第10話
この2年で、ソフィアは病院を出て屋敷で過ごせる時間がとても増えていた。
コペル男爵に許可を貰い、王立医学研究所から新薬を取り寄せてソフィアの治療に使ってもらったのだけど、それがとてもよく効いたようだった。
調子がいいと本人も言っていて、俺もそばにいてそう感じる。
「きっと…私の側に笑顔のセオドラ様がいてくださるからです!」
俺はこんな可愛いソフィアに何をしてあげられるのだろう…。何をしても足りない気がする。
俺はソフィアが入院している間は毎日見舞いに行ったんだ。そして、ソフィアが屋敷に戻っている間は3日毎に四阿で会った。
幸せを感じるやりたい事について2人であれこれと話しをしたし、それ以外の事も、もちろん話したさ。ソフィアに俺の事をよく知ってもらいたいからね。
俺も幸せを感じるやりたい事をたくさんノートに書いた。
お茶を淹れるというのもその1つ。
ビクターとアランに特訓してもらって、お上手でございますなどと言われて嬉しかった。
ソフィアがノートに書いた事もいくつか本当に実現することが出来た。
まだ体が心配なので大掛かりな事はできないけど、小さな事ならできる事も沢山あった。
冬の間に、植木鉢とチューリップの球根をソフィアにプレゼントしたところ、春には赤い花が1つ咲いた。ソフィアは植木鉢を四阿に持って来て、うれしそうに赤い花を俺に見せてくれた。
それからしばらくして、ソフィアは花が枯れたと俺に報告した。
「球根から芽が出て大きくなり、花が咲いて枯れるところまで、わたくし、ちゃんと見ました。そしてまた1つ、幸せを感じるやりたい事が出来ました!
来年もあの球根の花を咲かせる、です。
庭の手入れをしている者達にチューリップの事を聞いてみたのです。そうしたら、球根が勝手に増えて来年もまた花を咲かせるのだそうです。
とりあえずは球根を取り出して、涼しい所に置いて休憩させると良いと言われ、アリスに手伝ってもらってやってみました。
来年はたくさん花が咲くかもしれません」
俺はソフィアが可愛くて抱きしめたくなった。
暖かな日々の続くある日、俺はソフィアにピクニックに行こうと誘った。
俺は前もって、離宮でピクニックの準備をしていた。もちろん、担当の医者にあれこれと注意事項を聞いて万全の体制を取った。
離宮の庭にテントを張り、寛いで座れるようにマットを敷き、いつでも横になれる様に長椅子を置いた。寒くない様にブランケットなども用意した。
大きなテーブルにはクリームパフ、アイスクリーム、冷えたスイカ、生チョコレート、タバスコのいっぱい掛かったピザ、バナナ、クリームブリュレ…を準備した。
そう、ソフィアが食べたら幸せを感じるとノートに書いていた物だ。
城の料理長やパティシエには手間をかけさせてしまったが、皆喜んで準備をしてくれた。
ありがたいことだよね。
俺は自分で皆にお礼の言葉を言ったさ。ちゃんと言わなければ気持ちが伝わらない事も多いから…。
ソフィアは馬車に乗って離宮に着いた。馬車から降りる時に手を差し伸べるとソフィアはにっこりと笑った。
「セオドラ殿下。お招きありがとうございます」
そう言うソフィアの顔は嬉しそうに輝いていた。
俺は人払いをして2人きりになり、腕を組んで離宮の中をゆっくりと歩いた。そして、青空の下、2人でほんの10秒程ではあったが走った。
「わたくし、初めて走りました!」
ソフィアは少し息を荒くしながら嬉しそうに言った。頬を薔薇色に染めるソフィアは、本当にかわいく、愛おしかった。
テントが見えるところに着くと、ソフィアは眼を丸くした。
「セオドラ様、これは…!」
「ソフィアが食べたいと言っていたものをできる限り作ってもらったんだ。ほら、これがシュー ア ラ クレーム、クリームパフだよ」
ソフィアは眼を爛々と輝かせた。
「セオドラ様、わたくしのために…?
ありがとうございます。とても、とてもうれしいです!」
長椅子に座り、俺はソフィアの様子を見ていた。
ソフィアは眼を輝かせて色々なものを皿に取っている。
「おいおい、無理して食べないでおくれ。一口づつだよ!」
「セオドラ様。ご存知ですか?
わたくしも17歳になったのです!
もう充分大人でございますので、食べられる分量ぐらいわかると思います。
多分…ですけれどね」
ソフィアはそう言うと、ニコッと笑って俺の隣に腰掛け、クリームパフをナイフで切って、いただきますと食べ始めた。
「ふーん…そうか…ソフィアは大人になったんだ。…だったら、これぐらいはいいだろうか…」
そう言って、俺はソフィアの顎を少し上にあげ唇を重ねた。クリームパフの味のする、甘い甘いキスだった。
するとソフィアはしばらく黙った後で、眼に涙を溜めた。
「…セオドラ様、ひどいです」
「は、早すぎたか!申し訳ない!すまなかった」
「…いいえ…。
わたくしの '幸せを感じるやりたい事' に、いつの日にか書こうと思っていた事が…書く前に叶ってしまいました…」
俺は微笑みながらソフィアの肩を抱き、頬にキスした。
しばらくして、少し疲れた様子のソフィアを長椅子に寝かせて、寒くないようにブランケットを掛け、膝枕をした。少し寝るように、という俺の言葉に頷いたソフィアは、しばらくすると静かな寝息をたてた。
白銀の髪を三つ編みで一つに纏めて、瞳の色と同じすみれ色の小さなリボンをつけているソフィアは可憐な少女の様であり、しっかりとした自分の意思を持つ大人の女性のようでもあった。
その寝顔は俺を信じて安心し、穏やかな幸せに満ちている様に思えた。
目覚めたソフィアに俺は温かい薬草茶を淹れて勧めた。ビクターとアランの特訓の成果を見せようと張り切って淹れたんだ。
お茶を一口飲んだソフィアは真剣な顔で俺を見たんだ。
「…残念です!」
「えっ?お、美味しくないのか?少し時間をかけすぎて苦いのかな?どうしよう…淹れ直そうか…?」
ソフィアは首をゆっくり左右に振った。
「わたくし…セオドラ様の淹れた美味しいお茶を飲む、とノートに書いておけばよかったと残念に思ったのです。
だって…こんなに美味しいのですもの!」
「そ、そうなんだ。びっくりさせるなよ。焦ってしまった!」
大汗をかいた俺にソフィアはイタズラっぽく笑い、お代わりをくださいませんか?なんて言う。
その笑顔を見て、いつの間にかソフィアは大人の女性になっていたんだなって俺は思った。
だから、俺が前から不思議に思っている 'なぜ' をもうソフィアに聞いてもいいだろうか…。
だから、2杯目のお茶を飲むソフィアに俺は前々から聞きたかった事を勇気を出して聞いたんだ。
「ソフィア。初めて四阿で俺と会った時、俺に幻滅しなかったのかい?酒臭くて、どうしようもないほどダメな男だったのに」
するとソフィアはこう答えた。
「あの時、わたくしは幻滅などしませんでした。
ただ、セオドラ様がとても辛いお顔をしていて、悲しい方に見えました。何かあったのだな、それで自暴自棄になっているのだな…。それなら、わたくしと楽しい事をたくさん見つければいいのに、と思ったのです」
ソフィアは少し遠くを見る様に、空を見上げた。
「辛く悲しい思い出は忘れようと思っても、忘れられません。忘れようとすればするほど思い出し、辛くなるのですもの。
わたくしが子供の頃がそうでしたから…。
子供だったわたくしは、辛い事が多いなら、楽しい事で頭を一杯にしようって思ったのです。そうしたら、辛く悲しい事は頭の中でどんどん小さくなるでしょう?
わたくしはそう思って楽しい事をたくさん考え、今まで過ごしてきました」
ソフィアは俺の顔を見た。
「だから、セオドラ様にも幸せを感じるやりたい事を1つでも見つけて欲しかったのです」
ソフィアは俺の手を取り、微笑んだ。
「あの頃よりちょっと大人になった今、わたくしはセオドラ様とゾーイ様の間に何があったのか…少しだけ知っています」
ソフィアは俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「セオドラ様。
ゾーイ様の事、無理に忘れようとなさらないでください。ゾーイ様との楽しい思い出を大事になさってください。ゾーイ様と過ごした時間はセオドラ様の宝物のはずですもの。
そして、わたくしと一緒に楽しい事、幸せを感じるやりたい事をたくさん、たくさん見つけてください。ゾーイ様との楽しい思い出より、わたくしとの楽しい事で頭がいっぱいになるように…」
しばらくして、あ!とソフィアは言った。
「わ、わ、わたくし、何と言う事をセオドラ様に言ってしまったのでしょう。
ど、どうぞ、お許しください。今の言葉はどうぞ忘れてくださいませ。子供の言った、たわいもない戯言でございます」
ふ〜ん。子供…ね?
「…あれっ?ソフィアってさ、17歳で充分大人…なんだよね?
…だから…」
そう言うと俺はソフィアを抱きしめた。
「ソフィア、俺は…2人で '幸せを感じるやりたい事' をたくさん考えたい。そしてソフィアとそれを叶えていきたい。
だから、今の俺の幸せを感じるやりたい事を一緒に叶えてくれないかい?
こんな男とではダメだろうか?」
「…どんな事なのでしょう?」
そう言うソフィアの体が震えていた。
「ソフィア、俺と結婚してくれ」
しばらく無言だったソフィアは、俺の胸からそっと顔を離して小さな声で言った。
「わたくしで…よろしいのでしょうか?
わたくしは…こんな体です。セオドラ様の子がなせるか、わかりません…。
わたくしは、セオドラ様のそばにいるだけで幸せなのです。結婚しなくても」
「いや、ソフィアじゃなきゃだめなんだ。子供なんて、できなくったっていいんだよ。ソフィアとこれからの人生を共に歩いていきたい。幸せにする。俺の事も幸せにして欲しい」
ソフィアはポロリと涙を流した。
「セオドラ様…ありがとうございます。
もし、許されるなら、わたくし…セオドラ様の…妻になりたいです。ずっとおそばにいたいです」
ソフィアはそう言うと俺の胸に顔を埋めて泣いた。
俺はソフィアの唇に自分の唇を重ねて、ずっと抱きしめていた。
その日、俺とソフィアの '幸せを感じるやりたい事' ノートに2つの事が書き加えられた。
結婚する事
いつまでも一緒にいる事
それから程なく、俺とソフィアの婚約が発表された。
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