第7話 リアーヌ、炊き出しをする



 八月中旬。世間はお盆休みに突入した。と同時に、帰省や他の魅力溢れる観光地へ旅行に行ったと思われるオタク観光客は減少した。私も、お盆休み直前の演劇部の手伝いで久し振りに学校に行っていた。勇者一行も、それぞれの派遣先で猫の手もあまる程度にのんびりと過ごしていた。

 ここで朗報。派遣先がずっと決まっていなかったマリウスを、ようやく必要としてくれる人が見つかった。もちろん、彼の不運ぶりは私から伝えている。それでも適任だと言って派遣を望んでくれたのだ。

 この日のマリウスは、その派遣先へと赴いていた。意気込んでいるのか、ただ緊張しているのか、心なしか肩に力が入っている。そして着いたのが、大きな鉄格子の門構えにヨーロッパ調の白壁の立派な邸宅。そう。マリウスの派遣先はドーヴェルニュ邸なのだ。

 マリウスは石畳を進み、屋敷の玄関を目指した。周りを少し気にしながら十数メートルのストロークを歩いて玄関を目の前にした時、リアーヌに呼び止められた。


「マリウス」

「リアーヌ」

「今日は来てくれてありがとう」

「それはいいが……これは何をしてるんだ?」


 屋敷の前の芝生の広場では、二十人くらいの人が汗を流しながら作業をしていた。しかも、ドーヴェルニュ邸の使用人だけではなく、リラテシュ領の人や周辺に住む地元住民の男性や女性の姿もあり、「新栄地区」と書かれた幌のテントを立てたり、何やら長テーブルを用意してIHコンロや食材を準備していた。


「今日は炊き出しをやるから、その準備よ」

「炊き出し?」

「領民と近所の方々の交流の場を設けようと思って」


『ライオン嬢』とミックスして数日が経ち、領民も少しずつ環境になれてきたから、ご近所さんたちとの顔合わせを兼ねて、いつも領民のためにやっている炊き出しをやるらしい。


「そうなのか。じゃあ俺は、炊き出しの手伝いをすればいいのか?」

「違うわ。マリウスには、セルジュたちにファンとの接し方を教えてあげてほしいの。ほら。またテレビ局の取材があるでしょ。今度は東京のテレビ局だから、身内の醜態なんて晒せないじゃない」


 そうなのだ。月曜日に東京のテレビ局から取材オファーが来て、浦吉町の全国デビューが決まったのだ。SNSや『まるシズ』の映像を観て、『なし勇』エリアだけでなく『ライオン嬢』エリアも取材したいという話で、それに合わせてリアーヌから、使用人たちに振る舞い方を指導してほしいと依頼があったのだ。

 マリウスと同じく元・現実世界の住人のリアーヌが指導してもいいんだろうけれど、領民や近所の人たちへの気配りを始めとした当主の代わりの役目がある。それにマリウスなら、指導が熱くなって口調がキツくなる心配はない。


「私は準備を手伝うから、マリウスはセルジュに付いて行って」


 そう言ってリアーヌは炊き出しの準備へ戻って行き、マリウスは玄関先に立っていたセルジュに使用人たちが集まる部屋へ案内された。質問も含めて指導が終わると、外で準備をしていた使用人たちが入れ替わりで来て、指導は前半・後半で行われた。

 リアーヌから事前に町おこし協力に関して何か言われていたのか、使用人たちは意外とするりと飲み込んでくれて、指導時間はわりと早く終わった。紅茶を一杯もらったマリウスは終わったら帰るつもりでいたけれど、あまりにも早く済んでしまったので、炊き出し準備中のリアーヌのところへ行った。


「思ったより早く終わったわね」


 ドレス姿から侍女から借りたメイド服に着替えたリアーヌは、両袖を捲くり上げ、料理人に混ざってパン作りを手伝っていた。周りの侍女たちがお嬢様の手が汚れるのをおろおろしていることも、顔に小麦粉が付いていることも、彼女は全く気にしていない。


「もう帰るのもなんだし、手伝えることがあったらやるぞ」

「料理はできるの?」

「師匠と二人暮らしをしてた時に毎日俺が作ってたから、任せろ」


 マリウスは自信ありげに胸を叩いた。


「それじゃあ、お願いしようかしら。パンの焼成が間に合いそうにないから手伝ってちょうだい」


 炊き出しの準備を手伝うことになったマリウスは、リアーヌの隣でパン作りを始めた。リアーヌと話しながら、小麦粉をこねたり、発酵させたパン生地を適当な大きさに分けて成形していく。いつの間にかセルジュも加わっていて、マリウスを気にしながら作業をしている。


「なんか、こうして外で料理をしていると、小学校で行ったキャンプを思い出すわ」

「俺も行ったよ。必ず誰かが持って来る具材を忘れたり、間違えたりしたよな」

「そうそう! カレーライスなのにお米がないと最悪なのよね。だから周りから少しずつ分けてもらって」

「学校行事のキャンプあるあるだよな。俺ちょっと虫が嫌で、身体中に虫除けスプレー吹きかけてた」

「男子のくせに虫が苦手だったの? もしかして、ウザいくらい寄って来るとか」

「クラスメイトの分まで俺に寄って来るみたいな感じだった」

「何それ最悪! さすが運なしね」

「おかげでみんなから避けられて、俺だけ半分一人キャンプ状態だった」


 学校行事で行った初キャンプが切ない思い出となったマリウスは、当時を回想して切ない顔をした。


「リアーヌ、手を動かせ。みんなが腹を空かせるだろ」


 二人が前世の思い出に花を咲かせていると、セルジュが少し強めの口調で無理やりあいだに入ってきて、二人の思い出話を妨げた。


「いいじゃない話すくらい。料理は話しながらした方が楽しいのよ。ね、マリウス」

「俺たちにしかわからない話だから、入れなくてつまらなかったのか?」

「は? そんなことでへそを曲げるほどオレはガキじゃない。調理中に虫の話をされたから不快なんだよ」


 不機嫌そうに眉間に皺を寄せたセルジュはマリウスを睨むと、成形した生地を並べた二枚の鉄板を持って屋敷の中へ行ってしまった。


「……この前から感じてるんだけど。あいつ、俺のこと嫌いなの?」

「気にしないで。時々ああして不機嫌になるのよ。理由はわからないけれど」



 時間が経過していくと、辺りに食欲をそそられるいい匂いが漂い始める。炊き出しの準備が整った。

 今か今かと待ち侘びていた領民たちや近所の人たちが、匂いにつられて続々と集まっていた。この日のメニューは、豆を使ったサラダと、牛肉と野菜を煮込んだスープとパンだ。


「分けるから一列に並んで!」


 百均で買った使い捨てのお椀やお皿を使って、集まった人たちに均等に分けられていく。マリウスも配膳を手伝った。

 ご飯をもらった新栄の人たちとリラテシュ領の住人たちは、芝生に敷かれたブルーシートに一緒に座って話しながら食事をした。マリウスもお礼に、リアーヌのためにセッティングされたテーブルに相席してご馳走になった。


「領主の娘なのに、リアーヌも同じものを食べるんだな。普段の正餐せいさんはもっと豪華だろ」

「こんな時なのに、私だけ贅沢なものを食べられないでしょ。領民たちと同じものを食べて同じ目線にならなきゃ」


 リアーヌはこっちの世界に来た時から、当主の娘として当主の代わりに多くの者をまとめる義務を背負っていることを自覚し、領民たちの心に寄り添うことを日々念頭に置いていた。


「領民たちは、みんな大丈夫そうだな」

「ええ。フーヴェルの人々のおかげよ。同じ境遇の人と出会えて安心したのもあるみたい」


 そうした彼女の働きのおかげで、家族や仲間とおいしそうに食事をしている領民たちはとてもリラックスしていて、緊張や不安な様子は見て取れない。カウンセラーの代わりのフーヴェルの人たちが不安の受け口になってくれたおかげで、マイナスの感情は取り除かれているようだった。領民たちの表情を見るリアーヌも、安堵の表情をしている。


「これからもあの子を頼ろうかしら」

「あんまり頼り過ぎても、きっと怒られるぞ。世話焼きに見えるかもしれないけど、舞夏は普通の高校生だ。俺たちを世話する時も文句を言いながらだし」

「そうみたいね。明るくてとても親しみやすいし、何だか思わず頼りたくなってしまう感じ」

「俺も、舞夏の垣根のない明るさには救われている」

「リアーヌッ」


 リアーヌの隣に座っていたセルジュが、またもや眉間に皺を寄せて二人の会話の邪魔をした。


「なに、セルジュ」

「スープのおかわりは?」

「私は大丈夫よ。育ち盛りの子供たちに食べさせてあげなさい。ほら。行列ができてるから手伝ってきて」


 リアーヌに言われたセルジュは、渋々席を立ち上がった。そして、テーブルを離れる瞬間にマリウスに嫉妬のこもった視線を向けて立ち去って行った。鋭い視線に刺されたことに気付いたマリウスは、セルジュに何かしたかと怪訝な顔をした。


「そういえば。今度、盆踊り祭があるんでしょ? 志穂から聞いたわ」


 私の地元のオタ友の志穂は、あの日以降よくドーヴェルニュ邸を出入りするようになって、リアーヌとも親しくなっていた。『ライオン嬢』エリアの観光客を迎える準備にも、前のめりで協力してくれている。


「芸人のミニライブがあったり、花火の打ち上げもあるってさ。よかったら、セルジュとか誘って来いよ」

「懐かしいわよね、盆踊り。ぜひ行かせてもらうつもりよ。その日にテレビ局の取材があるのよね?」

「ああ。ボランティアの人が『来てもらうなら、盆踊り祭の日にしましょうよ!』って言ったらしい」


 それを言ったのはもちろん、“アイデアの泉”の中野さんだ。


「盆踊りは行けると思うけれど、実はその日に、こっちでもファンミーティングをやりたいって話になって、今みんなで計画中なの」

「そうなのか。この前の即席撮影会、そんなに感触よかったんだな」

「ええ。提案をしたのは志穂なんだけれど、ファンの子たちがもっと喜ぶならやりたくて」

「そうか。きっと喜んでくれるよ。正式に決まったら観光協会のSNSで告知してもらうといい」


 既にイベントが楽しみなリアーヌは、サンタクロースからのプレゼントが待ち遠しい小学生のように表情を綻ばせる。自分にファンがいることを知り、サービスをしたことでファンの笑顔が目に焼き付き、もっと喜ばせることをしたいと願っていた。隣でファンへの奉仕を楽しみにするリアーヌを見たマリウスは、フッと視線を落とした。


 食事のあとに、集まった領民の人たちにもファンとの触れ合い方を軽く教えたマリウスは、ドーヴェルニュ邸を後にした。

 うだるような暑さは、西日になっても和らがない。それは灼熱の太陽の置き土産、天然屋外サウナと化したアスファルトのせいだ。その暑さに参ったというように短く溜め息をついたマリウスは、とぼとぼ歩きながらぽつりと呟く。


「……しっかりしろよ、俺」





 演劇部の手伝いのあと少し寄り道をして、夕方の六時ころに私は帰って来た。その時にはもうマリウスは帰って来ているはずだったけれど、その姿はなかった。


「えっ。マリウスが帰って来てない?」

「そうなのよ。午前中にリアーヌちゃんのところへ出かけたんだけど……」


 ちーちゃんは心配して、ご近所さんに見かけていないか電話で訊いてみたそうだけれど、誰も見ていないらしい。


「オレもリアーヌのところへ行ってみたが、とっくに帰ったと言っていた」


 何時ころかは定かじゃないけれど、夕方五時のチャイムが鳴るかなり前には帰ったとリアーヌは言っていたようだ。その前となると、四時とか三時台だろうか。と言うことはマリウスは、二〜三時間も町中を歩き回っていることになるけど……。


「もしかして、迷子になってるニャ?」

「浦吉を網羅した訳じゃないから土地勘はまだそこまでないだろうし、ちょっと気分でいつもと違う道で帰ろうとして迷子になってるとか? それともまさか……何かトラブルに巻き込まれた?」


 この辺に変な人はいないけど、昼間から飲んでた酔っ払いおじさんに絡まれて拘束されてるとか。もしくは、どこからか来たガラの悪いお兄さんたちに運悪く遭遇していちゃもんつけられて、溜まり場に拉致されてボコボコにされてたりとか。

 マリウスが不運に遭遇していないかと私たちが心配していたその時、玄関の扉の音が聞こえた。近付いて来る足音にノーラは耳をピンと立て、私もマリウスが帰って来たかと期待した。


「ただいま帰りましたわ」


 残念ながら、帰って来たのはヘルディナだった。悪気はないけれど私たちは溜め息を吐いて、彼女にもマリウスがまだ帰っていないことを伝えた。ヘルディナも帰宅途中にその姿は見かけていなかった。


「少し心配ですわね。マリウスの身に何か起きていなければいいのですが……」

「そうだ、ヘルディナ。お前の占いでマリウスの居場所はわからないか?」

「視てみますわ」


 ヴィルヘルムスに言われたヘルディナは、杖に付いてる水晶玉に両手をかざしてマリウスの居場所を教えるよう念じた。私たちが静かに見守っていると、水晶玉が柔らかい白い光を発した。


「視えました。これは……開けた場所のようですね。どうやら外にいるようです。そして、灰色の大きくて長い壁が見えます。それから……水の気配がしますわ」

「もしかして海かな。海岸にいるのかも。私、迎えに行って来る」

「宜しく頼む」



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