!
ぜひ地元の夏祭りを思い出しながら、次章を読んで下さい。
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