第5話

 3日後、俺は時間に遅れながらも四阿に行っていた。

 

 なぜ俺は行く気になったのか?


 自分でもよくわからなかったが勝手に足が四阿に向かっていた。俺はいつも通り酒臭くヘラヘラだった。

 

 …随分遅くなった。

 いくら何でも、もう諦めて帰っただろう。


 そう思って四阿を見ると女は座って待っていた。白銀の髪がほんの少し風に揺れていて、女はショールを肩から掛けていた。


「セオドラ様!」


 女は俺を見つけて嬉しそうに笑い、立ち上がった。


「申し訳ございません。ちょっと疲れて座ってしまいました。まだ、あまり体力がなくて…。

 来て下さって、本当に嬉しいです!」


「…」


 セオドラ様!と女は眼を輝かせながら言った。


「わたくし、1つ目のやりたい事を見つけました!ぜひセオドラ様に聞いていただきたくて、お待ちしていたのです!」


 俺は女から離れて腰掛けた。

 女は俺が座ったのを見てゆっくりと座った。


 ふぅ〜ん、という顔で俺がその女を見ると、女は色白の頬をピンクに染めて俺の顔を見た。


「小さい頃読んだ本に 'シュー ア ラ クレーム' というものが載っていて、どんな物か食べてみたいと思ったのを思い出したのです」


「…!」


「お話の中では、主人公の女の子がいい子にしているとお母様から 'シュー ア ラ クレーム' を1ついただけるのです。わたくしもいい子にしていれば 'シュー ア ラ クレーム' なるものがいただけるのかと、ずっといい子にしていたのにお母様も侍女達もくれなかったのです。

 だから、いい子にしてたのに 'シュー ア ラ クレーム' くれないの?と侍女のアリスに聞いてみたのです。そうしたら…お腹を壊すからいけません、とバッサリと切り捨てられました。

 わたくしはその時、ちょっと…いいえ、とっても残念で泣いてしまいました。

 でも、少し大きくなった今なら、食べてもお腹は壊さないだろうとわたくしは思うのです」


 女はにっこりと笑った。


「本には手のひらに乗るような薄茶色の雲のような形で、ふわふわの甘いお菓子だと書いてありました。どんな味なのでしょう。ぜひ食べてみたいのです!

 セオドラ様は食べた事がありますか?」


 真剣にそう言う女を俺は思わず見てしまった。


 なんと!シュー ア ラ クレーム!食べた事がないとは。

 

「それは、クリームパフの事だ。知らないのか?」


「えっ?

 ク、クリームパフ……ですか?」


 女の眼がまん丸になった。そして、聞いた事がありませんと小さな声で呟いた。


「セオドラ様は 'シュー ア ラ クレーム' いえ、クリームパフを食べた事があるのですか?それは、普通に店で売っているのですか?おいしかったですか?」


 女は矢継ぎ早に、ものすごく真面目な顔で俺にそう聞いた。


「子供の頃に何回か食べたな。甘くて美味かった。普通にお菓子やケーキの店で売ってると思うけど?」


 わたくし、見た事も食べた事もありません…と女はしょんぼりとした。


 そして、しばらく俯いていた女は、すっと顔をあげてすみれ色の瞳を輝かせた。


「セオドラ様!

 わたくしの幸せを感じるやりたい事が、今日2つになりました! 

 1つ目はクリームパフを自分で買う。

 2つ目はクリームパフを食べる。

 なんだか楽しくなってきましたっ!」


 セオドラ様は何かやりたい事が見つかりましたか?と聞かれ、ない!と冷たく答えたが、諦めない女は俺に微笑んだ。


「3日後、また同じ時間にここでお待ちしています。必ず '幸せを感じるやりたい事' を1つ見つけて来てくださいませ。

 今日はもう時間が来てしまいました。わたくしは行かねばなりません。

 では、ごきげんよう…」


 女はそう言うと、ふわふわと城の中に入って行った。

 俺はその女が城の中に消えていくのを、ぼーっと見ていた。



 

 その3日後、俺はまた何となく四阿に行った。

 

 何で四阿に向かって歩いてるんだ、俺は?

 あぁ、そうか。俺は、暇なんだな。

 単なる暇つぶしだ。…ひまつぶし! 


 俺はそう心の中で呟いていた。


 女は3日前と同じ様に座って俺を待っていた。


「座ってしまって申し訳ありません」


 女はそう言って立ち上がった。


「かまわないさ、謝る必要なんかない。座れ」

 

 俺がそう言うと、女は自分を情けなく思うのか、眉毛を八の字に下げて座った。


「それよりも、次のやりたい事は見つかったのか?」


 俺が離れて座ると、女はキラキラとした眼で俺を見た。


「はい!見つけました。

 アイスクリームを食べる、です!」


「えっ?アイスクリームも食べたことがないのかよ?」


 女が悲しげな顔で言うには…。


 小さかった頃、部屋で寝ていろと言われていたのに飽きてしまい、こっそり部屋を出て姉の部屋を覗いたら、姉がガラスの器にまあるく盛り付けられた薄黄色のモノを嬉しそうな顔で食べていたという。


 慌てて追いかけて来た侍女のアリスに、お姉様が召し上がっていたモノはなぁに?と聞くと、アイスクリームというお嬢様の体にはあまりよろしくない物ですと言って、引っ張るように自室に連れ戻されてしまって、それっきりアイスクリームにはお目にかからない…。


「アリスはわたくしのことを今でも子供扱いするのです!

 でも、本当にわたくしを大事に思ってくれているのはわかっているので、アイスクリームが食べたいとは言えなくって…」


 そして、女は邪気のない顔で笑った。

 

「だから、アリスに内緒でこっそり食べたら、きっと楽しくて幸せだと思うのです。ぜひ一口でいいから食べてみたいです!!」



 それからも3日毎にその女は四阿で俺を待っていたらしい。らしい…というのは俺は行く日もあったが、飲みすぎて行けない日もあったからで…。


 アイスクリームを食べる、と女が言った3日後、俺は行かなかった。正確には…行けなかった。飲み過ぎて、起き上がれなかったんだ。


 その3日後に俺が四阿に行くと、女はとても喜んでくれた。ホッとした様なその微笑みは、俺の中の何かをそっと溶かしていくようだった。


「お会いできて嬉しいです。セオドラ様の体調が良くないのかと心配しておりました」


 …体調はいつも通りさ。いつも通りの酔っ払い。


「セオドラ様、お体辛くはないですか?」


 …辛いな。酒が胃の中に溢れてる。


 俺は女の問いかけには答えず、女に言った。


「そんな事より、次のやりたい事は見つかったのか?」

 

 はい、と返事をして女は眼を輝かせた。


「わたくし、こういう物を作りました。」


 女は '幸せを感じるやりたい事' をノートに書き始めていて、ピンク色の表紙のノートを恥ずかしそうに開いて俺に見せた。


 見開きの左側には、セオドラ様の幸せを感じるやりたい事、と書いてありページは真っ白だった。右側には女のやりたい事が書いてあった。


 最初のページには大きめの文字で 'クリームパフを自分で買いに行く' と書いてあった。そしてその下には普通の文字で、お菓子屋さんで売ってるらしい、と付け加えてあった。


 そして、その下にはまた大きめの文字で 'クリームパフを食べる' と書いてあり、甘くて美味しいとセオドラ様が仰ったと書いてあった。


 次のページはアイスクリームを食べる、と書いてあって、その下には、アリスに内緒でこっそり食べるとあった。


「お前、面白い事を考えたな」


 俺がそう言うと女はこう答えた。


「出来ることから少しずつ叶えていくために書き残していきたいのです。そして、願いがなかったらその願いに赤いお花の印を書いていきましょう。

 いつの日にか、このノートが赤いお花でいっぱいになる様に…」


 '幸せを感じるやりたい事' ノートはどんどん埋まっていった。まあ、セオドラ様のやりたい事、というページは真っ白のままだったけど。


 女のやりたい事、というのは、結構面白かった。


 冷えたスイカを食べる、生チョコレートを食べる、タバスコをいっぱい掛けたピザを食べる、バナナを食べる、クリームブリュレを食べる…と食べ物が続いていた。


 喰い物ばっかりだな、と俺が言うと女は、はっ!とした顔になり、やがて真っ赤になった。


「わ、わたくし…。どうしましょう!

 少し恥ずかしいです」


 それでも女は、次からは食べ物以外にも目を向けて考えて参ります…とキラキラしたすみれ色の瞳の眼で俺をみた。


 次に四阿で会った時から、女の '幸せを感じるやりたい事' の幅が広がっていた。


 スキーをする、というのが次の '幸せを感じるやりたい事' だと女が言った。


「お父様はスキーがお得意なのです。スキーの板や、堅そうな靴を見せてもらった事があるのですが、こんなのを履いて雪の上を滑るのだよ、と説明されても想像がつがないのです。

 お母様やお姉様は、スキーは男性のすることよ、淑女のすることではないわ、と言うのですが…。お父様は冬になるとよくスキーをしに、お仲間とおでかけになる。それは、きっと楽しいからだ、とわたくしは思うのです。

 楽しいなら、わたくしもスキーをしてみたい。

 もう少しわたくしの体が丈夫になったら、足をあの板を乗せて、するする、するする〜っと雪の上を滑ってみたいです。

 わたくしにもできる気がします!」


「転ぶと痛いぞ」


 俺の言葉に女はギョッとした顔をした。


「えっ!転ぶのですか?あの板ごと…ですか?

 どうしましょう。困りました…。

 あの板と一緒に転ぶのは嫌です」


 俺は、誰かに掴まってれば平気だよ、と女に言った。すると女は眼をちょっと泳がせてから眉間に皺を寄せた。


「お父様と一緒に転ぶなんて…、もっと嫌です」

 

 女が父親と転ぶ姿を想像して思わず笑ってしまい、それはないな、と俺は言った。


 結局、誰と転ぶのかは今考えないで、スキーをしに行った時に決めると女は言った。


 ノートには、スキーをする、誰と転ぶのかは後で考える、と書いてあった。



 その後も女のノートはどんどん埋まっていった。


 舟を漕ぐ、スイカ割りをする、チューリップを育てる、ベリーを摘む、ひまわり畑に行く、海水浴をする、ピクニックに行く、お弁当を作る、釣りをする…


 その頃には俺はすっぽかす事もなく、3日毎に四阿に女に会いに行き、たわいもない話をする様になっていた。主に話しているのは女で俺は相槌程度の受け答えが多かったが、俺は女に会って '幸せを感じるやりたい事' の話を聞くのが楽しくなっていたのかもしれない。



 3日ごとに俺が女と四阿であっている事を、ジェイクは知っていた。毎回、四阿のそばまで俺を護衛してきているのだから当然知っていたんだけど、この女の事についてジェイクは何も言わなかったし、俺に何も聞かなかった。


 ジェイクは四阿から少し離れたところで、私はここでお待ちしております、とお辞儀をして俺を見送る。そして、俺が四阿から戻ると、何も言わずにお辞儀をするだけ。


 多分、ジェイクの事だから、この後に起こる事も予測してたんだろう。


 何も知らない俺は四阿から自室に戻ると、酒を飲みに街へと繰り出していた。


 酔っ払いは酔っ払いのまま。

 弱い心は弱いまま。

 なかなか…ね。元の俺には戻れなかったんだよね。

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