第9話

 俺はアルコール依存の治療を専門にする病院を訪ね、治療を開始した。


 そして、勇気を出して自分の依存症を国民に公表した。


「私は…弱い男です。辛い出来事が忘れられず酒に溺れてしまいました。そして、酒浸りになり荒れた暮らしをしていました。

 でも、私は弱い自分を受け入れ、前に向かって一歩を踏み出す決意をしました。

 きちんと治療を受けて断酒をします。

 これから私は王太子として皆さんに受け入れてもらえる様に生活を改めて参ります」


 俺が依存症の事を公表してからは国民の視線が少し変わった様に思えた。


 俺が親衛隊と共に騎馬で街に出ると、皆が笑顔で俺を見る様になった。応援してますと声を掛けてくれるようにもなった。


 国民の皆が温かく俺を見守ってくれているのを肌で感じる。それが俺が前に進んでいくための力になった。


 隠さず、ちゃんと公表してよかったと心から思った。

 

 しかし、あんなに飲んだくれていた男が国王になって大丈夫なのか、という批判があるのもわかっていた。

 

 そんな声は当然だからね。

 特に王城での会議の席や諸外国との接待などの時の厳しい視線は、俺にズブズブと突き刺さる様だった。


 そういう声や視線に俺は真摯に、そして誠実に向き合っていくしかない。過去は変えられないが、これからの事は今の自分が決められるのだから。




 ある日の事だ。


 騎馬で街を進んでいると、何かを叫びながら後を追いかけて来る男がいた。


「セオドラ様、助けてくれよお!

 おいらも酒がやめられなくて、嫁さんが逃げちまったんだよぉ。おいらはどうすりゃいいんだ。教えてくれてよぉ!」


 俺は親衛隊を止めて馬を降り、その男の手を取った。


「お前は酒を止めたいのかい?」


 ライリーと名乗ったその男は頷いた。


「なあ、ライリー。俺とお前でお互いに励ましあって酒をやめようじゃないか!

 俺は酒はやめると心に決めたが、俺も弱い男だからね。共にやめると決めた仲間がいれば心強いさ。

 どう思う?」


 すると、ライリーは眼をシバシバとさせて言った。


「セオドラ様と…おいらですかい?」

 

「ああ、これから月2回、俺とお前は会ってお互いに自分の事を報告し合う。その後のことはそれから考える、っていうのはどうだ?」


「おいらと…でよろしいんで?」


「ああ。お前とだよ。俺はお前と一緒に前を向いて進んでいきたいと思う」


 へえ、とライリーは頭を下げた。

 

「では、そうしよう。

 場所と時間は俺の親衛隊副隊長のジェイクから連絡をするから待っていてくれ」


 狐に摘まれた様な顔をしながらもライリーは頷いていた。


 それから月2回、俺とライリーは大聖堂の一室で会った。最初はびびっていたライリーは少しづつ自分の事を話す様になって、酒も飲まなくなった。


 まあ、最初の内は何度か飲んでしまって自己嫌悪に陥ったりもしていたが、戻ってきた奥さんの協力もあって真面目に仕事ができる様になったんだ。


 その話を聞いた他の飲んだくれ達は、自分も参加したいと大聖堂に集まって来る様になった。


 俺はその会に来る皆にノートを1冊づつ渡してこう伝えている。


「このノートには '幸せを感じるやりたい事' を書くんだ。小さなことでいい。これが出来たら幸せだなって思う事を見つけ出して書き、少しずつそれを叶えていくんだよ。

 俺にこのノートの事を教えてくれた人は 'クリームパフを食べる' って書いていたよ。食べたことがないから食べたらきっと幸せを感じるってね。

 ちっちゃなことでもやりたい事を叶えていく…。考えただけでも、なんだか楽しいだろう?」


 俺の話を聞いて皆は面白そうだと書き始めた。


 喧嘩ばかりしていた家族がそのノートを見て会話が増え、笑う様になったって言う奴もいた。俺はそんな話を聞くのも楽しかった。


 ソフィアが始めた '幸せを感じるやりたい事' は皆にたくさんの幸せと喜びを運んでくれたんだ。



 

 世話係のビクターとアランには、以前手を上げてしまった事をきちんと詫びた。


「あの時は本当に申し訳なかった。この国の王となる人間として、いや、その前に1人の人間としてあるまじき行為であったと心から反省している。酔っていた、というのは言い訳にもならない。

 こんな人間だけど、これからもよろしく頼むよ」


 そう言って2人に頭を下げると、2人は滅相もない事でございます、と恐縮してうっすらと涙を浮かべていた。


「本当にごめんね。小さな頃から俺の事を見守っていてくれた2人なのに…。心配かけてしまった。

 これからも気づいた事は言っておくれよ。ちゃんと言われないと気が付かないことも多いからさ。至らない所は直すからね」

 

 最後に2人の手を取って、今までありがとう、これからもよろしくね、と言うと2人とも大泣きしてしまい、俺の方が狼狽えた。




 俺は王太子としての執務もこなせる様になってきたが、調子に乗り過ぎると酒を飲みたくなりそうで怖かった。


 でも皆が支えてくれた。本当に有難い事だと思う。


 以前の俺ならそんな事にも気づかなかっただろう。酒に飲まれた経験は悪いことばかりじゃなかったのかもしれないと今は思っている。




 それからしばらくして自分の体調が安定してきた頃、俺はロッシュ宰相と話し合いの場を設けた。


 ローリー達の事が気になっていたんだ。自分だけではろくな知恵は浮かばないし、独りよがりな策は続かないだろうからね。


「ローリー達をどうにかして助けたいんだ」


 切れ者と言われるロッシュ宰相にそう話し始めると、切れ者と名高い宰相殿は微かに微笑んだ様に見えた。


「ほほう…」


 宰相殿は目を細めた。


「俺を罠に嵌めて王太子の座から引き摺り下ろそうとした罪は明白だよ。でもさ、ローリー達を罰するのは簡単だけど、何かが違うと俺は思うんだ」


 そういう俺を宰相殿は黙って見た。


「ローリー達だけでなく、生きる目的がなくなっている貴族の子息達のこれからの事を考えたいんだよ。知恵を貸して欲しい」


 黙っていたロッシュがにっこりと笑った。


「貴族の次男、三男…彼等はやりたい事があっても叶わない事も多い。その前に、やりたい事もない者もたくさんいる。何かを自分で切り開く強い気持ちも、その知恵もない。最初から諦めている者も多いですね。

 そういう者達は何をどうすればいいのか分からないのですよ。そういう教育は受けていないですからね。

 殿下はそんな彼等に生きていく手段を与えたいと?」


「そう、そうなんだ。

 罰を与えるより、生きていく力を持つため手助けをしたいんだよ。きっとその先に皆の幸せがあると思うんだ」


「分かりました。

 一緒に考えてみましょうか。何か妙案が出てくるやもしれませんからな」

 

 立ち上がり俺に深々と礼をしたロッシュ宰相殿は言った。


「殿下が変わられて私は嬉しいです。これからも何でもご相談下さい。

 殿下、急がずに参りましょう。一歩ずつですぞ。無理をすると、辛くなりますからな」


「うん。ありがとう」


 初めてロッシュが俺に優しい言葉をかけてくれた。ロッシュが俺を認めてくれた様でなんだかくすぐったかった。



 それから何度も父上、ロッシュ、俺の3人で話し合った。


 案がまとまった時、俺はローリー達を城の職務室に呼び寄せた。


「私達を罰するために呼んだのですか!」


 ローリーは執務室に入るなり俺を睨んでそう言った。護衛をしていたジェイクが、ついっと前に出たが、俺はそれを手で押さえ首を左右に振った。


「俺はね、ローリー達を処罰するつもりなんかないよ。本当だ。悪いのは俺自身だからね。

 痛い目にもあったけど、そんな事も全て含めていい経験をしたと今は思っているよ。

 いや、その経験を生かさなくてはいけない、と思っているんだ」


 そして、皆を見て気がついた。いつものメンバーが2人足りない。


「おい、2人足りないじゃないか…。マイクとナックはどうしたんだ?」


 ローリーは、ふん、という顔をした。


「あの2人は街の男達と喧嘩し、殴り殺されたよ。2人揃って酷い死に様だったらしい。相手が誰かは分からずじまいさ」


「…間に合わなかったか…!」


 俺は唇を噛み締めた。


 男達は、なんなんだよ、という顔をして俺を見た。


「今日、皆をここに呼んだのは、俺への貸を返してもらう為だ」


 ローリーは俺をまた睨んだが、俺は無視した。


「全員、新しく作る準騎士団に入団するんだ。

 そしてローリー、お前を新しく結成する準騎士団の副団長に任命する。いずれは団長として皆をまとめてもらうが、とりあえずはここにいるジェイク パーカーが団長だ。ジェイクのそばで団長のあり方などを学んでくれ」


「えっ?…準騎士団…ですか?」


 ローリーが怪訝な顔で仲間を見た。


 おい、準騎士団だってよ。そんなもんあったっけ?とでも言う様な顔だった。


 俺は父上、ロッシュ宰相と話し合って、爵位を継げない、騎士になれない、職につけない…そんな貴族の子息で準騎士団を作る事に決めた。


 騎士や町役人だけではなかなか目が行き届かない下町や、王都以外の街の警備をしてもらう事にしたんだ。


 守備範囲は広い。かなり忙しくなるだろう。


 騎士に向かない、または、騎士は嫌だと言う者達には、準文官職を作り、忙しすぎる文官達の補佐をしてもらう。やる事は山のようにある、とロッシュは言っていた。


 応募して来た者は全員採用する。しかし、強制ではないから、嫌なら応募しなければいい。


 給料は騎士や文官より少しだけ安くなってしまう。だけど、暮らしていける金額は出せる。そして、有能な者はどんどん上に取り立てる。騎士団に入れるかもしれないし、文官になれるかもしれない。可能性は広がっていくだろう。

 

 やる気を見せない奴は切り捨てる。出来るか、出来ないかではなく、やる気があるかどうかで判断する。やる気さえあればそれぞれの能力に合った仕事は必ず見つかると、ロッシュ宰相は断言していた。

 

「どうだろう…皆やってくれないか?

 というか、嫌とは言わせないよ。役に立つ人間になれ。そして俺への貸をこの国に返してくれ。

 マイクやナックのような無駄死にをする仲間をもう出したくない。皆、そう思うだろ?」 


 皆はローリーを見た。


「なんで、私が副団長なのですか?」


「お前さ、みんなの事上手くまとめてたじゃないかよ。暴力は振るわないし、面倒見もいい。皆、お前の言う事はちゃんと聞いてただろ?お前、そういう才能があるんだよ。

 チャンスは活かせ」


 ローリーはしばらく呆然とした後、俺の前に片膝をついて頭を下げた。他の男達も慌ててローリーに倣った。


「こういう時、俺達はなんて言えばいいんですかね。

 ずっと昔に習いましたけど…忘れてしまいました」


「これからまた1から習えばいいさ。

 まだまだ俺達の前には道が続いて行くのだから、みんなで少しづつ前に進んでいこうよ。その先にきっと幸せがあると俺は思っている。

 そうだなぁ。まずは、皆、身体を鍛えようか?」


 そう言って、俺はローリーの肩をポンポンと叩いた。


 


 準騎士団を作るに当たって、まずは見た目からカッコよくするといいんですよ、とロッシュ宰相は俺に言ったんだ。

 

「かっこよく目立つのがいいのですよ。皆に見られてるという気持ちが行動にいい影響を与えますからね」


 ロッシュ宰相の言葉に、俺はなるほどと頷いて、制服作りには気合いが入ってしまった。


 デザイナーに考えてもらって出来上がったのは、黒い制服に黒いマントで裏地は赤。黒いベレー帽には思いっきり目立つ赤い羽。試しにローリー達に着てもらったら、ものすごくかっこよかった。


 ローリーはいいですねぇ、とうれしそうに笑っていた。


 

 1年もすると、準騎士団はしっかりとした組織になった。


 街の治安は良くなって、安心して日々を過ごせると言われるようになった。特に地方都市からは感謝の言葉がたくさん寄せられている。


 多くの準騎士や準文官が人柄を見込まれて、貴族や豪族に婿入りしたり、養子として家を継ぐ事になったりした。

 

 嫌われ者に等しかった貴族の子息達にも少しづつ笑顔が見られるようになった。


 ローリーは準騎士団の団長になり、あちこち飛び回って忙しく働いている。


 なかなかに厳しいが面倒見はいい団長だ、と補佐をしているジェイクが言っていて、俺に仕事の報告をしに来るローリーは以前とは違う逞しさを感じるようになった。


 ローリーの仲間達も重要な仕事を任されて、活き活きとした表情を見せている。そのうちの1人が俺に言ったんだ。


「セオドラ殿下。幸せは私のすぐそばにあったのですね。自分が気が付かなかっただけで…」


 俺はそいつの肩をぽんとした。


「そうだな。これからも一緒に幸せを感じるやりたい事をたくさん見つけよう!」




 こうして、俺が酒をやめて2年が過ぎた。

 15歳だったソフィアは17歳になった。

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