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 部活動が始まって美術室に顔を出すと、部長の三橋さんがミーティングをしているところだった。どうやら毎日部活が始まると同時に行っているらしく、全員を集合させその中心で一年生と二年生とで活動メニューを振り分ける。全て三橋さんが一人で決めているようで、曜日ごとにメニューを決めて活動を自動化しているわけではないらしい。教えられる顧問が不在になったことが影響しているようだが、大変な作業を三橋さんは苦にしていないようだった。

ミーティングが終わったところで散開する部員達を眺めている三橋さんに尋ねる。

「水上さんは参加しなくてよかったんですか?」

「あの子は別にいいんです。今は仕事を任せていますから、そっちを優先させてます」

 美術室の端で一人机に向かっている水上さんをちらりと見て、三橋さんはこともなげに言う。

それぞれの活動に入る他の部員達も気にしている様子はない。

仲間外れにしているとか、邪険に扱われているというわけではないらしい。

「仕事と言いますと?」

「今月末に体育祭があるのは知ってますよね? その横断幕のデザインを担当してもらってます。逢坂さんの時代にもありましたよね」

「ああ、なるほど、それでなんですね」

 確かにあるにはあったが、あのように一人に担当させることはしていなかった。人数の違いも関係しているのだろうか。それとも水上さんが優れているから任せているということなのか。

 特に親しいらしい衣笠さんと藤堂さんが定位置のように水上さんの隣に席を置く。それも二言三言やり取りをした後で各々の作業へと移っていった。本当に何も問題がないらしい。事前に渡されていた担当クラスの生徒評でも特に問題を抱えている、という情報はなかった。

新島先生に報告しなければならない事案でないならば、口を出す必要はないと判断する。

「では僕はどうしましょう。三橋さんに何も問題がなければ、昨日みたいにしますか?」

「……そうですね。そうしてください」

 どうやら三橋さんには提案された後、肯定にしろ否定にしろ不満げに目線を下げる癖があるらしい。部長業を率先して担っている責任感からあまり介入されたくないのかもしれないが、ひとまず反感さえ買わないように心掛けるしかない。

 僕は散会した部員達の中で、特に基礎練習を重点的に行っている集団に交じる。

「お邪魔していいですか?」

「はーい。玲人先生、今日も色々聞いちゃっていいですか?」

「もちろんですよ」

「なら玲人先生も一緒にやりましょうよ。スケッチブックなら僕の貸しますよ」

「今日はちゃんとノートを持ってきたので大丈夫です。ありがとう」

 昨日に比較的得意なデッサンを披露したからか、部員達のウケはいいみたいだった。

特に気まずい空気もなく受け入れてくれる。

「お昼ぶりですね玲人せんせー」

「ですね。誘ってくれてありがとうございました」

「えーなになにー? 玲人先生と一緒に食べたの?」

「そだよー。うどん食べてたー」

「玲人先生の頃ってオムライスありました? 食べたことあります?」

「ありましたよ。でも弁当派だったのであまり食堂は利用していませんでした」

「今度食べてみたくださいよめっちゃウマいっすから」

「わかりました。楽しみにしてます」

 口は動かしていてもやはり深早山の生徒、みな真面目に手は動かし続けている。

 教室ではあまり時間をかけて接していない分、こうして近く生徒と関わる部活時間は新鮮だ。たかだか数年しか歳が離れていないのに、高校生は大学生と別生き物のように感じられてしまう。するとどうにも変に意識してしまうのだ。

 生徒を目の前にして会話をするのはいい経験となると言った新島先生は正しいような気がする。授業の緊張も、こうして慣れることで解消されるのかもしれなかった。

「玲人せんせー、ここが上手く描けないんですけどどうすればいいですかー?」

「もう少し陰の強弱を意識してみるといいかもですね。輪郭は全て線でハッキリとしている必要はないので、それも気にしてみると良いかもしれません」

「玲人せんせーここはー?」

「鉛筆を目印に使うと直線がよくわかりますよ」

 この世代は真面目な部員ばかりで部活動の空気を崩す生徒もいない。僕の時代は半分遊びで駄弁っていることも多かったので、指導の点で言えばとても気楽だ。むしろあの当時にやってきていたならば、どうすればいいのかわからなかっただろう。

 おかげで部全体の様子を把握するだけの余裕も持ちやすかった。

 僕と一緒にデッサンをしているのは高校になって初めて美術部に入ったような一年生や二年生が多いようで、すでにその辺りを踏まえているらしい部員達の中には作品に取り掛かっている者達もチラホラいる。高校生の大きなコンクールは締め切りが終わっているから、個人的な作品かまたは別のコンクールのためかもしれない

 彼ら彼女達に語れることはない。

 作品は一人で制作するものだ。だから他の運動部などと違って美術部は個人で活動する者達が多い。基礎練ならばまだ会話しながら取り組むことも出来るだろうが、作品ともなれば違う。

 自分の世界に籠ることが必要な時間だ。だから僕が近寄ってはならない。

 ゆえにその三人は、作品作りをしている部員達の中でも異彩を放っていた。


「なんでだよ蝉だって立派な身体があんじゃん」

「身体じゃなくて殻でしょぉ。外骨格と内骨格って愛梨は勉強しなかったのぉ?」

「同じ肉体じゃん」

「全然違うから。私は殻の器には興味ないのぉ。肌の下に包まれた柔らかな肉と骨が好きなの」

「芋虫は柔らかいけど?」

「明日から愛梨のあだ名は芋虫蒸子だから。ちなみに蒸しは茶碗蒸しの蒸しねぇ」

「蒸してどうすんだよ。虫料理は煮るか揚げだろ? あと別に虫は食べたいわけじゃないから」

「わざわざ具体的に言わなくていいんですけどぉ」


「……あそこの人達はいつもあんな感じなんですか?」

 隅に陣取る水上さん達は他の部員達とは違い私語ばかりしながら作業している。

 水上さんを中心に仲良く机を並べて、あそこだけは僕の時代の美術部のようだった。

 真面目な三橋さんが許すとは思えないようなリラックスぶりである。

「愛梨ちゃん達ですか? いつもあんな感じですよー」

「愛梨先輩はたまにこっちに来てくれることがありますけど、普段はあそこですよね」

「だなー。特に水上さんは基本あそこにいますね。定位置って感じです」

 チラリと三橋さんを盗み見ると、わかりやすく唇をへの字にして細い眼鏡フレームの上に皺を作っていた。彼女の性格を考えると注意の一つでもしそうではあるが、すでにしたか我慢しているのかのどちらかなのだろう。

「定位置ってか別世界だよね。むこうはこっちに来てくれるけどこっちは行けないもん」

「先輩達でもそうなんですか? 愛梨先輩はそんな感じしないですけど」

 一年生が不思議そうに尋ねると、口にした二年生の女子生徒が慌てて否定する。

「あぁ別に他の二人がキツいってことじゃないよ? こっちが勝手に意識するだけってゆーか」

「あの世界に踏み入れたくないってのがあるかな。邪魔したくない、みたいな?」

「それっ! それそれわかるー」

 部員から漂うのは尊敬とも畏怖とも取れる距離の取り方。

端から彼女達について理解や共感は頭にないようだった。

だが漏れ聞こえてくるやり取りを考えると納得だ。

あの輪に交じったとして、何を話せばいいのかなどわからない。

外骨格だの内骨格だの、日常生活の雑談で使ったことなど一度もない。

「水上さんは黙々と描いているようですけど、それもいつもなんですか?」

「んーそんなことないですよ。あの三人の時はけっこう喋ってます。今はデザイン制作で集中してるんじゃないですか? 集中してる時の貴利花ちゃんってあんな感じです」

 てっきり部室に顔を出した瞬間に何かアクションを起こすかと思っていたが、水上さんは僕どころか他の一切が眼中にないようだった。一心不乱に、というには淡々とした表情を変えていないが手は留まることを知らない。

ここからでは何を描いているのか不明だが、デザイン制作は順調なのだろう。部活が始まってからすでに二枚目に取り掛かっている。僕なら一枚完成させるだけで苦労するが、才能があればいくつものアイデアを出すのも容易なのかもしれない。

「順調そうならいいですね。完成案はぜひ見てみたいです」

「教育実習って来週まででしたっけ。体育祭も遊びに来てくださいよ玲人先生」

「そうですね、よろしければお邪魔させてくれると嬉しいです」

 問題がないならば、それに越したことはない。

 朝礼時の出来事も、もしかすると僕の勘違いかもしれない。だとするとかなり恥ずかしい思い込みをしていたことになるが、早まって新島先生や葉山先生に相談していなくてよかったと心から思った。



 部活時間が終わると校内の見回りを済ませてから指導教員が待つ職員室へと向かう。

 一日の内で最も緊張するのは、朝終礼や授業よりもこちらの方かもしれなかった。

 見回りを終える頃には日も落ちて、白乳色の電灯が必要最低限に点灯される。

 放課後という学校が最も活気立つ時間が過ぎると、今までの喧騒が嘘だったかのように頼りない廊下を歩くことになる。学生時代であるならばなにか悪いことをしているような、肝試しにも似たワクワク感があったのかもしれないが、昼間は気にならない上履き用の革靴が木製の床を踏み鳴らす音がやけに響いて聞こえる。

「失礼します」

 学生時代から変わらない建付けの悪い職員室の扉を開ける。

 二年の職員室ではまだ多くの先生方が残業していた。

 目が合った先生方と軽く黙礼を交わしながら、指導教員の席へとすぐに向かう。

「お待たせいたしました」

「少し待っていてください」

 新島先生はこちらを見ずに、キリの良いところまで自分の仕事を進める。

 その間はただ一歩離れて待つだけなのだが、なかなかに緊張する。職員室の中で余所者は自分だけだからだ。先生方はみな一様に仕事を抱え、その処理に奔走している。丸一日授業をし、部活にも熱心に顔を出す先生ならばなおさら溜まった仕事は多いだろう。僕はその前に片付けなければならない雑務の一つだ。

 それを意識するたびに申し訳ない気持ちがわき上がってしまう。

「————はい、では行きますか」

「お願いします」

 また一歩近づいて指導日誌を手渡す。

 先生はそれを淡々と受け取り、足早に出口へと向かう。

 反省会は準備室で行う。他の先生の邪魔にならないためか、それが指導教員としての意識づけなのかわからないが、僕としても他に誰もいない準備室の方が気分はいくらかマシだった。

「失礼いたします。本日もありがとうございました」

 職員室を出る前に再度先生方に挨拶をする。

 初日は反省会後に改めて顔を出したのだが、何度も不要だと新島先生に言われたからだ。

「お疲れ様です」

 誰からかわからない返事を聞いてから扉を閉める。

 新島先生は僕を待たずに先へ行っていた。



「では、授業の感想と反省点をお願いします」

 準備室に戻り新島先生と向かい合って座る。

 先生は僕ではなく提出した指導日誌に目を通しながら尋ねた。

「はい。やはり授業は思ったよりも言葉遣いが硬くなったと思いました。ちゃんとした言葉で話さなければならないと考えるほど、高校生向けの言葉ではなくなったような気がします。授業中に切り替えようと思ったのですが、上手くいったとは言えないと思います」

 日誌にも言ったとこととほぼ同じことを書いている。

 他がどうかは知らないが、新島先生はそれを自分の言葉にして口に出すよう初日から僕に求めていた。去年、サークルの先輩に教えてもらった大学の卒業論文の発表と教授の諮問の様子とかなり近い。

評価は無機質に試験の点数で出されるのが常識だったので、自分で成果と評価を言葉にし、されるこのやり方は胃に穴が開きそうになる。

 自分自身の至らなさを直視しなければならないのは授業よりも厳しい。

「そうですね。そのせいかもしれませんが、話しだす前に間がある瞬間が多かったです。常に意識をしているのは良いことですが、それで授業に支障が出ては元も子もありません。生徒に教師側の事情は関係ありませんから」

「はい」

「それは次の授業に活かしてください。それと生徒に考えさせる工夫も少し足りなかったように思えます。説明するのに一杯いっぱいになってましたね」

「はい」

「全体を大まかに説明してイメージを掴ませるやり方はいいと思いますが、あれでは塾と同じですね。教師は予め内容を把握しているので全体像を把握していますが、生徒の全てがそうではありません。深早山は成績の良い生徒が多いので勉強に慣れています。しかし他の学校では通用しないことがあると思ってください」

「わかりました」

 まるで傲慢になっていると言われているような気がした。

 授業内容を全て把握しているのは教師として当然だが、教育とはそれを誰にでもわかるように伝えなければならない。零から積み上げる前提にはまだなっていなかったのだ。僕が教職につけるとして、配属される学校は深早山高校だけではない。

 新島先生は日誌に何か赤ペンで書き込みながら続ける。

「まあ初日ですからそれほど落ち込むことはありません。むしろ塾と同じぐらいの授業が出来ているなら十分です。あとは塾と学校の違いを意識すればそれでいいと思います。他の細かい点については日誌に書いておきますので読んでください」

「はい。ありがとうございます」

 淡々とした口調でも、フォローしてくれたのはわかる。

 葉山先生とは違ったタイプの人だが、それでも雑に扱われているわけではないと感じられた。

「ではこれは返しますね」

 ぱたりと閉じられた日誌を受け取る。

 中身をすぐに確認したかったが、わざわざ閉じたのだから帰ってからにすることにした。

先生も自分の書いたものをすぐに見られるのは嫌だろう。

「では逢坂先生からなにか質問はありますか?」

「そうですね————」

 昼間、葉山先生に言われたことを思い出す。

 生徒との距離感について葉山先生は冗談だと言ってくれたが、実際に状況を見ている新島先生はまた別の意見を持っているかもしれない。

「生徒との距離感についてはどうでしょう。愛想が悪くなっていたりしますか?」

「過度に距離を取っているとは思えませんでした。————葉山先生に何か言われましたか?」

 授業の態度からの文脈のつもりだったが、あっさりと見抜かれてしまった。

 どう話せばいいのか言葉を詰まらせていると、新島先生は溜息をついた。

「こう言うのは良くありませんが、葉山先生の言うことをそれほど気にする必要はないですよ。あの人は少し、その、フランクなところがありますから。それに逢坂先生は高校時代に葉山先生のクラスだったそうですね。ただはしゃいでいるだけでしょうから深い意味は何もありません。これは余計なことを言った私の責任ですね、葉山先生には釘を刺しておきます」

 どう反応していいのかわからない複雑なところで、とりあえず苦笑するにとどめておく。

少なくともこの様子から水上さんの行動については周囲に露見していないらしい。

 それが知れただけでも安心だった。

「では今日のところは以上です。また色々と考えておきます」

「あまり根を詰め過ぎないように。実習中に参ってしまう人もよくいます。家に帰ったらちゃんと食べて、ゆっくり風呂に浸かってよく寝てください。朝も不必要に早く来る必要はありません。心身のケアも仕事の内なので」

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