第一章 アウローラ公国編

第1話「命の神様」

「……い……お…い…おーい」



 誰かに呼びかけられて、オレは目を覚ました。

 先ほどまでの体の痛みは嘘のように消え去り、仰向あおむけのオレは柔らかいそよ風に吹かれていた。

 木漏れ日がてらてらとして、少し眩しい。


 オレ、死んだのかな。

 少し首をかたむけて周りを見ると、でこぼこした丘や岩肌の間に広がる緑があった。

 明らかに日本ではない。

 緑の中に点々とある花や木が風になびいて、木の中から2羽の鳥が飛びたった。

 オレがいるのは周囲よりも一回り大きい木の下。

 少し乾いて心地良いあたりの空気に頭の下の木の根が良い具合に枕になっていて、昼寝にはぴったりの場所だ。


 地獄では無いよな、多分。

 燃え盛る業火も、煮えたぎる大釜も、ギラギラと光る針山も何もなく、気持ちのいい草原が緑の海のように広がるだけ。

 だとすればここは天国か…。

 ……オレなんかが、天国に行けちゃうのか……。


 オレは寝転がったまま再び天を見上げ、頭の中を整理しながら先ほど起こったことを順当に思い出していく。

 朝早く、学校へ登校しようと家を出てチャリで数百メートル、いつもの舗装された山道を爽やかな風に吹かれ走っていたところ、前から来たトラックに体当たりされた。

 その衝撃でチャリごと下段へ落下し、そこでアスファルトに頭を打ったんだ。


 母さんたちに悪いことしちゃったな。

 あれだけ大事に育ててくれて、あんなコトをしてもオレをずっと愛してくれていたのに、何もしてあげられずに死んでしまった。

 つくづく親不孝な息子だよ。


 しかし、あの世にしては景色があの世らしくないというかなんというか、草木の様子といい空の色といい、割と現実味のある景色というか…。

 もうちょっと神秘的な雰囲気があっても良いんじゃないだろうか。

 しかしこの展開、ラノベではよく見た。

 オレが最近1番ハマっていて、つい昨日も本屋で新刊を手に入れ、週末に読もうと楽しみにとっておいた。

 もしかして、もしかしてだけど



「異世界転生…か?」


「ちょっとぉ〜」



 冗談めいたつぶやきのすぐ後に、足元の方から声がした。

 目が覚める前に呼びかけられた声と同じ、男とも女とも捉えられるようなよく通る声。



「死んじゃって感傷かんしょうに浸るのは良いんだけどさぁ、ほったらかしはヒドいんじゃない?」



 誰かがいる。

 オレのこと死んだって言ってるしきっと天使か獄卒かもしくは神か、とにかくただの人間ではないであろうことだけは明白。

 明らかにオレに話しかけているよな。

 初対面でこんなに軽い調子で話しかけてくるなんて、たいそうお気楽なヤツと見た。

 地面から起き上がり、声のした方を見る。

 その瞬間、オレは絶句ぜっくした。

 何故ならば、瞳の中に飛び込んできた声の主の姿があまりにも自然に摂理に背いた、極めて衝撃的な姿であったからだ。

 色白の肌に純白のロングヘア、美少年で美少女というべきか、中性的で整った顔立ち。

 ……だが、身体が無い。

 肩から下に白い布を巻いているが、本来下半身があるであろうその下には背後の青々しく広大な草むらが広がっている。

 いや、よく見れば下半身どころか腕すらも無い。

 また目元に長く白い布を巻いており、眉の下にある2つの窪みから目玉が無いことも予想ができる。

 ひとことで言えば、見た目がとにかくグロい。



「わああっ!!」



 情けない声を出し飛び起きたオレは小猿の如き素早さで体を転がして這い出し、そばの木に後ろに隠れた。



「やっぱりちょっと怖いか。おーい、出といで〜」



 白いソイツはフヨフヨと浮遊霊ふゆうれいのように浮いてオレに近づいてきた。

 オレは咄嗟とっさに奥に回り込んで距離を取る。

 な、なんだアイツなんだアイツなんだアイツ!?

 なんで浮いてんだよ、なんでアレで喋ってんだよ、なんでアレで生きてんだよ!!



「とって食おうってんじゃないからさぁ、怖くないよ〜?」



 ヤツは猫撫でそう語りかけ、木の後ろを覗き込む。

 見た目が死神すぎるんだよ!!

 いや、ここがあの世なら死神は案内人か。

 だとしても!とてもとても近寄りがたい。



「なんでかなぁ、ヒトガタが1番人間にとってはしたしみやすいと思ったんだけど」


「人間じゃないモンが人間の形してるのが1番怖いって…」


「おっ喋った」



 とは言ったものの、今のところ話し方や立ち振る舞いからはあまり危険味を感じられない。

 近づいてみても良さそうだが、万が一ってもんがある。

 あの長い髪がオレに巻き付いてきて魂をしぼり出されるかもしれない。

 あの布の下から肋骨が突如現れて、胴に噛みついて心臓を食いちぎられるかもしれない。

 青ざめた顔でそんなことを想像しながらオレが警戒心たっぷりの眼差しを向けていると、ソイツは大きなため息を吐いて肩をあからさまに落とした。



「はあ、せっかく前世のままでこっちに来させてあげたのに、これじゃあやるせないなぁ〜」



 前世?今、前世って言ったか?

 それってもしかして、もしかして本当に



「本当に…異世界転生…」


「異世界転生?うーん、まあ似たようなもんか。うん、そう、異世界転生。そして君は偉大なる転生者様ー!」



 白いヤツは両手を広げるように肩を上下に揺さぶる。

 軽薄けいはくな奴。

 でも、異世界転生が実在していたなんて。しかもオレが転生。

 普通に考えて現実味がなさすぎる話だが、まさに現状それが起こっている。



「じゃあ、本当にここはあの世じゃない?オレは、生きてる?」


「厳密に言えば違うんだけど、大体は合ってるかな」



 得体えたいの知れないヤツからの情報は正直信用できないけれど、辺りに何もない誰もいないこの状況下では唯一の情報源だ。

 全て鵜呑うのみにするわけじゃないが、できるだけのことは訊き出そう。



「ここの世界は君たちの言うあの世さ。でもちょっとだけ違う。ここの人達は霊体れいたいじゃなくちゃんと肉体を持って生きているし、寿命がきたり怪我や病気をわずらえば死ぬ。現世とあまり変わりはないよ。」


「つまり、どういうこと?」



 ヤツは「うーん」とうなりながら難しい顔をした。

 噛み砕いて説明をしようとしてくれているのだろうか。

 そこらへんの親切心はあるんだな…。

 だからと言ってまだ信用してるわけではない。



「まあ、簡単に言えば魂は使い回しで、生死を媒介ばいかいとして2つの世界を行き来するんだ。いちいち新しい魂作ってらんないからね。」


「そういうことじゃなくて、この世界はなんなのかってことが知りたいんだって」


「え、ああそっちね」



 察しの悪いヤツ…。



「えーっと、ここは神と人間、その他様々さまざまな種族が共存する世界さ。まあ君らの言う異世界とほぼ一緒だよ。言わば剣と魔法の世界!!」



 神、異種族、剣と魔法の世界!

 なんてこった、どうやらオレは本当に異世界へ転生してしまったようだ。

 いや、元の身体を保っているこの場合は転移か。

 今までの人生をほん投げて新しい世界でイチからやり直すというのは、誰もが一度は夢見るであろう空想。

 だがそれはあくまでも空想の中で留めておくからこそ楽しいのであって、事実として起こってしまうのはまた違う。

 実際に今のオレは前の世界に未練が大アリだ。

 まだ親孝行もロクにできていない上に、受験勉強だって本格的に取り組み始めたばかり。

 これからだったんだ。

 今まで迷惑をかけた分老後まで2人を支えて、なんだっていいから人の役に立てる人間になるって、そのためだけにずっと頑張ってきたのに、こんなことってあるだろうか。

 ……だが、もう起こってしまったものは仕方がない。

 あの時オレはトラックに轢かれ、確かにオレは大量の血を流して道路に横たわり、まだ陽の低い天を仰いだ。

 これが表す事実は、おそらくオレがもうあの世界の住人ではなくなってしまったのではないかということ。

 こればかりは受け入れるしかないのかもしれない。

 争いたくても、反抗の仕方もわからないしな……。


 それともう一つ、納得のいかないことがある。

 人外っぽいコイツがオレをわざわざ連れてきたってことは、何かしらの理由があるはずだ。

 もし理由があるのなら、なぜオレという人間を選んだのかも気になるところ。



「じゃあ、その、何でオレを前世のオレのままで連れてきたんだ?」


「良い質問!!」



 ヤツは意気揚々とした表情で右肩をオレの方にグイッと向けた。

 人差し指を突き出したんだろうが、手どころか腕すらないせいで非常に不恰好。



「君にボクの身体からだ探しを手伝ってほしいんだ」


「からだを?」


「そう。ボクの身体は訳あっていろんなヤツが持ってるんだ。それを一緒に取り返して欲しい。」



 身体を探すだって?

 せっかく異世界転移を果たしたのに、そんな某ホラー映画みたいな展開があるのか?

 なんというか、正直気味が悪い。



「一人でやれば良いだろ」


「それがそうもいかないんだよねぇ」


「なんで」



 白いヤツは左右にれながらオレの周りをクルクルと回る。



「まあでも、それはまた後で。それより笠井賢吾かさいけんごくん!もっと重大なことが君の体に起こったんだ!!」



 ヤツはくるりと一回転すると、グイッと詰め寄るように顔を近づけてきた。

 不意のことで驚いたオレは後ろに倒れそうになったが、何とか体勢を保つ。

 コイツ、オレの名前も知ってるのか。

 それよりなんだ?オレの体に大変なこと?



「ズバリ!先ほど君はこのボク、命の神ガイアとの血の契約けいやくによりボクの眷族けんぞくとなった。そしてそのあかつきに、不老不死の体を手に入れたのだー!」


「はぁっ!?!?」


「どう?驚いた?」



 わけがわからない。

 かれて死んだと思ったら目を覚ましたのは草原で、そばには命の神を名乗る見た目が死神のヤツが1人。

 魂を喰われると思ったらいきなり眷族?不老不死?

 見た目のインパクトと話が急展開すぎるせいで脳が処理しょりを放棄しかけてる。

 不老不死、不老不死って…死なないっつったって怪我したら痛いじゃんかよ…なんなんだよもう…。



「契約は君が眠っている時に済ませたよ。神との契約に人への合意は必要ないからね」



 ずいぶんと軽く、倫理観のバグった発言をかましてくれる。

 混乱を隠しきれないでいるオレ見て、喜色満面でご満悦と言った表情を見せるガイア。

 ソイツはクルリとオレの後ろへ回り込むと、耳元で小さく囁いた。



「ち、な、み、にぃ、不老不死って言ったけど不死は半分だけだよ。契約中はボクの所存で生命力を吸い取ることも与えることもできるからね。つまりどう言うことかっていったらぁ…………………君は、ボクから逃げられないってコ・ト」



 その瞬間、全身の毛が逆立ったような感覚が走った。

 身の毛がよだつってのは、きっとこういうことを言うのだろう。



「じ、冗談じゃない!そんな素っ頓狂なこと、おいそれと信じられっかコノヤロウ!!」



 オレは手足をバタつかせて這うように立ち上がり、大木の下から一目散に逃げていった。

 「あ、ちょ、」とオレを引き留めるやつの声がしたが、フル無視で野原を突っ走る。


 人を見てくれで判断するなと教わってきたが、あんな見た目のやつが悪霊や邪神じゃなかったらなんだっていうんだ!

 いきなりの坂につまづきかけるオレだが、なんとか体勢を直してそのまま駆けっていく。

 夢を叶える玉ならまだしも、身体探しなんてそんなグロテスクなことやってられるか!!

 オレはそこそこの大学を出て、そこそこの会社に入って、結婚も恋人も作らずに一生親と社会に貢献して生涯を終えて!

 それで、そのあと……


 地獄で“罪”を償うんだ。


 その時、大きく踏み出した右足に言われもない浮遊感を感じた。

 嫌な予感がして下へ目をやると、そこは岩肌の露出した断崖絶壁。

 慌てて方向転換するオレだったが、左足を軸に回転したせいで体重が一点に集中し、足場が崩れてオレの体は宙を舞った。

 終わった……けど、死ぬのは2回目。

 いや、不死身らしいし死ぬことはないのか。

 高さが高さだしもしかするとトラックよりも痛いかも。

 でもまあ、オレは楽に死ぬべきじゃない人間だからそれも妥当か。

 ……それに、これで


 オレは2度目の死を覚悟し、ゆっくりと目をとじた……しかし次の瞬間。



「賢吾ー!!!」



 どこからともなくオレの名を叫ぶ声と共に、突如フワリと浮かぶオレの体。

 いや、感覚としては浮かぶというよりも“何かに乗っている”というのが正しいだろう。

 恐る恐る下を見てみると…。



「お、お前!」



 なんと、オレの体は宙を浮くガイアの上に乗っていたのだ。

 必死な様子で上へ上がろうとするガイアだが、上半身しかない彼女が50キロ以上ある男の体を支えられるはずもなく、案の定バランスを崩して2人とも落下していった。

 ドスンという鈍い音と共に腰へ走る激痛。

 お手本のような失敗着地をしたオレは瞬時に起き上がることもできず、寝っ転がった体制のまま坂道を数メートルゴロゴロと転がっていった。

 悶絶もんぜつしそうな腰の痛みに耐えてなんとか立ち上がると、顔を真っ赤にしたガイアが鬼の形相ぎょうそうで詰め寄ってくる。



「キミねぇ!こんなことして!死んじゃったらどうするの!?」


「…え?」



 なんだ?コイツは何を言い出すんだ?



「な、何言ってんだよお前!不死身なんだろ?だったらほっときゃ良いじゃんかよ!!」


「そ、そうだけど……でも!こんな高いところから落ちたら痛いんだよ!?すっごく!助けてあげようたって今のボクじゃキミを守れないし!!とにかく、もう絶対にこんなことしないで!!」



 息を切らしながら必死にまくし立てるガイア。

 なんなんだコイツは…。

 従わなきゃ殺すかもしれないなんて脅しておきながら、オレの身を案じるような言動。

 一体何がしたいのか、ますます不気味になってきた。

 ……けど。

 


「オレのこと、心配したのか?」


「そうだよ!じゃなかったらなんだっての!」



 先ほどまで笑顔で倫理観のぶっ飛んだ発言をかましていたとは考えられないほど、ガイアの表情は至って真剣だった。

 なんだよコイツ…会って十数分の男に対して…。

 しかし、オレを心配してくれるガイアの気持ちが偽物であるというのは、実際に助けてもらった今、オレにはとても信じられなかった。

 もしかして、本心からオレを……オレじゃなきゃダメな理由があるのか?


 オレをまっすぐに向き、プンスカと大きく頬をふくらませるガイア。

 何にしろ助けてもらったのは事実なわけだ。

 それに、不死身だってんなら別にコイツに痛みが伝わるわけじゃないんだし、普通は放っておくはず。



「……わかったよ。身体探し、手伝えば良いんだろ?」


「!」



 その一言に、ガイアの表情がパァっと明るくなった。

 そして「本当に?本当に?」とまるで小さな子供のような笑顔を浮かべて顔面寸前まで詰め寄る。



「本当だよ。少なくとも悪いやつじゃなさそうだしな…」


「やったー!!」


「んなっ、くっつくなっての気持ち悪りぃ!」



 無い腕で抱きつくように詰め寄り、真っ白な頬を擦り付けてくるガイア。

 調子に乗りやがって……でもまあ一応身を挺して守ってくれるくらいに良いやつではあるし、こんなことでどうこう言うのもな。

 それに、あの時決めたんだもんな。

 人にはなるべく優しくするって。

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