第7話 新崎さんも照れることがある
「おはよう。新崎さん」
「おはよう。小鳥遊くん」
てっきり何かメッセージが来るもんだと思っていたらこの人、土曜から今日まで、何も送ってこなかった。
こっちから送るのもなんか……う~ん。と悶々とし、今日。月曜日。
なんてことなさそうに振る舞う新崎さんを見て、俺も察した。
感想を語り合いたい人ばかりではない。ということを。
あの連絡先の交換は、ただのクラスメイト同士の普通のことだということを。
であれば、俺もそう振る舞おう。
『パンドラ』について語りたくなったら、兄ちゃんか姉ちゃんと話せばいいしな。
「──双頭の丁稚 薄氷の
……ん? なんか……あれ?
まあいいか。今日の独り言はパンドラね。
パンドラに登場する魔道の詠唱ね。
「性は哀愁版 名は雹狗」
語呂が良いからつい口に出したくなるんだよな。これ。
氷魔道三番の甲、『
「こごり結氷する水底 沈み 堕ち 絶たれよ」
「氷魔道三番の甲──『亜武蘇竜頭・零』」
詠唱は完璧。流石だ。
手元は掌印まで結んでいる。
仏教とかああいう大陸由来の印ってかっこいいよな。畏れ的な良さがある。
それにしても、亜武蘇竜頭・零か。加減を間違えたら俺達クラスメイト全員が分子レベルで機能を停止させられる。恐ろしい技なのに、躊躇いが無いな。
「なんか言った?」
突然、笹塚が振り返ってきた。
「何も言ってないけど? どうした?」
「いや、なんか呪文みたいなの聞こえた気がしたんだけど……」
何言ってんだ? こいつ。
俺がそんなこと言うわけないだろ。廊下に立ってろ。
だいたい呪文とか、新崎さんじゃあるまいし。
って、まさか……
横目で隣の席を見やる。
そこにはいつも通り、新崎さんがいる。
新崎さんがいることはいつも通りだけど、肝心の新崎さん自身は、全然いつも通りじゃなかった。
熟した林檎のように顔を真っ赤にして、俯いていたのだ。
……てかじゃあ、今の声、やっぱりか。
独り言。詠唱の声。いつもより大きかった気がしたんだ。気のせいじゃなかった。
……でも、何でだ?
独り言はいつも超小声で、隣の席の俺だけが辛うじて聞き取れる。
新崎さんは俺に独り言が聞かれていることを知らない。
それでも、あれほど声量を絞れる新崎さんが、俺の一つ前の席の笹塚に聞かれるぐらいに調節をミスるなんて、流石に考えられなくないか?
偶然か、考えられるとすれば──
「た、小鳥遊くん」
考えられるとすれば……
「氷魔道三番の乙って、なんだっけ」
……やっぱり、そうだよな。
話しかけてくれてたんだよな……?
…………なんかじょわじょわすっぺ。
「お、乙はほら、亀乳の低頭の……」
「あ、ああ、『
なんだこれ。
なんなんだこれ。
新崎さんの緊張がこっちにまで伝わってくる。
だからなんとなく、わかる。
多分きっと、本当は話したかったんだと思う。
メッセージで色々と語りたかったんだと思う。
でも緊張して送れなかったんだと思う。
今、正直、なんでよりによってって感じではあるけど、今、勇気を振り絞って声をかけてくれたんだと思う。
だから詠唱してくれたんだと思う。
本当はずっと、パンドラの話をしたかったんだと思う。
なんとなく伝わる新崎さんの気持ちを想えば想うほど、何故かこっちまで緊張してきた。
てかじゃあ、あの最初の詠唱も話しかけてるつもりだったのか?
だとしたらわかり辛すぎるだろ。
嬉しいけど。
いつものやつかと思っちゃっただろ。
嬉しいけど。
……ああ、笹塚の何が何やらわかってない顔が鬱陶しい。廊下に立ってろ。
てかお前パンドラ読む読む言っといて、まだ全然読んでないだろ。読んでたら雪魄氷姿が何かわかるだろ。
「せっぱ……? なに、バンドの話?」
何でだよ。廊下に立ってろ。
「新崎さんだっけ? バンドとか聞くんだ?」
「聞くけど、詳しくないよ」
「ありゃあそうなの。じゃあ俺が教えてあげよっか?」
「いいよ。悪いし。それに今は──」
多分だけど、新崎さんの方が詳しい気がする。
笹塚はミーハーだし。
なんてツッコんでいると、不意に、俺と新崎さんの視線がかち合った。
緊張は解けたのか、そこには無表情の、いつもの新崎さんがいた。
「──今は、小鳥遊くんとパンドラの話してるから」
良かった。やっぱりそうだったんだ。
あんまり突然だったから俺も少しテンパってしまったけど、もう大丈夫。
そういうことなら、むしろこっちからお願いしたいくらいだしな。
まず手始めに、好きなキャラから聞いていこうか。
そう思った。
矢先だった。
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