第1話 天使の訪れ
かのサルバドール・ダリは言った。
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。と。
僕は思った。
瀕死でなくとも死を必要としている人はたくさんいるのだと。
「あなたが花川 明さんですか?」
バイトからの帰り道、僕はいつも通りの道を通って家へと歩いていた。いつも差し掛かる公園、いつもと違う要素と言えば月明かりがやけに強いことくらいで……。と、その公園の真ん中に立つ少女に声をかけられた。
「そ、そうですけど……」
反射的に答えて後悔する。こういうのって素直に答えちゃいけないんじゃないだろうか。見た目の綺麗さに見とれてそういう懸念を忘れていた。
「月が……」
「え?」
「月が綺麗ですね」
僕はどこかふわふわとした心持ちで彼女に目を向けた。その後ろに見える大きな満月に月を奪われながら何も考えずに言った。その言葉は彼女の無機質な瞳に吸い込まれていくようだった。
「そういえば満月でしたね」
彼女は振り返って月を視認すると一言だけそう言った。この言葉の意味を知っているのか居ないのか。知っているならスルーされたということなので少しショックだ。
「そんなことより」
そんなことよりって……。一応告白なんだが、美しすぎる彼女に目を奪われた一男子高校生の愛の言葉なんだが。とか思いながら彼女の声を聞くことにした。
「そんなことより花川さんに折り入って頼みたいことがあるんです」
彼女は僕に向き直って目を真っ直ぐに見つめながら言った。どうして僕の名前を知っているのだろうかというもっと前に抱くべきだった疑問を今更抱える。僕は多分訝しげな表情になりながら彼女の話を遮った。
「その前にどうして僕の名前を知ってる?制服的に同じ高校ではあるんだろうけど、面識はないよな?」
僕が通っている高校の制服を着ている彼女は真顔で固まっているのではないだろうかと思えるほどに表情を変えなかった。月の光に照らされた白銀の髪の毛、夜空の色を吸い込んだような深い藍色の瞳。小柄で華奢な体つきは今にも消えてしまいそうな儚さを思わせた。
「そうですね、面識はありません。関わる機会もありませんでしたし、身体的接触もゼロです」
彼女は淡々と僕に告げる。僕はある意味有名人だが、それを知って声をかけようとするやつはまず少ないだろう。冷やかしで声をかけてくるやつもゼロではないけれど彼女がそんなタイプのもの好きには見えなかった。
「じゃあ、どうして」
「私、生徒会に所属しておりましてそこで使っているデータベースから知り得ました。あなたの名前、家族構成、経歴」
僕は彼女の言葉にすーっと大きく息を吸い込み、吐き出す。その情報を知っているということは僕がどういう人間なのか知っているということだ。それなのにどうして声をかけてきたのか。
疑問半分、怯え半分。
「プライバシーのへったくれもないんすね」
僕は自分の心のゆらぎを悟られないように軽く言った。大丈夫、このまま白を切り通せば……。今までだっていろんなことを乗り越えてきたのだから。
「そこであなたは義理の父親を殺したと」
見ず知らずの女子高校生に過去を抉られる。なんの拷問だろうか、僕はただ静かに生きていたいだけなのに。それが叶わないのが僕っていう人間なんだろうか。
「それがどうしたんでしょう。高校への入学もその後の素行も問題ないはずですけどね。生徒会員様が、こんなモブキャラになんの御用が?」
自然と言葉に棘が混じった。勝手に自分の個人情報を覗かれていつも通る道で待ち伏せされて。その上愛想良くいろなんて出来るわけないじゃないか。
「そこで私の頼みに繋がります」
彼女は体勢も表情もそのままに話を続ける。少し言葉が強くなった自分が急に恥ずかしく思えた。相手に全く響いていないとわかったから。
「あなたの頼みを聞く義理がどこに?」
先程恥ずかしなったにも関わらず僕の口調は変わらなかった。そんなにメンタルコントロールが上手い訳では無い。無意味だから、効果がないから、そんな理由で怒りを収めることができるほど出来上がった人間ではない。
「無いかもしれません。ですが、私にとってはあなたが最後の砦かも知れません」
本当にそう思っているのだろうか。無表情に冷静に間違うことなく正確に言葉を紡ぐその姿に動揺や必死さは感じられない。人はそこまで叶えたい願いがある時もっと乞い縋るようにみっともなくなるものなんじゃないだろうか。
「聞くだけ。その頼みを聞き入れるかは別として聞くだけなら」
僕はそっぽを向いて答えた。こんな僕に頼みたいこと。ろくでもないことだとは思いつつ普通とは様子が違う彼女を放っておくことは出来なかった。
「私を殺してくださいませんか?」
春風が吹き抜けて彼女の髪の毛を揺らす。背中に大きな満月を背負った天使のごとき美少女はその実、僕を地獄へと突き落とす悪魔だったのかもしれなかった。その願いを口にしても無表情な彼女に僕はみっともなく目を見開いてしまった。
「は……?」
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