第1話
体が怠い、外の空気を吸いたくない。家が、自分の部屋が体をそこから動かしてはくれなかった。
太陽の日差しを一切入れないためにカーテンは閉め、机の上も全く整理されていない。前日の日曜日は、ベッドの上から動く気分にもなれなかったのだ。
「学校、休もうかな……」
力なく呟く光だが、自分の親の事を考えると……そうは出来なかった。
光の両親は共働きであり、簡単に言ってしまえばボランティア活動をしつつ給料を得る大変な仕事をしている。
一人っ子の光は、そんな親になんとか学校に通わせてもらっている身なのでサボるだなんて考えられなかった。
「……仕方ない、か」
億劫に呟く光だったが、乗り気になるわけがなくしばらくの間はベッドから動くことも出来なかった。だが、一度決めた事を覆すことはせず、いつものより遅めに学校に向かうことにする。
怖い。今すぐにでも引き返したい気持ちで一杯だ。このまま教室に入っても何もないのではないかと期待する自分とすべてから拒絶される絶望を察す自分がいる。
このまま扉の前に立っていても、あとの生徒からすれば迷惑になる。それに遅かれ早かれこの教室には来なくてはならないのだ。
勇気を振り絞ってスライド式の扉を開けて教室の中に入った。
ざわざわしていたクラスは、一瞬で静まり返った。やっぱり、と光は絶望してしまった。
光の推していたアイドルは、全国的に有名でありつつ人気なのだ。このクラスにももちろんファンはいるし、ネット上でかなり有名な事件になってしまったので知っている人は多いだろう。
「おい霧山!!これどういう事なんだよ!!」
クラスの一人が、この静寂を切り裂くように光に問いただした。光に見せつけたスマホの画面には、例の話題が映っている。
彼の質問に同調するかのように、全員が耳をすませて光の答えを待つ。
「……俺は、何もやってない」
力なく、光は言って弁明しようとした。だけど続きの言葉を待つこともせずに、もう一人の生徒が口を開いた。
「んな事を言っても、信じれるわけがねぇだろ。お前の普段の行い、学力を見ていれば分かるさ。お前がそれをやったって」
「違う、俺じゃ……ないんだ」
「もう少し自分の行いを見直してから言ってくれねぇか?これでもし彼女に問題が生じたらどうするつもりなんだよ」
周りのクラスメイトと大した交友関係を持っていなかった光の事を守る人間など、そこには存在しなかった。
すべては、日ごろの行いが良くなかったから。こうやって問題に発展したのも、自身の頭が足りていなかったから。
光はいてもたってもいられなくなり、教室から逃げるように駆け出した。
背中に走る悪寒を払拭しようとするが、それがかなうことはついぞなかった。
走っている合間に、SNSが更新される。あの暴動の犯人が確定したと、証拠もないのに出回ってくる。
あそこで、変な正義感にかられなければ、もっと頭を使っていれば。もっともっともっともっともっともっともっともっともっと。
「俺は……何を間違えたんだ??」
気づけば、体育館裏にいた。まったく手入れされておらず汚れが目立つ壁に体を預けて力なく座り込む。
考えても考えても、一つしか答えが浮かんでこなくて……光は力なく笑った。
「そうだ、全部……間違えたんだ。学習習慣も、友達付き合いも……彼女を推すことさえも」
彼女を推してさえいなければ、こんな事にはならなかったのだろうか。こんな絶望を背負うことはなかったのだろうか。
彼女を推すために使っていたお金を別の趣味に使っていれば、何か役に立っていたかもしれない。
彼女を推すために費やした時間を勉強に充てていれば、もっと頭は良くなったかもしれない。特待生として、親を安心させられたのだろうか。
失敗した、何もかも。すべて意味がなかったのだ。今までの十七年間、無意味だったのだ。
このまま、学校をやめてやろうかとすら思ってしまうが……両親に心配をかけたくない光はやめるわけにはいかない。
「今の俺が必要とされていないのなら……俺は、どこにいればいいんだ。いっそのこと…」
不穏なことを呟きながら光は校舎へと入り、屋上へと足を向けるのだった。
今まで一度も来たことのない屋上へと続く扉を押して空を見ようとしたが、本日は曇天で青空などかけらも見えなかった。
ただ、光はその事について全く気にした様子は見せなかった。その原因は、光の目の前に立っている女の所為だ。
「……あんたは」
入学時に配られたプリントで、教師の顔は大方覚えたつもりでいたのだが、ここまで可愛らしい教師は見覚えがなかった。
となると生徒の可能性があるが、屋上は原則立ち入り禁止だ。それなのに、この時間から屋上に来る生徒などいるわけがない。
思考がぐちゃぐちゃの今は、人の顔を認識するなど簡単にはできずになんとなく「可愛い」と思うだけだった。
「ここは、生徒が立ち入り禁止ではないのですか?」
その女は、あくまで分からないといったスタンスで光に問う。教師であるならば、屋上への立ち入りが禁止かどうかは分かっているはずだ。
「あぁ……はは、間違えたんですよ」
これ以上喋る気にもなれず、光は屋上に背を向ける。屋上に人がいるのであれば、今はやめておくことにする。
「学生の内に、勉強しなくてはいけませんよ。大人になれば、そんな機会もありませんから」
光の背に語り掛ける女。やはり、生徒ではないので新任の教師なのだろうか。下級生の教育実習生など考えられる。
だけどそんなことを考えるほどの余裕はないし、更に今失われた。
学生の内に勉強しなくてはいけない。勉強しなければ、何も得られずに終わっていく。
「………」
光は拳を握りしめ、何か言葉を返すわけでもなく無言で屋上の扉を開いて去っていった。
下の階に続く階段にどっしりと座った光は手で顔を覆った。そして、歯ぎしりをしながら言葉を零す。
「分かってる、分ってるんだよそんなことは……!!俺は、俺は……!!」
頭が悪ければ、何もできない。頭が良い人に比べて、圧倒的に道が狭まる。頭が良いというだけでその人に信頼を寄せている人もいるレベルだ。
たとえ同じ文芸部でも、真面目で好成績の沙耶と不真面目な光。どちらか一方の意見を信じるとなってしまえば光を信じる人などいないだろう。
今回の事件だって、光の頭が悪いからこうなってしまった。あの時考えなしに行動していたから、ここまで大事になっているのだ。
もしあそこで、考えることが出来れば未来は変わっていたかもしれない。だけどそんなあったかもしれない未来の可能性をつぶしたのは、他でもない光の学習習慣だ。
「そうだ、変わればいい。俺を責めるような馬鹿に……教えてやらないと。あんな奴らよりも、頭が悪い?そんな事、あってたまるか……!!」
覚悟を決めた光は立ち上がり、教室に向かった。立ち直ったとは言えないが、今ならどんなことを言われようが気にしない気がした。
光が教室に戻ると丁度授業が始まる瞬間だった。光の姿を見た生徒からはため息と鋭い視線を一斉に向けられるが、どうでもよかった。
教科書を机の上に出して広げると、今までにないほど集中できた。
この空間の空気とは違う、自分一人だけの空間に入れた気がするから。だからなのか、授業など気づけば終わっていた。
授業間の休憩時間であちこちで光の陰口を言っている生徒がいたが、それすらも無視して勉強を続ける。こんな性格の奴らに点数が負けるなど、あってはならなかったから。
だけど、集中力にも限界はあって。昼休みになると、勉強にも区切りがついて自分一人の空間から出てくる。その瞬間に陰口が大量に入ってくるのだからすごいものだ。
別に光はメンタルが強いわけではない。校舎中で自分の陰口が言われていると思ってしまうと、食事が喉を通らなかった。
仕方ないので、ネットでおすすめの教本でも見ることにする。教科書だけでは限界というものがあるだろうし。
そういえば、あの日から通知が来なくなった。DMの通知は速攻に切ったので、通知が来るとすれば凛堂華のSNSアカウントくらいなものだ。
「ということは……動いてないってことか」
推測をするが、今更彼女の事を考えたところで光には関係がない。既に、光は彼女のファンを名乗る状況ではないしそんな気はないからだ。
自分がこんな苦しい思いをしているのも知らないで当時の説明をしない彼女を、光が推すわけがなかった。
だけどまだ当時の思いを捨てきれていないのか、彼女が本当は何かを言っているのではないかという淡い期待を抱いて……SNSを開いてしまった。
開いた瞬間、AIによって判断された光が良く見る傾向にあるテーマの投稿がいっぺんに目に入る。
そこに書かれてあるのは、多くの誹謗中傷。個人に対してとは思えないほどの量で、光を擁護するような意見すらも見えなかった。
そんな投稿を見てしまって、気分が病まないわけもなく、彼女の投稿を見るという当初の目的はとっくのとうに忘れてしまった。
もちろんの事、DMは大量に来ていて……すべてが光を卑下するような意見だった。きっと、この中にはクラスメイトや文芸部員がいることだろう。
既に、自分の居場所などないと分かってしまった光は部室にも二度と顔を出さないことを決めた。
提出予定だった部誌を破るとごみ箱に捨てて、重い足取りで教室を去った。
大丈夫だ、今は耐えて……見返してやればそれで。
今日は早退することに決めた光は、荷物を教室から持ってこようと考えるわけだが、やめた。
「……あの教室に戻るくらいなら、早く帰って勉強した方がましだ」
財布とスマホを持っているのだから何も問題はないと判断した光は、そのまま下駄箱に向かってその問題に気づいた。……靴がなかったのだ。
典型的なやり口だが、やられたことのない光の心をさらに抉るには十分だった。
「ハハ……やっぱ、こうなんだな」
自分でも痛感する。もう、行動に移ってしまっているのだ。言葉だけでなく、全力で光の事を拒絶する姿勢になっている。
こんな高校で、光はどうすればいいのか分からない。ただ、転校をしたところで光の噂は広がっているだろうし環境は変わらないだろう。
「……どうせ、ここだろ」
小さな庭に置いてあるゴミ箱から靴を見つけると、光はそこに手を突っ込む。
ゴミ箱に手を突っ込んだことなどないので、かなり気持ち悪い感覚に襲われながらも靴を取り出した。これからは、靴や上履きは持っておかないと駄目なのかもしれない。
「となると……上履きも持って帰るか、隠すか」
バッグを教室に置いてきている光にとって、素手で上履きを家に持って帰るのは正直言って嫌だった。
かといって無防備に下駄箱にしまったところで、何かされるのは火を見るよりも明らかだ。
なので、素直に下駄箱に入れなければいい話だ。光しか分からないような場所に置いておけばいい。
「ま、そんな場所はないんだけど」
学校生活に重きを置いていなかった光は、この高校に対する理解が浅い。光くらいしか分からない場所などどこにも存在しないだろう。
「……いや、一か所あるか」
普段生徒が絶対に入らないような場所。誰かが行くような姿は今のところ見ていないし、生徒が行くような覚悟はないだろう。
それを決めた光は、上履きを持って再び会談を昇ることにする。
辿り着いたその場で、光は再びその人物と出会うことになる。
「……また来たんですか」
屋上にて、あの女はいまだに立っていた。なぜなのかは光が知る由もないが、困ったことにはなる。
ここは特に障害物はないので、彼女には上履きを屋上に置くことがバレてしまうだろう。
「そろそろ5限が始まる時間でしょう。早く向かった方が良いですよ」
彼女の声は、どこかで聞いたことがある気がした。というよりも、彼女自体光は目にしたことがある気がした。
光が覚えているという事は、かなり印象深かったという事だ。そんな人間、光には数える限りしか存在しないはずなのだが。
「というか、そういう貴女こそ大丈夫なんですか。ずっとこんな所にいて」
冷静に話せる自分が怖かった。彼女を前にすると、今までの憂鬱な気分も浄化したような気がしてしまうのだ。
言葉を投げられると思っていなかった彼女は、鉄柵に手を乗っけながら口を開く。
「私は良いんですよ。今日はまだ、することはそれほどないので」
今日はそれほどないという事は今後増える予定があるということだ。やはり教育実習などなのだろうか、と光が思考しているとそんな考えを読んだ女は告げる。
「私は、新任の担任として着任するので」
「……担任?この時期に?」
既に各クラスには担任がいて、新しい教師が入る余地など存在しない。それに、新任という立場で担任を任せられるようなものなのだろうか。
「私、前まで本当に忙しい仕事に追われていたので。担任くらいなら務めることは出来ますよ」
忙しいと言えば、凛堂華を思い浮かべてしまう。彼女の仕事はとても忙しそうで、自分の時間など確保できないと思わせてしまう程のものだった。
光は無意識に凛堂華の顔を思い浮かべて……目の前の女教師と重ねてしまった。
だが、重ねた瞬間に……ハッとする。顔といい声といいどこか印象に残っていたのは、彼女に似ていたからなのだろう。
「仕事も忙しいって……まるで凛堂華みたいですね。声もどことなく似ていますし、顔も少し面影がありますし」
ただ、こんなところに彼女が来るわけがない。仕事で忙しい身であり、アイドル業をしている彼女がこの高校に来る意味が微塵もないのだ。
光の言葉を聞いた女教師は一瞬硬直して、すぐに顔を背けた。その行為にどんな意味があったのかは、光には理解できなかった。
「……貴方は、彼女のファンなのですか?」
女教師は恐る恐る光に問いかけるが、光は回答に困っていた。確かに数日前までは大ファンだったが、彼女の行いを見て、未だにファンであると明言することが出来なかったからだ。
「まぁ、前までは凄い好きでしたけど……今は、どうなんでしょうね」
本人に恨みがあるわけでもない。かつての自分に希望を与えてくれた人と言っても過言ではないので恨むのはお門違いでもある。
「……いや、もうファンではないですよ。好きなのかどうかはさておいて」
もう既に、光がファンを名乗る資格が失われてしまった。本人が推すのは自由なのかもしれないが、それを誰かに伝えるのは違う気もする。
「そう、なんですか。それは、良い事ですね」
「……?」
彼女の言った意味が分からず、光は困惑を示すが彼女が答え合わせをしてくれるとも思えなかったので黙っておくことにした。
彼女のファンでいると何か悪いことが起きるのかとも考えてしまったわけだが、実際自分は酷い目に遭っているのであながち間違いではないだろう。
「それで、貴方のお名前は?一応屋上に来るのは校則として禁止ですから聞いておかないといけないんですよ」
「……教師に報告するんですか?」
「いいえ?名前を聞いてくださいと言われただけで報告は義務付けられてはいません。それに、今の私にはそんな気力はありません」
力なく言葉を吐き出す彼女の瞳は、どこか遠くを見つめている。その姿は、今の光と大きく重なった。
だからなのか、光は思わず尋ねてしまった。
「何か……辛い事でもあったんですか?」
光の言葉に彼女はハッとした様子で、されどすぐに落ち着いた様子で言葉を返す。
「ハハ、生徒に話すことでもないので気にしないでください」
あまりにも、その奥底は今の光よりも数倍闇深くて……光は引き下がってしまう。
「そうですか。……辛いと感じたら、どうすればいいんですかね」
さっき出会ったばかりの教師にするべき話ではないのは分かっている。
というよりも、普段の光ならどれだけ親密な相手でもこの質問は繰り出さなかっただろう。
けれど、まるで彼女の存在は意識の外のように。一人で呟くかのように、その問いは口から零れ出ていた。
光の質問に驚いた新任の教師は、少し驚いて……すぐに乾いた笑みを零す。
「そんなこと、今の私に聞かないでください。……教師として答えることなどできませんから」
その言葉に、光は違和感を覚える。彼女の口から”教師”という単語を聞くと、違和感を感じてしまうのだ。
まるで彼女が教師ではないと自分が主張しているようで、今の状況も相まって光の心はぐちゃぐちゃだった。
「というより、どうしてそんな事を?そもそもとして、貴方はどうしてこんな所に……」
「早退する所で。その……どうしても見られたくないものをここに隠そうかと思いまして」
苦しい良い訳かもしれないが、虐められていて上履きを隠されたくないからなどと言えるはずもなかった。
「そう。……貴方も、大変なのね」
わざわざ貴方”も”と言ったのには意味があるのかもしれないと光は思ったが、今は他人の事を考えている余裕などない。
まだこの場にこの人がいるのなら、上履きを置くのは難しそうに思える。教師にこのことがバレるなど一番面倒くさい。
もし教師にバレてしまえば、親の元に電話が行くことは避けられないため絶対にバレてはいけない事案なのだ。
その思考がバレているだなんて微塵も思えないが、その教師は光を安心させるためなのかなんなのか……
「別に、私はそれに興味はないから適当に置けば良いわよ。相手が子供だろうと、人の秘密には……突っ込みたくはないから」
その瞳は、やけに悲しげで昔の自分を戒めているようにも感じた。
過去に何があったのか光には知る由もないが、訳ありなのかもしれない。こんな時間に屋上にいるのは訳ありとしか考えられないが。
ただ相手が見ないというのであれば、光にとっても都合がいい。この女教師にバレないのであれば、親に電話が行くことはない筈だ。
できるだけ見られないように上履きを見づらい場所に置くと、光は屋上の扉に向かう。
「……それじゃ、気を付けて。本当に辛くてやっていけないと感じたらもう一度ここに来ると良いわ。その時は私も少しは回復してるだろうし、アドバイスできるだろうから」
「……はぁ、ありがとうございます……?」
困惑気味に返す光だったが、もうここで話を聞いてもらうことはないだろうと思いながら扉を開く。
(いやでも、毎回ここに上履きとかを置くと会うことになるのか。……明日からは袋を持参しないとな)
ただ先の事を考えても良い気持ちになるわけがないので光はそれ以上考えることはなかった。
女教師が引き止めないのを確認して、光は屋上を去って帰宅するために階段を下って昇降口に向かう。
何もかもを忘れるために今日は早く帰宅して寝て、明日から勉強を始めることにしようと。光は思考しながら帰路に就く。
家についてベッドの中に入った光の頭を支配するのは、クラスでの残酷な光景……ではなかった。
あんなにも絶望したのに。嫌な気持だったというのに。どうして光の思考は屋上での光景がこびり付くのだろうか。絶対にクラスでの光景の方が、印象に残るはずだったのに。
当時よりもはるかに気持ちが楽になっていて、まるで”憧れにお話が出来た”感覚だ。何故このような感覚に陥ったのかは分からないが、あの教師には感謝しておいた方が良いのかもしれない。
「まぁ……もう出会うこともないか」
ベッドの中で小さく呟くと、光は瞼を閉じた。あんなことがあって疲れ切っていたのか、光は一瞬で夢の世界に旅立つことになった。
「……体が怠いな」
翌朝にベッドから起き上がり、瞼を擦ると光は目覚ましのアラームを止める。
心では大丈夫なように演じていても、やはり無自覚的に高校にはいきたくなくなっているらしい。
朝食を簡単に済ませ、授業中に何を勉強するかを考えてから家を出た。
下駄箱に辿り着き、ようやく思い出した。
「そういえば……屋上に上履きがあるんだっけか」
外履きを持参の袋に入れると、上履きを取りに屋上に向かった。
あの人は、今はどこにいるのだろうか。また、屋上にいるのだろうか。そんな事を考え、光は屋上に通じる扉を開いた。
やはりというべきなのか、屋上に昨日いた新任の教師はいなくなっていた。昨日が珍しく、普段は屋上に来ることなどないのかもしれない。
昨日隠した上履きを手に取ると屋上を出て、上履きを履いて自分の教室に向かう。その道中も視線に晒され続けたが、気にした様子は見せなかった。
こういった状況で、気弱になってしまうのは向こうにとっても楽しくなってくるものだろう。無反応である方が、嫌がらせの手段を取る可能性は少なくなると思っている。
何があっても様子を変えないように心掛けつつ、光は教室に入っていった。
クラスに入って自分の席を見て、光は絶句しそうになってしまった。
机上には花瓶が置かれていて、少しだけ水が零れている。二次元で良くある虐めの光景とまったくもって同じだった。
ただ、ここで昨日のように逃げ出しても何も得などない。自分は周りよりもできる奴だと証明しないといけないのだ。
変に怒ったり逃げ出しても、それは心が弱い男というレッテルを貼る事にもなる。どんな時も動じずに対処するのが、周りとは違うと証明するのに最も手っ取り早い方法だ。
光はわざとらしくため息を吐くと花瓶に近づいて持ち上げる。その花瓶をロッカーの上に置くと再び自席に戻ってくる。
少しだけ水が零れているが、いつも持ってきているタオルで拭きとると椅子に座って教科書を机に広げて勉強を始めた。
光の反応が面白くもなく未だに光が害悪オタクだと思っているクラスメイトは光にも聞こえるように陰口をたたく。本人に聞こえている時点で、陰口ではないのかもしれないが。
ただ光はそれらも全て無視を決め込んで勉強に集中する。あんな奴らにいちいち構っていても時間の無駄としか思えないからだ。確実に勉強していた方が自分の為になると言える。
どこからかシャッター音が聞こえてきて、かなりの人数がスマホを開いた。どうやら、お得意のネットでの悪口という奴らしい。
ネットは匿名性だから捨て垢などあって当然で、陰口が叩き放題なのだ。だからこそ、この空間の大多数が今悪口を叩いている。
ただ生憎と光はもうネットを見ることはないだろうし、見たときは陰口をたたいて人生を終わらせようとしてる奴を逆に終わらせてやるつもりだ。
だが親の元で暮らしている現状、それは叶わない。このことは、両親にだけは知られてはいけないのだ。
それからHRが始まるまでという時間、光は蔑まれ続けたが関係ないと言わんばかりの態度を貫いた。あくまで、態度を貫いただけなので、心の中ではもちろん動揺している。
別に聞こえていないわけでもなければ悪口を言われるのに慣れているわけでもない。というよりも、今まで生きてきた中で真正面から悪口を言われたことはない。
ひたすらに態度に出さないことを徹底していると、HR開始の合図であるチャイムが鳴り生徒が席に座っていく。明らかに光の周囲の生徒の机は遠ざかるように移動していたが。
すると、教室の扉が開いて教室内は疑問の声で満たされる。
HRなど聞く必要もないので勉強をしていようと思っていた光も、なんのことか気になり顔を上げた。
今まで、HRは担任が行っていた。他のクラスももちろんそうで、他の教師が介入する余地もなかった。
だというのに、何故……あの新任の教師が目の前にいるのだろうか。教卓で出欠を確認しているのか、光には想像も出来なかった。
問題は、そこだけに収まらない。昨日気づかなかった点にも、気づいてしまった。
一日過ぎたことにより視界がクリアになったのか、脳の働きが活発になっているのか。光は面影を重ねることが出来るようになっていた。
昨日、彼女に凛堂華に似ていると発言したが、今の光なら。過去に彼女を本気で応援していた分かってしまう。
あの時とはかなり抑えめではあるが、はっきりと分かる。身長だって一致してしまう。よく聞くと声までもが面影がある。
つまり……この教師は。
「初めまして。この度当クラスの担任になりました、一条ほおずきと言います」
悪質害悪ファンと呼ばれるようになった俺の元にやってきた新任の教師は推しアイドルだった 霧山鬼灯 @Kiriyaa-Hozuki
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