第8話
夕暮れ時、サラサを連れて近くの公園に出かけた。カランも誘ったが、所長と報酬の件や今後どのタイミングでどのように日本を出るかなどを話し合っていたため、邪魔しないように二人だけで出かけた。
カランはもう怒ってはいなかった。
[あなたの気持ちも、とても良くわかる。ただあなたには自分の立場というものをしっかりと自覚して欲しい]
と伝え、ぎゅっと強く抱き締めた。
[何より、私の大切なひと]
サラサはあの言葉が嬉しかった。
立場は違っても幼い頃から共に、姉妹のように暮らしてきた。それは二人の間では身分を超えた想いがあった。
[私も。もしもあなたが同じ様に急に居なくなったら、耐えられない]
サラサも力いっぱいカランを抱き締めた。
相原がサラサと一緒に公園のベンチでアイスを食べていると、一人の男性が近づいて来た。その身なりから、相原は即座に警戒した。
明らかに善人ではないと思わせる目つき。首から金色のネックレスをぶら下げて派手な模様の入ったジャージを着ている。銀色の長い髪は狼の様に見えた。
男はまっすぐ彼女たちの方へ来る。相原は食べかけのアイスをサラサに預けて身構えた。
彼は意外と柔らかく、それでいて軽い口調で 「まーた会えちゃった」と言った。
相原は訝(いぶか)しんだが、サラサは「あっ」と声を上げて
「あの時の方ですね」と立ち上がった。
知り合い?でもいつ?どうやって? こんな
……ハッチャケ君に?
相原は少し警戒を解いて二人の様子を見守った。
「どう?あれから危ない目に遭ってない?キミ、田舎から出てきたの?」彼は興味津々といった感じで喋りかける。
サラサは少し考えて、
「そうです。遠い遠い、自然いっぱいの所から来ました」と告げた。
よしよし、いいよ。身分を特定出来ない、
それでいて自然な返し。ウソもついてない。
相原はサラサに感心した。
「そっかそっか。あ、良かったらコレ食べて」
彼はビニールで包装された動物クッキーを手渡した。
下の箱に動物たちの絵がプリントされていて可愛いが、セコい底上げされてるなと相原は思った。
「可愛い!いいんですか?ありがとうございます!…あの、あなたのお名前は何とおっしゃいますか?」
彼は一瞬たじろいで、少し目をそらしながら、「俺は、グレ だよ」 と答えた。
「グレさん、ですか。私はサラサと言います」
おいおーい!名前言っちゃだめぇーっ!
と相原は思ったがもう手遅れだし、ここであたふたするのも不自然なのでプルプルと抑えていた。
それにしても「グレ」って?あんた日本人で
しょうよ。
何かの苗字と聞き間違えたのかと頭の中で繰り返したが、そんな苗字は思い付かなかった。
「更紗ちゃん、か。可愛いな。何か困った事があったらいつでもいいな!それじゃあ」
グレと名乗ったジャージの彼は相原にも軽く会釈して、ご機嫌そうに歩いて行った。
もらったクッキーを両手にしっかり握りしめて、サラサはその背中を見送っている。
む?むむむ?サラサ、もしやあの人に心惹か
れてる?だめよ、ダメダメ。何だか危険な匂
いがするもの、あいつ。
サラサと相原はまたベンチに座って、一緒にアイスの残りを食べ終えた。
相原は「ねー、美味しそうなクッキー。ひとつもらっていい?」
と彼女に言った。万が一という事もあるので毒見のつもりだった。
「いいですよ。アイハラさん、おなか空いてたんですね」
ふふふっと可愛く微笑むサラサに
(いや私ほんとはそんな食いしん坊じゃないからね)と思いつつ、もらった物を惜しげなく分けてくれる彼女に、器の大きい人だなとも感じた。自分だったら絶対ヤダって言うもの…。
包装されたビニールを丁寧に開けて
「はい、どうぞ」
とサラサが言った。
いただきまーすと相原はライオンのクッキーを食べてみた。
ん。モグモグ…… 。はっ!こ、これ、は…。
美味い!
「もう一個ちょーだい!」
相原はもう普通におなかと口が求めていた。 「どうぞどうぞ。私もひとついただきます」
いやあなたがもらった物なのだが…。
彼女はリスのクッキーを選んで「美味しい!」と喜んだ。相原はコアラのクッキーを選んだが味はどれも同じだった。
「ところであのひと、どこで知り合ったの?」
相原は慎重に、そして興味津々で尋ねた。
「あ、えっと。この前公園に行った時、危ないところを助けて頂きました…」
サラサはちょっとばつが悪そうに話した。みんなに内緒で出て行った時だ。
「ふ~ん」
別段警戒が必要そうな、奴等の手下とかじゃなさそうだなと相原は思った。
グレ。 そう名乗った。
いつもそうやって仲間にも呼ばせている。
ヤサグレ。半グレ。愚連隊。
グレた生き方の自分にはピタリとはまっていた。だが…。
あの子には、彼女にだけは本当の名前を名乗りたかった。
本当の名を呼んでもらえると幸せになれる気がした。
「バカだな。らしくねぇ」
彼は思わず呟いた。我ながらそう思う。
渡したいものは渡せた。もし縁があればまた
会えるかも知れない。けど…。
俺みたいのと縁がない方が彼女の幸せだ。
グレは停めておいたバイクのエンジンをかけた。
夕食が終わった後、四人で今後について話し合いが行われた。 ギリギリまで身を隠すのもいいが、相手がもし日本にも捜索の手を伸ばしてきた場合、滞在し続ける事でかえってリスクを生むと考えられた。それに式典のギリギリに帰国したとして、万がいち現地で待ちぶせされていたらもう後が無い。式典の参加を敵は是が非でも阻止するために、最後の手段まで選ばないとも限らなかった。
式典の二日前には祖国に戻る。
最終的にはこの判断が成された。 出来ることなら二人別々の方が見つかりにくいとの案も若葉が提案したが、二人は断固として譲らなかった。彼女たちは互いに“運命は共にある”と断言した。
それに、車椅子の王女を一人で移動させるのは、かなりリスキーだと相原も彼女たちに同調した。
確かに。別々で帰国させたのでは何のための従者か意味がない、と若葉もこの考えを取り下げた。
念のため複数の選択ができるよう、ギリギリの日までの分を含めた二人の航空チケットを明日購入する事にした。
片道券だが使わなかった日にち分のほとんどが無駄になる訳だ。お金持ちにしか出来ない買い方だなと若葉は思った。が、二人は一国の重要人物で、その国の運命がかかっているのだと改めて思い直し、気を引き締めた。貧乏性はどこでもチョコチョコ顔を出す。
「さぁ、それじゃあ話もまとまったところで晩酌といこうか」
若葉の言葉に 「さんせーい!」「よっ待ってましたぁー!」」と声が上がる。
うんうん、全く自分に素直な娘たちだ。
若葉は今日(なけなしのポケットマネーで)手に入れた日本酒をドンとテーブルに置いた。
すかさず相原が反応を示す。
「あの…、所長さん?このお酒、お高いんでございませんこと?」
「むっふっふ。高いだけじゃない。幻の幻と言われる名酒『山神の御風(みかぜ)』だ。私も見るのは初めてだ」
普通には売ってない。故郷の同級生に頼んで酒蔵から直接卸してもらったものだ。
「うそっ!ホンモノ!?すごーい!よっ若葉大明神!」
「はっはっはっは。崇め。奉るがよい。苦しゅうないぞよ」
久しぶりに相原が自分を尊敬する眼差しを見せる。まぁそれが、酒の力とは悲しいが…。
「カンパーイ!」
今日はそれぞれ好きなグラスや湯呑みを選んで味を楽しんだ。
相原は最初ボウルを持ち出したので「横綱か!もっと味わって飲みなさい!」とさすがにツッコミを入れた。
冗談ですよじょーだん!と彼女は言ったが、口出ししなければ本当にドバドバ注ぎかねない、と若葉は思った。
異国の二人も爽やかでスッキリした味わいに、すっかり日本のお酒がお気に召したようだ。
程よく酔いがまわったところで、今夜はサラサが祖国の歌を歌うというので、やんややんやと囃し立てた。
彼女の歌う歌は古くから民のために歌い継がれる民族歌謡で、その透き通る様な歌声と優しい旋律に今夜は若葉だけでなくカランも泣いていた。
相原でさえも、知らない内に涙ぐんでいた。
あまり深入りしない様に、仲良くなりすぎな
い様にって、思っていたのに。
別れの日がそこまで来ていると思うと、涙が止まらなかった。
寝室に入り、カランは上機嫌ですぐ眠った。相原も明日はチケットを買いに行く大役があるため、ベッドに入ってさほど時間を要さずに眠り落ちた。美味しくて上級なお酒の力が成し得たのだろう。
サラサは眠れない事はなかったが、今日あの人にもらったクッキーを眺めていた。カランにも分けて中身は僅かだったが、下の箱に描かれている動物の絵が気に入って、これは持って帰ろうと思っていた。
動物達がみんな笑顔で輪になっている。箱をクルクル回しても途切れる事なく互いに手を取り合っている。
幸せそう。 世界もこんな風になれればいいの
に…。
とサラサは心から思った。
ふと箱の下の所に、紙の様な物が挟まっているのに気がついた。袋から箱を取り出してみるとそれは折りたたまれたメモだった。 そこには 『グレはここにいる。たすけがほしいときはいつでもこい!』 という文字と、子供が書いたような地図が描かれていた。
ひらがなだけの文章。
もしかしたら彼は、私が日本人じゃない事を気づいてたんじゃないだろうか。それで敢えて読みやすくひらがなでこれを書いてくれたんじゃないだろうか。
そしてごちゃごちゃせず、簡単な目印だけで描かれた地図。
サラサは日本人の。いや彼のささやかな優しさに胸が熱くなった。
会いたい。 また、会いたい。でも会えない。
彼を頼る様な事が起こってはいけない。
でも…。
サラサは無事に祖国へ帰れることを祈りつつ、彼に惹かれてしまったことが哀しくなり、一人で枕を濡らしながら眠った。
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