第3話

 俺は酒を飲み続けた。

 

 飲んでも飲んでも、気は晴れなかった。飲んだところで、気が晴れるわけがないのだが、飲み続けた。城の自室に閉じ籠り、カーテンを閉め切って1日中飲んだ。


 胃の中が酒だけになった。それでも飲み続けた。


 ジェイクはそんな俺を叱り飛ばした。


「スカーレット国の王太子ともあろう貴方が、いつまで酒を飲み続けるのです!やらねばならない事があるでしょうに」


 うるせぇ!


「殿下の代わりに国王陛下がどれだけ「うるせぇ!!黙れ!黙れっ!引っ込んでろ!ジェイク!」」


 俺だって分かってた。頭では分かってた。でも、俺の心がついていかなかったんだ。


 飲んでも飲んでも、ゾーイの事が頭から離れない。飲まなければいいのかと、2、3日酒を止めると返ってゾーイの事を思い出す。


 どうしようもない。



 ジェイクに引っ張られ、しぶしぶ会議に出ると、皆が俺を見ないように目を背ける。


「セオドラ殿下、酒臭いですなぁ…」


 切れ者と言われるロッシュ宰相だけが俺を見て困った顔で笑った。


 俺だって、来たくて来てるわけじゃないぞ!


 そんな太々しい態度で踏ん反り返って座る俺に、父上は何も言わなかった。叱責することもなく、酒をやめろとも言わなかった。


 セオドラはオレの息子だからな。

 時間が経てば元に戻る。心配は要らない。


 そんな父上の言葉が聞こえてきそうだった。




 俺の事を案じてくれる側仕えの者達は多かった。皆、側にいて俺の世話をしてくれているのだから、何が起きたのかを何となく察していて俺に優しく接してくれていたのだ。


 なるべく俺を煩わせない様にそっとしておいてくれた。


 酒だけでは体を壊す、と栄養のあるつまみをさりげなく用意してくれたり、せめて気持ちよく過ごして欲しい、といつでも風呂に入れるように準備してくれていたり…。


 なのに、俺は…。俺という奴は!



 酒浸りになって2月程した頃だった。


 俺は自室でいつもの通り、酒でヘロヘロしている所をジェイクに捕まった。


「仕事が溜まっているのです。ほら、殿下!シャキッとしてください。シャキッと!」


 ジェイクに服装を直されたり、髪を整えられたりしていると、遠慮がちなノックの音がした。


「どうぞ入ってください」


 ジェイクがそう返事をすると子供の頃からの世話係、ビクターとアランがそっと部屋に入り、俺に頭を下げたのだった。


「どうしましたか」


 俺に代わりジェイクが聞くと、ビクターがおずおずと話し出した。


「私共が申し上げることではない、とよく分かっているのです。不敬な態度であるともわかっております。でも…。

 殿下、お願いでございます。

 どうか、少しお酒をお控えくださいませんか?私共は殿下のお体が心配で心配で…」


 世話係が王太子の俺にそんな事を言うなんて、どれだけ勇気が必要だっただろう。


 それだけ俺の事を心配してくれていたのだ、と今の俺なら簡単にわかる。ありがたい事だと感謝する。

 

 だが、あの頃の俺の頭は、酒でおかしくなっていた。酒が全てを狂わせていた。


「…お前達!俺に意見するのかっ!」


 俺は酒のせいで頭に簡単に血が昇り、拳を振り上げてしまった。殴るつもりなどなかった、というのは狡い言い訳だろう。


 勢いづいたその拳は、慌てて中に割って入ったジェイクの顔を直撃した。


「殿下!いけません。それだけはいけません!」

 

 ジェイクはそう言いながら世話係達の体を庇い、俺を見た。


 しまった!


 そう思ったが、俺は世話係をヘラヘラと笑って見て、誤魔化してしまった。


 心配してくれてありがとう

 殴るつもりなんてなかったんだよ

 酔っ払いだからさ、勢いで手があがっちゃってさ

 済まなかったね


 言葉は頭に浮かんでいるのに、言えなかった。


 ジェイクは鼻血を手で拭いながら、俺に代わって世話係に謝罪の言葉を言った。


「心配してくれて有難う、酔っ払って手なんか振り上げちゃって済まなかったね、って殿下は思っておられるのだよ。

 でも、照れ屋さんだからね。素直に言えないんだよね。知ってると思うけどさ」


 この出来事の後、俺は飲むのをやめた。

 

 正確には、城の中で飲む事をやめたんだ。


 なんで完全に止める事ができなかったんだろう。ジェイクでも父上でも誰でもいい。ちゃんと相談すればよかったのに、それすらもできなかった。

 

 プライド?よくわからない。


 わかっている事は、俺が本当に弱い奴だったって事なんだ。


 俺は街に出て1人で飲み始めた。


 1人、といってもジェイクの部下が護衛として何人かついて来ていた。少し離れた所でさりげなく辺りを見回して警戒をしていた。


 ジェイクの部下は、まぁ、俺の部下なんだけど、優秀だ。護衛がいるという安心感と煩わしさを比べると、この時は安心感の方が強かった。街中で酔い潰れたりする事のないように、護衛の眼があれば頑張れそうだった。


 最初、俺は馴染みのある、貴族達が利用するバーに行っていた。気の置けない仲間と何度も行った事があり、俺が王太子である、とよく分かっている店だった。


 …というか、世間知らずだから飲める店はそこしか知らなかったんだよね。


 店主は俺を隅にあるテーブルへと案内し、店主自らが酒の相手をしてくれた。飲み過ぎないように、酒だけを飲み続ける事のないように、きちんと見ていてくれた。もしかしたら、ジェイクからそう指示されていたのかもしれないけどね。


 その頃は少しづつ俺の体からアルコールが抜けていくようにも思えた。酒は週に2回ほど飲む程度に減り、公務も少しづつやれるんじゃないか、という気にもなっていたんだ。


 でも、一度アルコールに安らぎを求めた俺の心は誘惑に弱かった。


 偶然…いや、違うな…あれは偶然ではない。


 とにかく、俺は金の匂いに敏感な下級貴族の息子達にそのバーで会ってしまったのだ。


 学生時代に何度か会った事がある、というぐらいの知り合いで、下級貴族の次男、三男、四男ばかり。


 爵位は継げない、のしあがる頭脳もない、自分で身を立てる術も知らない、だから将来は暗い…そんな男達は金に集まって来る。


 男達は偶然を装って俺に近づき、俺を堕とそうと舌舐めずりをしていた事だろう。


 何のために?


 俺を王太子から引き摺り下ろすためさ。


 気の弱い弟のウィリアムを王太子にして取り込み、ゆくゆくはこの国の権力をその手にする。


 そんな事を考えるバカ共が、この国にはいたんだ。そのバカ共に金で集められた男達が偶然を装い、バーで俺に近づいて来たんだ。


「おや、セオドラ王太子殿下ではありませんか?

 お久しぶりです。ご一緒してもよろしいでしょうか?」


 バーの店長がそばに居るからだろう。男達は俺に臣下の礼を取り、貴族らしい礼節のある態度を見せていた。適当に飲んで、自分たちの分はきっちりと支払って帰る、そんな事を数回繰り返した後で、男爵家の四男ローリーが俺に耳打ちをした。


「殿下、たまには私達にもっとお付き合いくださいませんか?これから私達の馴染みのところに行くのですよ」


 最初の2回は断った。いや、申し訳ないが私は帰るよ、というと無理強いはせず、残念です、などと言って素直に店を出ていく。


 しかし、断り続けるのは難しかった。


 1回なら平気だろう、と俺は思った。


 そして、罠に嵌ってしまった。


 ローリー達は俺を街の酒場へ連れて行った。庶民が行く酒場としては高級な酒場だったのだと思う。きちんとした身なりの客ばかりで、俺達は楽しく酒を飲んですぐに帰った。


「殿下、次もここで酒をご一緒したいです」


 そう言われて俺は、そうだなと約束をしてしまった。2回、3回と酒場に行くと、庶民の暮らしが分かるようで、俺は楽しくなっていた。


 楽しくなった俺は…。


 そう、また、浴びるように酒を飲み始めてしまったのだ。


 4回目からは護衛にも来るなと厳命した。護衛などいたら煩わしくってしょうがない。護衛の目が気になって、楽しく飲めやしない。

 

 護衛の報告を聞いたジェイクは俺の所にすっ飛んで来た。


「あいつらは殿下を利用しているだけです。

 お分かりでしょう?あいつらの後ろに、誰がいるのか…。決して良い方向には行きませんよ。せめて、護衛を…」


 ジェイクは俺の立場を心配した。弟のウィリアムを王太子にと推している連中がいる。そんな時に俺を利用しているだけの貴族連中と連むのは愚かしい事だと、ジェイクは俺を諭す。


「ウィリアムに王太子を譲ってやればいいんだろ?そうすれば俺は何をしたって自由じゃねぇかよ」


 ジェイクは俺を真っ直ぐに見てこう言った。


「殿下には持って生まれた王太子、国王の資質があるのです。ウィリアム殿では王太子は務まりません。ましてや、国王になるなど荷が重すぎます。

 セオドラ殿下、あなたはこの国の王になるべく生まれた方なのです。

 何があっても皆は、国民は、貴方を慕っています。

 目を覚ましてください!」

 

「けっ!」


 俺はそっぽを向いた。


 その内、俺は悪友達に連れられて街の安酒場に行くようになった。


「殿下、ここより楽しい酒場があるのです。ご覧になりますか?」


 ローリーが俺を誘った。俺が自分の意思で行くと言うように、誘導したんだ。


 ここより楽しい酒場?

 おう、行こうじゃないか。


 確かに以前の酒場より賑やかで楽しいガラの悪い酒場だった。


 タバコの煙で店の中は霞んであるし、安物の油と安い酒、それにタバコの臭いが混ざったような空気が酒場にこもっている。


 そんな酒場は庶民だけの憂さ晴らしの場。楽しかった。


 店の客達は俺をテディと呼び、親しげに肩を組んで笑い、酒を俺に勧めた。


「よう、テディ。聞いてくれよ。俺の工場で困った事が起きちまってよ〜」

「テディ、ほら、もっと飲めよ。そんなんじゃ、たりねぇだろう」


 時には仕事の不満をぶち撒け、日々の暮らしの憂さを喧嘩ではらす。今まで聞いた事もない、知らなかった出来事を客達は酒臭い息を撒き散らしながら俺に話す。


「へぇ、そりゃ大変じゃないか!」

「おいおい、そんなんじゃ困るなぁ」


 品のいい俺の相槌に客達は喜び、ますます俺に酒を勧める。そこで俺はまた飲んだくれた。


 そして、俺はいつの間にかその店の常連になっていた。あまり金の感覚がない俺は、良いカモになっていたのだと思う。店の客達に奢りまくっていい気になっていた。


 その内、金を持っていて物腰が柔らかく、見てくれも良い俺の周りには女達が集まってくるようになった。庶民の女性をまるで貴族の令嬢のように扱う俺は笑い物になっていた事だろう。


 最初の内は酒場で飲んでいるだけだった悪友達は、いつの間にか女の肩を抱き2階の個室へと消えて行くようになった。当然の如く、そんな代金も俺が支払っていたけど、気がつかなかった。


 バカだったね、俺は。


 最初はそんなローリー達の様子に躊躇っていた俺も、怖いのかよ、とローリーに言われれば、そんなことはねぇよ、と女の肩を抱き、個室へと入って行く。


 その時に俺は自分に避妊の魔力をかけた。誰も俺の子を孕めない。そして、それは俺にしか解けない魔力。


 王国にこれ以上の迷惑はかけられないからな…。


 こんな時でもそんな理性が俺の中に残っている事が自分でもおかしく、悲しかった。


 女達には後腐れの無いように、父上の命を受けたジェイクが金でカタをつけていたのだが、その頃の俺がそんな事を知る由もなかった。




 ある時、俺はいつもの様にローリー達と飲んだ。


 ものすごく楽しくなって、酒場は大盛り上がりになった。誰かが楽器を弾き鳴らし、皆が踊り出し、俺はテーブルの上に立って片手を突き上げて大声で叫んだ。


「うおぉぉぉ〜!

 飲め!飲め!俺のおごりだ!飲み尽くせ!」




 何をどれだけ飲んだのか、気づいたら俺のそばにはジェイクがいて、泣いていた。

 

 一緒にいたはずのローリー達は姿を消していて、飲みすぎた俺は1人、ゲロにまみれて街のゴミ溜め場に転がっていた。


 ざまあー!

 ローリー達はゴミ溜め場に転がる俺の姿を見て、そう思ったのだろうか…。


 ゴミ溜め場にいる俺が街の男達に殴られ身ぐるみ剥がれ、街役人に捕まればいいとでも思っていたのだろうか…。

 

 そうなれば、俺は間違いなく王太子の立場から転落するだけでなく、王家からも追放されるだろう。その働きでローリー達はいくら稼ぐのだろうか…。


 失敗したら、いや、しなくても、最後には自分が酷い目に遭うなんて、考えなかったんだろうか…。


 ローリー、お前もバカな男だよ。いい様に使われてさ!


 俺は酔った頭でさまざまな事を考えた。




 ジェイクはゲロまみれになって転がっていた俺を魔力を使って城に連れて帰り、世話係のビクターとアランに風呂や着替えの支度をさせた。


 そんな皆に俺は、うるせえ、うるせぇぞ、と繰り返した。だって、他にいう言葉がないじゃないか…。




 どうやってジェイクは俺の居場所がわかったのだろう、とあの時は思ったが、あいつの事だ、影の護衛をつけていたに違いない。


 最低な事態ではあったが、最悪な事にはならなかった。王太子の地位はそのままだったし、王家から放り出される事態にもならなかったのだから。


 俺は何もかも、もうどうでもよかった。


 ただ、飲んで、飲んで、飲まれてゆく。

 どんどん、どんどん堕ちてゆく。

 俺の毎日には絶望があるだけだった。

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