第6話
女の '幸せを感じるやりたい事' のページはどんどん埋まり、ノートが3冊目になったある日。
四阿で会うのもこれからは寒くなるなあ、などと思い始めた頃だった。
俺が四阿に行くと女はいなくて、いつも女が座っている場所には枯葉が舞っていた。
以前にも女が俺より少し遅れて来た事があって、女がものすごく恐縮していたのを俺は思い出していた。
その時俺は少しぐらい遅れたって気にする事はないと言ったんだけど、女はセオドラ様をお待たせするわけには参りませんと半泣きになっていた。
そんな女の事だからそのうちやって来て、申し訳ございませんでしたと平謝りに謝るのだろう、などと俺は思っていた。
だけど、なかなか女はやって来なかった。
あの女がこんなに遅くなるなんて珍しい事もあるもんだ。馬車でも壊れたか?
そんな事を思いながら、俺は四阿にポツンと座って女が来るのを待った。
自分は何度かすっぽかしたくせに、逆の立場になるとなかなか現れない女の事が気になるものだ。
何かあったのか?
どうしたんだろ?
風邪でもひいたのか?
手持ち無沙汰に頬杖をつき、風に揺れる色付き始めた木々を眺めてほんの少し物悲しい気分を味わっていると、侍女と思われる服装の女が現れた。その女は何も言わず、床に膝をつき両手で手紙を差し出して足早に去って行った。
慌てて手紙の封を切って中を見ると、見覚えのある文字が並んでいた。
セオドラ様、
申し訳ありません。今日は少し用事が出来てしまいました。四阿には行けそうもありません。
でも '幸せを感じるやりたい事' は、ちゃんと見つけました。
走る、です。
わたくし、走った事がありません。走るって、とても気持ちいいのでしょうね。体力をつけて走れるようになったら、セオドラ様、一緒に走ってくださいませ。
あ! '幸せを感じるやりたい事' が2つになってしまいました…。
今日の1つめ。走る。
今日の2つめ。セオドラ様と一緒に走る。
わがままですね。
3日後にはお会いできますように。
その時にはセオドラ様の '幸せを感じるやりたい事' をわたくしにお聞かせ下さいませ。
ソフィア
俺はあの女の名前がソフィアだとその時初めて知った。
俺はその手紙を何度も読み返し、胸ポケットに突っ込んで四阿を出た。
ジェイクが俺の後ろについて歩いていたが、俺は何も言わなかったしジェイクも黙っていた。
俺は何だか胸に小さな穴が空いたような、寂しいような気がした。
俺はまたフラフラと酒を求めて街に行き、安酒場でローリー達に出会ってしまい、この前痛い目にあった事もなかったかの様に皆でどんちゃん騒ぎをして過ごした。
でも、胸に空いた小さな穴は埋まらなかった。飲んで騒いだ後、胸の穴は大きくなった気がした。そんな事は初めてだった。
3日後、ソフィアは現れなかった。手紙も寄越さない。
その3日後も姿を現さなかった。
そして、その3日後も。
俺はジェイクにぼやいてしまった。
「女が来ないんだ…」
「え〜っと?コペル男爵家の令嬢の事ですか?」
「わからん。わからんが父上の紹介で3日毎に会ってたソフィアという名の女だ」
ジェイクはくすりと笑った。
「殿下はどこの誰かも分からぬ女と会っていたのですか?」
そう言ってジェイクは俺の顔を見た。
「で?」
その時、ジェイクは、どうしろ…とも、どうしたいのか…とも聞かなかった。
ただ一言、で?と言って俺の顔を見たんだ。
自分で決めろ、って事だよな、ジェイク?
俺は酔ってはいたが、あまり迷わずにジェイクに言った。
「様子を見に行く」
ジェイクは微笑んで片膝を床に着き右手を左胸に当てて、仰せの通りに…と頭をたれた。
そして顔を上げてジェイクはキッパリと言った。
「まずは殿下の支度からですな…」
俺は自室に連れて行かれ、風呂に入れられた。世話係のビクターとアランが妙に張り切っていて、無精髭を綺麗に剃られ、ボサついた髪も少し切られた上に整えられた。
「おい、おい…!これはどういうことだよ?こんなにしなくったっていいじゃないか!」
魔力でソフィアの所に飛んで行き、様子を見るだけ…と思っていたのに、何でこんな事になるんだと俺はブツクサと皆に文句を言った。
ジェイクはそんな俺に、酒臭くては男爵家になど行けませんよ、と小言を言った。ビクターがその言葉にうんうんと頷き、アランはニコニコと笑っていた。
そんな俺に、お水を多めにお飲みください、とアランが白湯を持ってきた。俺は喉が渇いていた事に初めて気づき、がぶ飲みしてしまった。
少し落ち着いた俺に、ビクターとアランが仕上げだとばかりに親衛隊の王太子の制服を俺に着せた。
そして、いつの間にか俺の馬も用意されていた。
「なあ…ジェイク!
いくら何でも、これは大袈裟だろう。様子を見に行くだけなんだぞ」
そうジェイクに言うと、ジェイクはごくごく真面目な顔をして俺を見た。
「ただ様子を見るだけなら、子供でもできますけどね。
でも、殿下は…王太子殿下なのですよ」
わけがわからん…。
だが、コペル家の場所も知らない酔っぱらいの俺は、何故か素直にジェイクの言う通りに大人しくすることにした。それだけ、ソフィアの事が気になっていたんだと思う。
なんだかんだとしている内に、ジェイクを先導に前後に4人ずつ合計8人の親衛隊員を従え、10人の騎馬隊となって城の門を出ることになった。
さすがにこの人数は多すぎだろ…という俺の言葉は軽く流されてしまった。
街中を進んで行くと俺を見てコソコソとなにかを言い合っている者達がいるのに気づく。でも、ある者は目を輝かせて俺に手を振ってくれる。セオドラ様!と俺の名を呼びながら後を追いかけてくる者達もいる。
最後にこうして王太子らしい出立ちで街に出たのは、いつだったのだろう。
もう飲んだくれてずいぶんと経った気がする。
あぁ、俺は情けない…
そう思うと、また酒が飲みたくなってくる。
そんな邪念を払いながら、街の中を進んでいくと城から少し離れた場所でジェイクが馬を降りた。
「殿下、こちらでございます。いかが致しますか?」
案内を頼め、という前にコペル家の執事と思われる男が転がるように走って出てきた。
俺の顔を知っているのか、執事は狼狽えながらも、コペル家にようこそお越しくださいました、と俺に深々と礼をした。そして、半分だけ体を上げてジェイクの方を向き、尋ねた。
「ご用件を伺ってもよろしいでしょうか。セオドラ王太子殿下の突然の御訪問で、一同驚いております」
「コペル男爵に面会に参った。突然ですまないが案内を頼む」
ジェイクが重々しくそう告げると、執事は震えながら、こちらでございますと俺を屋敷へと案内した。
王太子の突然の訪問に、コペル男爵家の屋敷は大騒ぎになっていた。
8人の騎士達は広間の前に並んで立った。8人の騎士達がずらりと並ぶとかなり威圧感がある。その上、俺は王太子の制服に身を包んでいるのだから男爵家の大騒ぎは仕方のない事だろう。
俺とジェイクは広間の中に入った。俺は椅子を勧められ、ジェイクは俺の斜め後ろに立った。
ソフィアがいるなら、出てきそうなもんだが…
などと思っているとソフィアの父、エイダム コペル男爵が現れた。
お待たせして申し訳ございません、と言う男爵は白銀の髪を刈り上げた細身の男で、ソフィアによく似ていた。
ああ、スキーを趣味に持つ男だ。なるほど、カッコよくスキーを滑れそうだな…、などと見ていると、俺の後ろに控えて立つジェイクが話し始めた。
「セオドラ王太子殿下はソフィア嬢の様子を知りたいと仰せです」
それを聞いたエイダム コペル男爵は首を傾げた。
「ソフィアは持病がございまして、もう長い間入院し治療を受けております。
…しかし、なぜ、セオドラ王太子殿下がソフィアをご存じなのでしょうか?」
俺は父である国王からソフィアを紹介されて、3日毎に城で会っていたのだが…と正直に話した。
すると、ソフィアの父は眼を泳がせた後、俺を見た。
「国王陛下から結婚のお話がございましたのは、姉のフローラでございます。フローラは将来を誓い合った相手がいると申しましたので、そのお話はお断りしたはずですが…。
でもなぜ、ソフィアと…?」
その時、広間の外で言い争う声が聞こえた。女が中に入れて欲しいと言うのを、騎士達が押し留めているようだった。
ジェイクがささっと動き、コペル男爵より早くさっとドアを開けた。
「何事だ」
するとそこには見覚えのある女が泣きながら立っていた。
「私が全て悪いのでございます。どうか、どうか、お許しくださいませ。お願いで…ございます」
中に入れて話を聞いてやれ、と俺が言うとコペル男爵が困惑した顔で俺を見た。
「構わんだろう?話を聞くだけだ」
中に入れと男爵に言われた女は、俯き震えながら部屋の中へと入って来た。そして、ジェイクに促されて、大きく深呼吸し顔を上げて言った。
「私がソフィアお嬢様のお手伝いをさせていただいたのでございます」
コペル男爵が眉間にシワを寄せた。
「どういうことだ!」
「フローラお姉様の代わりに一度でいいからセオドラ王太子殿下にお会いしたいと、ソフィアお嬢様にせがまれて、お見合いを受けるという手紙を書いて国王陛下宛に送ったのでございます。
私は、私は…ソフィアお嬢様の願いを断りきれなかったのでございます」
「お前!な、何という事を!」
コペル男爵の顔は真っ青になり、握りしめた手がプルプルと震えていた。
「お、お前はセオドラ王太子殿下に何という事をしたのだ!
誰か!こいつを連れて行け!言い訳は後から聞く」
「待て!
お前、アリス…だな?
ソフィアからお前の事は聞いているよ。わたくしの事を大切に思ってくれている侍女だとソフィアが言っていた。
お前の話をもう少し聞きたい。コペル男爵、構わんだろう?
それと…この者を罰する事は禁ずる。いいな?」
その言葉に男爵は眼を大きく見開き、頷いた。
俺はアリスに、そばに来てお前の知るソフィアを詳しく話せ、と命じた。
アリスは目に涙を溜めながらもソフィアの事を少しづつ話し始めた。
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