第7話

「セオドラ王太子殿下、旦那様。私が話をする事をお許しくださりありがとうございます」

 

 深々とお辞儀をしたアリスは両手の指が真っ白になるほど強く握り締め、震えながら話し始めた。


「王太子殿下。今、ソフィアお嬢様は病室で過ごされていて、起き上がることもできないご様子なのです。

 王太子殿下に会いに四阿に行きたいと言っておられますが…叶えて差し上げることはできそうもございません」


「ふむ…」


 おい、ソフィアは大丈夫なのか…と声に出すのは少し躊躇われ、俺は少しだけ眉根を寄せた。


「私がお嬢様のお側にお仕えする様になりましたのは、お嬢様がまだお小さい頃でございました。その頃からお嬢様はすぐにお熱が出たり、ふらふらと倒れてしまわれたり…。

 ベッドでお休みになる事が多くて、外にもあまり出られず本当にお可哀想でした。

 でも、そんな状況で暮らしておられるお嬢様はいつも明るくて、周りの私どもを気遣ってくださって…。お嬢様のお側にお仕えしている私どもは本当に幸せ者だといつも思っておりましたし、今もそう思っているのです」


 ソフィアは病院と屋敷の自室を行ったり来たりする生活で、本を読む事だけが楽しみ…というような毎日をずっと送っていたとアリスは昔を振り返った。


 今でも体調を崩すとなかなか元に戻らず、入院は長期になる事も多い。ソフィアの両親は、そんなソフィアをとても大切にしているのだとアリスは話した。


「男爵様ご夫婦と姉上のフローラお嬢様は毎日、ソフィアお嬢様のお話し相手になってくださるのです。入院している間も毎日の様に面会に行ってくださる…。ソフィアお嬢様もご両親とお姉様の事が大好きなのだとよく仰っています」


 そんな日々の会話の中でソフィアの母は俺の事をよく話していたのだとアリスは言う。


 ソフィアの母は俺に会った事があるようで、照れくさいことに、俺の事をとても笑顔の素敵な方なのよ、とソフィアに言っていたのだそうだ。


「お母さま。こんなわたくしでもセオドラ王太子殿下にお目にかかる事が出来るでしょうか?」


 そう訊ねるソフィアに母親はこう答えていたという。


「そうね。セオドラ様にお会い出来るように元気になりましょう。願っていれば望みは叶うと思いますよ」


 そういう話を何回も繰り返したソフィアは俺の姿絵を買う事が出来ると知って、アリスに買ってきてもらい毎日眺めていたようだ。


 ソフィアの中で俺はピカピカに輝く王太子で、一目でいいからお会いしたい方…だったのだ。


 国王陛下からフローラへ俺との結婚の打診があった時、フローラは想い合った相手がいるとすぐ断った。


 それを知ったソフィアはアリスに、フローラお姉様の代わりに一回だけ王太子殿下にお会いしたいから手を貸して欲しい、お見合いの場所に行きたいの、と頼んだのだそうだ。


「そんなの無理でございますよ」


 アリスがそう言うとソフィアは涙目になって俯いてしまったらしい。


「…ごめんなさいね、アリス。わたくしのわがままだったわね。こんな事、軽はずみに言うことではなかったわ」


 アリスは滅多に泣かないソフィアの赤くなった眼を見て、気晴らしになるのならと手紙を書いて見せた。


 フローラ コペルではなく、妹のソフィア コペルが王太子殿下とのお見合いをお受けいたします。


 ソフィアはその手紙を胸に抱いた後、キラキラと目を輝かせながら手紙に語りかけていた。


 お願い…!私の夢を叶えてね。セオドラ様にひと目お会いしたいの!


「その時、これはソフィアお嬢様の初恋なのだと私は思いました。そして、病気がちなお嬢様の夢を叶えて差し上げたくなったのです。

 私は旦那様の執務室に忍び込み、適当な封書を探して手紙を入れ、蝋印を押しました。

 そして、その手紙が無事に配達される様に他の手紙に紛れ込ませておいたのです」


 それからソフィアは毎日の様にアリスに尋ねていたと言う。


「国王陛下からのお返事はまだかしら?

 ねぇ、アリス。どうしたんだと思う?」


 ソフィアはいつも以上に瞳をキラキラさせていて、返書など来るはずないですよとはとてもではないが言えなかった。


「ソフィアお嬢様、焦ってはいけませんよ。その内、きっとお返事が参りますからね」


 アリスはそんな嘘をつくことが心苦しいと思いつつ、誰が見ても子供騙しとしか見えない手紙が罪に問われることなく、このまま時間が過ぎていくようにと願っていた。


 無論、事がバレて罪を問われることになったら、アリスは全て自分が負うつもりだったと言う。


 ところが…。


 意外にも返書は国王陛下の手に渡ったらしく、何故かソフィアの手元に面会の日時を記した手紙が来てしまった。


「こうしてソフィアお嬢様は、憧れの王太子殿下に会えることになってしまったのでございます」


 アリスは俯いて、嗚咽を漏らした。


「でも、王太子殿下に会う前に、ソフィアお嬢様は体調を崩して入院してしまいました。もしかしたら、お目にかかれると言うことで気持ちが昂りすぎてしまったのかもしれません」

 

 今更、会いに行くのは諦めましょうと言ってもソフィアお嬢様は諦めきれないだろう。だったら面会を無事に終わらせて差し上げたい。一回だけならどうにかなりそうだ。その時アリスはそう思ったと言う。

 

 アリスは覚悟を決めた。


 約束の日、アリスはソフィアに付き添って病院を抜け出し城の四阿に行った。


「座ってお待ちください。お目にかかるまでに疲れてしまいます」


 アリスがそう諭してもソフィアはうんとは言わなかった。


「セオドラ王太子殿下に初めてお目にかかるのよ。座ってはいけないでしょう?マナーも知らないと思われたくないもの」


 アリスはそんなソフィアの様子を、四阿から離れたところでそっと見守っていた。

 

 どうにか俺と会うことができ、何やら言葉を交わしていたソフィアがふらふらと自分の側に戻ってくるのを見たアリスは安堵した。


 ああ、よかった。きっとこれで満足なさるはず…。


 ところが、俺に会ったソフィアは四阿から喜んで戻ってくるどころか、泣きながら戻ってきてアリスにこう言ったそうだ。


「セオドラ様がお辛そうな顔をしていたの。セオドラ様のお顔を見ていたらわたくしも辛くなってしまって…。

 わたくし、セオドラ様の笑顔が見たい!

 セオドラ様が '幸せを感じるやりたい事' を見つけるまで一緒に探したい。1つでも見つけられたら、きっとセオドラ様に笑顔が戻ると思うの。だから、それまでは続けたい。

 アリス、お願い!続けさせて」


「もう、おやめくださいませ。お体に障ります」


 アリスは何回も止めたがソフィアは聞かなかった。


 一回だけのはずだったのに、数を重ねてしまったと、アリスは泣きながら言った。


 ソフィアの体調はあまり良くなく、俺と会った後は疲れて食事も取れずに寝ているだけだったそうだ。


 四阿から帰る時ソフィアがいつもふわふわしていたのは、体調が悪くて真っ直ぐに歩けない状態だったからだ。


 今は特に体調が悪い。このままでは長くはないだろう、と医者に言われているという。


 それでもソフィアは俺の事を気遣い、四阿に行かなくてはと言うのだそうだ。


「だって、セオドラ様はまだ '幸せを感じるやりたい事' が見つからないのですもの。一緒に探して差し上げたい。セオドラ様が笑って毎日を過ごせる様に…」


 

「ソフィアお嬢様はまだまだ幼い方なので、初恋と言うよりは恋に恋してしまわれたのかもしれません。なにしろ、若い男性に会う機会もほとんどない方でございます」


 アリスは大きく深呼吸をして言った。


「セオドラ王太子殿下、旦那様。

 どうかソフィアお嬢様を叱らないでくださいませ。

 罰なら…私が受ける覚悟ができております」


 そう言って、アリスは深々と頭を下げた。


「…待て。

 ソフィアは今、幾つなんだ?」


「先月、15歳になられました」


 どうりで '幸せを感じるやりたい事' に食べ物ばかりが出ていたわけだ。俺は思わず微笑んでしまった。


 俺はすくっと立ち上がって、コペル男爵に命じた。


「コペル男爵。ソフィアのいる病院に案内せよ」





 着いたのは、王宮の側にある病院。


 陽射しを和らげるために薄いレースのカーテンが引かれた部屋で、ソフィアは眠っていた。


 血の気の薄い顔で呼吸も浅く、ソフィアの細い体はますます細くなっているのがブランケットの上からでも見てとれた。


 体が辛いのか、ほんのわずかに唇を噛み締めている様子に俺の心が痛んだ。


 しばらく顔を眺めていた俺は、俺の親衛隊、コペル男爵と護衛、アリスと交代でソフィアに付いていた侍女達…全てを下がらせて病室にソフィアと2人になった。そして、その手をそっと取った。


 ソフィアの冷たい手を握り、じっと顔を見ていると、うっすらとソフィアが目を開けて俺を見た。


「あっ…セオドラ様…?どうして、こんな所に……?

 わたくしの事がバレてしまったのですね。

 恥ずかしいです…。わたくし、病院を抜け出して、セオドラ様に会いに行ってました」


「喋るな。黙ってそのまま休んでいろ」


「今日のセオドラ様、制服がよく似合って、とても素敵です。胸がキュンとします」


「黙ってろ」


「はい…。でも、お願いがあります。わたくしが眠るまで、手を繋いでいてくださいませ。とても暖かくて…安心します」


「だから、黙っていろ。そばにいるから」


 ソフィアは俺の顔を見て力なく笑い、頷いてゆっくりと目を閉じた。しばらくして、ソフィアの呼吸が落ち着き眠りについたのがわかったが、それでも俺はその手を離さず握り続けた。


 俺は眠るソフィアの顔を見つめた。


 わずかに噛み締めていた唇が微かに微笑んでいる様に見え、呼吸も心なしか楽になっている気がした。


「ソフィア…」


 俺は初めて女の名前を呼んだ。そして、俺は自分の目に涙が浮かんでいることに気がついた。


 ソフィアはこんな俺のために、自分の命をかけてくれた。俺が幸せを見つけるのを手助けしてくれようとした。

 

 こんな、やさぐれて、飲んだくれている男のために…。


 俺は…なんてバカなんだろう。


 後ろばかり見て、未来に目を向ける事が出来なかったなんて…。


 小さな幸せすら探そうともしなかったなんて…。


 病室の中が夕陽に照らされて、赤く染まりはじめた。その光がソフィアを暖かく包んでいる様に俺には見えた。


 俺はソフィアの頬をそっと撫で、病室を後にした。

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