殺したくない殺人犯と死にたい美少女たち
雪宮 楓
プロローグ
「ごめん、やっぱり僕には出来ない……」
月明かりに照らされた白くて細い首筋から手を離す。力を込めれば折れてしまいそうな首をやっぱり僕は絞めることなんて出来なかった。僕は俯きながら首を振った。
「どうして、ですか?」
そう言って首を傾げる君はどこまでも無機質で無感情で無執着で。だからこそ僕はどこまでも怖かった。今すぐここを逃げ出して彼女の視界から消え去りたかった。
「君のことが好きだから、かな――」
弱々しく笑いながら一世一代の告白をした僕は君の瞳にどう映っているのだろうか。そんなことを不安に思いながら僕は何気なく月を見上げた。綺麗で、完璧で、それなのにどことなく儚くて悲しげで、それでも手の中には決して入らないその姿が君に重なった。
殺したくない、殺したくない、殺したくない、殺したくない、殺したくない、殺したくない、殺したくない。
僕は父親を殺した。この手は一生無垢で清らかなものに戻ることはない。深く深く刻まれた血の跡は今でも僕の手を紅く染めている。
――「私を殺してくださいませんか?」
そんな僕の前に現れた月夜の天使はもう一度僕を地獄へ突き落とそうとした。この手で死に触れたものにしか分からない恐怖。生きてなんかいたくないと思いながら僕はどこまでも生を渇望した。
人を殺してはいけない。それは小さい頃から教えられる道徳で、生まれた時から刻み込まれる常識だ。僕だってそれに従う1人だったし、今でも人を殺すという行為を認めるつもりはない。
だから軽々しく死にたいとか死ぬとか言う人が嫌いだ。本当にする勇気もないくせに、本当に限界まで追い詰められたことなんてないくせに。心のどこかで蔑みながら僕は手を差し伸べる。
誰かを助ければ自分も救われる。誰かを生かすことに貢献すれば自分の死への恐怖も薄らぐ。彼女を救おうと考えたのも自分の死を安らかにするための一過程に過ぎなかった。
だから好きになるつもりなんてなかったのに。上澄みだけ救ってそのまま手放してしまうつもりだったのに。一緒に生きたいと、一緒に死にたいとそう思うことは僕の傲慢なのか?
僕は君を殺したくない。
「花川さんは死後の世界を信じますか?」
死にたいのに今も生きている彼女と命は大事なものだと知りながら人を殺した僕はどこか似ている。でも、僕は笑うし、怒るし、泣くし、喜ぶ。彼女の横顔はその全てを忘れてしまったように固く冷えきっている。
「さあな、死んだら無に帰るんじゃないのか?」
そうじゃなきゃ僕は呪い殺されるんじゃないだろうか。空を見上げながらそんなことを考える。ほら、考えないでいたいのにすぐ死ぬとか殺すとかそういう言葉が出てくる。
「それじゃあ救われたくて死んだ人は報われませんね」
無表情に彼女は言う。そもそも死に救いを求めるような人間は死んで別の世界に行ったとしても幸せにはなれないだろう。どこへ行ったって結局本質は変わらないのに周りの環境のせいにしたがるのは人間の悪い癖だ。
「無に帰るんだから、救われるもクソもないんだよ。何も考えないで済む。それが一番の救済だったりする」
僕が言うとふわり、と彼女の手が僕の頬を包む。相変わらず冷たいその手は僕に少しの恐怖を感じさせる。彼女の何の邪気も毒素も労りも愛しみも含まれていない瞳が僕を真っ直ぐに見据える。
「じゃあ、花川さんは今それを望んでいるんですね」
そうだ、僕は何も考えずに眠りたい。でも、それは本当に?僕は一緒に絶望してくれる人が欲しかったのだろうか、それともここから連れ出して光を見せてくれる人と出会いたかったのだろうか、本当に心の底から欲しかったのはその全てをぶつけてボロボロにできる相手だったんじゃないのか――?
死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。
「いつになったら私の願いを叶えてくれるのですか?」
毎日そんなことばかり考えて、他のことを考えるのを放棄した。私はそうすれば天国に行けると、そう信じていた。だから彼に救済を求めたし、手を伸ばした。
「まだそう思ってたんだな」
だって考えてしまえば壊れてしまう。考えないことで自分を守っていた。死への懇願だけが私を生かす薬だった。
「それ以外に思うことなどありません」
私は彼の目を見つめる。そうすると彼は決まって罰が悪そうに目をそらすのだ。でも、それも関係ない。
「一緒に過ごしてきた時間は無駄だったのか?」
彼の瞳が悲しそうに揺れる。私はそれを凪のような心持ちで見守った。喜びも怒りも悲しみも楽しみも全て遠い昔に手放した。
「すみません、でも、どうしても……死にたいんです。だから……殺してください」
彼の手を取って私の首元に当てる。彼の肩が震えたのがわかったけれど気にしない。そういえば今日は満月だなと思いながら私は目を閉じた。
私はあなたの手にかけられて死にたい。
――これはどうしようもなく死にたい私とどうしようもなく殺したくない彼の物語。
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