第4話

 数日後、俺は父上に呼び出されて、城の国王の執務室に行った。


 国王の執務室には父上しかいなかった。普段ならいるはずの侍従も、世話係も、親衛隊の騎士達も人払いされていなかった。


 広い執務室で父上は1人、窓の外を眺めて立っていた。その後ろ姿に微かな老いを感じて、俺は胸が痛くなった。


 父上は何を考えているのだろう。

 …ああ、そうか。

 父上は…俺がこう言うのを待っているのか…。

 

 すみません、父上。

 俺は…もうダメです。

 諦めてください。

 王太子は弟のウィリアムに…。


 言いたくても言えない、そんな言葉を飲み込んで俺は父上に呼びかけた。


「父上、何でございましょう?」


 酒臭くヘラヘラとしながら聞く俺を振り返り、父上は思いもしなかった事を俺に言った。


「結婚しないかい?」


 へっ…?


「セオドラ。結婚して落ち着いた暮らしをしてみないかい?

 相手は見つけてやるさ。お前が気に入った相手と結婚すればいいだろう」


 俺はほんの少し狼狽えたがヘラヘラ顔で誤魔化した。


「へえぇ〜?結婚ですかぁぁ?」


 笑いを堪えた顔の俺を、父上はまっすぐに見つめた。父上のこの顔は…本気だ。


「…はいはい、承知いたしました。

 父上がそう仰るならば、俺はいつでも結婚いたします。

 でもですねぇ、こんな俺と結婚してもよいと言う女がいるとは、とても思えませんけどねぇ〜」


 そんな事はないさ、と父上は俺に近づいて、俺に微笑みかける。


「お前は妻を大切にするだろうよ。優しい男だからな」


 はいはいはい…。

 妻になる女を大切にして、裏切られ捨てられた男でございます。

 優しいからその女も相手の男も捕まえる事も出来ずにおります。

 そして、今だに忘れようとしても忘れられずにいるのでございます。


 そんな事を思っている俺を父上は微笑みながら見ていた。その微笑みが胸に突き刺さった。


「俺はどんな相手でも、いつでも結婚いたしますよ。俺の相手になる女が俺で良いと言うのなら…」


 では、父上のよろしい様に…と父上に深々とお辞儀をし、俺はふらふらと国王の執務室を出た。


 ジェイクはその時も父の執務室の入口に控えていて、俺が出て来るのを待っていた。俺の親衛隊の副隊長だから、そばにいるのが当たり前なんだろうけど…。


 こいつも懲りない男だね。

 俺なんかに忠義立てせずにさっさと見捨てて、関わらない方が出世するだろうに…。

 

 俺はどこに行くのか当てもなくふらふら、ふらふらと歩き続けた。



 それからしばらくして、父上は本当に見合いの相手を紹介して来た。親同士で勝手に結婚を決めたりしなかったのは、父上の思いやりなのだと思う事にした。


 会う機会は作ってやれる。

 でも、後は自分で行動するしかないんだよ。


 そう思っているであろう父上のあの微笑みが、また脳裏に浮かんだ。


 

 最初に紹介されたのは公爵家の三女。


 父上から来た釣書の内容は素晴らしかった。

 年も俺と釣り合いが取れ、貴族学校での成績も良く、非の打ち所がない。姿絵の女性は優しげにこちらを見て微笑んでいた。


 そんな女性が何故、こんな飲んだくれの俺なんかと見合いをする?


 不思議な気がして、俺はジェイクに尋ねた。


「なぁ。何でこの女はこんな俺と会おうと思ったんだろ?」


 ジェイクは、はて…と言って首を傾げたきり口を噤んだ。

 

 女と会ったのは、城の庭にある四阿。


 俺はジェイクにせっつかれて、酒臭いながらも一応身だしなみだけは整えてた。四阿で頬杖を付きながら座って待っていると、侍女を従えた女が現れた。


 会ってすぐに女が四阿に来た理由が分かった。女は親に言われて嫌々会いに来たという風情で、ろくに話もせず、すぐに帰って行ったのだ。


 俺の悪評はこの城下に響き渡っている。


 王太子のセオドラは婚約者に逃げられた、どうしようもない飲んだくれ…。


 そして、俺はわかりきっていた事を改めて思い知ってしまった。


 国王陛下からの見合い話は娘の親にとっては美味しいのだという事。でも当の娘にはこんな男の妻になる事など、耐えられない程の苦痛なのだという事。


 案の定、公爵家からはお断りの手紙がすぐ届いた、と聞いた。


 次は遠い親戚という王族の娘。

 その次は男爵家の三女。


 結果はいつも同じだ。


 どいつもこいつも…!


 親は娘に転がり込む王太子の妻という立場だけが目当てで、娘を俺に嫁がせて美味しい汁にありつこうと考えている。


 だけど女の方は俺が怖くて嫌なのだが親に言われて渋々会いに来る。それが一目見てわかる、会うだけで反吐が出るような女ばかり。


 だから、その次からはわざと相手の女が断りやすいように、酒臭く服も乱れたままで女に会った。俺が見合いの場に現れただけで、女達はビビって逃げ出すことがほとんどだった。


 ジェイクは俺の姿を見てため息をついた。


「はぁ…。

 殿下、もう少し…。もう少しでいいのでキリッと出来ませんかねぇ。少なくとも、お相手が座ってお話しできるぐらいにならないと…」


「うるせぇ!これが今の俺だよ。」


 俺はそう嘯いて、いつも通りにヘラヘラとした。


 その実、俺はどうしようもない孤独に苛まれていた。


 ゾーイの様に優しくて、聡明で、美しい女はもう二度と現れない。そう思うと苦しくなり、俺はまた酒に走るのだった。



 


 そんな事を続けてしばらく経ったある日。

 俺はまた、ある女に会うことになった。


 今回もどうせ断られるのだから、そうしたら父上にこう言おう。


 もう、誰に会っても同じ事です。

 女が逃げ出して終わり。

 会うだけ無駄ですよ、父上。

 


 その日、俺はいつも通りにジェイクにせっつかれて重い腰をあげ、指定された四阿にノロノロと行った。心の中では、行くだけでも褒めて欲しいものだ、と思いながら。


 いつもの様に会いに来る女がこの見合いを断りやすくする為に、俺は酒臭く乱れた皺くちゃの服装のまま四阿へと歩いて行った。胸のボタンは半分ほど開け、トラウザーからはシャツをはみ出させ、大欠伸をしながら歩く姿はとてもじゃないが王太子ではないはずだった。


 俺はお前になんぞ会いたくもない、嫌なんだよ、というオーラを全開にし、頭をボリボリと掻きながら四阿の方へ、ふらふらと酔っ払いの足取りで歩いていった。


 城の庭にある四阿で、その女は空を見上げて立っていた。


 白銀の髪を持つほっそりとした女は俺の気配に気付き、ふわっと振り返った。そして、輝く様なすみれ色の瞳で俺を見つめてこう言った。


「セオドラ様はあの青い空の向こうに、何があるかご存じですか?」


 挨拶もなければ、自己紹介もない。

 お付きの侍女の姿も見えないし、世話係もいない。


「はぁ〜っ?…知らねぇよ」


 思わず返事をしてしまった。


「広い広い空間があるのだそうです。不思議ですよね。すぐそこに空の終わりがある様に見えるのに…」


 はぁぁ?


「わたくしは生まれた時から体が弱く、ほとんど外に出た事がありません。1人で本を読むのが唯一の楽しみでした。

 わたくしが小さな子供の頃に読んだ本の中に、空の向こうには広い空間があると書いてありました。それを知った時、一度でいいから青い空の向こう側をのぞいてみたいと思ったのです。それが子供の頃のわたくしの夢の1つでした。

 今は青い空の向こうには行けないし、覗けないとわかっています。でもいつの日にかあの夢が叶えられるといいなと思いながら、今、空を見ていました。

 セオドラ様の子供の頃の夢はなんでしたか?」


 俺は言葉に詰まった。

 そして、こういい加減に答えてしまった。


「…夢なんて持ってなかった」


 そいつはびっくりしたような目で俺を見て言った。


「セオドラ様…。

 では、今、やりたい事はありますか?」


 俺はこのめんどくさい女にこう答えた。


「俺を捨てたゾーイを連れ戻して、この腕に抱く事だ」


 しばらく考えた後で、そいつはこう言った。


「それは…。

 もし、それを実現できたらセオドラ様は幸せを感じるのでしょうか?」


 めんどくさい!めんどくさい!めんどくさい!!

 何だよ、この女!


「ゾーイっていうのはな、俺を捨てた女だよ?そんな女を連れ戻して、俺が幸せを感じるわけねぇだろ!

 いい加減にしろよ」


 めげないその女は、ほんの少し考えてからすみれ色の瞳で俺を見つめて、こう言ったんだ。


「…では、幸せを感じるやりたい事を1つ探しませんか?」


 はぁぁぁ?

 何だよ、それ?


「わたくしも探してまいります。3日後、同じ時間にこの場所で。

 わたくしは、もう行かねばなりません。あまり外に長くいると侍女が心配しますので」


 女は丁寧にお辞儀をして笑った。


「それでは、セオドラ様、ご機嫌よう!」


 その女はふわふわと歩き出した。そして、侍女が待つ城の中へ振り返りもせず消えて行った。


 俺はまるで毒にでも当てられたかのように動けず、そいつの消えた方向を見ていた。


 なんだあの女?名乗りもしなかった。

 なんだっていうんだよ!

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