第10話
二人分のチケットを無事購入して、相原とサラサは電車に乗っていた。空港までの道順と所要時間の確認のため、実際に空港まで行った帰りだった。
奴らがもしも日本に来ていた場合 空港で待ち伏せされている事も充分考えられるため、その場所が最も危険度が増す。
搭乗手続きの方法、最短で搭乗出来る移動方法を何度も検討し、確認した。特別な通路はかえって目立つので、一般乗客に紛れて搭乗するつもりだ。
準備を万端に整え、サラサはアパートで待つ二人のために日本酒を携えていた。カランも自分もすっかり日本のお酒が気に入った。どれがいいのか分からなかったので一番高いものを選んだ。経費で購入するという相原の申し出を丁寧に断り、これはお二人へのお礼だと、所持していた日本の紙幣で購入した。
お礼と言いつつカランもたくさん飲むと思われたが。
アパートに着き、エレベーターの手前に犬のフンが放置されてるのを見て、相原はため息をついた。
また近所のおばさんだ。何度注意してお願いしても一向に改善してくれず、結局毎回自分が処理している。探偵の得意分野である尾行をして家の前に置いてきてやろうかとも考えたが、どちらかというとその方が犯罪の匂いがするので実行には至ってない。
事務所の扉を開け「ただいまーっ」と二人揃って声を掛ける。だが一歩入るまでもなくその異変に気がついた。
入口付近には無人の車椅子が放置されており、位置のずれたテーブルの上で倒れたグラスからは、こぼれた麦茶が床まで滴っていた。その床に、カランとサラサの顔写真が残されている。
その光景を見て何が起こったのか二人は瞬時に悟った。
サラサは声も出せず、少し離れた場所にあったイヤリングを手に取った。間違いなく、カランの物だ。
相原は急いでスマホを操作する。
「アイハラさん…」 サラサは手のひらに乗せたイヤリングを彼女に見せた。
「彼女…の?」
サラサは黙って頷く。
「このイヤリングは…。おそらく彼女がわざと残したものです。“自分の身にもしも何かあったら、あなただけ逃げなさい”。二人で取り決めたサインのひとつです」
相原は頷いた。
「相手が狙っているのは王位継承の権利を持つ人間だけ。だから、身代わりになった自分を残しても、サラサ王女だけは追っ手から逃れてください、そういう事ね?」
サラサはハッと顔を上げた。
「知ってたんですか?」
相原は少し唇を緩めた。
「知ってたというか、気付きますよ。だって従者なのに頼りないし、王女の方が物知りで。まるで貴女の方が、世間知らずの王女様みたいだなって」
サラサがはぁ~とため息を吐いた。
相原の洞察力に感心したのと、バレてたのが恥ずかしかったからだ。
「それにあの歌。古くから歌い継がれると言われる、 『神の詩』。
神は空
神は大地
神は海原
神は風
神を崇める者に 神は在り
汝の心に 神は在り
すごく素敵な歌声だなぁって。現地の言葉は分からないけど、島国 古い 歌 って検索したら、ひとつだけヒットしたの。王家に古来から歌い継がれてきた伝統の歌、ですってね。
最近は何でも調べれるんだ」
サラサが歌った歌はまさにその古の詩だった。今は亡き母が子守唄にしてよく歌ってくれた。
「それで、どうしますかお姫様。カラン侍女の言いつけを守って、今のうちに母国へ飛びますか。今なら間に合うし、やつらの目はこちらへは向いてない。チャンスですよ」
サラサは首を強く横に振った。
「私と彼女は、幼い頃から姉妹の様に育てられました。身分や立場は私たちには問題じゃなかった。あの子だけ残して、私は逃げる事は出来ません」
相原は真剣に訊き正した。
「貴女の身は、一国の運命がかかっています。ご自身の判断で、国の行く先が大きく変わる事もあります。それでも同じ事を言われますか」
厳しい言葉だったがどうしても伝えなければならないと相原は思った。
王の座を継承すれば、今後も同じ様に判断を迫られる事が、きっともっとある。自分のわがままで物事を決めることが許されない立場になるのだ。
きっと同じ事を多くの人に言われ、サラサは嫌になっているかも知れない。だが嫌われたとしても、その覚悟が必要で重大なんだという事を理解してもらわなければならなかった。
「それでも…。それでも私は、カランを放っては置けません。彼女を助け出し、二人で母国に戻ります」
強く、美しく、決意に満ちた眼差しだった。
相原はしっかりと頷き、そして笑顔で言った。
「所長のスマホにはGPSがついてます。もしまだあの人のポケットに入ってるとしたら、居場所はここです」
相原はスマホに映ったマップを見せた。移動しない一点が赤く点滅している。何かの建物のようだ。
「助けに行きましょう。私たち二人で何が出来るか分かりませんが、それでも向かいましょう。お互いに、大切な人を助けるために」
サラサも強く頷いて、相原の車に乗り込んだ。
ラルゴ一味は、使われてない廃工場の跡地にいた。
巨大な倉庫の中央に、紐で拘束されて若葉とカランは椅子に座らされていた。
若葉は意識を取り戻したが、頭の上には大きなタンコブが出来ている。自分はなぜこんな大きなコブが出来ているのか、理解するのに少し時間を要した。
目の前の椅子にはラルゴがどっかりと座っている。
こいつの顔は二度と忘れないぞ!お客様だ
と思って丁重にお迎えしたのに。麦茶返せ!
呆れるほど貧乏性で情けない自分に涙が出そうになる。ヒーローになれない。スーパーマンでもない。 ただのちっぽけな探偵事務所の所長だ。 いや、もう所長と名乗るのもやめようかな、などと考えていた時、
[それで、これからどうするの]
勇ましいお姫様が屈することない態度で相手をキッと睨みつける。
何て言ったか言葉は分からないが、おそらく勇ましい事でも言ってやったのだろう。ああ、俺にこの格好良さの一欠片でもあれば…。
[ふっふっ。さっきも言っただろ、何もしやしねぇ。する必要ないのさ。式典まで黙ってじっとしてりゃ、全てカタがつく]
嫌味ったらしい顔でラルゴが笑う。
人間とはこれほど表情を変えることが出来るのかと若葉は感心した。 この顔で最初に出会ってたら絶対事務所には招かなかったのに。
[式典が終わるまで?ずっとここにいるの?]
[そう言ったろ。王女がいなけりゃ、王位は別の人間が継承する。俺たちゃその人間に雇われたのさ。多額の報酬を支払う約束でな]
カランはがっくりと頭を垂れた。その肩がプルプルと震える。
[悔しいか?悲しいか?しょせん世の中、金と知恵と権力が物言うってこった]
カランは更に激しく肩を揺する。やがて
[くっ…クックク…!…あーっはっはっは!]と大声で笑い出した。
[なんだてめえ。頭がおかしくなったのか?]
カランは泣き笑いしながらラルゴに言葉を返す。
[おかしくってたまらないのさ。まんまとこっちの思うツボでさ]
[何?!]
[あんたのボスはあたしらの顔を教えてくれなかったのかい?]
ラルゴは眉間にシワを寄せる。
[顔だと?写真を全員持ってる。間違いなくお前が、王家の娘だ]
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