第3話

[それでおまえたちは、国外へ脱することをみすみす逃したのか]

立派な椅子に座り、葉巻をふかしながら男は鋭い目を部下に向けた。 彼は日本人ではない。

[も、申し訳ありません]

体格のいい大男が、なるべく身を縮めて弁明する。

[トイレに行くと言われたので、見張りをつけておきました。ただ、なかなか広いトイレで、通路の入口で待っている間に、逃げられたようです]

見張っていたのは自分で、私用の電話に出ている隙に目を離して逃げられた事は黙っていた。

[バカどもが!……それで?目星は付いてるんだろうな?]

[はい。おそらく…日本に向かわれたのではないかと。あの国は治安も比較的安定していて、我々の協力者が居ないことからも都合がいい条件です]

葉巻をくゆらしながら男はふぅ~と煙を吐いた。

(ニホンか。小さな島国だが狭くはないぞ。しかし奴らが10日間身を隠そうと考えるなら、山ごもりという訳にもいかんだろ。主要な都市に絞って全隊を送り込むしかない)

[分かった。お前のカンはよく当たる。すぐ全員引き連れてニホンに向かえ。ただし]

男は葉巻を押し消した。

[必ず10日間のうちに探し出して身柄を拘束しろ。だが銃は使うな。かの国では目立つ。それに、祖国のものを殺傷したとなれば我々の身も危うくなる。 その代わりもしも協力者が居て邪魔になるようなら、ナイフで切りつけろ。場合によっては、その者は殺しても構わん。万が一失敗したら、お前たちは二度と祖国には戻れないと思え]

冷酷な目で、静かに男は言った。

[わ、分かりました。必ず、見つけ出します]

大男はしっかり頭を下げてドアに向かった。

[おい、待て]男が新しい葉巻に火を灯しながら付け加える。

[お土産は浅草まんじゅうがいい。奴らの身柄と一緒にな]

不敵な笑みを浮かべるボスに、大男はもう一度頭を下げて部屋を出ていった。



――――― 「それで、国権争いで身柄を追われていると?」

「はい。少なくとも権利を移譲する式典が終わるまでは、私たちを人前に出さないつもりです」

相原は話をもう一度頭の中で整理した。

最初は若葉が話を聞いていたが、非現実的な話と難しい言葉で頭が回らなくなり一旦席を外した。なかなか戻って来ない彼に代わって相原が話を訊く事になった。 戻って来た若葉は最初は何となく隣に座っていたが、居心地が悪くなって今は自分の机に向かってデスクワークをしている。フリをしている。

「式典に出られなかったらどうなるんですか?」

「式典は、お祭り事のようにも捉えられがちですが、実は王家の権利を譲り受ける大切な行事です。これに出席しないという事はその意思が無いとみなされます。たとえそれが、体調不良であったとしても。幸いこれまでは王家の直属の血統を持つ者が滞りなくその権利を受け継いで来ました」

王妃はひと呼吸置いて続けた。

「両親が、亡くなるまでは」

相原が先ほど聞いた話だ。


――― 王族の者がプライベートで外出するのは珍しい事ではない。だがその様な場合でも、必ず多くの護衛が就く。父はいつもそれが煩わしく、ある時娘にこう告げた。

[今度、みんなに内緒で三人で出掛けよう。おまえが行きたがってた、絵本に出てくる湖がある森に]

[ほんと!?]

大喜びの娘とは違い、妻は不安を申し出た。

[大丈夫。この平和な国に、本当は護衛なんて必要ないのさ。オヤジは昔の決まりに固執してるから、しきたりに従ってるだけさ]

彼の言うオヤジとは、現・国王の事である。高齢ではあるが国民の信頼と国に対する責任感は誰よりも大きかった。

自分もいずれはその地位になる。そうすれば今以上に自由に振る舞えなくなるのは目に見えている。

だから彼としては、今のうちに家族水入らずの時間を過ごしたかった。

[きっとみんな、大騒ぎするぞ!大丈夫。帰ったらきちんと謝って、それからは大人しくするさ]

妻は出会った時から惹かれていた彼の少年の様な悪戯っぽい笑顔に根負けした。

しかし、彼が王家に帰って謝る事は出来なかった。

普段から移動は専門の者が仕えていた。馬車に乗ることも多かったが、長距離を移動する時は護衛付きの大きな車の後部座席でゆったり座っているだけだ。

だから運転するのも、町を離れて遠出するのももちろん初めてだった。

出掛けて3時間程たち、運転も思ったより簡単だと油断していた時だった。

車のタイヤを、道路の横にある溝に滑らせてしまった。懸命に脱しようとするが挟まっていて思うようにいかない。

(こんなところで立ち往生してたら、湖どころか皆に見つかって連れ戻されてしまう)

焦った彼は夢中でアクセルを踏んだ。

タイヤは見事に溝から抜けたが、彼はアクセルを踏み続けてしまった。 家族三人を乗せたまま、車は崖を転がり落ちていった。


王家の敷地内にある治療所で目を覚ました時、彼女は奇跡的に無傷だった。母が我が子を守るため、自ら犠牲になったのだ。運転していた父に関しては、詳しく教えてもらえなかった。

ただ、世界一大好きな両親を一度に失ってしまった事だけは事実だった。―――



話しながら涙をためているカランと、堪えきれず涙を流す従者の少女。 彼女にとっても、王家の二人は身分を超えて愛する人達だったに違いない、と若葉は思った。

「サラサ、辛い話を思い出させてしまってごめんなさい。…この子は幼い頃から、王家と家族の様にずっと暮らしを共にしてきたので」

そうか。王家に仕える人達は代々そうして一緒に生活してきたんだろう。どこかの誰かを雇うよりその方が賢明だし、小さな島国の、そういう風習なのかも知れない。

相原もメガネを外して涙を拭った。

そういえば、メガネを外した彼女の顔を僕は見た事がないな、と今ここではどうでもいい事を若葉は思いだした。

「今あなた方を追っているのは、直系の血族の次にその権利を持つ人ですね」

相原の問い掛けにカランはサラサと顔を見合わせた。

「はい。我が国では一夫多妻制も王家には認められています。本妻に万が一の事があった時、または男の子に恵まれなかった時、選択肢を増やせるからです。ただ、この考えには賛否あります。多妻であればあるほど、王家の系統にひずみが生じるという考えからです。また逆に、女性を王家の血筋として継承させることにも躊躇する考えもあります。これは王族の内外問わずです」

若葉は遠い小さな国の事とはいえ、色んな考えがあるもんだなと思った。個人的にはどちらについても反対でも賛成でもない。

でもそれは無責任に他人事と自分が捉えてるからだと感じた。

 それにしてもなんて奴だ。金と権力に目が眩

 んで人を自分の思うがままにしようなんて!

この中で一番金と権力に目が眩む男、若葉透は鼻をふくらませて憤った。

そんな彼とは関係なく、物事はサクサク進んでいく。

相原が頼りになるのと同時に寂しさと申し訳なさと立場のなさが一気に露呈した。

「滞在する際の手続きに関してはお任せ下さい。ご希望の条件に添える物件を、私の名義で契約します。これでお二人はご自身の身分を明らかにする心配もありません」

カランとサラサはここに来てやっとホっとした表情を見せた。

しかしここで若葉が「ちょっと待て」と口を挟む。

ようやく自分の出番が廻って来た、と思った。

「その必要は無い」

若葉がキッパリと断言した。

「所長、それはどういう意味ですか?」

相原が心外だと言わんばかりの顔をする。

 まぁ待て。俺にだって考えがあるんだ。

「新しく物件を探す必要は無い、ここの上に居ればいいって事さ」

「え?」

事務所の上の階は住居となっている。今は若葉の住まいだが、彼はそこに二人を匿うつもりだった。

「俺はここ(事務所)で寝起きする。キッチン(狭い)もあるから、簡単な食事(多分カップ麺)ぐらい問題ない。快適とは言えないけど、他を当たるより安全で手っ取り早い方法さ」

若葉は「どや」という顔で鼻をふくらませた。我ながらナイスアイディアだと思う。


この建物は一階が学習塾、二階はスポーツのジム、三階がこの事務所で四階から上は住居となっていた。だが今は五階は無人だ。 五階でもいいが、これから生活用品を、しかも10日間しか滞在しないのであれば新たに購入する必要も無く勿体無いと思った。

相手はおそらくお金持ちだから問題ないだろうが、若葉は生来の貧乏性だった。

「…いかがでしようか。所長はああ言っておりますが、お二人のご希望に添えられますか?もしお嫌でしたら遠慮なくおっしゃって下さい」

 …おいおい相原くん。私のせっかくの申し出

 に、まるで相手が嫌がる要素があるかの様な

 不安を与えないでくれたまえ。

カランとサラサは二人とも頷き合って

「ありがたいです。ご迷惑でなければ、その様にお願いします」

と応えた。

 ほら!いい案だった!

やっとポイントを得た若葉だったが、

「では私もご一緒しますね」

と相原が言った。

 ん?ちょっと待て相原くん。君にはア パート

 があるじゃないか、しかも事務所が寮として

 家賃を払ってる。

若葉は「ちょっと、いいかな」と相原を呼んだ。

「どういう事?なんで君までもがお二人と一緒に?」

相原は少し黙って、窺う様な声で

「所長、若い女の人好きですよね」と言った。

「うん、好き。………いやいやいやちょっと待て。 えっ?何?もしかして俺が良からぬことを考えないかとか、そんな風に思ってる訳?嘘でしょ」

相原は迷いなく「思っています」と断言した。

若葉は「はぁ~…」と悲しくなった。

「心外だな。君がそんな風に俺の事を思ってただなんて。俺だって、いや私だってわきまえというものはある。ましてや仕事を頂いたクライアント様に、そんな気なんて起こそうなんてこれっぽっちも思わない。これは断じて言える」

若葉は、「俺を信じてくれ」の眼差しで訴えた。

「じゃあもし仮にですよ?お二人のどちらかが所長をお誘いするような事があったら?まぁ、無いと思いますけど」

双方に少し失礼だなと思いながら、若葉は答えた。

「それは…。断る理由がない」

「お姫様ーっ私もご一緒に泊まりますねーっ!」

相原はキッチンから二人に向けて呼びかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る