第8話

 ソフィアの病室を出た俺は控えの間で待っていたコペル男爵に、2人きりで話したいと言った。


「城はすぐそこだから少し歩きたいのだが、いいだろうか?」


 コペル男爵が頷いたので俺達は城まで歩き、更に四阿まで行って腰掛けた。


 その道はソフィアがアリスと共に、必死で歩いた道。元気の良い俺ならどうと言うこともないが、ソフィアにはどれほど大変な距離だったのだろう。


 それを思うと胸が痛んだ。


 辺りは薄暗くなり始め、微かに吹く風がひんやりと肌に冷たかった。


 ぞろぞろと付いてきた従者たちは声の届かない所まで下がらせ、暗くなった四阿に俺とコペル男爵は2人きりで向き合って座った。

 

 俺は指をさっと動かして四阿の焚き火台に火を付けた。その火は俺の心を反映する様にゆらゆらと揺れていた。

 

 暖気が俺とコペル男爵をゆっくりと包み体が暖かくなった頃、俺はやっと話し始めた。


「ここで私はソフィアと3日毎に会っていたんだ…」


 コペル男爵にそう言った後、俺の胸は痛くなって言葉が何も出て来なかった。


 あの体でソフィアは病院からここまで歩いたんだ…俺のために…


 俺が俯いて言葉を探していると、コペル男爵が突然立ち上がり俺に頭を下げた。


「セオドラ王太子殿下。娘が大変無礼な事を…。申し訳ございませんでした。

 コペル家にどんな沙汰があっても、私達は受け入れます。償きれないことをしてしまった、と思っております。

 ですが…ソフィアだけは許していただけないでしょうか…。まだ夢見がちな子供でございます」


「待ってくれ。違うんだ」


 俺はコペル男爵を座らせ、大声でジェイクをそばに呼んだ。ジェイクは俺の前で片膝を付き畏まり、何かご用でございましょうか、と白々しく言った。


「お前だろ?こんな事を考えたのは…」


 俺がそう言うとジェイクは肩を窄めた。


「バレてしまいましたね」


 ひどく真面目な顔をしたジェイクは俺を見上げて言った。


「こんな事を考えたのはソフィア嬢で、私はちょっとばかり手助けをしただけです。

 先程、侍女のアリス殿が言っていた通りなのですけど…」


 長い話なら座って話せ、と俺が言うとジェイクは素直に座り、俺とコペル男爵の顔を見た。


 とても不審な手紙が国王陛下に届きましてねジェイクは笑いを堪えるように言った。


「あれは何ヶ月前でしたか…」



 国王陛下に宛てた一通の手紙が届いた。


 それはコペル男爵家からの手紙で印が押されてはいる。しかし書き方が正式なものではない。


 何かおかしい。ニセ手紙、はっきり言ってイタズラにしか思えない。

 

 不審に思った担当の事務官が封を開けると、セオドラ王太子殿下との見合いを受ける、と書いてある。


 な、なんと…王太子殿下の見合いの事だと…?これは極秘事項ではないか!

 …どうしたものか


 困った事務官は、仲の良いジェイクにこっそりと相談をした。ジェイクはその手紙を読んで、任せておけとその手紙を受け取った。


 コペル男爵家からはすでに正式に見合いを断る書状が届いている。そして新たに届いた、いかにもニセモノな、イタズラとしか思えないその手紙が事件になるというほどの事もなかった。


 放っておいてもいいのだが、ソフィア コペルが見合いを受けるという文面が気になったジェイクはこっそりと魔力を使って姿を消し、コペル男爵家に入り探ってみた。


 すると、こんな会話が聞こえた。


「国王陛下からのお返事はまだかしら?

 ねぇ、アリス。どうしたんだと思う?」


「ソフィアお嬢様、焦ってはいけませんよ。その内、きっとお返事が参りますからね」

 

 興味をそそられたジェイクは少し調べてみる事にした。


 すると、コペル男爵家の次女ソフィアは小さな頃から体が弱く、入退院を繰り返していている事がわかった。


 きっと他の同じ年頃の女の子のような楽しみがないのだろう…。


 そう思ったジェイクは国王陛下の許可を得て、病気がちな少女に小さなプレゼントのつもりで返事を出した。場所と日時を指定して、俺に会えるようにしたのだ。


 ソフィア嬢が喜んでくれればいいのだが…。まあ、それでどうなるという事もないだろう。

 でもなぁ、セオドラ殿下はあんなだから、会ってもガックリするだろうな…。


 …などと思っていたのだとジェイクは全く悪びれずに話を続けた。


 ところが、指定した日の前にソフィアは体調を崩して入院してしまった。


 残念だがソフィア嬢は会いには来れないだろう。これでこの話も終わりだな…。


 そう思っていた、とジェイクは少しだけ肩をすくめた。


 ところが、見合い当日。

 ソフィアは四阿で待っていた。


「その日、殿下はソフィア嬢に会った事に関しては何も仰いませんでした。

 でも、3日後、時間にかなり遅れてもふらふらと四阿に歩いて行くセオドラ殿下を私は護衛しておりました。

 セオドラ殿下の足を四阿に向かわせる何かがあったのだろう…と私は思っていましたが、それが何だったのか私にはわかりませんでした。

 その日はセオドラ殿下が現れるまで、ソフィア嬢は四阿で長い長い時間待っていました。

 私はこれでソフィア嬢が殿下に愛想をつかすのだろうなと思っていました。まあ、次はないだろうと。

 ところが、です!

 更にその3日後、飲んだくれて四阿に行けない殿下をソフィア嬢はまたずっと待ち続けていたんです!

 念の為にこっそり四阿でソフィア嬢を警護させていた部下が、令嬢が倒れるのではないかと心配するほど長い時間待ち続けていたのですよ。

 かなり時間が経ってから侍女がソフィア嬢を迎えに来た時、ソフィア嬢は眼を真っ赤にしていたそうです」


 ソフィア嬢は本気だ。

 本気で殿下の事を案じている。

 そんなソフィア嬢なら、飲んだくれの殿下を暖かく包んでくれるのかもしれない。

 そうしたら、殿下は…元の殿下に戻れるかも…。


 ジェイクはそう思ったらしい。


「その後も殿下とソフィアが何回も会い、話が弾んでいる様子を見ていまして、殿下も満更でもないんだなと思っておりました。

 まあ、大袈裟な言い方をすれば…私の心に希望の光が灯った…のですよ」


 ジェイクが微かに笑った。


「ソフィア嬢と会う様になってから、少しづつ殿下の表情も穏やかになってきましたしね。

 まあ、ここはひとつ、私は暖かく見守っていようと思っていたのです。

 あ、ちなみに国王陛下からはそのまま様子を見る様にとの許可はいただいておりますから心配はございません。

 実はここ最近、ソフィア嬢の容体が良くないのは知っていたのですが、セオドラ王太子殿下が何も言い出さないのでどうしたものかと考えておりました。

 ですから殿下がソフィア嬢を心配しコペル家を訪問される決断をされて、私もホッとしているところです」


 私の知っている事は以上です、としらっと言うジェイクをひと睨みしてから、俺はコペル男爵に言った。


「と、いう事だ。

 コペル家に何か罰を与えるなら、この男には厳罰を与えねばならん。それはちょっとばかり面倒だし、この男がいないと困る事も多い。

 まぁ、コペル男爵家にはなんの罪もないよ。心配はいらない」


 それよりも…。


「コペル殿。許しを得たいことがある」


 俺は少しばかりシャキッとしてエイダム コペル男爵を見た。


「これからも私がソフィアと会う事を許可してもらえないだろうか…」


「…えっ?」

 

 コペル男爵が思わずといった感じで声を出した。

 

「私の最近の暮らしぶりはコペル殿は知っているだろう?

 私はどうしょうもない飲んだくれになってしまった。その理由もコペル男爵なら分かっていると思う。

 私は自分の辛い気持ちを酒で紛らわし、酒に浸かってしまった。私は本当に弱い、どうしようもない男だ。

 でも、ソフィアに出会ってから私の心が少しづつ軽くなってきた。ソフィアといると自分を取り戻せる、前を向いて進んでいける…そう思えるんだ。

 わかってる。今の私のままではソフィアに相応しくない。

 だから、もう少し、もう少しだけ時間が欲しい。飲んだくれの私が、まともに戻れるまで待っていて欲しいんだ。

 こんな男では、そう願う事すら叶わないだろうか…」


 何を待てと?

  

 そういう顔をするソフィアの父親に、俺は立ち上がりは頭を下げた。


「私がまともな王太子に戻ったら、ソフィアと結婚を前提とした交際をする事を許して欲しい」


 ソフィアの父は大きく息を吐いた。


「セオドラ殿下…」


 頭を上げてお座りください、とコペル男爵は俺を見た。


「ソフィアはまだ15歳ですし、本人の気持ちもわかりません」


「それはわかってる。だから、ソフィアが大人になるまで待つ。

 大人になって、ソフィアが私と一緒にいるのは嫌だ、結婚するのは嫌だと言ったなら、私はそれだけの男だったという事だ。きっぱりと諦める。無理強いはしない。それは誓う。

 私はソフィアに幸せなって欲しい。

 2人で一緒に幸せになりたい。

 どうだろう…許してもらえないだろうか?」


 コペル男爵はしばらく黙っていた。


「ソフィアが17歳になるまで待つ、という事でよろしいですか?婚約をするとか、そういう事ではなく…。

 あの子が17歳になった時にセオドラ殿下をどう思うのか、そしてセオドラ殿の気持ちがどうなのか…で決めてはいかがでしょう?

 その時あの子が決める事に、私は何も言いますまい。

 正直なところ、あの子の体があと2年も持つのか…それも心配です。病状は思わしくありません」


 コペル男爵はまたしばらく黙り込んだ。


「殿下、私はソフィアにも家人にもこの事は何も伝えないでおきます。

 あとは殿下とソフィアの問題です」


 俺はコペル男爵に深々と頭を下げて言った。


「私はソフィアに相応しい男になる努力をします。誓います!」


「そこまで言っていただいて、ソフィアは幸せ者です」


 俺は帰って行くコペル男爵に頭を下げて見送った。


 それから俺は父上である国王陛下にすぐに会いに行った。


 今までの自分の愚行を詫び、心を入れ替えると話した。今回の事を説明し、ソフィアが自分を目覚めさせてくれたと言うと父上は、うんうんと頷いて、よかった…とおっしゃった。



 俺がソフィアに直接してあげられる事はあまりない。それはわかっているが、俺はソフィアに会いに毎日病院に行った。顔を見るだけしかできない時も多かったが、毎日行った。


 病室は花を絶やさないようにした。ソフィアが楽しく過ごせるように。

 新しい本もたくさん部屋に持っていった。いつでも好きな時に読めるように。


 ソフィアが、わたくしなどのために無理はなさらないで下さいませ、と何回も言うので '幸せを感じるやりたい事' に大きな字で書いた。


 ソフィアに毎日会う事

 ソフィアの手を毎日握る事

 ソフィアに元気になってもらう事

 ソフィアとずっと一緒にいる事


 そして、小さな字で付け加えた。

 …早く大人になってくれ。子供にはキスもできん!


 ソフィアはそれを読んで真っ赤になった。そして、わたくし…と言ったまま泣き出してしまった。


 俺は会う度にソフィアの手を取り、感謝の気持ちを伝える事も忘れなかった。


 そう、思いはきちんと言葉にして伝えなくては…。自分で思っているだけでは何も伝わらないのだから。


 そして、幸せを感じるやりたい事のノートに俺のやりたい事も少しづつではあるが書けるようになっていった。


 あとは…俺自身の問題だった。前に進むために、やらなければならない事が沢山あった。

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