第7話
反対側の緑地は草木が生い茂っているだけで何ら見栄えはしなかった。だがサラサは草の匂いを嗅いだり、木の幹に抱きついたりして充分満喫出来た。
チョウチョがひらひらと舞っている。 私もあの子のように自由に翔べたらいいのに、と叶わぬ事を思った。
しばらく散策してアパートへ戻ると、カランがエントランスで出迎えた。
[ただい…]
[どこへ行ってたの!!一人で出歩いちゃ駄目じゃないの!]
うっすら涙を浮べてすごい剣幕で怒る彼女に[…ごめんなさい] と、サラサはシュンとして謝った。
通りの方から若葉と相原が走って来る。
「いた?帰って来た?!」
「良かったぁ〜っ!」
二人は本当に心配していたため、安堵してその場にへたり込んだ。 サラサは自分の勝手な行動がみんなに心配と迷惑をかけたことを心から申し訳なく思った。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
目を潤ませて謝るサラサに
[誰にも会わなかった?]とカランが尋ねた。
[あ…]
バイクの青年に会った事が思い浮かんだが、みんなを余計に心配させると思って
[はい…誰にも、会いませんでした…] と嘘をついた。
彼が別れ際に見せた優しい笑顔が記憶をかすめる。 なぜかドキドキしたのは、ビックリしたからだけでは無かった。
「さあ!お腹も空いたし、みんなでお昼にしよう!」
「相原くん?あまり豪勢にしなくても大丈夫だからね」
「せこいなぁ〜。大丈夫ですよ、ゆうべはみんなお腹にだいぶ負担もかけたし、あっさりサッパリな昼食ぐらい任せてください!」
うん、君たちは相当負担をかけただろうね。
俺は心的ダメージも少なくないけど…。
カランはサラサと目を合わさずに、さっさと一人で車椅子をこいでエレベーターに向かう。やれやれ、といった感じで若葉がそのあとを追った。
不安そうな顔で立ち尽くすサラサに、相原がぎゅっとその肩を抱き寄せて声を掛ける。
「大丈夫。心配したあとに安心すると、急に不機嫌になっちゃうものよ。カランは泣きそうになって探してたぐらい、あなたの事を大事に思ってるもの」
ポロッと涙をこぼしたサラサの頭を、相原はよしよしと自分の頬にくっつけた。
「出かけたい時はいつでも声かけて。私があなたの護衛を務めるから」
相原は力持ちのポーズをして見せた。
―――
カランとサラサが姿を消してから、国内は大騒ぎになっていた。 警察はあらゆる仕事を差し置いて二人の捜索に全力を投入した。だが国中どこを探しても二人は見つからなかった。
ラルゴのボス、イーガルは
[姫君は王族の継承を拒絶して国外に逃亡したのではないか]
と触れてまわった。もしそうだという事になれば式典を待たずとも自分が王族の権威を継ぐことが出来る。
国王はそんな事は無いはずだと否定しながらも、もし国外へ出たとすれば何処が考えられるかとイーガルに尋ねた。
[有力なのはアメリカではないでしょうか。資源も豊富だし、住む所には困らない。その次にオーストラリア。国土面積も広く、都会にも田舎にも身を隠せる。同じ民族にも移住した者がおります]
と答えた。 ニホンを捜索の対象から遠ざけるのが狙いだった。
国王はイーガルの言葉を真に受けてアメリカ、オーストラリアに近衛隊の大部分を送り込んだ。何としても式典までに二人を見つけ出し連れ帰る事を強く命じた。
失敗したら自分達は職を失う覚悟で彼らはそれぞれ現地へ赴いた。
式典まで残り5日しかない。
(いいぞ、いいぞ。バカどもが時間を無駄にしている間に式典の日は訪れる。だが問題は、二人がまんまと行方をくらまし続け、その日に間に合って帰国してしまう事だ。それを封じるためにも、手下どもには確実に二人の身柄を拘束させなければ)
ラルゴたちからはまだ彼を安心させる連絡は入っていなかった。
国王は孫娘の部屋を訪れた。
まるで、たった今までここに居たかの様だ。
テーブルには読みかけの本が置かれ、カーテンも窓も開け放たれている。壁には幼い頃の写真が飾られていた。両親と三人、笑顔で写った写真…。
あの日、息子はどんな思いでここを出たのだろう。
二度と帰らぬつもりだったのか、束の間の旅を楽しむつもりだったのか、今では分からない。
彼には幼い頃から王族としての自覚を持たせるため、あらゆる教育を行ってきた。作法、法律、国の成り立ちから今後の展望まで。自由を与えず、ただ自分の継承者として相応しい人間にするために。自分の父が、いや祖先の代からそうして来たように。
だがそれは、間違っていたのかも知れない。
幼い頃自分も外の世界に憧れを抱いた。庭に出てチョウチョを追いかけているうちに敷地の外に出てしまった。帰り道が分からなくなり途方に暮れていた時、城の近衛隊に発見され、自分は城に戻された。
帰って来れたという安心感より、またここに戻ってしまったという失望感の方が強かった。
父はカンカンに怒って自分の頬を平手打ちした。
それ以来どこへ行くにも護衛が付き、一人で自由に過ごせる時間など無くなった。
息子にも同じ事を繰り返そうとしていた。
帰って来たら二度と外へ出す事は許さないと決心していた。
しかし、城に帰った彼にそれを告げる事は出来なかった。
息子はもう二度、口を利くことも耳を傾けることもできない、傷だらけの遺体となって戻って来たのだ。
彼とその妻が最後まで守った、たった一人の娘。大切な命。
自分は国王として彼女にこの責務を課すことが本当に正しいのか、それは分からなかった。
彼女が自由を求めて王家を離れたとしても、自分はそれを止める事も大役を強いる事もない。 ただ今は、たった一人の肉親、大切な孫娘に、どうか無事で帰って欲しい。そう願うのだった。
もう叱ることも、外出を許さぬ事もない。尊い彼女の人生を、国のため我が望みのために奪おうとも思わない。
ただただもう一度、あの微笑みを見せて欲しい。
国王は知らぬ間に涙をこぼしていた。
季節の風が窓から吹き込み、壁の写真達を揺らす。その一枚が剥がれ床に落ちた。
国王はそれを拾い上げ壁に戻そうとした時、写った風景に目を見開いた。そしてすぐさま側近の者を大声で呼んだ。
その写真には、孫娘がずっと憧れを抱いてる大好きな国の神社が写っていた。
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