4-2
「————では授業を終わります。礼」
葉山先生と雲泥の差がある授業が終わった。
相変わらずほぼ一方的に話すばかりで、生徒自身に答えを考えてもらうのは難しい。何度か生徒に質問をしてみたりしたが、それが生徒の好奇心や意欲を引き出しているとは言い難かった。見学後に指導案を見直してはみても、結局どうすればいいのかわからずそのままだった。このままでは生徒達のための授業が出来るとは思えない。
生徒達は礼を返すと慌ただしく動き始め、思いおもいに昼食へ向かう。その顔にどこか解放感のようなものが見て取れるのは考え過ぎだろうか。授業中に新島先生の様子を伺うことも恐ろしくてできなかった。
そんな生徒達を眺めていると、視界の端で影が立ち上がり静かに近づいてくるのが見えた。
緊張が喉までせり上がる。
「先生」
正体はもちろん水上さんである。
すぐに視線を送ると、新島先生は淡々と頷いて教室から出て行った。
「どうしましたか? 何か授業でわかりにくいところがあったでしょうか」
努めて平静に、僕も微笑む。
「いいえ、先生の授業はとてもわかりやすいです」
「そうですか、ならよかったです」
「よろしければお昼をご一緒しませんか? 放課後のことも含めて色々お話したいです」
本音で言えば、断りたかった。
今の僕に余裕があるとは言い難い。
考えを整理する時間が必要だった。
だが生徒がこうして好意的にコミュニケーションを取ろうとしてくれているのに、それを邪険に扱うことも出来ない。水上さんが気になっているのも事実で、しかしどのように接していいのかもわからない。
「そうですね————」
「ういぃっす、玲人先生、一緒に飯食べないっスか? あ、弁当だったりします?」
衣笠さんが水上さんの首を絡めとるように肩に腕を回しながら現れた。
その勢いに水上さんはつんのめり、危うく転倒しそうになる。
咄嗟に手で支えようとしたが、水上さんはその前にダンッと足で踏ん張ると僕の手には掴まらなかった。
「あ、わり」
衣笠さんが手をちょいとあげて謝る。
水上さんは俯いたまま固まり、長い髪に隠されてその表情を窺うことが出来ない。
「……大丈夫ですか?」
「————んなぁ」
思わず尋ねると、聞き取れない声で水上さんがぼそりと呟く。
「え? なに?」
「————こんのぉ、女ァァァァァァァァアアアアアアアアア‼」
女子高生があげるとは思えない怒声をあげて水上さんは組まれた腕を振り払う。
そしてすぐさま掴みかかろうとしたが、腕力的に勝るらしい衣笠さんにすぐに抑え込まれなす術なく見事なアームロックを極められた。
「イダダダダダダダ‼ 貴様ァ! それでも友人かァ⁉」
「だって急に暴力振るおうとするからさぁ」
「先にかましてきたのはそっちでしょうガァ! イダダダダダダダ‼」
高校生らしい無邪気さでじゃれ合う二人。
あまりの変化の激しさと騒がしさにどうしたものかと呆気に取られていると、いつの間にか隣に藤堂さんが立っていた。
「逢坂先生、お昼はどこで食べてるんですか?」
「え? あ、ああ、昼食は食堂で済ませていますけど」
「ならご一緒しませんか? 私達はお弁当ですけど、適当に購買部で買い足しますので」
食堂は原則的に弁当勢の利用はご遠慮のスタンスである。利用者を優先してだがそれはあくまで原則的な話で、よほど込み合っていなければ目くじらを立てられるほどではない。
それにしても、友人二人が喧嘩をしているのに藤堂さんはまるで気にした様子はない。
「……あー、二人はいいんですか?」
「いつものことですから。そのうち飽きます」
昨今の女子高生はいつものように関節技を極めるのか。
感心すべきか畏怖すべきか悩みどころではあったが、水上さんの必死のタップに衣笠さんが応えようとしないので流石に止めることにした。
「いい加減機嫌直せよぉ」
「イジメを許すかどうかは被害者が決めるモノ。私は愛梨を千年許さない」
「死んでんじゃん。玲人先生、貴利花はアタシを許すべきっスよね?」
「……ノーコメントでお願いします」
引っ張られるようにしてやってきた食堂は相も変わらず盛況だったが、弁当で済ます彼女達の席がないほどではなかった。
僕は三人に席を取ってもらい、先に食券をとろろ付きざるそばと交換してもらった。シーズンとしてはまだ早い気もするが、どうにも熱気に当てられて冷たい物を食べたくなったのだ。
とろろの混じった麺つゆに葱とワサビを入れると、なぜか水上さんはうんうんと満足げに頷き、他二人は嫌そうな顔をした。
「……なにか?」
「「いいえ」」
とてもそんな顔ではないが、なんとなく言及するのはやめておいた。
「てか昨日は大盛り上がりっしたね。貴利花が爆笑してるとこなんて初めて見たっスよ。玲人先生なに言ったんスか? 貴利花に聞いても教えてくれないんスよ」
「愛梨、それは先生と私だけの話だって言ったでしょう?」
水上さんが不満げに言う。
僕としては何も特別ことは言ってはいない。水上さんがひとりでに大笑いしただけだ。
むしろ何が起こったのか知りたいのは僕の方だった。
「水上さんが秘密にしてほしいのでしたら、僕が勝手に言うことはできません」
「えー、玲人先生もケチっスねー」
「どうせ貴利花が変なとこでツボったんでしょぉ? 聞いてもわかんないだけだって」
諫めるように藤堂さんが言う。
一緒にいる友達なだけあってよく水上さんを理解している。実際、家に帰ってから雑談の内容をいくら考えても何が面白かったのかはわからずじまいだった。
「で、どうだったん? なんか面白いデザインとか思いついた?」
「昨日はその話はしてない。先生のお話の方が面白かった」
「ちょいちょい、また三橋にキレられるじゃん。ヤだよまたあいつが噴火すんの」
僕の前ではさほど見せていないが、やはり三橋さんはかなり厳格な部長として部活動に励んでいるようだ。藤堂さんも同意するように頷いている。
しかし水上さんはなんら気にする素振りを見せなかった。
「自分でも考えてるんじゃない? 行事好きだし」
「知らないからな? 次キレられても助けてやんねえぞ?」
「考えないなんて言ってない。もうつまらない話はやめて、別の話をしましょう」
諫めるべきか判断に迷う言葉だった。
しかし体育祭を地獄だと表現したぐらいだ、水上さんが今回のデザインにノリ気でないのは間違いない。思い浮かんだイメージから拡げて本命を描くやり方ではやる気こそが重要だろう。ならば僕のするべきことは葉山先生のように自然と誘導していく方法かもしれない。彼女のような才能のある生徒に何を語るべきなのかはまだわからないが。
「じゃあぁ、先生は彼女とかいるんですかぁ?」
藤堂さんの直球過ぎる質問に、僕ではなく水上さんが咽た。
「……忍、あまり先生を困らせるようなことを聞いては駄目でしょう?」
「だって気になるでしょぉ? 先生モテそうだしぃ、大学生の恋愛って興味あるしぃ」
三人の反応から、状況はかなり良くないと直感した。
この気配を僕は知っている。
そして三人の反応から誰がどの感情を抱いているのかも。
「藤堂さん、他の実習生や先生方に聞いてはいけませんよ? きっと叱られますから」
「そんなのはどうでもいいですから、どうなんですか? やっぱり答えられませんか?」
挑発的な物言いである。
衣笠さんもニヤニヤしながら僕ではなく水上さんを見ている。
水上さんは咎めるように藤堂さんを睨みつけているが、それ以上は口にしない。
僕はこんな時のために自実習前からあらかじめ用意していた答えを微笑みながら言う。
「プライベートなことは答えられません。実習生とはいえ僕とあなた達は教師と生徒の関係ですから。そういった話はするべきではありませんよ」
きっぱりと線引きを明確にする。
立場の違いというモノを言葉に込めて、しかし叱咤にはならないように柔らかく。
あくまで無邪気な質問に困りながら対応するという形で。
「……ま、そうですよねえ。先生、困らせちゃってすいませんでした」
藤堂さんは僕の意図を汲んでかあっさりと引く。
衣笠さんもつまらなさそうに食事に戻った。
問題は最後の一人である。
「先生、藤堂がすみませんでした。この子、ちょっとざっくばらんなところがあって」
少しは隠すか残念そうにするかと思っていた彼女は、僕の返答にいたく嬉しそうにしていた。
まるで僕が教師の立場を明確にすることを望んでいたかのように。
「いいえ、興味があるのはわかります。僕が高校生の時も似たような質問をしていた同級生がいましたから。けど、さっきも言いましたが他の実習生にはしてはいけませんよ。先生方に知られれば叱られてしまいますから」
自分の考えが間違っていたのかと思うぐらい、水上さんはあっさりとしていた。
やはり僕にはこの生徒のことがわからない。
本物の人間とは、こうも理解が及ばないものなのだろうか。
「大学生ってお金かかるんスね。勉強して働くとか結構余裕あんだなぁ」
「人にもよると思いますよ。入るサークルにもよって変わるでしょうし、皆さんが大学に行っても美術をするならそれでも物入りになります。それにお金があった方が活動できる範囲も増えますからね。もちろん優先は学業ですけど」
「バイトかぁ。あんま想像できないっスね。貴利花もバイトとか考えてんの?」
「アルバイトするなら服屋。クルクル回って接客をする私はアルる女ぁ」
「服屋って着物とか? まわんねえじゃんイメージ的に。貴利花なら似合いそうだけど」
「どうして着物になる? 普通の洋服」
「普通は服屋なんて言わねえから。アパレル系だろ」
「人を牛みたいに。満足させる意味ならアパれる方がいいでしょうけど」
「意味わかんね」
「対して意味はないと思うけどぉ? 私もバイトならアパレルとかがいいかなぁ。飲食店って面倒なの多そうだしぃ、お客さんを着飾るのも面白いかもだしぃ」
とりとめもない話をしている間は、彼女達も普通の女子高生の様だった。
面白いのは会話における三人の関係性。
水上さんが独特な解釈や言い回しをしては衣笠さんに突っ込まれ、二人が言い合うと藤堂さんがまとめる。しかしそれだけでなく水上さんと藤堂さんが走り始めると、今度は衣笠さんが引き留めにかかる。そして衣笠さんと藤堂さんが対立すると、水上さんがうやむやにするという構造になっていることだった。
仲がいいのも頷けるという評価は、何も美術における才能だけではなくこういった相性の良さもあるのだろう。
「あれ? 水上達じゃん。お前ら食堂使ってたっけ。てか逢坂先生? 一緒に飯食ってんの? そんな仲良かったっけ」
嬉々としていた水上さんの機嫌があからさまに下がった。
うっすらと口元に浮かんでいた笑みが消え失せ、いつも以上の無表情に戻る。
声をかけてきたのは同学年で別クラスの猪狩新次郎さんで、彼女達と同じ美術部である。食事を終わらせて帰るところなのか、他の友人達と空の食器の乗ったプレートを持っていた。
あまり面白くなさそうな顔をしている。
「————イノぉ、俺ら先に行っとくなぁ」
友人達は色々と察したのか、彼に声をかけて立ち去る。
水上さんの機嫌と猪狩さんの友人達の反応で、僕も色々と推察する。
「こんにちは猪狩さん」
「……うっす先生。女子と飯食ってんすね」
「生徒の皆さんとコミュニケーションを取るのも大事なことですから。授業の感想なんかを教えてもらっていたんですよ。やっぱり実際に受けている人の意見は大事ですから」
勘の良い彼女達ならば僕の嘘に合わせてくれるだろう。
猪狩さんに先程の会話の内容を教えるのは良くない気がする。
「ふーん、水上達はなんて?」
「忌憚のない感想をくださいました。もっと皆さんの為になるよう頑張ります。猪狩さんは僕の授業をどう思いましたか?」
「え? あー、まあ、普通? わかりやすいと思うっすよ?」
「ありがとうございます。これからも色々と教えてくださいね」
「……うっす」
警戒はまだ完全に解かれていないようだが、それでもある程度は納得してくれたらしい。
むき出しだった敵意が少しばかり和らぐ。
「では僕達もそろそろ戻りましょうか。あまり長居するのも良くないですしね」
あまり褒められたことではないが、猪狩さんの登場を利用させてもらおう。
彼の言う通りあまり女子生徒と親密に見られるような振る舞いはするべきではない。
あらぬ噂というモノは意図せず流れるものだ。
「え? いいんすか? ……なんか邪魔したっすかね」
僕の言葉に猪狩さんが少し動揺する。
根の善い生徒なのだろう。感情が先走って色々と言ってしまった後悔が滲んでいる。
その率直さは美徳だ。安心させるように微笑む。
「大丈夫ですよ。休み時間ももうすぐ終わりますから、衣笠さん達も早めに教室に戻るようにしてください。今日は二組で授業がありませんので、また終礼で」
プレートを持って立ち上がる。
猪狩さんはまだバツの悪そうな表情をしているが、もう一度微笑み直してから三人にも会釈をする。衣笠さんと藤堂さんは返しつつも、猪狩さんを睨んでいた。邪魔だと露骨に言っているようなものだが、それには気づかなかったことにする。
「はい先生、また放課後」
水上さんは猪狩君には目もくれず、うって変わって楚々とした微笑で会釈をした。
プレートを返却口に置いて食堂から立ち去る前に、少しだけ振りむく。
まだ猪狩さんは彼女達と話をしており、その様子から色々となじられているのがわかる。
可哀想だとは思うが、間が悪かったと諦めてもらう他なかった。
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