第2話

 子供の頃からの許嫁だったゾーイは、利発で王太子妃になるに相応しい気品も兼ね備えていた。そして、とても美しい女の子だった。


 親が決めた許嫁だったけど俺とゾーイはとても仲が良かったんだ。俺達2人は心から信頼し、愛し合っていると思っていた。


 ゾーイが17歳になるのを待って、俺達は結婚式をあげる事に決まっていたのだけど、その日が来るのを俺達は待てなかった。

 

 …いや、俺が待てなかったんだ。


 週に1回のゾーイとの面会の日に、俺はゾーイと城の庭を腕を組んで歩きながら、ゾーイに聞いた。

 

「結婚の日まで俺は待てないよ。少し早いけど、俺のところに来てくれるかい?」


 ゾーイは恥ずかしそうに俺の胸にしがみついた。


「私、セオドラ様が大好き!

 ずっとおそばにいさせてくださいね」


 キラキラした瞳で俺を見たゾーイは、少し背伸びをして俺にキスをしてきた。触れ合った唇を俺が離そうとすると、何度もゾーイの唇が追いかけてきて、2人でいつまでもキスをし続けた。


 ゾーイが結婚前に城に住む事を俺の両親である国王夫妻もゾーイの実家である伯爵一家も特に反対する事はなかったが、ゾーイの兄であるルークが俺にこっそりとこう言った。


「殿下、ゾーイはしっかりしている様に見えますが、中身はまだ子供です。色々と気にかけてやってください。お願いします」


 そんなルークに俺は笑ってこう返事をしたのだった。


「ゾーイとは子供の頃からの長い付き合いだよ。分かってるさ」


 それから程なくゾーイは城に移り住んだ。

 俺は18歳、ゾーイは16歳になったばかりだった。



 初めての夜、ゾーイは俺の胸に顔をくっつけて恥ずかしそうにしていた。そして、潤んだ瞳で俺を見た。


「セオドラ様。素敵な夜をありがとう」


 その言葉を聞いて、俺はゾーイを一生大事にすると心に誓った。




 俺は王太子としての仕事があり、毎日忙しく過ごしていた。


 でも、ゾーイは俺の行くところに付いてきたがった。寂しいのか、俺と手を繋いでいたいと言ったり、キスして欲しいとせがんだり…。


 そんなゾーイはとても可愛かったが、公務に連れて行くわけにはいかなかったし、実家である伯爵家に頻回に帰るわけにもいかなかった。


 悪い方向へとなんでも解釈する奴等は大勢いるからね。ゾーイをそんな奴等の標的にしたくはなかったんだ。


 だから俺はゾーイに友達を城に呼んでいいぞって言ったんだ。


 …えっ?ゾーイがそうしたいと言ったのかって?あいつはただ、俺の側にいたい、と言っただけだった。ゾーイは俺との時間がもっと欲しかったんだ…今なら分かるけど。あの時の俺はあいつの気持ちが分からなかったんだ。


 そんな俺が何をしたかというと…王太子妃になるゾーイの安全のために、親衛隊の中から選りすぐりの強者を護衛に付けてやったのさ。


 俺はこれで大丈夫だと安心した。

 

 何に安心したのかね…。今でも分からない。


 城にやって来た貴族の娘達は城でお茶を飲み、何がおかしいのかニコニコと笑っていた。皆、何の屈託もない16歳の少女達だった。


「今日は誰が来たんだ?」

「クレア伯爵令嬢とビアンカ侯爵令嬢です」

「そうか…楽しくてよかったな」

「セオドラ様、明後日、私の友達と一緒にお茶をいかがですか?」

「そうだな。最近忙しいから…時間があったら顔を出すよ」


 でも、俺は一度もお茶会には顔を出さなかった。お茶会に顔は出さなくても花を贈ったり、カードを贈ったり…出来ることはたくさんあったのになあ。


 しばらくするとゾーイは、城の中を探検したいの、と俺に言った。俺は護衛がついていく事を条件に許可した。


 ゾーイは友達を呼んで、城の中でキャッキャッと楽しそうにしているのを俺は何度か見た。少し離れて護衛がついて歩いていた。


 その内、気がつくとゾーイは友がいない時も城の中を探検し始めていた。ゾーイの世話係に尋ねると、ゾーイはあまり友を呼ばなくなったようだった。


 そうか…友達を呼ぶことに飽きたんだな。

 まあ、皆そんなに何回も来れないだろうしな。


 そんな風に考えていた俺は、結構なマヌケだったわけだ。

 せめて、友達を呼ばなくなった理由でも聞いていれば、何かが変わっただろうか…?


 ゾーイは時々、自分の探検を話してくれた。


「セオドラさま、今日は古い騎士の鎧を見たのです。少し怖かったです。動いたらどうしようかと震えてしまいました」


「今日は書庫に行って古い本が並んでいるのを見ました。面白そうなので取ろうとしたら、ものすごい埃でびっくりしました」


 ふーん、そうなんだ。

 楽しかったんだね。

 よかったね。


 ゾーイの話に俺はそんな相槌を打った。

 

 あちこちと探検しているゾーイを想像して、俺も楽しい気持ちになっていたのだが、それをゾーイに言うこともなかった。


 俺達は分かり合えている。何も言わなくたってね。だって、俺達は愛し合ってるんだから。


 俺はそう思っていた。

 

 俺は本当に何も疑っていなかったんだ。

 だって、そうだろう?

 ゾーイは王太子の婚約者で、城の中で王太子と一緒に住んでいるんだ。ゾーイに何か起こるなんて、あり得ない事だろう?


 今思えば、ゾーイが探検していたのは人気のない薄暗いところばかりだった。そんな所で護衛が魔力を使えば、多分どんな探検でも出来たのだろう。後ろに付いて歩いている侍女の眼を眩ませる事など簡単だったはずだ。

 

 ほんと、俺は…!

 

 そんな日々が続き、結婚式が近くなったある朝の事だった。


 隣で眠っていたはずのゾーイが消えていた。


 何の予兆もなく、それはあまりにも突然だった。


 ゾーイの世話係もオロオロとするばかりで、話を聞いても何が起きたのか分からないというばかり。部屋を調べさせると身の回りの物が少し無くなっているという。


 ゾーイは実家の屋敷に帰ったのだろう。

 ああ、きっとそうだ。


 そう思った俺は、使者としてジェイクをゾーイの実家である伯爵家にこっそりと送った。何かあったのなら力になってやって欲しいとジェイクに言ったのだが、ジェイクはすぐ戻って来た。伯爵家にゾーイは帰っていなかった。


 では、どこに行ったのだ?

 俺に黙ってどこに?


 なるべく内密にゾーイを探して欲しいとジェイクに頼んだが、ゾーイはどこを探してもいないという。


 事故かと思ったが、そんな報告はない。

 誘拐されたのかと調べたが、そんな様子もない。


 ゾーイはいない。見つからない。


 その日の午後、伯爵家からゾーイの兄、ルークを内密に呼び寄せた。


 ゾーイがいなくなったと話すと、ルークにも心当たりがなく2人で頭を抱えるばかりだった。とりあえず、ゾーイは体調を崩し伯爵家に戻った事にしておこうと2人で決めた。


 そして、国王である父上とゾーイの父にだけは起こった事を報告する事にした。


 話を聞いた父上は、案ずるな、と俺に笑って言った。


「若い女の子は結婚前に気鬱になったりするもんだ。お前の母も結婚前に1日姿をくらまして、街のカフェに行って甘い物を食べていたぞ。その内、帰ってくるさ」


 はい、と俺は返事をしたが暗い気持ちは晴れなかった。


 その日、ゾーイは帰ってこなかった。

 隣で眠るゾーイのいないベッドで、俺は1人、眠れない夜を過ごした。 

 

 次の日、もう1人姿を消した奴がいる事が分かった。俺の親衛隊にいた騎士のアレックスだった。勤務時間になっても現れない事を訝しんだ隊員が親衛隊の宿舎を覗くと、部屋ははもぬけの殻になっていた。

 

 アレックスはこの国で1番と言われるほどの強い魔力を持つ男だ。その力を使って街で人助けのような仕事をしていたのを父上が俺の従者にと招喚し、騎士になった男だった。


 そして、アレックスのその力を見込んで、俺がゾーイの護衛につけたのだ。


 あいつがゾーイを連れ去ったのか!

 ゾーイ、待ってろよ。

 俺がアレックスのところから救い出してやる。


 俺はジェイクの手を借り、ありとあらゆる手段を使ってアレックスを探した。魔力も最大限に使った。


 それでもゾーイもアレックスも見つからなかった。


 俺は焦った。


 1ヶ月が過ぎた頃、俺はアレックスを罪人として指名手配し、見つけたものには法外な報奨金を出すことにした。


 アレックスの似顔絵は国中にばら撒かれたが、ゾーイの事には触れなかった。攫われたゾーイを人々の興味の対象にしてはいけない、という俺の愛情だった。


 人々はアレックスを必死で探したと聞いた。見つけさえすれば一生困らないだけの報奨金を手に入れる事ができるのだから、血眼で探すだろう。


 それでも…。やはり2人は見つからなかった。


 どこに消えたのか。

 何をしているのか。


 何の手がかりも見つからなかった。


 気持ちばかりが焦る。悪い方向にばかり考える。


 俺のゾーイ!

 どこで何をしている?

 辛い思いをしているだろう。早く、一刻も早く、助けてやりたい。俺のそばに戻してやりたい。

 俺のゾーイ…。



 1年ほど経った頃、ジェイクが執務室にやって来て俺に耳打ちをした。


「見つかりました」


 俺は人払いをし、さらに結界を張って誰にも聞かれないようにしてからジェイクの顔を見た。


「ゾーイは元気なのか?」


 こんな時でも、俺の1番の気掛かりはゾーイだった。



 見つけたのはジェイクの手の者だった。


 アレックスとゾーイがいたのは山間の村で、老人が多く住む長閑な場所らしい。

 

 なかなか見つからないのはアレックスが魔力で姿を変えているせいだと俺は思っていたが、意外にも2人は魔力を使わずに普通に暮らしているという。しかも、ジェイクの報告によると、ゾーイには子がいる。


 あぁ、それはきっと俺の子だ。横恋慕したアレックスが俺の子を宿したゾーイを無理矢理連れ去ったのだ。

 アレックスも子供には手を出せなかったんだな。

 ふん、そんな気遣いはできたわけか!

 これから俺とゾーイ、2人で子を育てよう。ゾーイの事で皆が何か言うようなら、俺は王位継承権を放棄すればよい。


 すぐにでもゾーイの所に行こうとする俺を、ジェイクは止めた。


「殿下、焦ってはなりませんよ。すぐに行くのはやめておくべきでしょう。少し頭を冷やしてから行く方がいいと私は思います。今更1日2日遅くなっても変わらない。ちゃんと周りを固めてからにしましょう」


 ジェイクを睨んで俺は言った。


「俺は行くよ。今すぐゾーイを助けてやる」


 後から知った事だが、ジェイクは何日も前に2人の様子を見に行っていた。そして、全てを知っていたから、俺が冷静でいられるようにと助言してくれていたのだ。


 ジェイクがどういう男で、こういう時にどう動くのか、俺は知っているはずだったのに、俺はその時冷静な判断ができなかった。


 止めるジェイクを俺は振り切り、魔力を使ってゾーイのいる所へと飛んだ。そして、姿を消してゆっくり家に近づき中を覗いた。


 そこで目にしたのは幸せに暮らす2人の姿だった。

 

 小高い丘のてっぺんに立つ小さな家の居間で、ゾーイはアレックスに抱きしめられていた。ゾーイはアレックスにキスをせがみ、アレックスが優しくゾーイの唇にキスを繰り返していた。


 ゾーイが嬉しそうにほほえみ、アレックスの胸に顔を埋めるとアレックスはゾーイの顎をついっと持ち上げ、長く深い口付けをした。


 唇が離れた時、ゾーイはうっとりとした顔でアレックスを見つめていた。


 しばらくすると、コットに寝ている赤子が泣きだして、ゾーイがよしよしと愛おしそうに抱き上げ、乳を含ませた。


 赤子はアレックスによく似ていて、もうかなり大きかった。


 それは俺にとって衝撃だった。


 俺の前から消えた時にはもう妊娠していた…?


 つまり…ゾーイは自分の意思でアレックスと消えたということなのか?


 なぜ?どうして?


 茫然とする俺を、後から追いかけて来たジェイクが城に連れ戻した。


「いいか、ジェイク。この事は誰にも言うな。伯爵家にもだ。父上には俺が話す。あの2人はしばらくあのままにしておけ。どうするかは俺が考える」


 心配するジェイクの腕を振り払った俺は、1人にしてくれと言って部屋に篭った。


 そして、浴びるほど酒を飲んだ。飲み続けた。

 

 飲むとゾーイの姿が浮かんでくる。

 俺のゾーイ…。俺だけのゾーイだった。


 俺の腕の中で、俺を見つめて '愛してる!' と何度も言った。

 キスして欲しい…といつもいつもせがみ、触れ合った唇を離そうとしなかった。

 2人で初めて一緒に過ごした夜、眼を潤ませて俺に '素敵な夜をありがとう' と言った。


 あれは全部、嘘だったのか?

 俺を騙していたのか?


 そして、アレックスにキスをせがんでいたあのゾーイの顔が何度も何度も浮かんでくる。


 幸せそうに微笑んでいた。

 俺にだけ向けられるはずだった微笑み…。


 なぜ俺ではなくてアレックスなんだ?

 ゾーイはなぜあいつを選んだのだ?

 あいつにあって、俺に無いものはなんだったんだ?


 わからない。わからない。

 わかりたくなんかない!


 もう、何も信じられない。

 信じない。



 飲んで飲んで、俺の中のゾーイの姿を消したい…。

 でも消えない。


 俺の中で何かが崩れてしまった。

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2024年11月17日 10:00
2024年11月17日 11:00
2024年11月18日 10:00

王太子の結婚 〜飲んだくれの俺が幸せをつかむまで〜 ゆきおんな @yukionnanotameiki

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